タロットの使い方
「女帝」と「皇帝」のペアが物事を進化させて行く。
昨日の続き です。
「女帝」と「皇帝」の、カップルとなるカードを見てみようということでしたね。
さて、「女帝」は創造、生産、クリエイトする、ということをテーマにしたカードです。
一方、「皇帝」は現実にする、組織化する、実践する、まとめるというような意味があります。
つまり簡単に言えば、女帝が発想し(アイデアを持ち)生み出すものを、皇帝がまとめ、現実にするということです。
「企画・計画」と「行動・実践」の違いとも言えますし、また空想(精神)と現実(物質)的な違いでもあります。
このように並べてきますと、いかに「女帝」と「皇帝」がペアであるかがわかってくると思います。
ところが、もしこれが片方だけ存在するとしたらどういうことになるでしょうか?
「女帝」の生み出すことばかりしかなければ、永遠に拡大生産は止まらず、壊れた機械のようなものです。
もうお腹いっぱいなのに、構わずドンドコ出てくる食べ放題のベルトコンベアーの店(笑)みたいな状態。
またはアイデアの洪水で、何一つ現実味がない妄想状態。
では反対に「皇帝」の組織化・現実化のみだとしたら・・・?
これも問題です。とにかく新しい発想がない、旧態依然としたシステムの中でルーチンワークが永遠に続くようなものです。
先の料理のたとえでいえば、いつも同じ日本食のメニューばかり出され、たまには中華やフランス料理も食べたいぞ、おい!です。(笑)
でも体にはよくて、機能的で実状的には栄養から見ても問題がないというメニューが「皇帝」です。
というように考えますと、いかに両者がともに必要かということが理解できるでしょう。
そして、世の中には、本質的に自分が「女帝」か「皇帝」かで分かれ、どちらのほうに特質があるか、または得意であるかということに分類されます。
ただし、ここが肝心なのですが、実は本質的部分と表面的な部分、いや社会的な部分と言っていいふたつのフィールドで考えなくてはなりません。
つまり、
本質
女帝 皇帝
女帝 1 2
社会
皇帝 3 4
という2×2の4つのタイプに(分かれる)ということです。
自分が本質的には「女帝」のアイデア・クリエイトタイプであっても、仕事や立場によっては組織化・現実化の「皇帝」にならざるを得ないこともあるということです。当然その逆もあります。
とはいえ、本質的に「皇帝」な人が「女帝」を演じるのは、修行や自分の幅を広げることになるとはいえ、少々厳しいことであるのは確かでしょう。
ではどうすればよいのかですが、ここでまたカップル・ペアの意味が強調されるのですが、やはりパートナーとして別タイプの人を求めるか、アドバイスを受ければよいということになれます。
一人の中にはすべてが存在するので、やりようによっては「女帝」タイプだろうが「皇帝」タイプだろうが、両方を自分の中から発現させていくことはスピリチュアル的に可能です。
しかしながら、実際には自分とは違うタイプの人からの刺激を受けたり、一緒に活動することによって、早く結果を出すことができます。(成功を意味するカード・戦車が「7」という数を持つことにも注目)
一人ではうまく行かない、なかなか前に進まないことも、パートナー・ペアとしてのもう一人の人がいてくれると進化も早く、しかもお互いが深化し、ともに真価を知ることになるのです。
カモワン流のタロット解釈がカップル・ペアを重視するのにも、こうした理由がひとつにはあります。
独りよがりにならず、素直に誰かからアドバイスをもらったり、ともに協力しあうことを目指しましょう。
痛みがあるからこそ、助かっている。
昨日、歯の治療をした時に麻酔をしました。
家に帰り、ご飯を食べようとするのですが、麻酔のため口内の一部に感覚がなく、少し噛んでしまいました。
そして、「なんか、血の味がするな・・・」と思ったら、なんと傷口からかなり血が出ていました。
それなのに全く気が付きませんでした。(食べるのは麻酔が覚めてからにしましょうね(^_^;))
そう、痛みがないから傷ついてもわからなかったのです。
この時私は、「痛みがある感覚というのはなんてありがたいことなんだ」と思いました。
痛みがあるからこそ、危険を知らせてくれるわけです。
このことは何も物理的(肉体的)なことに限りません。心・精神にも言えることです。
すなわち、心にも痛みが走るということは、何らかの危険や注意を示していると考えられるのです。
これは人に与えられた防衛システムであり、ありがたく感謝せねばなりません。
体の痛みにはある程度、目に見える部分があって、たとえその時点で見えなくても検査をすればわかります。
けれども心の痛みは見えないですし、心理テストなどしてもわかりづらい面はあります。
だから放置されたり、一時的なものとして、対処することを怠ったりしがちです。
しかしやはり痛みがあるのですから、きちんとその痛みに向き合い、なぜ痛んでいるのか、痛みを覚えたのか追求していく必要はあるでしょう。そして何か原因があるのなら治療や対応をしなくてはなりません。
しかも、肉体の痛みと同じように、いつも同じ状況、場面で痛みが起こるのならば、それはやはり要検査なのです。
ここで、よくありがちな、「痛みに耐えて強くなる」という考え方がありますが、やみくもに耐えてばかりでは、肉体の痛みを例に出さずとも、それが時に問題になることはわかると思います。
大切なのは痛みと向き合うということです。その上で耐えることもありますし、心理的な治療や浄化が必要なこともあります。
痛みには耐性と慣れが出ますから、痛みの原因がわかっているのなら耐えることで、痛みにはどんどん強くなって行きます。
ここに辛い経験も糧になることがわかります。
一番いけないのは、ただ痛みから逃げ回ったり、わけもわからずマゾヒスチックに我慢したりすることでしょう。
ちなみにタロットは心の状態を映し出すものとしても有効な道具ですので、痛みを分析するのに使えることもあります。
名前を変えて流れを変える。
タロットカードの大アルカナは22枚あり、このブログでもこの22枚が、大きな意味では人類の奥底の意識に存在する、ある特定のパターン(元型)を表し、個人としては自分の分身(パーソナル・心の象)を示すと言ってきたところです。
ということは、22枚(が象徴すること)は自分の内にあるということですし、もっといえばすべては自分自身だということでもあります。
それにしても22の自分がいるとは、想像してみるだけで面白いものです。
そうすると、時には「手品師」の自分もいれば「節制」の自分もいるわけで、もちろん「悪魔」もいます。(笑)
ところで、誰しも変身願望というものはあると思います。
私も中学生の頃、「どこかに転校して、まったく自分の知らない人たちと新しい生活を一から始めて見たい、そうすれば生まれ変われるかも」と思ったものです。
で、実際に転校することになって、夢とは違ってえらいことになったのですが・・・(苦笑)
ま、それは置いておきまして、「今の自分とは違う自分に」「現在の自分を知っている人たちの自分とは別の人間になってみたい」と考えた時に、よい方法があります。
それは名前を変えることです。
いえ、現実的には名前を普通は変えることはできません。両親からいただいた尊い名前でもありますし、そうそう変えるものでもないとは思います。
ただ、「どうも今の自分はぱっとしない」「運が悪いように思える」「別の人生を演出してみたい」・・・など感じていたら、芸名みたいな別名を持ってもいいでしょう。
占いでも姓名判断で改名することもよく行われていることですし、昔の人は節目節目で改名していたものです。
ここで最初のタロットの話に戻ります。
少なくとも、22の自分の分身が存在するのですから、タロットをもとにしても、あるいはそうではなくても、自分のなりたい自分にふさわしい名前を別名で名付けることも可能でしょう。
それを名刺にしてみるのもよいですし、ブログ名につけてその名前で活動することも面白いです。
普段お堅い職業についている人、まじめな人が、意外なイメージをもって名前をつけ、裏の(これが本当かもしれませんが)自分として活躍することもできます。(そのまた逆もありです)
とにかく、今の自分からガラリと変えてみたいと思っている場合、手っ取り早いのは「名前」「ニックネーム」を自分の希望する雰囲気のものに変えることです。
そして大切なのは、それでなにがしか実際の活動を行うことです。
この世は意識と実際(形)があっての世界ですから、意識を変えると次は行動が必要になってくるのです。それで現実は変わります。
この意識を変えるための効果的な作用が、「改名「命名」なのですね。
もちろん名前の響きや波動によっても変化はあるので、その両方の働きかけが期待できます。
ちなみに私は・・・裏も表も同じの正義的なイメージで、リーディングも占いも講義もすべて本名です。ただ釣りをする時や趣味・遊びの時は別名があります。(笑)
タロットでおみくじ
先日、遅ればせながら初詣に行ってきた私です。あんまり多すぎる人混みは好きではないので、ゆったりと参拝できる時を選んでいます。
参拝すると、やはりおみくじを引いてしまいますが、タロットをされている人は、おみくじの内容と、たとえば自分のイヤーカード、あるいは新年に引いたタロットとが、妙に符合することに気がつかされる人もいるかもしれません。
もちろん全然違うこともあるでしょうが、一度「おみくじの内容をタロット一枚(あるいは複数でも)で表すとすれば、どのカードになるのか」を想像するだけでもタロットと自分のつながりを近くすることができますので、是非やってみください。
ところで、実はタロットをおみくじ代わりとして、吉凶判断的に用いることもできるのです。
タロットカードには本来吉凶(良い・悪い)はないと私は考えていますので、自分としては邪道といえば邪道な使い方なのですが、タロットにはゲームや遊びの面も含めて、幅広い活用法・考え方がありますので、割り切ればそういう使い方もOKといえます。
おみくじ的なタロットの使い方にも色々な方法があると考えられるのですが、マルセイユ版でも使いやすいといえば、やはり大アルカナを使う方法となるでしょう。
ではそのやり方をご紹介します。
●その1 シンプルな方法
大アルカナ22枚を数の順番にランク付けする単純な解釈方法。
すなわち、1「手品師」→21「世界」の順にグレードが上がる(よくなる)と考えます。ただ数を持たない「愚者」は、特別なカードとして吉凶入り交じる「波乱」や「大逆転」のカードと取ったり、人によっては「世界」を超える最上級のカードとしたりしてもいいでしょう。
やり方は、カードの方向をそろえてトランプのように22枚を切って混ぜ、中から一枚取り出します。そして引いたそのカードが21に近いほど吉だと取って判断します。
●その2 カードを当てはめる方法
自分でおみくじの吉凶をカードにあてはめるやり方です。
たとえば、大吉は「世界」、中吉は「太陽」、「小吉は「星」、吉は「運命の輪」、末吉は「戦車」、凶は「神の家」「大凶は「13」などというようにします。(これはあくまでひとつの例ですので、自分で好きなように当てはめてください)
個人的には「神の家」を含めてほかのカードでも悪い意味はまったく持っていませんので、違和感ある方法なのですが・・・ウェイト版を扱う人にはしっくりくるかもしれません。
※特定のタロットカードに悪い印象をもってしまう危険性があるため、特にカモワン流をされる方には、私としてはあまりお勧めしない方法です。
●その3 占いと吉凶判断を両方兼ねる方法
これは私のタロット講座(カルチャーセンター含む)やタロット勉強会に来られた方にお教えします。聞かれないとたぶん忘れていますので、講座の時に質問してくださいね。(笑)
タロットでおみくじ、皆さんもお試しください。
目に入るものはあなたに大きな影響を及ぼす。
正月に妻の実家(広島です)に帰省した時、義父といろいろとお話をしました。
義父は80歳を過ぎていますので(でもとても元気です)、やはり若い頃の話となると戦争中や戦後すぐのことになってきます。
私たち戦争を直接知らない世代ですと、戦後、アメリカの民主主義が導入されて、すぐに自由・アメリカ賛美となっていったと思いがちですが、義父によると、実際は「人の心はそんなに簡単にすぐ変われるものではなかった」ということのようです。
昨日まで神国日本、鬼畜米英と教育されてきたわけですから、やはり戦争に負けたからといって、その瞬間から洗脳が解けるわけでもなく、価値観も突然変貌するわけでもなかったようです。
これは考えてみれば当たり前でしょう。人は長い間信じ込まされて実践してきたものを、急に変えることは難しいのです。
そんな義父が、次第に自由主義とか、アメリカの気風などを心で感じられるようになったのは(つまり本当の意味で軍国時代の洗脳が解けたのは)、アメリカの映画を見るようになってからだったそうです。
映画に出てくる一般人の暮らしぶり(生活)、モノの考え方、あふれる物質などを見て、「ああ、こういう世界があるのか」「こういうのが自由主義というものか」と、その、これまでの日本人(の生活)とのあまりの違いぶりに、そう実感したというのです。
明治時代でも外国へ行って学んだ政治家と、そうではない人との認識・考え方の違いは大きなものがあったようです。
つまり、実際に目で見て感じることが、その人を変える大きな意味を持つということです。
逆にいえば、目で見たり、肌で感じたりするようなバーチャルな世界か、リアルに見えつつも情報統制された世界の中にいれば、それが本当だと信じ込むことにもなるでしょう。
この前もある番組で日本に来ている中国人留学生のインタビューがあり、中国人学生たちは一様に「日本に来るまで、中国が何もかもうまくいっている理想の国だと信じていました」と語っていたのが興味深かったです。
自国にとって都合のいいことしか知らされないので、国民は皆問題のない国だと信じ込まされているというわけですね。
ここで私が言いたいのは、「洗脳や情報操作に気をつけろ」ということもありますが、それよりも強調したいのは、映像(見たもの、見ているもの、音も含めて)が人の意識に多大な影響を及ぼすのだということです。
ということは、ただ漫然と日々目に入るものを受け容れる生活をするのではなく、自分の目に入るものを制御し選択をしたほうが、「自分の思う世界」を造りやすくなるということでもあるのです。
見ているモノのレベルに応じた世界を、あなた自身が造り出すということです。
ですから、日頃からネガティブなもの、ひどいもの、低俗なものなどを見るのではなく、美しいもの、優しいもの、穏やかなもの、高尚なもの、元気なものなど、自分が望む、よりよい状態のものを目に入れていくことが大切だと考えられます。
そんなことを言っても自然に目に入ってくるものがあるのにどうすれば・・・と思うかもしれませんが、自分でコントロールできないこともあるとはいえ、テレビを消したり、悪口雑言の文章を見ないようにしたり、よい景色を見に行ったりなど、むしろ自分でコントロールできることのほうが多い気もします。
またたとえば、自分の部屋がいつも散らかっていて、それが目に入ってしまうようならば、その対象に働きかけてコントロールすることもできます。この場合だと、掃除や整理整頓をして整然とした部屋に自分でするということです。
ほかにタロットを使ってよい方向のイメージを持つことも可能です。
これからは目に入れるもの、入るものにも気を配って行きましょう。
