自分を頼るか、誰かに頼るか。「13」と「節制」の関係。
タロットカードの「13」と「節制」は数の順番でも、タロットマンダラ(カモワン流のタロット絵図)でも隣同士になるカードです。
カモワン流ではペアやカップルのカードとしてとらえるほど、両者には密接な関連があります。
今日はその関連から、ひとつのお話をします。
さて「節制」のカードには、二つの壺を持った天使が壺の水を交互に移し替えている様子が描かれています。
その壺の水は、超越的な薬のようなもので、その薬を調合することによって人を救済することができるので、いわば「節制」は「救済の天使」と呼んでもよいカードです。
ですから、このカードの大きな意味として、「救済」「援助」「助け」「癒し」などの言葉が出て来るのです。
ところで、人は強気で支配的な場合と、弱気で依存的な時があります。
前者はもちろんうまく行っている時、調子がよい時などに表れ、反対に後者は悪いことが重なった場合や病気やトラブルに見舞われた時になりがちです。
しかしそういった自分の好不調とは関係なく、普段から強気過ぎの人、弱気になり過ぎてしまう人がいます。
こうなると頑固さや、頼りたい気持ちが先に出てバランスが崩れ、やろうとしていることが空回りしたり、いつまで経っても状況が好転しないままであったりということになります。
つまり、「節制」の「救済」の意味でいえば、「助けなどいるものか!」という思いと、「いつも私を助けてほしい・・・」というふたつのアンバランスな心が生じているようなものです。
この状態を回避するには、数で言うと隣のカード、そう、「13」(「名前のない13」)を見ることにあるのです。
「助けなどなくても自分ですべてやれる」と思っている人は、「13」のカードを逆にして眺めてみるとよいでしょう。そうすると、大きな鎌を持って、逆さまで必死に振り回している姿が見えてくると思います。
ここに「節制」を右隣に並べると、まるで「救済の天使」である「節制」から背を向けて、過激に、あるいは攻撃的にやけになっているかのように感じられます。
しかしながら、結局、鎌は空を切り、おそらく何の手応え(つまり実績、成果)もなく終わることでしょう。
そしてだから余計に鎌を力ずくでふるおうとして、最後には自分自身に鎌をふるってしまう(疲れて鎌をコントロールできず、自分の体に当たってしまう)ことになるのです。
一方、「とにかく助けてほしい」「いつも私を助けて、お願い!」というような極端に依存的であるのは、「13」そのものを無視している状態だといえましょう。
鎌をふるう(耕す、刈り取る)ような大変なこと、嫌なこと、怖いことは見ない・しない、「13」なんて私には無縁、厳しいことはないことにしている自己世界です。
このようなことにならずにバランスを取るためには、まず「13」のエネルギー状態があること(必要なこと)を意識し、「13」を自分の中に存在させることです。
その上で、それが過剰にならないよう、カードでいえば「正立」させて、「節制」ときちんと向き合わせます。
「13」と「節制」のカードが正立同士で向き合う時、バランスは回復するのです。
そうすると頑固で独りよがりだった自分が素直に「人の助け」を得ることを認め、誰かに頼りたい一心だった思いは、自分自身が強く改革を起こす決意と行動を取ることで、本当の意味での「救済(者)」に会うことを知るのです。
誰かが何とかしてくれる、あるいは自分ですべてやるしかないという偏った考えと行動は、「13」と「節制」においてはとてもアンバランスなことになっています。
この世の中は一人で生きているわけではありません。しかし、すべてを人に頼って生きていくのは、惨めで自分の人生を捨てたようなものです。
私がやるのだ、私自身が自分の人生の責任を持つのだと思い、なおかつ、自分にできないこと、人と交流して協力してやれることは素直に他者に依頼していくとよいのです。(自分が「節制」になることもできます)
独りよがりと依存過多は結局、人や世界を認めようとしない狭量で傲慢ということなのです。
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