審判があなたの「試合」を左右する。

昨日のサッカーアジアカップ、日本対韓国の試合、まさに死闘でしたね。


当たり前ですが、どちらのチームも力を出し尽くし、最後まであきらめない姿勢が伝わってきて感動しました。


しかしそんな好ゲームではありましたが、ひとつだけ気がかりなことがありました。


それはレフェリー・審判の判定です。この試合に限ったことではありませんが、全体的にアジアの審判のレベルは見ていて低いと言わざるを得ません。正直、かなりひどいのではないかと感じます。


これは日本に有利不利とかの問題ではなく、審判そのもののクオリティが悪いために、どの国もその影響を被っていたように見えます。


というようなことを考えていますと、タロットをする者としては、このことでイメージされてくるカードが出てきます。


それは「正義」のカードです。「正義」はその名の通り、ある正義を表し、物事の基準を示して価値を計ります。画像的にもまるで裁判官のような人物が描かれているのが特徴です。


実は皆さんの中にも「正義」の審判(レフェリー)がいるのです。そして試合をいつも裁いています。


何の試合でしょうか? それは自分の人生そのもののことです。


人生はいわば、「試合」のようなものです。


自分が見たり聞いたり、経験したりすること、また自分の身に起こることなど、すべて私たちは自らの基準に従い、「裁いて」います。言い換えれば「判断している」ということです。


その裁きいかんによっては、あなたの試合、つまり人生もいかようにでも作られ「創られ」てしまうのです。


サッカーでも、「審判が試合を見事に演出した」とか、反対に「審判が試合を壊した」というように表現されることがあります。


それだけ審判は重要なのです。サッカーというスポーツのルールは全世界共通です。しかしながら、それを裁く審判によってサッカーの試合の質がまるで変わってしまうのです。


ということは自分の人生(試合)も自分の中の審判による裁きを変えることで、輝かしいものになることもありますし、ひどいと感じるようなものにもなる可能性があるということです。


実社会に生きている限り、「社会」という名のルールにおいては誰しも共通ですが、自分の審判、裁き具合はまさに自分次第だといえます。


同じルールがあったとしても、その解釈によって試合(人生)は変わるのです。


何でもかでも笛を吹いて反則を取る審判もいれば、ほとんど大目に見て流す審判もいます。どちらも行き過ぎると問題になり、試合も面白くなくなります。


でも一番選手も観客も見ていて困るのは、基準が一定しない審判でしょう。


あの時は笛を吹いたのに、同じような反則があった今回は笛を鳴らさない・・・ということがたびたび続くと周囲は不信感に包まれます。


言ってみれば、自分に厳しくし過ぎたり、甘くし過ぎたりすることも、またいつもぶれていて、心が定まらない状態であるのも、試合(人生)として美しくないといえるのかもしれません。


今自分の人生に何かアンバランスなことが起こっている人には、自分の中の審判を見つめ直しみるとよいでしょう。

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