助けすぎと尽くしすぎになっていませんか?
タロットカードに「節制」と「星」というカードがあります。
カモワン版マルセイユタロットの場合、この二枚のカードはともに壺(水瓶)を持つなど共通したところも多いカードなのですが、今日はこの二枚のカードに関係した話をします。
まず「節制」というカードです。
このカードの大きな意味の一つに、「助ける」「救済する」というテーマがあります。その絵柄からも、いわば「救済の天使」といってもいい存在です。
そして「星」は、女神とおぼしき女性が、片膝着いて手にした壺から水を流す姿が描かれており、そこから「尽くす」という意味も現れてきます。
簡単に言えば、この両者はまさに「助け、尽くす」ということで似た事柄を共通して持っているのです。
ただその貢献の仕方(エネルギーの質、使い方)が、両者によって違いがあるということです。(その違いについては、タロット講座でわかりやすく説明しています)
さて、この「助ける、尽くす」ということは、それ自体ではとてもよいことです。人間として美しい行為だとも言えましょう。
しかしながら何事もバランスです。これが「過ぎる」とやはり問題となります。
特に、このカードたちが逆向き(逆さま、リバース)でカモワン流の展開法にて現れる時は、「尽くし過ぎている、助け過ぎている」ということが考えられます。
たとえば恋愛では、報われない、あるいは不毛とも思える関係の相手に尽くしすぎている。
ほかの人間関係においても、必要以上に相手に介入し、助けようとしている、関わろうとし過ぎているなど。(余計なお世話、自己犠牲)
お金や経済的なことでいえば、自分が生活に困るのに相手にお金を貸してしまうようなものです。もちろん助け合いの精神で、困った時に支援をすることはとても貴く、人として大切なことではあります。
しかし、相手の自立を損ねてしまうような援助は本当の意味での援助とは言えません。
依存を継続したり、助長させたりする助けは、救済どころかかえって相手を悪くさせてしまうこともあるのだということです。
お金のことにいいかげんで返すあても努力もしていない人に、親切心で何度も貸してしまうような行為は、相手にとってあなたは単なる金づるでしかないわけで、楽な金づるがある限り、相手は自分で稼ごうとはしません。
楽に手に入った、いわゆるあぶく銭は、その名の通りのあぶく(泡)と消えます。
おそらく心の中の良心のようなものが、あぶく銭を持っていることに罪悪感を抱き、早く使わせてしまうよう無意識のうちにし向けるのでしょう。
カモワン流のタロット絵図、「タロットマンダラ」において、「節制」の前に「13」、「星」の前に「神の家」というインパクトの強いカードがあるのも、「助け」や「尽くす」ということが、ある種の厳しさや強い意志が必要なことを物語っているかのようです。
大きな意味で自分を犠牲にしてでも他者に貢献することの意味がわかっている人には、助けすぎ、尽くしすぎはありません。それは巨大な何かとつながっているから、自分が枯渇することがないからです。
しかし、一般のレベルにおいては、自己の許容量、相手の依存心の増大につながっていないかなど、自分と他者を冷静に、時には厳しく査定する必要があります。
助けたくても我慢した方がよい場合もあるのです。
また自分だけが救済の唯一の方法(人)ではありません。他者や社会の援助もあります。
そうしたことを勘案することで、適切な救済と尽力になるのです。
ほんとにそう思います。
尽くし過ぎの所がありましたが 最近は自分を満たす事に専念してます。
自分が満たされてないと人には何もしてあげられないですもんね。
ありがとうございました。
>ム-ンさん
こちらこそ、コメントいつもありがとうございます。
> 自分が満たされてないと人には何もして
> あげられないですもんね。
これはほんと、おっしゃる通りですね。
たとえばすごい利他主義の聖人のような人がいらしたとしても、その人は強烈な信仰心や、すでに強固に裏打ちされた自分の満足感が十分にあるからできることであり、通常はそれが得られていないまま、無理して思考(頭の中)で「こうすべき」と解釈して尽くしてしまうので、あとで不満足感や飢え・乾きのように感じてしまうのだと思いますね。