タロットの使い方

イヤーカード

以前にもソウルカード、パーソナルカートの記事 で、イヤーカードのことについては少しふれてはいました。


ここで改めてイヤーカードについてお話したいと思います。


イヤーカードは、自分にとってのその年(2010年、2011年などの年)の課題やテーマといったものをタロットカード大アルカナ一枚で象徴させたものです。カモワン版マルセイユタロットに限らず、どのタロットでも「」さえついていれば使える技法です。


イヤーカードをどうやって出すのかということは詳しくは講座で説明していますが、要は自分の誕生日の月日と見たい年(西暦)とを足し込んで算出します。


占いとして「年運」(年の運勢)的に見ることも可能なのですが、そうしてしまうと、たとえばある特定のカードに悪い印象を抱いていると、ある年のイヤーカードがそのカードならば、その年は不運な年だと決めてしまうことにもなりかねません。


それではせっかくの可能性の芽も最初から自分で摘んでしまうことになります。


極端な話、カモワン版では「13」と数だけで呼称されるカードも、もし「死に神」という名前で不吉に感じていると、その年はまるで死が待っているのではないかと恐れることにもなります。


ですからまずイヤーカードで年を見るということを行う前に、カード自体にいいも悪いもなくニュートラルなものだということを理解しておく必要があります。理解することが難しければ、特定のカードに対するネガティブな思いをできるだけ払拭しておくことが求められるでしょう。


さて、このイヤーカードなのですが、新年一月一日をもって新しいイヤーカードに切り替わると考えるものと、自分の誕生日から新しい(その年の)カードに変わるというふたつの考え方があります。


どちらが適当なのかは、過去に遡って自分で計算してみることです。すると、過去の出来事・イベントなどとカードがぴったりくるのはどちら(誕生日で切替か新年で切替か)であるかがわかります。


イヤーカードの計算方法は流派みたいなものによって変わることがあります。私の習ったものでは、イヤーカードは一年ごとに一つずつ数(カード)が進むのではなく、10年スパンで一度大きくバックしてまた進んて行きます。


それを立体的な図で表してみると、らせんを描いて進んでいるかのように見えます。カモワン流のタロットマンダラに当てはめれば、人により特定の階層や道筋を何度も通ることになります。


ここからイヤーカードが、いわぱカルマのような、その人固有の何か大きなテーマを表しているのではないかと考えられることもできるのです。


一年一年、その年や課題を象徴しつつ、巨視的には自分の持っている宿命・カルマのごとき大テーマをも含有している。それがイヤーカードなのかもしれません。そのように思うと、イヤーカードも実に味わい深いものとなってきます。


先に悪い例で出しました通称一般的に「死に神」と呼ばれている「13」のカードも、イヤーカードとして積極的に課題やテーマとして見れば、まさに「改革、変容、変化」の年でチャンスだとも言えるのです。


また自分や周囲の環境、あるいは精神的なことでも新しいステージに移っていくということも考えられます。「死」よりも次の「再生」をイメージするのです。それには「死」と考えるのではなく、「再生」のために「終わらせるもの、終わるものもある」と見ていくとよいでしょう。


さらに、「13」は大きな鎌をふるっていますので、ある実りを刈り取っているとも想像できます。そうすると、その年は象徴的に何かを収穫(育てたものが獲得できる)することがテーマとなるのかもしれません。


また反対に、鎌で土地を耕しているようにも見えますので、その年は将来に向けての種まき、地ならし、肥やしを与える時なのかもしれないのです。そういう意味では変化の派手さより、地味な年として見えることもあるのです。


タロット大アルカナ22枚は心の元型、世の事柄の22のパターンだとも言えます。

ですから、イヤーカードは特別に22の中のひとつ(一枚)として、その年に考える(見つめる)課題(そのカードが示す自分の中の心、世の中の仕組み・パターン)として与えられたものと考えることができます。


結局のところ、ソウルカード・パーソナルカードと同様、自分とタロットを深く関連づけ、タロットを通して世界と自分を知るための窓口・方法としてイヤーカードも機能するのです。




タロットによって「神は在る」と知る。

皆さんの中に、「自分は取るに足らない人間だ」「大した価値もない」「特別な能力も何もない」・・・と思っている方はいませんか。


まあ、そうしたことを意識したり、考えたりすることすらしなくなっているかもしれませんが。ともかく日々普通に生きられて、何事もなく過ぎて行けばそれでよしと。


もちろん何気ない日常と日々大きな事件もなく無事に過ごしていけることは、とても「有り難く」、感謝を持つべき事柄だといえます。


しかし、自分の価値を貶め、または何も自分について考えもせず、ただ流されていくだけの人生は空しいものでしかありません。


ところでカモワン版マルセイユタロットにはグノーシスという教えが込められいます。これは簡単にいえば、「自分の中の神性を知る」「自分が神であると知る」というものです。


人は神に等しい崇高な部分を持つのです。


ただそんなことを言っても、現実的にはとても自分が神であると感じられないのが当たり前です。「自分は神だ」なんて言ったら、頭がおかしい人、何かにとりつかれた人と見られるでしょう。


また人間とは弱く悲しく、または傲慢で醜いものだと感じている人もいらっしゃるでしょう。


それでも私はタロットをやっていて、人と神性について、「はっ」と感じさせられたことがあります。


タロットカード大アルカナ22枚には心の元型、自分の分身としてのパートが描かれていますので、その中の一枚が表す事柄は自分の中にも存在していることになります。


たとえば「私には人を思いやる気持ちもないし、人を癒すなんてとんでもない」と考えていても、22枚のうちに「節制」というカードがあるのなら、自分にも「節制」のカードが示すような「人を救済する天使」のような部分があるのだと思うこともできるのです。


恋や仕事にうまく恵まれないと思っていても、それらと縁を持ち、うまくやっていくことの能力も、たとえばタロットカードの中に「手品師」や「恋人」のカードがあることで可能性としてはあるといえます。


つまり、「神」とはすべてのものが「在る」状態だと仮定するのなら、グノーシス的にはあなたにもすべてが「在る」と考えられるわけです。


その「在る」ということを認識する(知る、わかる)ことができれば、神(完全性)に近づくことができるのです。


「在る」ことを知るには、「無い」「足りない」と感じられる経験もまた貴重となります。


「無い」と思うことで、それは「在る」状態を知らないという「幻想」ではないかと気付くこともできるからです。何もしなければ「無い」ことすら感じることもできないでしょう。


「無い」と思わせる幻想は強力です。時には「悪魔」(タロットカードの「悪魔」にも関係します)によって、知らず知らず意識しなくても「幻想」でつながれていることもあります。(悪魔は悪いものというより、そういう「役割」だと考えてみましょう)


「在る」ことに気がつくのは、結構大変です。「青い鳥」の話のように、回り回って結局自分にもともと「在った」ことに気付くこともしばしばです。


「在る」ことに気付くこと」 そのためにグノーシス思想が込められたタロットカードを使って「在る」ことを実感していくのです。タロットカードにはそうした仕組みがあるのだと私は考えています。


あなたのパワースポットをタロットで。

最近はパワースポットが大ブームですね。


パワースポットへの旅によって自分をリフレッシュしたり、堅くなった心や体やほぐすのは、タロットでいえば「愚者」のような感じで、よいことだと思います。


ちなみにカモワン版マルセイユタロットの「愚者に」は単に歩いているだけではなく、エネルギーにも関係しながら・・・ということが象徴的に描かれています。


それはともかくとして、パワースポット、実はいいことばかりではないのです。何事もバランスです。


特にその場所があまりの人気だったり、固定された場所だったりして、貯まったエネルギーを拡散・浄化する自然の力(あるいは人為的な力)が見込めない場合は、かえって人々が落としていった邪気のようなものを受けることがありますので注意が必要です。


いずれにしても、楽しんでいくことが大切でしょう。


「そこに行けば何もしなくても救われる」とか「とにかく運が良くなるはず」とかの、悪い意味で完全他力本願な思いでは同じような「頼りたい」想念の存在・エネルギーと共鳴してしまって、より依存心が強くなってしまったり、決断力が失われたりして余計運が悪くなってしまうおそれもあります。


運をよくしたいのなら、そこに行って私は変わるんだという強い決意のもとで行くか、反対に先述したように、肩の力を抜いて楽しんで行くようにするかということです。


さて、何も無理して遠くのパワースポットに行かずとも、近くでも自分なりのパワースポットを持てばそれなりの効果はあると考えられます。


この場合、基本的には自分がそこにいて気持ちいいと感じる場所でよいのですが、タロットを使って今の自分にとってのパワースポットを調べることもできます。


正確にいうと、パワースポットというより調整場所のような感覚でしょうか。ですから何も静かな場所とは決まっていません。あなたの今に必要な場所ということです。


それは方位とタロットを組み合わせて単純に見る場合と、カモワン流の解決カードの手法を使いながら、さらに方位と組み合わせていく方法、ほかにもある一枚のカードを使って調べる方法などいろいろあります。


けれども方法にこだわらずとも、自分なりに近くの行きたい場所をイメージしながらタロットを展開していくと、それがふさわしい所なのかわかるでしょう。私の基礎コースレベルの講義を受けた方ならば、ここまで書いてきた内容で、だいたいのやり方のイメージはわかるはずです。自分で工夫してみてください。


それからスポットに行かずとも、タロット自体がパワースポットになるといいいますか、小さな神殿のような働き(心身を調整)をさせることもできます。


自分の肉体に特定のタロットカードを当てて滞った(あるいは過剰になった)エネルギーを調整するというのもこの方法のひとつでしょう。(ちなみに私自身はこれはできません、できる方がいらっしゃいますので、そこで一度体験されるとよいでしょう)


タロットであれ、何であれ、そうやって身近な所にも注目していくと、意外に近所の日帰り温泉がパワースポットだったり、隣の公園や神社だったり、檀家になっているお寺だったり、はたまたまったくパワースポットのイメージとは違ったショッピングセンターだったりというようなことにも気がつきます。

パワースポットはこうでなければならないというものではないのです。あなたなりのパワースポットを見つけてみましょう。


タロットゲームを体験

昨日は久々に興奮しましたね。


何かといいますと、大阪にあるフランス語学校エスパス さんにおいてのイベントに参加し、タロットゲームを習っていたからです。


以前にも記事にしました ように、タロットがゲームで使われるということは知っていましたが、実際にはどんな風にプレーされるのかわかりませんでした。


もちろん、遊び方自体はインターネットや文献などには載っているのですが、タロットはやはり文章よりも「絵」であり、そして自分が生で体験しないとわからないところがあります。


さて、そのゲームですが、最初にフランス語の先生たちから見せられたタロットはいわゆる占い用のカードではなく、まさにゲームのためにあるようなタロットでした。日本でいえばトランプと同じようなものです。


そしてゲーム用とはいえ、通常のタロットと同じく78枚で構成され、大アルカナに当たるカードが22枚、小アルカナに該当するカードが56枚(それもコート、スートカードそれぞれ16枚、40枚)ありました。やっぱりタロットなんですね。(タロットの4組は、ゲームではトランプのように「スペード」「ハート」「クラブ」「ダイヤ」となっています)


ゲームは「トリックテイキング」と呼ばれるフランスではもっともポピュラーな遊び方をやりました。


これは言ってみればちょっとトランプの大富豪ぽいところがあるのですが、ルールはもっと複雑で一種の戦略ゲームといえます。


プレーヤー各人の手持ち札の把握、点数を取る駆け引き、攻撃(親)とディフェンス側に分かれた攻防と計算など、本当に一回のゲームで考えなければならないことがたくさんあり、頭をかなり使います。


タロットは頭脳をいろいろな意味で鍛えることができますが、こうしたゲームによる使い方も能力開発に一役買うだろうなと容易に想像できました。


教えてくれた先生によりますと、フランスでは中高生時代からこのタロットゲームを皆がやり出し(男女問わず)、一晩中熱中することもしばしばであるとか。大人になってからも友人やグループ間で盛んにプレーされるそうです。フランス人の遊びのたしなみのひとつといえるものなのでしょうね。


さてゲームをしていた私なのですが、参加されている皆さんは学校でフランス語を学ばれていらっしゃる方々だと思われ、私だけ外部からの者で、たぶん浮いていた存在だと思います。(^_^;)


そして皆さんからは冷静に見えたかもしれませんが、実は心の中はかなりワクワクしており、タロットの血のようなものが騒ぐのを抑えることができませんでした。


ただゲーム自体に興奮するというより(まだ初心者で楽しむレベルではないので)、タロットがゲームとして、そして交流の場で使われているということに気持ちが高まっていたのです。


そういった私自身の特殊な位置づけのためか、ゲームの度に配られるカード(札)に、なぜか「愚者」に該当する「Excuse」というカードが何度も私に来ました。先生からも「引きが強いですねぇ~」と言われたほどです。(苦笑)


そうそう、タロットゲームをしている時、その場自体にタロットリーディングの時と似たような非日常感覚が確実にありました。タロットの霊とのコンタクト時のものと酷似したものです。ゲームの作法にもタロットリーダーとして見ると興味深いところがいろいろとありました。


タロットゲーム、これは確かに単なる遊びではあります。タロットの一般的、「俗」としての側面といえましょう。しかしその背後には、やはりタロットの深いものとつながる何かもあるように思われます。


それにしてもタロットというものは、ゲームにもなれば占いもでき、さらには心理分析や自己実現、魔法修行から霊性の向上にも使うことのできる本当に万能なカードだということです。


日本でもタロットがゲームとして流行れば面白いですね。フランス人の先生方も、日本でタロットゲームができる人たちを増やしたいとおっしゃっていました。トランプよりも面白く、また正直なゲームなんですよ。何が正直なのかって? それはお会いした方にお話しましょうかね。

こんな話も含めて、マルセイユタロットについて楽しくお話を個人的に聞きたい方、前の記事にも書きましたが、お気軽にご連絡ください。一枚・二枚のサービスリーディングもあるかもしれませんよ。(笑)



対人援助とタロットによる視覚言語効果

相談、セッション、ヒーリング、コンサルテーション、カウンセリング、コーチング、リーディング、気づきを与える・・・などなど、いろいろな名前によって、ともかくも「対人援助」(人のサポートをする)形式をとって仕事をされていらっしゃる(またはしようとされている)方は多いと思います。


その中で、やはり「対人」なのですから、人との対話という面はどうしてもはずせない重要な部分になってきます。


そしてほとんどの場合は、当然人間同士なのですから「会話」でのコミュニケーション、つまりは言葉での音声言語で伝え合うということになります。


しかしながら、対人援助の方法や内容、あるいは自分の相談(伝達)スタイルによっては何も会話である音声言語一辺倒ということはないはずです。


たとえば、お話をしながら紙やホワイトボード、ワープロ、表計算、プレゼンソフトなど使ったパソコンで相手に図示して伝えるということもあると思います。


また、自分と相手の思いがなかなか言語化できず(適当でふさわしい表現方法が思いつかない)、困っている場合や、言葉よりも違うもので表現するほうが向いている人(そのほうが伝わりやすい人)などには

音声以外の方法が効果的に考えられます。


そのような時にタロットがあれば非常に便利なのです。


タロットはまず人が心に思い描く典型的なパターン・モデルとしての型の象徴でできていますので、普遍的(誰にでも適用することができる)であり、あらゆる状況・シーンに活用できます。


そして何と言っても「絵」で構成されていますので、目の不自由な方以外、どなたでも自分の目で見て確認することができます。


百聞は一見如かず」ということわざもあるように、くどくどと説明されるより、一目見ただけで一瞬で言語を超えた理解がもたらされることがあるのです。


特に人の内面の部分、心の分野はもやもやとしていて、言葉では表現しにくいものです。


「自分の今の気持ちはこれなのです」といってタロットカードをお互いが見る時、ともに言葉にならなくても、わかりあえる何かがそこにはあります。


さらにいえば、時には言葉は頭にほとんど残らず、「絵」だけ強烈に印象をともなって残っていることもあります。


結局のことろ、絵でもコミュニケーションが可能であり、それは言葉や音声を伴わない「視覚言語」だということです。


「対人援助」に視覚言語も取り入れたりするのも効果的ですし、またそれが得意な分野、人がいるということでもあります。自分が言葉によるコミュニケーションが得意であっても、相手はそうとは限らないのです。


こうして音と絵によって両者は影響しあい、相補的に相手に色濃く「影響」して伝わっていくのです。


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