コミュニケーション

男性のプライドを「神の家」で見る

カモワン版マルセイユタロットには「神の家」というカードがあります。


一般的には「塔」と呼ばれるカードですが、カモワンタロットでは「神の家」とフランス語訳そのままに名付けられています。


さて、この「神の家」、絵柄的には上から雷光がふってきて、建物が崩れているかのように見えるので、崩壊や衝撃のようなリーディングがされることもあるのですが、カモワンタロットではまったく逆の、「組織的な蓄積・形成」「神の光を受ける大いなる栄光」というように解釈します。(もちろんそれだけではありませんが)


神から選ばれ、神の光を受けることができたという栄えある「誇り」を示すのですね。


ですから、自信やプライドと読むこともあります。まさに、しっかりとした建物や大きな家が建つかのような自信(自身でもある)が確立するのです。


「神の家」のカード全体からは、このような堅固な建物、父なる神・雷光などの力強いイメージから、男性的なものを象徴させることができます。


そして男性は、本当にプライドの生き物だと言えます。


時には命よりも自分のプライドを大切にすることさえあります。建物が崩れても、そびえ立とうとしている「神の家」の絵柄に似ているかもしれません。


男のプライドは自分が自分であることの証明のようなものです。特にそれは、自分自身との評価ではなく、社会や外に対して比べる評価という場合が多いのです。


究極的には自分がいかに人と違っているか、あるいは役に立っている存在(認められる存在・一目置かれる存在)かということになります。


それは個別であり、具体でもあります。ゆえに男性は具体性を好みます。


男性にとってプライドを傷つけられるということは、単に誇りを失うだけではなく、自分自身の存在さえ否定されたような気分になるのです。


それも外とつながっていることが多いと先述しましたように、仕事での評価、社会での位置、社会とは離れていても個性的であるかということに関係してきますので、外部要因の変化で、突然プライドが崩壊し、つまりは自分を失ってしまうことにもなるのです。


それはもう、もろいくらいです。強いと思っていた建物でも、ある要石(かなめいし)を壊せば、全体が崩れ去るようなものです。


たとえば、失業した、事業が失敗した、入学試験に落ちた、資格試験に通らなかった、誰かに自分の趣味や生き方を否定された、病気になった、失恋した、離婚したなどのことで、今まで自信満々だった人が急に死にたいなどと、すべてが終わったかのようにふるまうことがあります。


ということは、男性にとっては「神の家」の雷光だと思っているもの(雷光を誤解している場合も多いのですが)とのつながりが非常に大切であるということになります。「神の家」の雷光が外から訪れていることに注目してください。


このことを理解していないと、女性は男性への対応を誤ることになります。


女性は男性自身を見るだけではなく、その相手(男性)の信じているもの、誇りを見るとよいのです。


彼はいったい何を自信としているのか。何をもって彼が彼だと証明しようとしているのか。


そのことを評価したり、認めてくれる女性には男性はとても好意的になります。


それは仕事のことが多いとは思いますが、必ずしもそうとも限りません。彼の趣味のこともあるかもしれませんし、サークル活動の仲間たちのことかもしれません。


あるいは生き方そのもの・ライフスタイルこそが彼の「雷光」であり、建物を建てる「プライド」そのものかもしれないのです。


ただ誤解しないでほしいのは、、その彼の愛しているもの、プライドを保つもとになっているもの自体に巻き込まれたり、あなた(女性)も好きにならないといけなかったりするというわけではありません。


先ほど、「評価する」とお話ましたが、「評価」というのは、丸ごと何も考えないで受け容れるという意味ではなく、言いも悪いも含めて評価するということです。


またそれは知識的に評価せよということでもないのです。


具体的にいえば、彼のプライドになっているものへの親身なアドバイスということです。


親身ですから、たとえば彼が仕事に悩んでいて、それを見たあなたが気休めで、「何とかなるわ、大丈夫よ、そんなことより私との約束はどうなの? こっちも大切でしょ」などと言うと、男性はがっくりするか、怒るかもしれません。


男性にしてみれば、「簡単に言うなよ」ということになりますし、プライドをかけていることに対して、ほかのことと比べるという発想自体ついていけなくなるのです。それは比べられるものを大切にしていないという意味ではありません。


この場合は、悩んでいる彼自身を労り、さらにその悩みやプライドのもとであること(この例では仕事)も思ってあげるという対応が必要です。


もちろん仕事の内容への具体的なアドバイスは言わなくてもいいのです。(経験や知識があればしてあげるとよいです)


その仕事が彼にとって、とても大切であるということを思って言葉をかけるということです。


だから時には何も言わず、彼の仕事(仕事以外でもプライドを持って取り組んでいるもの)が完成したり、乗り越えるのを待つくらいの姿勢も時には有用です。


彼の趣味がサッカーとか野球などの男性が好みそうなスポーツだとしたら、女性のあなたには興味がなく、わからないものかもしれません。


それに対して別に彼並みに詳しくなる必要もないのです。その彼が誇りに思っているスポーツのことを見ようとする(実際に観ると言うより、彼の視線の先を見る、感じるという意味あなたの真剣な態度が彼を打ち、信頼をあなたに寄せるのです。


つまりは、タロットでいえば「神の家」に対して、二つの壺の水を注ぐ「星」の女性であればよいのです。「神の家」と「星」はペアであり、タロットマンダラでも並んでいるカード同士です。


二つの壺が何なのかは、女性の方でしたら、あなたご自身で考えてみてください。


そして「神の家」より「」のほうが段階的に進んでいるのが、カモワンタロットの「タロットマンダラ」からわかるのです。


あなたにもできるよ! いや、できないですよ。

よく「私にもできたのだから、あなたにもできるはず!」と、強く励ます方がいらっしゃいます。


別にこれは悪いことではありません。それによって、実際に勇気をもらえることもあります。


しかし、ここで考えてほしいことがあります。


「私にもできた」というその人は、前の自分とは「今は」違っているわけであり、いわば問題を克服して、思考方法(考え方)自体も大きく変化しています。


しかしながら、言われている相手の人は、あなたとは思考形態が異なっており、それゆえ、行動様式も「変われるはず」と言っている人とはずいぶん違っています。


それはある意味、国籍や時代が異なっている人を相手しているようなものです。


ここにコミュニケーションのギャップが生じているのです。


まかり間違えば、アドバイスのつもりが、「そりゃ、あんただからできるんだよ!」と強い反感を買ってしまうおそれもあります。


相手と自分、すでに立場や考え方が変わっている(特に自分の方がポジティブに上昇した)場合、伝えるべき人は、自分が登ってしまったはしごを降りて、もう一度相手と一緒に立つ必要があります。


そうしないと、変化を遂げたあなたには常識だと思っていること、考え方、行動パターンも、相手にとってはかなり遠くて、大きな、ありえないくらいの量やエネルギーを感じてしまうのです。


元気づけるはずだったのが、「もう無理」「そんなこと言っても、私とあなたは○○が違う」と、逆に相手の落ち込みを激しくさせます。


ここに励ましの危険性があるのです。


ではどうすればよいのでしょうか。


先ほど、伝える側の人は相手の次元まで、はしごを降りるということを述べました。これがヒントです。


はしごを登ったままの上のフィールドから物を言うのではなく、登る「はしご」があること自体を伝えるのです。


そしてあなたが登ったはしごがどのようなものであったのかを、相手の状況と心、以前の自分を思い出しながら説明します。


つまりは、変化の方法とそのステップ(段階)を教えてあげるのです。


それも空中庭園に登るような長大なはしご全体を話すのではなく、まさに相手のいる地上から一段目、あるいは二段ほど上がる(足をかける)やり方や経験談を強調して伝えることです。


ファーストステップ、はじめの一歩です。


もちろん、地上と一段目のはしごの幅を広くして伝えてはいけません。手や足がかからないようなはしごは、はしごとは言えません。


「あなたにもできる」という意味においては、相手が本当に「今」できることを話すことが重要であり、目標や完成地点、すべてを伝えることは、相手にとって重荷になる場合があるのです。


あなたには今いる場所に到達した過程やドラマはものすごく大切で、自分が乗り越えてきた財産でしょうが、全員が全員、あなたと同じ道とやり方が通じるわけでもないのです。


やはりあなただからできたことと、できなかったこと、この人だからできること、できないことを区別することも時には必要です。


いわば、終わりから見ているあなたと、始まりから見ている相手との違いと言えましょう。


その上で、「やはり私にもできたもので、この人にもできる」と思えることを一緒になって探し、伝えていけば、本当に二人の立場はいつか同じ場所にいることになるでしょう。


今日述べたことは、すべてカモワン版マルセイユタロットのタロットマンダラ第5列(「法皇」「吊るし」「太陽」)が物語っていることなのです。


場所が変わると質も変わる。

タロットカードでも、あるカードを見ると、それに応じた気分に変化するように、自分を取り巻く場所や雰囲気というものは重要です。


たとえば、商談するにしても、セルフカフェのようなところと、一流ホテルのロビーでするのとでは質も違ってきますし、ましてやオープンな場所とクローズドの個室のような場所となると、かなり人の応対も受け答えも変わってくることはわかるでしょう。


しかし、何も重厚な(場所や雰囲気の)ほうがよいと言っているわけではありません。


内容や話、企画したいことなどに応じて場所を選択すればよいのです。


これは実は自然に意識しなくても、人はやっていることです。


何か気分を少し変えたい時、ちょっと気軽に友人と雑談という場合に、わさわざ個室を取って「会合する」ようなことはしないでしょう。


でも、久しぶりに大切な方と時間を過ごすという場合は、食事でも気を遣い、個室風のところを選ぶはずです。


これをわざと常識を覆して、気軽なのに重厚な場所、重要なのにラフな所を選択する場合もあります。意外性の効果ですね。ただ普通は危険で逆効果のことが多いでしょう。


それはさておき、場所を意識するということは大事です。


お金の問題もありますが、たまには雰囲気のよい、少し自分には重いかなぁ・・・と思える場所で時間を過ごすことは、外から内の意識を変えてくれる効果もあるのでお勧めです。


たとえばいつもはスタバとかドトールだけど、今日は地域一番のホテルでお茶をするという感じです。


よくいわれるセルフイメージ(自己認識、自分が思っている自分イメージ)を変える簡単な方法である場合もあります。


不思議なことに、自分にとっての「やや重(笑)」の場所で考えごとをすると、それに応じた内容や思考になるのが面白いところです。


それはもちろん場所の雰囲気もありますが、周囲の人たちの見えない情報やオーラに感化される(伝染する)ということでもあります。


反対に、自分たちの企画や思っている対象がカジュアルなものや人であるのなら、そういう場所で打ち合わせしてみるというのもありでしょう。


タロットリーディングでも、場所によって質が変わることもあります。


よく飲み会の居酒屋なんかで「タロット占いしてください」とノリで言われることもありますが、話のネタとしてのものは別ですが、基本的には断っています。それは職業(プロ)としてできない(遊びではない)という以前に、場所の問題もあるのですね。


簡単に言えば、居酒屋でやると、居酒屋レベルのリーディング(特に受け取る方)になるということです。


旧知の人と会う時間

この前、久しぶりに公務員時代の友人たちと会食をしました。


私がうつ病になって休職したり、公務員を辞めるとなっても、変わらず支援と友情を示してくれた大切な仲間です。


今はご本人たちも、組織の中で出世をされて相当な地位にいますが、当然のことながらその分責任も増えて大変なところもあるようです。


しかし、私の中では、彼らは昔のままであり、役職は変わっても基本的に本質は変わっていないと感じられました。


カードでいえばソウルカードの部分は変わらないというところでしょうか。


これから年末年始にかけて、帰省をされ、故郷の友人や仲間たちとの再会をされる機会もあると思います。


ここで留意したいのは、時間感覚です。


久しぶりに会う人というのは、あなたの中で時間(感覚)は、その人と最後に会った時で止まっています


あるいは、最後に会った時というより、一番その人と色濃く過ごした時で止まっていると言ってもよいでしょう。


ここのプラスとマイナスの面があるです。


プラスというのは、誰でも経験があると思いますが、たとえば学生時代の同窓会などがあると、最初は見た目が変わっていて(笑)、とまどいはあるものの、少し話し出すとたちまちのうちにうち解け、その時代に戻り、今とは関係なく以前同様くったくなく話ができるものです。


ここに「今」(の地位・立場・人間関係等)は関係なくなります。タロットでいえば、皆平等な「太陽」状態です。


しかし逆に言えば、時が戻るということは、その時の感覚のまま相手に対応するということになりますから、ここで今の時間が重なってくると問題が生じることになります。


つまり、あなたにも、相手にも今の時間があるわけで、それは両者にとっては別の時間が進んでいるようなものです。昔の共有した時には、両者はまさにいろいろなことが感情的に共有できますが、今となれば話は別です。


だからうかつに「昔はオレたちもこうだったんだから、今もそういうようにやろうよ」と持ちかけても、今の時間が入ってきますから、「今の」相手から拒否されることにもなりかねないのです。


またあの時はお互い好きだったかもしれませんが、今は結婚して家庭ももって子どももいるかもしれないのですから、昔と今の時間が重なるのは難しいことになるのです。


あなたと最後に会ったその時から、相手は様々な経験をし、いろいろな人に出会ってきています。昔とは違っているのも当たり前のことなのです。


本質よりパーソナル(性格、立場によるペルソナ)部分が変化していることを考慮すると、気持ちも楽になり、相手とのコミュニケーションもスムースになるでしょう。


ですから変わらぬ友情やら恋心というのも、見方によってはそうともならないことに注意が必要です。


ちなみに特に恋愛では、男性が昔の時間を留めがちですから気をつけてくださいね。(笑) (こういうことは恋愛セミナーで説明しています)


とはいえ、昔の仲間も今の仲間も大切で一緒の時を過ごすのは楽しいものです。


そう、かつての時間はどうあれ、「今、会合している」となれば、やはり「この瞬間に同じ時を一緒にしている」のは事実なのです。そこから新しい創造的なことも始まるかもしれません。


時間が違うからこそ、別の見方もお互いできるようになり、あの時は理解できなかったことがわかって、和解することもあるかもしれないのです。


可能性はいついかなる時もあるのです。



これで今年のブログは最終になります。今年6月からの開始でしたが、毎日書き続けることができました。いつもご訪問くださる方、時々でも読んでいただいている方、コメントをいただいた方、ペタをくれた方など、すべての人に感謝申し上げます。ありがとうございました。


また来年からもできる限り一日一記事ペースで、駄文ですが書かせていただきたいと思います。


どうぞ、皆様、よいお年をお迎えください。


宮岡和宏


正直であることはあなたを楽にする。

をついてあなたは平気ですか?


たいていの人は心苦しさや違和感を自分の中に感じるでしょう。


自分に正直でないものがあると、それはあなたのブロックとなってそれを隠したり、沈めたりするためにいつも大量のエネルギーを無意識的に使用していることになります。


たとえば本音では「この人はあまり良くない」と思っていても、仕事のつきあい上、やむなく相手にいい顔をしているということがあります。


また好きでもないけれども、とりあえず相手がないと寂しいのでつきあっているというケースもあるでしょう。


しかしできる限り、自分の心と行動が一致するようにしておかないと、いつも奥底でねじれ現象を起こして潜在的には混乱することになります。


その「葛藤」がいずれは心か体に病として現れることもあれば、引き寄せ的には、まさに「葛藤した状況」を現実として自分が生み出す(悩む状況に追い込まれる)ことにもなりかねません。


ですから自分の本心には誠実にしてくことが望まれるのです。そうすると葛藤は少なくなりますから、それを抑える必要もなくなって使うエネルギーも、やりたいこと、本当に目指したいものに集中させることができます。その結果、実現力も大幅に向上し、そもそも生きることが楽になります。


けれどもそうは言っても現実的には心を偽るほどではないにしても、本心とは別に割り切らねばならない部分も、特に仕事の場面などでは出てくるのが普通です。


そこで新たな対処方法が示されます。


それは自分の気持ちの中に第三の選択肢や考え方を起こすのです。


「なになにをやりたいくないけれど、立場上やらなければならない」「なになにさんは嫌だけれど、仕事なのでつきあわないといけない」


という葛藤に対して上部概念として、「嫌なことに取り組む私、かっこいい」「この人嫌だけれど、全部果たして嫌なのか?いや、いいところもあるはず」など、ちょっとふざけているようですが、そんな「考え方」を作り出すのです。


つまり、葛藤したまま嫌々行動するのではなく、何かの理屈をつけてから動くのです。


ただし、この理屈というのが重要で、「仕方なく」とか「やるしかないだろ」的なものはもちろん、「給料もらうためには仕方ない」「寂しいよりまし」などという極端なマイナス、ゼロ地点思考というべきものはまずいのです。


言ってみれば自分に嘘をつくことが罪悪感になる、心にねじれ積み残しみたいになってしまう理屈はいけないということです。


積極的になれるもの、嘘から出た真(まこと)になるようなものの考えを出すのです。


ですから、こういう場合によいのは、やはり精神的・霊的な向上を念頭において対応することです。簡単にいえば「学び」だととらえる方法です。


しかしこれにしても、「学び」だからと無理矢理自分に納得させていては、結局「仕方ない」と言ってやることと同じになってしまいます。「学び」ということを前向きに、そして心からとらえる(感じる)ことができるかが重要なのです。


そのためには知識的な学習とともに感情で納得させていく両面の理解が必要となってきます。どちらかだけならば片手落ちになります。


感情で納得すればよいではないかと思うでしょうが、それでは普遍的なものにならず、どの場面でも通じるようにするためには知識的な理解があとで必要となるのです。もちろんこの逆もしかりで、頭で理解しても感情で納得していないと、それこそねじれたままとなります。


実はカモワン版マルセイユタロットはこの両方の理解をバランスよく促進させていく働きがあります。象徴への知識的な理解と、心の鏡としてのタロット双方がともになってカモワン流のリーディングが可能となるからです。


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