決めたい時の判定装置であり、すばらしい道具
それはタロットです。
て言うと思ったよ、と笑われそうですが(^_^;)・・・本当にそうなのです。
人は何かに迷った時、まず目で見えるもの、聞こえるもの、さわってわかるもの、形あるものの中から情報を得ようとします。
文章や人の言葉、実際にある建物、数字、お金、人間関係・・・仕入れる情報は様々ですが、一応それは他人でも見たり、聞いたり、また人に説明できたりするものでもあります。
しかしながら、迷いも究極になってきますと、そういったいわば物理的で客観的な情報だけでは判断がつかなくなってきます。
こちらを取ればあちらが立たず、あちらがいいようで、でもこちらにも良さがある。並べるとまさに同列、損得的にも本当に同じなので(あるいはどちらもわからないので)決められません。
こうなると、次は精神的なものに判断基準を移行させていくようになります。
たとえば記憶に基づく経験をリサーチするかもしれません。また選択しようとしていることを体験した他人の「記憶」ということもあります。
それでもやはりわからない。そうするとこの次は、人間(通常感覚)を超えたものに頼るようになります。
神様、仏様、天使、精霊、ハイヤーセルフなど目に見えない次元の異なる存在(エネルギーや別次元の情報と考えてもよい)へのコンタクトがここに始まります。あるいは、自分が「神」や「普通の人を超えている」と信じている「人間」のこともあります。
ただし、そのような存在(人間も含む)は悪魔、妖魔、鬼などネガティブ的なものと表裏一体ともいえます。天使のように見えて悪魔ということもありうるのです。
それはともかくとして、結局迷いを終わらせるために、最終的には普通を超えたものへの「神託」のような形を取ることになるわけです。
これは通常での会話ではなく、目に見えないコミュニケーションだともいえます。ですからたとえ向こうから正しいものが伝えられていたとしても、こちらがそれを受け取る会話術を知らないと、意思疎通がきちんとできないことになります。(間違ったものを受け取るおそれがある)
言ってみれば外国の方と身振り手振りで会話して通じることもありますが、誤解を招くこともあるようなものです。そこにお互いが理解できる共通言語が必要なのです。
他存在との共通言語の種類は古今東西いろいろとあるといわれていますが、タロットもそのひとつなのです。タロットには、そうした特別な言語構造ともいえる絵と象徴で作られているからです。
しかしながら、受け取る側の人間にはその人のレベルと主観が入ります。それはたとえればあちらの言語に対して片言かペラペラかで、受け取る情報量と正確さも異なってくるということを意味します。
ですからタロットをしていても、自分では読みにくいことも生じます。それでは判定装置として意味ないではないかといわれそうですが、一人で固定した中でやっているだけではそうともいえます。
しかしこれも同じ言葉を学ぶ同志がいれば、判定装置の客観性も増してくるのです。
「私の問題をやってみたのだけど、こうタロットが出たの、どう思う?」と同学の人に聞いてみることで、一人だけのものより、正解に近づくこともできるでしょう。
もちろん単独で言語を極めていって精度を上げることも可能ですが、「言語」だけに会話を多くすることと、他の人との検証もやはり効果的なのです。
こうして一人で迷ったら自分でまずタロットをしてみて、普通の感覚ではとらえられない情報を「別存在」とのコミュニケーション(タロットが媒体)で受け取ります。
それでも自分の言語能力が未熟だったり、会話できるノーマルな状態ではない(極端に思い入れが強い時などの)場合は、同じ言葉を学ぶ人に手伝ってもらってコミュニケーションの精度を上げるということをします。
こうすると、少なくとも、今までの範囲内で迷うということは少なくなってくるでしょう。タロットを学ぶと、このようなことが可能となってくるのです。
※カモワン版マルセイユタロットをご存じの方は、今回のことは、「恋人」「審判」 「審判」の前の「太陽」などのカードをイメージすることをお勧めします。
コメントを残す