カードからの気づき

カモワン版マルセイユタロットカードの名前

昨日は講義の帰りにフランス語の発音を少し習っていました。


マルセイユタロットを扱っている者として、一度カードの名前など、フランス人の方にきちんと発音してもらって確認しておきたかったからです。


ついでに自分も正しく発音できたらとは思っていたのですが、これはなかなか一朝一夕にはいきません。ABCや発音法則、アクサン記号の違いだけでも大変で、後半はかなりヘロヘロになってしまいました。(^_^;)


いやー、しかし実際にフランス人の方に発音してもらうと、またカードが違った雰囲気になるのが驚きでした。(余談ですが、発音の授業をしてくれた先生は、ホドロフスキー氏(「ジョドロスキー」のような発音でした)の映画が好きな方だったので、びっくりしましたが)


実はカモワン版マルセイユタロットには特別な綴りの仕方を特定のカードには施しているので、普通のフランス人の方がどのように発音するのかにも興味がありました。


でもちゃんとカードのノーマルな名前の意味での発音はされていたので、さすが暗号だなと思いました。


もしフランス人の方でも発音しにくかったり、つまったりすることがあれば、それはあからさま過ぎる暗号となり、暗号ではなくなりますから。


ところで名前というのは思っているより重要なものです。


カモワン版マルセイユタロットの場合、訳者である大沼氏が通常一般に広まっているタロットの名前とは違ったものを一部採用したために、普通のタロットカードの名前を知っている人にとっては違和感のあるものでしょう。


たとえば、大アルカナのカードで「1」の数を持つものは、通常、「魔術師」や「奇術師」と呼ばれますし、次の「2」を持つカードは「女教皇」と言われますが、カモワン版では「手品師」と「斎王」です。


ほかにも「13」が「死神」ではなく、名前を持たないカード(実際、マルセイユ版の「13」では名前の欄がありません)とし、「16」は「塔」ではなく「神の家」とフランス語直訳になっています。(その他のカードも若干の違いあり)


カードの名称も、ウェイト版の絵柄で見た場合、一般名での名前が合っているように思えますが、カモワン版のマルセイユタロットでは、やはりカモワン版日本訳でいうところの名称のほうが適当であるように個人的には感じられます。


ウェイト版の「1」のカードは確かに「魔術師」ぽいですし、カモワン版マルセイユタロットでは「手品師」と呼ぶにふさわしい人物と絵柄です。


もし絵柄のないままで「魔術師」といわれた場合と、「手品師」といわれるのとでは、皆さんどう感じられるでしょうか?


「魔術師」と聞くと、なにやら重々しい空気と不思議な力を醸し出すかのように感じられ、「手品師」と聞くと、軽くて子どもぽい印象と庶民的・現実的な雰囲気があるように思うかもしれません。


実際、カモワン版の「手品師」は、新しいということ、若いということ、現実の外の世界(社会)に出て生きること、存在することの意味が強調されているのです。


言ってみれば、魔術は現実の実践生活の中にあり(いきなり社会と隔絶して修行するわけではない)ということです。


もちろん裏側には、魔術的な要素と意味も含んでいます。手品をして現実で生活しながらも、裏では魔術修行に勤しんでいるかもしれないのです。それは一見、普通の人には「ただ手品をやっている」としか見えない絵柄に秘密が隠されているということです。


このあたりがいわばマルセイユ版の魅力でもあります。


ヨーロッパ中近世の人物や風景を単純にただ描いているだけにしか見えないようで、少し本当の見方を教えてもらうだけで、とたんにマルセイユタロットが奥深い謎めいたものに変貌するのです。


カードについた名前を考えながら、絵柄を見てみると、当たり前に思っていたことから新鮮な発見があるかもしれません。


愚者の次に登場するもの、従うもの。

以前、ある方のブログで動画とともに、面白いことが紹介されていました。


その動画には、とある広場で一人の風変わりな人物がオリジナルなダンスを突然披露するものが映し出されており、その人物が踊っていると、やがて次から次へと次第に他の人もそのダンスをマネして行くようになり、ついにはそこに一大ムーブメントが起こったかのように広場全体が大きなダンス場と化してしまったというようなことが撮影されていたのです。


確か、そのブログでは、「最初に踊りを踊った人物も重要だが、それに追随しようとする人間が大事で、大きな流れを起こすには二番目の追従者が出るかどうかがポイントだ」と語られていたように覚えています。


これを見て、私が感じたのはまさにタロットカード(カモワン版マルセイユタロット)の「愚者」でした。


「愚者」の絵には、一人の旅姿の人物と、それを追いかけるような犬(動物)が描かれています。


そう、この人物と犬とが、先述した動画の「先行者と追従者」の関係に似ているのです。


最初に何かを起こすには、常識を超えた考えや行動が必要です。


先ほどの動画でいえば、いきなり珍妙なダンスを大勢の中で繰り出す最初の人であり、それには、「こんな場所でこんなことするのは恥ずかしい」などの常識で縛られた考えではできません。まさに「愚者」だからできることです。


しかしその「愚者」の行いを見て、自分も「愚者」になろうとマネをすることは、結構勇気がいります。おそらくその追従者は「愚者」ほどの常識はずれ、革命者ではないからです。


それでも第二番目の者が現れることにより、ほかの常識の人との架け橋、あるいはブレイクを促す人物となり、皆に「オレにもできるかも」「私もやってみようかな」という気分にさせたのです。


「愚者」はある意味天才かもしれませんが、その追従者である「犬」は天才でなくてもできることです。


ですからあなたは「愚者」が無理なら、まずは「愚者」の犬(第二番目の人、ムーブメントを起こす本当のきっかけの人)になればよいのです。


そのポジションはたとえば具体的にいえば、あるカリスマのオーガナイザーやプロデューサーであることもあれば、一番弟子やその分野での創始者を除く第一人者ということにもなるでしょう。単にいいことをされている人の第一のサポート役ということもあるかもしれません。


とびっきりの変な(常識では思いもつかない)ことは無理でも、そのフォローをしていく者には少しの勇気と行動力があればできます。このポジションを自分が一番先にやれるかどうかも重要でしょう。


最初の「愚者」は本当に愚者に見えても、追従者のあなたのやりよう、見せ方によってはその愚者をとんでもないカリスマ・聖者にすることも可能なのです。


逆にいえば、自分が愚者であるならば、犬に当たる人物も必要だということになります。


カモワン版マルセイユタロットでは、興味深いことに、その犬は動物や人間性を超えるもので象徴させられているのがすごいところです。


ということは、ある意味、この犬の立場・感性のほうが「愚者」より重要であったり、自分を「愚者」化するためには大切なことであると示唆しているのかもしれないのです。



タロットカードから見る生活のバランスの取り方

昨日は 、「自分を見失い、自分が世界から消えているような感覚があれば、創造的なことをすればよい」というお話をしました。


その記事のヒントになったのはタロットカードの「女帝」ですが、記事を書いている内に、もうひとつのカード(の精霊)もやってきていました。


それは「隠者」です。(ほかにもいくつかの来訪がありましたが、それは後に登場します)


そして「隠者」(のカード)は「女帝」(のカード)と向き合いました。


なるほど、そういうことか。私はうなずきます。


創造的になるためには、隔離された「自分の世界」が必要なことがあります。あまりに周囲に埋没したり、ペースに巻き込まれたりしているため、一度周りから自分を切り離して、自らのリズムを取り戻す必要があるからです。


現代人は自分の部屋、ネットカフェなど個室的になれるところは多いのですが、その場所や時間を結構無駄にしていることも多い気がします。


また本当に慌ただしい毎日を送っていると、表面的には確かに一人でいたり、一人の時間を持っていたりするように見えるのですが、その実、仕事のことや人間関係などで心が占められ、心理的には騒々しく、たくさんのものに囲まれている感覚になっていることもあるでしょう。


ですから「隠者」なのです。隠者は世間から隔絶された場所で一人孤独に修行している存在です。騒がしい世の中から離れているために、かえって自分を照らす光を見ることが可能になるのです。


私たちも修行とはいわないまでも、周囲のペースとは完全に異なる場所や時間を「意識的」に持つことをお勧めします。そのことで失われた自分を取り戻すことができます。


これとは異なるのですが、タロットカードの「悪魔」と関係する「孤立化」も、ある人には有効です。


これは、自分の楽しみ・趣味などの時間(場所)を持ち、失われている自分らしさ(の余裕)を取り戻すための孤立化を意味します。


現実にはとても忙しくて無理かもしれませんが、その時間を作る、あるいは場所を作ることの工夫自体が「創造」につながります。


よく見直してみれば、きっとやらなくてもいいこと、手を抜いてもOKなことがあるはずです。


完璧を求めることは自分をますます追いつめ、たまったまストレスは後に爆発してバランスを強引に取ろうとするようになるので危険です。


完璧のプレッシャー・恐怖から逃れるためには、自分の中のルール・規則を変えることです。完璧さの基準が変われば、行動も変容します。


意外に思うかもしれませんが、「悪魔」はあなたの中のある面のバランスをうまく取るために存在するカードだと言ってもよいでしょう。


カモワン版マルセイユタロットのタロット絵図「タロットマンダラ」において、「正義」の上に「悪魔」がいることは、このことも関係していると私は考えています。(もちろん、ほかにも様々な理由があります)


そして、面白いことに、そのマンダラでは「正義」を見ているのは「隠者」なのです。さらに「正義」の下には仕事を主に意味する「手品師」がいます。


悪魔」と「手品師」の間にバランスを象徴する「正義」、その隣に隠れて一人になっている「隠者」、これらの構図はまさに人間の生活において、自分をいかにうまくバランスよく保っていくかということを教えてくれています。


「創造」があなたの危機を救う。

日々仕事や家庭での雑事に追われて過ごしていると、まるで世界から自分が消えているかのように感じることがあります。


いわば自分を見失うといったことになるでしょうか。


それにはいくつかの解決方法は考えられますが、今朝、私がタロットから得たメッセージはタロットカードの「女帝」でした。


女帝」は詳しくは説明しませんが、「創造性」と結びつくカードです。(理由や詳細が知りたい方はタロット講座を受けてみてください)


創造、つまり生み(産み)出すことです。


自分を見失うと、自分が何か(何者か)に消費させられているかのように感じます。雇われる立場で酷使されたり、自分が過剰に奉仕させられていると思うと、その感覚は強くなるでしょう。


ですから反対に自分から生み出すことをすればよいのです。


「生み出す」「作る(造る)」「創造する」ということを象徴的に解釈すれば、具体的な方法はいくらでも思いつきます。


文章で創作(歌、詩なども含む)、土から陶芸、色から絵画、映像から映画、生地から服や持ち物、食材から料理、種・苗から植物に、自然のものから使える道具を作る、自分の心から人の心に新しい希望をともす、単純に余暇を時間的に生み出すなど、「作る」「生み出す」ことは無数にあります。


もちろん究極的には人をつくる(子作り)という男女共同作業もあります。


生み出すことで、大げさに言えば自分を中心にして世界との関わりが成立してくるのです。


それは自分への無意識の自信・信頼、自分存在の肯定のようなものにつながります。また生み出したものへの愛情も芽生え、消費し過ぎた奉仕力の回復にもつながります。


精神的に苦しい状況にあった人、うつから回復してきた人などにも「創造」は役立つことがあります。


自分をその対象になぞらえることにより、まさに再生・復活のシンボルとして自分が新しく創造されることを体験するからです。


この場合は生物(植物含む)、生きたものを対象とする創造的行為(植物・動物を育てるなど)が実感として、より強く出るでしょう。


埋没した生活に光をともすために、何か創造的なことをはじめてみませんか。


人に話をすること、伝えるということ。

タロットカードには「法皇」(通常では法王、教皇の名)というカードがあり、その次の数を持つカードには「恋人」(恋人たち)というのカードが位置しています。

カモワン版マルセイユタロットではカード人物の視線を重視し、視線が向いている(向けられている)カード同士を関連させてリーディングしていきます。

この「法皇」と「恋人」も、二枚を数の順に並べると、「法皇」から「恋人」に視線が注がれているように見えます。

「法皇」は人に話しをしている様子が描かれ、「恋人」は三人の人物が何かを話し合っているようにも見えます。これらのことから、ともに「話をすること」つまり、コミュニケーションが両方とも関係するということが読み取れます。

この二枚で、言うなれば、「人に話を伝える(法皇)」には、「コミュニケーションの技術(恋人)」が必要だということが示唆されているようにもとれるのです。

実はタロットリーディングは、単にタロットの絵柄や展開から意味がくみ取れる(読める)だけではまだ不十分といえます。

いえ、自分のことをリーディングするということではそれで十分なのです。けれども、リーディングした(感じ取った)内容を他人に伝えるという観点では、そこに言葉やコミュニケーションの技術が必要となってくるのです。

初級の段階では、この部分、「人にいかにしてタロットカードから読み取った内容を伝えるか」ということに苦慮し、結局リーディングが客観的にうまくできないという場合があります。

頭や心ではわかっている(感じている)のに、それをうまく言葉で表現できない、伝えられないのですね。

それは友人同士や家族同志の会話とは別に、プレゼンテーションとはいわないまでも、他人に対して自分の思い(仕事の内容など)を説明する機会が少ない人、口べただと思いこんで話すことをためらっている人、話し好きだけれども要領よく話せない人などには多いケースとなります。

ほかにも何かのことで心にブロックがあって、話しづらいという人もいます。

また話をすることはできても、相手にきちんと言うべき事が言えず、(遠慮してしまう、嫌われたり、いやがられたりするのが怖いという恐れを含んでいます)本質を避けた言い回しになってわかりづらくなってしまうということもあります。

タロットを習ったことで人に説明する機会が生じて、はじめて自分がそういう欠点やブロックがあることに気がつく人もいるのです。

これを克服していくには、やはり意識して訓練するしかありませんが、タロットリーディングを習って人と組(ペア)になってリーディング練習を繰り返すことでも、かなり改善されていきます

また、タロットを使って話しのポイントをあらかじめまとめていくことも可能です。

そもそもカモワン流でリーディングする場合、出たタロット展開にストーリーを作り上げる必要が生じますので、リーディングをこなすに連れ、話を整理していくことは自然と上達していくようにもなります。

わけもわからず、混乱した状態のまま話をしてしまうので、自分でも何を言っているのかわかりませんし、当然相手にも伝わらないことになるのです

話の整理さえつけば、相手に話しをすることも以前よりかは格段にしやすくなり、また相手側にも理解がしやすくなります。

それから普段から言葉・言語に注意を払っていくことです。

自分の言語表現の能力、蓄積を上げていくのです。いわば言葉の貯金です。本を読んだり、文章に多く接することはそのことに高く貢献します。タロットはイメージの力も重要ですが、意外にもこうした「言葉」の能力も要求されるのです。(人にリーディングする場合)

当然のことですが、リーディング内容を伝える以上にタロットを教える講師ともなると、さらに相手に理解してもらえるような言葉、コミュケーションの力がいります。一対一の関係だけではなくなるからです。

自分はタロットがよく読めるようになった、タロットのことはよくわかったと言っても、それを人に伝え教えるともなればまた違った技術の研鑽が求められようになります。これは私自身も昔は錯覚していたことでした。

自分が本当に理解しているかどうかは、まさに他人にそのことを説明してみればわかるのです。

きちんと相手が納得してわかってくれたのならば、あなたの理解度はきちんとしたものですが、そうでなければやはり中途半端なのです。おそらくそのような時は、人に説明をしている最中に、しどろもどろとなるので一目瞭然でしょう。

「法皇」と「恋人」に戻りますが、「法皇」はよく見ると視線は「恋人」の天使に向かっています。つまりは、人間を超えた存在を見ているのです。

それほど人に話をすること、伝えることは言葉を選び、慎重に行い、天使的な目線(上から目線ということではなく、自分の言葉に責任を持つ、人に貢献するというような姿勢)で行うものであることが強調されているのです。

私もまだまだ未熟です。「法皇」目指してがんばりたいものです。


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