カードからの気づき

紅葉を見て、タロットの内的錬金術を思う。

ちょっと有馬・六甲(神戸の裏に当たります)を回って紅葉を見に行ってきました。


もうすでに時期的には遅くなっているのですが、それでもとてもきれいな紅葉を見ることができました。今月、あるいは来月初旬くらいまでは何とか大丈夫ではないでしょうか。


お勧めは有馬・六甲ロープウェーから見る景色です。特に有馬側から出発、もしくは到着する間際の景色は非常に美しいです。それは有馬の鼓が滝公園の上空に当たるので、もちろん鼓が滝公園に地上から行ってみるのもきれいです。(写真がなくてすみません。。。)


ところで、今年の紅葉は京都をはじめ、結構よい感じに色づいているようですね。理由は夏の猛暑があったので、結果的に寒暖の差が激しくなったため、そうなると色づきはよくなるからのようです。


つまり、温度の差、上下の落差、環境の激変が「色」「美しさ」を際だたせたということです。


これはタロットでいえば、「13」から「節制」に至る錬金術的変容だともいえます。(またはその前の「隠者」から「運命の輪」に至る過程でもあります)


自らを輝かせるためには、それなりの「温度差」に該当するインパクトが必要だということです。


それは溶鉱炉のように、すべてを溶かす熱い火のような環境のことかもしれません。そこに熱い・痛い(つらい)感覚が伴うものといえましょう。(炉やフラスコのような象徴はタロットカードには多く描かれています)


現在つらい環境・状況に置かれている人も、大きな温度差にさらされていると考えてもよいでしょう。


でもそれは木々の葉がやがて今の時期のように美しく輝くように、自分も周りからみるといつかは紅葉のように美しく、貴くも見えるようになるのです。


あなたのつらく苦しい体験も、自らを大きく変容させるためのひとつの過程だと考えられます。ですから、必ず出口や救済もありますし、ピンチだと思えることも、そのことから逆にチャンスになる得る可能性もあるのです。


また、楽に生きたい(安易な意味で)、何も変わりたくない、今のままがいいなどと強く思っていると、あなたを変えるために外側・内側からインパクト(衝撃)がやってくることになります。


どうやら人間というものは、この世界に生きる限りにおいて、いつも錬金術をさせられている(向上のための変化・変容を促されていく)ようだといえるからです。


世界を広げるために、「世界」のカードから。

自分の世界を広げるためにはいろいろな方法があります。


タロットにもそのものすばり、「世界」という名前のカードがあり、これを見ることで「世界の広げ方」もわかります。


「世界」のカードには四方に動物(天使)たちが描かれており、中心の人物の周囲にはリーフがあります。(カモワン版マルセイユタロット)


つまり周辺や周囲が意識されるのです。


これを私たちの感覚で表すとすれば、いわば限界や境界を示すと考えられます。行動的にいえば、実際に訪れた、なじんだと思われる範囲です。


皆さんも小さい頃を思い出してみてください。


最初は自分の家のほんの小さな範囲でしか動けなかったし、安心感が出なかったと思います。そして学校に行くようになると、今度はその学区内が自分の認識範囲となって、その中ではまさに「自分の世界」となっていたことでしょう。


こうして自分の成長と行動、人との交流などによって、次第にあなたの「世界」は広がっていったはずです。


今ではもしかすると全世界に「自分の世界」が拡大されている人もいるかもしれません。もし宇宙に旅行できるような時代が来れば、地球以外の場所も自分の世界とすることが可能になることもあるでしょう。


結局、自分の世界はいかに自分が行動し、心理的にも安心感やホーム感が得られたという場所の範囲によって広がっていくということです。簡単に言えば、自分が知見できた範囲ということになります。


ですから単純に考えれば、できるだけ未知なる場所に自分の足を運び、自分の目や耳、心で感じる体験を積み重ねていくことで、自分の世界は拡大し続けるということになってくるでしょう。


じっと引きこもっていては世界は広がらないのです。


「世界」カードの4つは生き物で象徴され、実際の生の体験、足を向けた場所と範囲のように思われます。そして、真ん中の人物を囲むリーフこそが、自分の本当の意味での認識している世界、知っている世界の範囲なのかもしれません。


いずれにしても、それらはともに無限に拡大していくことがある象徴で示されています。


現実世界に生きているいまこの時に、自分の世界を広げるめためにも、皆さんもどんどんと足をいろいろな場所に運んでいくとよいでしょう。


「女帝」、「13」、「運命の輪」で見る消費と生産

世の中、あれを生みだし、これもやり、それでこれを壊して、あれをやり直し・・・みたいなスクラップ&ビルド、創造と破壊の繰り返しによって、特にビジネスシーンなども回っているように見えますね。


創造と破壊は世の常、いわば自然のサイクルでもありますから、それも必然的なものといえます。


ただ、それに振り回され、無理矢理創造と破壊の輪の中に投げ込まれて、クルクルとラットレースのように回されていないか、気をつける必要もあります。


言ってみればそれは、一度消費させられて、その消費が終わってまた新しいものが外から生み出されて(提供されて)、さらにまたそれを消費させられるという「消費回転マシーンの獲物」に自分がなっているということです。


輪の一回転ごとにあなたの貴重なお金や時間が消えていきます。


タロットカード(カモワン版マルセイユタロット)で「創造」をもっとも象徴するのは「女帝」のカードです。そして、「破壊」を表すのは「13」だと言えましょう。


カモワン版のタロット絵図、タロットマンダラでは、「女帝」の前には「斎王」がおり、「13」の前には「吊るし」があります。「斎王」も「吊るし」もあまり動きを感じさせないカードです。どちらかといえば、貯めること(蓄積)、止めること(停止)というような意味合いも出てきます。


つまり、物事が動き出す(創造と破壊)前には止まった状態に見えることがあるということです。逆に言えば動きの前に静止状態、停止状態をとらねばならないということでもあります。


これに先ほどのクルクル回る消費回転マシーンのような「」を当てはめて考えてみますと(すでにお気づきでしょうが、これは「運命の輪」で表現できます)、間髪を入れず次々と動きがあるのは、自然のサイクルとしては違和感があることに気がつきます。


生み出されるもの(提供されるもの)と壊されるもの(使われるもの、消費されるもの)との間には、ある程度の蓄積や停止の「期間」がいるのです。


消費は破壊につながるとすれば、次にあなたは消費で失われた分を新たに創造するために、何かを生み出したい衝動にかられます。


この時、消費したものの中からあなた自身での「創造」がなければ、あなたの創造性のバランスを取るために、また外から供給されるもので自分の中の創造性を刺激し、それを買うなどの消費行動で代わりをすることになります。


たとえばお金を払って学んだ知識を活かして自分自身もお金を稼ぐことができたら、得たものの中からの生産(創造)につながりますので満足しますが、それができなければまたすぐに違う方法や技術を買う(学ぶ)ことをするというようなものです。


ですからいずれにしろ、ひとつの創造と破壊の間には、休息や停止、あるいは観察・蓄積の期間を置くということがポイントとなってくるのです。その間のエネルギーの蓄積や物事の整理が、外から振り回されないコントロールのできた行動と自分を呼ぶのです。


もちろんチャンスとしてすぐ動くことも大切です。しかし、操り人形のように回転マシーンの中に入り込んでいないか、そのことも注意深く自分を観ることも必要なのです。そのカギはタロットカードの「運命の輪」にあります。


あなたにありえないものこそが武器

最近ボクシング漫画をちょっと読んでいます。というかそのアニメを観ています。私のイメージとはかけ離れているかもですが、意外と拳法とか格闘技好きなところもあります。実際に痛い思いして闘うのはかんべんですが。(笑)


で、ボクシングではありませんが、いつもストレートばかり放っていてもいけませんので、たまにジャブのように軽くタロットネタを繰り出してみたいとも思いました。


さて、まじめタイプなのに実はケンカが強い、不良なのに勉強ができる、女性なのには男ぽくサバサバしている、男だけど心は女性(それ、単なるオネェです)、車好きなのに山登りが趣味、お坊さんなのにヤクザ稼業しているなんて話は、よくドラマでも登場する設定です。


他人から見たあなた、普段外に出している自分、これらと正反対のイメージのものを技術や特技として持っていると、突如あなたという存在が強く浮き出てきます


それは実はもうひとりの自分としての関係でもあります。むしろ社会生活で抑えられていた本当の自分を表現するためのきっかけになることもあるかもしれません。


以前タロットカードの「愚者」と「正義」について相補関係にある(どちらも自分にあって補い合っている)ことをお話しました 。正反対のものを意識すると、そこに明暗のコントラストがはっきりと出ます。だからあなたの個性が逆に強く出るようになるのです。


ということで終わります。(ジャブ記事は突然終わります。あとは皆さん自分で考えてくださいね(^^))


自分の中の「愚者」を取り戻す。

カモワン版マルセイユタロットの大アルカナの絵図(タロットマンダラ)を見ていますと、進んでいるように見えて、実は最初の「愚者」にまた戻っているかような感覚があります。


あまり知られていませんが、タロットマンダラは実際に「世界」から「愚者」に戻っていく過程を見ることもあるのです。


回帰と進展は視点を変えた同じものなのかもしれません。


さて、そのようにして皆さんも自分の歴史をふり返ってみましょう。


特に記憶のある幼少期(小学生時代が多いかもしれません、もちろん人によってはもっと前のこともあります)のことは、自分の中の「愚者」を発見する(思い出す)にはいい時期です。


たとえば私の場合、「謎を研究する」とか言って、クラスで「なんでも研究会」というグループを作っていました。(笑) 謎といっても当時の小学生らしい「UFO」とか「心霊現象」「超能力」みたいなことです。(昔、ブームの時代があったのです)


卒業時にクラスでそれぞれ皆が自分用にと、クラスメートにお別れのメッセージを書き込んでもらうというものが流行りましたが、私のそれには「いつまでもUFOが好きな人でいてください」と、半ばからかわれ気味(苦笑)に書かれていたのを覚えています。


で、考えてみれば、今現在もそれが「タロット」に置き換わっただけで、同じことをしている自分に驚きます。しかしこれも、大人になった途中から、あることで「愚者」を思い出すことができたからだと思います。


まあ、私の場合は極端ですが、皆さんもまだ社会規範や他人の目、常識をあまり気にしていなかった時代に戻って、自分の「愚者」的な部分を探求してみるのもよいでしょう。


そこからワクワク感の再生や、自分の潜在的ブロック、また反対に生き甲斐の発見に行き着くこともあります。


「いつから私は、詩を書くことをやめてしまったのだろう」

「いつから私は、夢を語ることをしなくなったのだろう」

「いつから私は、思いっきり自分を出すのをしなくなったのだろう」

「いつから好きなことするのに、理由を考えたり、必要以上に制限するようになったのだろう」


こんなことをあなたも感じたことはあるばすです。

タイムマシンに乗って、まだ枠がそれほど強くなかった時代に戻ってみましょう。人は心の中ではいつもタイムマシンに乗ることもできますし、自由に創造性を発揮することもできるのです。


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