タロットの使い方

霊性への旅

人は悩み多き生き物です。


悩みを大きくわけると、精神的な悩み物質的な悩みということになるかもしれません。


たとえば前者は人間関係や生き方、恋愛などによって心が悩まされる状況で、後者はお金や仕事、健康(身体)、家や土地などの所有に関することというものが典型的でしょう。


しかしながら、結局は物質的なことも心の悩みに通じます。ですから両者は切っても切れない関係にあるといえます。


こうして、どちらにせよ、何かの悩みで苦しむ時、その悩みの過程や中から浮かび上がってくるものがあります。


それはこれまでの自分や今の自分では満足できないものがあるという感覚です。


それが時には相手(パートナー、友人、同僚、上司、親、子供など)や、環境(身体、仕事、家庭、地域、社会など)に原因があると錯覚することもあります。


自分の問題や悩みは自分以外の、外のもののせいだと思いこむのです。そうしないとこれまでの自分、今の自分を保てないからであり、外のせいにすると楽でもあるからです。


しかし、冷静に考えてみるとそれは違っているのではないかと感じてきます。外ではなく、中(自分)に問題があるのではないかと。


そして何か今の「悩み」を超えるもの(超越できるもの)があるのではないか、今までの自分と新しい自分とが出会おうとしている何かがあるのではないかという思いが潜んでいることに気がつくでしょう。


それが精神と物質をも統合する、いわゆる「霊」「霊性」といわれるものです。


人は自分の霊性に目覚めようとする時、ある種の危機を迎えるのです。逆にいえば、これまでの知識や経験では簡単に解決できない悩みや危機が訪れている人は、霊性発現(探求)の萌芽に遭遇しているともいえるでしょう。


しかしながら、うすうすそのことに気がついていながらも、そもそも霊性やスピリチュアリティというものが何なのか知ることも、教えてもらうことも普通の機会ではほとんどありません。


また目に見える世界だけで信じ込まされている現代の私たちにとっては、単なる迷い、気の弱さ、考えすぎ、スランプというようなことで片付けられてしまうことも多いのです。


実は経済的な問題、夫婦の問題、仕事の問題などの裏には、本人の霊性への希求(求める気持ち)が隠されいることがあり、現状の精神と物質とが切り離された状態による混乱からの脱却、統合を図ろうと、人間本来の調整力が働いているのだと考えられます。


ところでカモワン版マルセイユタロットは、その霊性を開発・発展させていくための道しるべとして存在している部分もあるのです。


タロットカードを使う時、そこに描かれているのは、精神と物質、あるいは陰陽などで表される二元のエネルギーの統合です。それはそのまま霊性向上への道を示しています。


本来、人は霊的な存在だといえますが、現実に生きる中でそれが失われています。(隠されている、曇らされている) 従って人間の向上・完成を見つめる時、それ(霊性)を取り戻す、思い出すためのがどうしても始まらざるを得ません。


その時、人は、タロットでいえば「愚者」となり、自分が現実を生きる中でも霊性があることを感じ始めます。そして霊性を全開させていくための巡礼の旅路に出る(意識する)のです。(一緒に描かれている「犬」がとても重要な意味を持ちます)


しかしカードの「愚者」が示すように、普通の人から見れば「愚か者」「変わり者」「変人」と見られることもあります。それでも「愚者」はひたすら自分の霊性を信じ、歩んで行きます。


彼のゴールは霊性を完全に取り戻し、人として完成した「神(全部神性に包まれた人間)」ということになるのです。


ただそこまで行かずとも、霊性に目覚める方は、苦難にも立ち向かいながらも分離されたものを統合していく過程で霊性が向上し、以前に悩み苦しんでいたことも、上の視点(これまで考えつかなかった視点)から見られるようになり、気がつけば心境も環境も変化していることを認識することになるでしょう。


そうなると人生の旅路は、これまでとは違った興味深いものになっていくのです。


今更ながら継続は力なり、タロット編

私はいわばタロットバカ(笑)みたいなところがあります。また、タロットの中でもマルセイユ版(特にカモワン版マルセイユタロット)にこだわり続けています。


人からは「ほかのタロットや技法をしないのですか?」と問われるのですが、いまだに一途にこればかりです。(^_^;)


ただおかげさまで、ひとつにこだわって継続しているおかげで、このタロットからのメッセージを受け取りやすくなりましたし、ほかのものへの応用も利くようになりました。


ちょうど、このタロットの並びでいえば、「斎王」「隠者」とたどって、ある日「神の家」のように爆発したようなものです。(本当の意味での爆発はまだまだですが) 専門も行き着けば普遍にたどり着くというような印象です。


私はあまり器用ではないので、どちらかといえばひとつのことに専門的に打ち込むほうが好きです。(ただ好奇心はたくさんあります) また前にも言いましたが、決して特殊能力があったり、天才タイプであったりするということはないので、ただコツコツとやっていくしか能のないところがありました。


でも私も人間です。何でもかでも地道に継続できるタチではありません。あきっぽいところもあります。楽したいと思う輩です。(苦笑)


そんな私が、なぜずっとタロットを続けてこられているのでしょうか?


一言で言えば、タロット(カモワン版マルセイユタロット)が大好きだからです。


仕事にするとか、有効に使うとか、そういうことは二の次でした。また、やり続けていくことで、確実に自分の変化と効果を実感できたからです。言い方を換えれば、タロットへの絶対的な信頼です。(ただし盲信ではありません)


タロット仲間や私のタロットの受講生の方でも、このタロットが好きな方はやはり長続きしていますし、自分でも気がつかないうちに、直観力が増したり、物事の整理がつきやすくなっていたりと、いい意味で以前とは異なる自分を感じています。


このタロットは使っているだけで、ある意識を目覚めさせる作用があります。最初はなかなかそのことがわかりにくいのですが、ある日、自分の中の眠っていた部分が覚醒しはじめていることに気がつくようになります。


対外的には自分の問題として表面化することがあるのですが、それも自分が抑圧していたヘドロのようなもので、その浚渫と浄化をタロットとともに行うようにもなります。


つまり、タロットを使うことは日常的に錬金術(形を変えていくプロセスという、心の意味での錬金術)を行っているに等しいといえるかもしれません。


それでも、続けられるかどうかは、タロットへの愛し方によりますし、価値を知ることの努力(感性だけではなく、知識面も含む)を継続していくことができるかにもよるでしょう。


それでも普通の人である(と自覚している)あなたこそが、タロットを続けることによって、特別へと変化していことも可能であり、そういった人たち(意識と魂の向上を目指す人)の目覚めに使われていた道具だとも考えられるのです。


占いでもない、セラピーでもないタロットの楽しい使い方

タロットって聞くと、まずは占いとイメージする人が多いですよね。


それからちょっと詳しい人になってくると、自己分析とか自己実現のツールとして心理的・スピリチュアル的にも使えることを知っています。


まあ、このブログはそれを中心として書いているわけですが。


しかし、タロットは特にヨーロッパではもうひとつの使われ方が一般的とも聞きます。


それは・・・タロットをゲームの道具として使うというものです。


いわばトランプ(プレイングカード)みたいなものですね。


そもそもトランプはタロットと縁が深いといわれており、どちらかがその元になっているという説もあるくらいです。


トランプという言葉も本来は「切り札」という意味で、プレイングカード(私たちのいうトランプ)のうち、まさに強い切り札となる特定のカードのこと指していました。


そしてタロットでもトランプ(切り札)に当たるものがあり、それが大アルカナのカードであることもあれば、「愚者」一枚を意味することもあります。


タロットでも切り札があるのは、奥深くには大アルカナの重要性と愚者の特殊性にあるといえるのですが、単純には先述したように、ゲームとして切り札のカードが必要であり、機能するからです。


タロットになじむ方法として、もしかすると最良なのはゲームなのかもしれません。


個人的にはタロットがゲームとして流布したのは、ある意図があったのではないかと推測していますが、それはここでは述べないことにします。(タロット講座やタロットお話会などでは説明しています)


ひとついえるのは、ゲームというものは単に遊びの要素だけではないということですね。あと、ゲームだからこそ広まるということもあります。ヒントは「手品師」のカードです。


で、私のほうもまた違った形でタロットに親しみたいため、タロットゲームを体験してみることにしました。


タロットゲームも国によっていろいろな種類があり、使われるタロットも様々みたいです。


ただヨーロッパではポピュラーなタロットゲームですが、なかなかにどれもルールは複雑なようです。文章の説明だけではわからないところが多いのです。


ということでフランス人の(日本語のできる)方にタロットゲームを教えてもらうイベントに行くことにしました。


タロットを使ったゲーム、私自身とても楽しみにしているところです。


まじめタイプと自由タイプ。

長男(長女)・次男(次女)タイプといいますか、漫画やドラマなんかでも、誠実でまじめなAさんと、その友人でちょっと型破りで自由人というような図式はよくありますよね。まあ、秀才タイプ天才タイプみたいなパターンともいえます。


で、たいてい、まじめなタイプの人はいつも完璧だったのが、ここ一番で失敗をおかしたり、実は暗いネガティブな問題を抱えていたりしますし、一方の自由タイプの人は、普段はいい加減なのに、裏側では結構まじめで努力家という面をもっていたりしますよね。


もうひとつおまけに、この両者がともに同じ好きな異性がいて・・・で、最初はともかく、結局好き合うのは後者の自由人タイプの人という結末がお約束(笑)みたいになっています。


女性側のストーリーだと、何でもできる女性的で優秀な人より、欠点だらけでドジだけど明るくがんばる女の子がイケメン・ハンサムくんから愛されるというお決まりの王道でしょうか。(笑)


まあ、これらは何を示しているのかといいますと、人間、欠点を最初から見せていたほうが魅力的にみえる(ある意味、楽である)ということですね。


普段からまじめで完璧主義を押し通していますと、ほんのささいな間違いや失敗(と自分で思うもの)をやらかすだけで「えー、あの人が、信じられない!」とか、自分でも「こんなはずでは・・・!」と失敗の事実以上に悪い方に拡大解釈(印象の拡大化が)されてしまうのですね。


逆の場合は、「まあ、あいつのことだから・・・」と失敗しても笑ってすませてもらえますし、反対にちょっといいことをすれば普通以上に評価されることもあるわけです。


理不尽ですよねぇ。。。実は私もこういう物語を見ながら、自由タイプの主人公の活躍よりも、まじめタイプの悲哀をいつも感じていました。まあ、私がまじめタイプだからにほかなりませんが。(^_^;)


期待を背負って一生懸命がんばっているのに、天才タイプにはかなわないし、時には好きな人にふられたりもする悲しい役回りですよね。

そうかと思うと、やたら根性と努力(そして友情)で天才を超えていくというスポ根的な物語も日本には多くあります。

タロットでいえば「愚者」が自由人タイプで「正義」がまじめタイプ、そしてもともとの天才や、カリスマ的な存在は「悪魔」といえるでしょう。

日本で自由タイプとまじめタイプが比較されて、自由タイプが魅力的に主人公として描かれるのは、心の奥底で皆、自由タイプを欲しているからだと考えられます。つまり逆にいうと、まじめタイプで生きている人が多いということです。

また努力・根性もので成功していく物語も、これの裏返しといいますか、根は同じといえます。ようするにもともとの才能よりも、特段優れているわけでもない一般人でも、努力すればやれるのだということであり、まじめタイプを評価したいのです。

人は確かにある程度のタイプや個性は明確に出るものではありますが、もっとつきつめれぱ実は誰しも「自由タイプ」と「まじめタイプ」は一人の中にもっているものといえます。

環境や生育、生まれた時から持つ資質によって、自分の中の「ある特徴」が色濃くは出ますが、決して他のタイプがないというわけではありません。

それがタロットでいう大アルカナ22枚の元型です。

先の例でいえば、「愚者」も「正義」もあなたの中に存在しているわけです。

とかく「愚者」が人々のあこがれとして評価されがちですが、それは多くの人が正義的なことをよしとしている社会や生き方になじんでいるからです。そうでなければ混沌とした社会になってしまうこともあります。

どちらがよくてどちらが悪いというものでもないのです。

「正義」の人はそれが強すぎると、一時的には社会から評価を与えられますが、自分自身を生きるのにはいずれ苦しくなってきます。

反対に「愚者」が強い生き方をすれば、社会からは一般的に排除されがちですが、時としてものすごい評価を受けたり、革新者として悪魔のようなカリスマとしてもてはやされることもあります。

大切なのは自分の中の「正義」や「愚者」を見ていくことです。「正義」の人にも「愚者」います。それは社会と離れた関係の際に立ち現れてきます。

たとえば環境の変化、病、恋愛、留学、旅、自分一人になった時などの危機や変動、それまでの日常から離された時空に投げ込まれた時です。

こういう状況はチャンスです。「正義」のあなたにも「愚者」がいることを認められるからです。

ただあなたに長年貢献してきている「正義」のペルソナ(個性)も、それはそれでとてもよい「やつ」なのです。あなたと社会をつなぎ、他人からの評価を得るために、いわばあなたを守護してきたともいえます。

けれども、それが強すぎて、ほかのあなたの個性を正義の剣で殺してしまっていないか確認してみましょう。

そして誰かの評価を受けるための正義ではなく、自分のための正義として今度は転換していくことをお勧めします。

何も完全に「愚者」タイプになる必要もないですし、「正義」をやめることもないのです。すべては自分の中にあり、バランスよく、ほかの部分も認識して登場させながら、自分自身の統合を再度図っていくことに価値があるといえます。

そのためにタロットがあると言っても過言ではないでしょう。


悪い影響を変える方法。

影響という漢字を見てください。


そして一文字ずつ、ばらしてみましょう。


」と「」ですね。これは言ってみれば、「イメージ」「音」です。


イメージと音は人間に文字通り「影響」するというわけです。


さて、人は不快なことや嫌な出来事に遭遇すると、心が乱されます。この「影響」をゆるめる方法が、まさに「影響」の文字から思いつくことができるのです。


それはそのまま先述した「イメージ」(映像・影像)と「音」(響き)によってです。


まず先に「音」から見てみましょう。いやなに、簡単なことです。


たとえば何か腹が立ったり、感情を乱されたりするようなことが起こったとします。その時、呪文のような言葉をただひたすら心の中で唱えるのです。


呪文といっても、「呪ってやる!」というような相手を恨む言葉ではありません。それは逆効果です。そんなことをすると相手を攻撃した以上に、回り回って自分に戻ってきます。


そうではなく、祝い的な言葉を唱えるのです。たとえば「ありがとう」とか、「感謝します」とかですね。


というと、お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、ヒューレン博士式のホ・オポノポノの4つの言葉などもいいかもしれません。


ほかにも知っているマントラ的なもの(くれぐれも呪いの意味でないもの)でもよいでしょう。神様を信じている人は、その神の導きや、愛が注がれますように・・・と唱えてみるのもよいでしょう。


ここで大事なのは、唱える言葉はネガティブなもの(響き)ではないことと、その場面に唱えることによって、目に見えない自分の受けている(あるいは自らが発生している)波長を、心の中の言葉の響き(波長)によって干渉し、打ち消すということです。


ですから響きが美しいものがよいのです。祝福的な言葉がよいといったのは、それ自体美しい(心地よい)からです。


それから唱える行為によって、感情の波の発生をその「唱えた間」が抑止するという効果もあります。


ではもうひとつ、「イメージ」を利用する方法です。


ここにタロットが登場します。


タロットカードにはどれもいい悪いの偏りの意味はありませんが、それでも見ていて明るくなったり、穏やかになったりする気分の絵柄のカードがあります。


代表的なものでは「太陽」「星」「節制」(マルセイユ版の場合)といったところでしょうか。


「太陽」は相手と仲良くなりたい、エネルギーを強くしたいという時。

「星」はわだかまりを水に流したい、謙虚になりたいという時。

「節制」は相手と気持ちを通わせたい、高まる気持ちを抑えたいという時。


などが考えられますが、そうした気分や三枚に限らずとも、どのカードでも感情を落ち着かせるのには効果があると思います。


ですから、気分を害した時にはどれでもよいので、好きなカードを思い浮かべることです。


と同時に唱える「音」のほうも活用すれば、効果は倍増するでしょう。


こうして悪い「影響」をよいものに変えていくことができるのです。


Top