タロットの使い方
タロットをする時間、避ける時間
タロットを占う時間(日)はあるのか? 反対に占ってはいけない時間帯(日)はあるのか?
という質問がタロット講座で出る場合があります。
教える先生方によっていろいろな考え方があるとは思いますが、私自身は「特にない」とお答えしています。
ただし、
という条件が続きますが・・・(笑)
ではその条件と申しますか、注意する項目を挙げてみましょう。
●自分の生活リズムを重視すること
●その日の体調を考慮すること
●感じやすい人は注意する時間帯もあること
●オンとオフの区別をすること
まず普通に、自分が活動している時間を選ぶことです。いつもは完全に寝ている時間にタロットをやりたいからと無理して起きてやっても、眠たくて読みにくくなるだけです。
また食事前や食事時、ほか家事や仕事などで忙しい時(多忙が続く日)は、避けたほうが無難でしょう。そもそも気が散ってタロットどころではありませんから。
これと同じように、自分の体調が悪い時もタロットを展開しないほうがよいでしょう。気分が悪くてはまともなリーディングが望めないことは、ほかのことと同様です。
それからとても感受性の強い人、何かエネルギーのようなものが感じられる人は、「丑三つ時」といわれている深夜時間帯などは望ましくないこともあります。
これは場所によっては無防備になりやすかったり、意識が別のものをキャッチしすぎたりするからで、自分がニュートラルを保てる時間や日を選択されたほうが落ち着いてできます。
それからすべての人にいえることですが、タロットをする時は、特別な時間と空間を思い、日常から切り離す意識が大切です。これは恐れを持つということではなく、敬いや聖なる意識を自分の中に抱くようにするということです。
そのために儀式や道具が普通は必要とされます。なくてもできないわけではないですが、通常の人間はこうしたものがないと、意識の切り替えが実際にはできにくいからです。
タロットは怖いとか、タロットをすると変なものが来るとか思っている人は、下手にタロットをしないほうがよいです。
その恐怖心や信頼感の欠如が、意識の混濁を生み、本来のタロットからのイメージが妄想に変わって、現実的に誤解と同種のエネルギーを引き寄せる恐れがあるからです。
タロットは恐れるものではありません。しかし、それなりの節度と礼儀を保って接することも必要です。人に対する場合と同じだと考えていただければ理解がしやすいでしょう。
常識を疑う
私は小学生の頃、地域のサッカークラブに入っていました。
当時は真夏の昼間でも練習や試合がありました。
サッカーは運動量の多いスポーツです。ましてや昔の小学生ともなると、ただポールが転がるほうに向かって集団で走っていくということもよくあり、試合のハーフタイム時ではすでにバテバテでした。
となると、水分が不足して喉も異常に乾くため、皆は猛然と水道の蛇口に走って行きました。
けれども蛇口を上向きにして、ゴクゴクと水を飲んでいますと、コーチや監督の大人たちから「水を飲むな」と叱られることもしばしばでした。
これに限らず、総体的に何十年も前は、運動の途中では水を飲むと体が重くなるので、できるだけ飲まないようにするほうがよいというのが、半ば常識となっていたように思います。
こんなことは今では考えられません。
もちろん、水ばかり飲んでいては体内の塩分が薄まって、かえってまずいこともありますので、そのことから経験則的に水を飲むなといわれていたのかもしれません。
しかし少なくとも、今とはかなり考えが違っていたのは確かです。肌にしても、真っ黒に日焼けすることが奨励されていた時代でしたからね。
このように、時代とともに新しい発見や発明もあって、常識は変化していきます。
だから「常識を疑え!」というのは、誰も、あるいはどこでも言われているところですね。
しかしながら、常識を疑えるのは、よほど自分の中に他人とは違う確固としたものがあるか、あるいは常識を越える何か強烈な体験や環境に遭遇したかの人であり、、普通はなかなか難しいものです。
ですから、まずは単純に、自分を想像上のタイムマシンにかけてみることをお勧めします。
その考え(常識)で未来に進んだ場合どうなのか。
あるいは過去に戻って、その常識や価値観を見るとどうなるのか。
この場合、後者の「過去に戻って想像してみる」ことは、あまり普通の人はしませんので、意外な気づきが待っていることがあります。
いかに自分の思っていることがすごいことなのか、あるいは現代の価値観で縛られてしまっているかを見るよい機会になるのですね。
特に今便利だと思って使っているものは、過去に無かった(無くても生活はできていた)わけですから、今の常識によって、無理からに消費をさせられていると気付かされることもあります。
あと、タロットを使う方法があります。大アルカナ22枚によって、常識と思われる事柄を比較検討してみるのです。
つまり「ある常識や考え」を、一枚一枚のカードの象徴によって分析するということになります。別に22枚全部検証する必要はありません。
結局これは、ひとつの事柄に対して複数の視点を持つということ、別の物の見方を持つことを意味します。
常識は、「常に皆が当たり前に持つ見識・価値観」ともいえますので、もちろん疑ってばかりではなく、それを自分に適用することで自分の足りない部分や、悪い意味での常識はずれになっている部分をチェックして補うことにも使えるのです。
タロットを使った「忘れない」方法。
皆さんもご経験があるとは思いますが、たとえばノウハウ本などを購入して、
「おお、これはいい方法だ。やってみよう」
と思ってみても、いざ読み終わって日常生活に戻ってしまうと、いつの間にかすっかりそのことは忘れてしまい、本を買ったことすら思い出せないことがあります。
結局、そのまま実行に移すことがなく、「読んだ」ということで「実際に行った」と気分的に錯覚しているわけですね。
こういう場合、本を読み終わる→本を閉じる→本をしまうという過程で、「自分がやろう」と思った文章自体、物理的に目に入らなくなったことが意外にも行動に影響しているのです。
情報量の多い日常生活の中で、人はなるべく忘れようとして生きている生き物でもあるからですね。
気にとめることが少ないほうが楽だからです。
ですから、単純にその文章を抜き出して、自分の目に入りやすいところに置いておけば、少なくとも今までより気がつくことは多くなり、忘れることが少なくなるのは確かでしょう。
また本などは文章量が多いので、必然的に情報の量も多くなって、あるポイントで「これはよいな」と思ったとしても、また違う箇所で「こっちの方法も使える」「この考え方もいいよねー」など、覚えておくことができにくくなることもあります。
それでやはりめんどくさくなって、「忘れてしまう」いや「忘れようとする」のですね。
ということで、目につくところに「やりたいこと」や「使ってみたい方法」などを書いて置きたいことろなのですが、でかでかと机の前に紙を貼ってもちょっとかっこ悪い感じもします。(笑)
そこでタロットを使います。
記憶したいこと、是非やってみたいことなどをタロットカードに託して記憶させるのです。
えぇー、覚えるのかぁ、めんどうだよねぇ・・・と感じるかしもれませんが、タロットに慣れていれば覚えるというより、自然に内容とタロットがリンクするようになります。まさに自動反応のようなものです。
そして、実行したいと思っている知識や文章などを、ある一枚のカードに象徴させ、タロットカード(画像でもよい)を目の着くところに飾っておきます。
外出の機会が多い方は携帯の待ち受け画面にしてもよいです。
これには二重の効果があります。
ひとつには、ここで書いてきたように、物理的に「目に入る」機会が多くなるということで、忘れようにも忘れにくくなります。(象徴させたことを実行するかは、やはり本人の意志によりますが)
もうひとつは自分が覚えておきたい内容だけではなく、それを象徴させたタロットカードにおけるほかの事柄(そのタロットが象徴している様々な事柄)も心に染みこんでいくということです。
たとえば、「スピードこそ起業のカギ」というようなことを覚えておきたい時、「戦車」というカードにそれを象徴させてもいいのですが、同時に「戦車」の表す成功や勝利というような事柄もあなたにの中に刻み込まれて行き、成功のためのマインドが呼び起こされていくというものです。
これは願望実現法というより、自分の中にある成功における心のプラスとマイナスのことも出てくるということです。
ですから、この場合、単純にカードを見ていれば成功するということを言っているわけではありません。成功するためのあなたにある問題点も出てくるということを意味します。
しかしながら、そのマイナス部分を見つめ直し、克服することができれば成功に導かれるということでもありますので、結局のところ、大きな意味では願望実現法といってもよいかもしれません。
タロットカードを並べて、自分の住んでいる世界を思う。
タロットのカードをずらっと並べて見ていると、思うことがあります。
これらがそれぞれ人を表すとします。そうすると、まるで並んでいるこのカードの図像全体そのものが、私たちの住んでいる世界そのものだと感じてくるのです。
本当にいろいろな人たちがいて、様々な能力や個性を発揮しています。すばらしいなぁ、と感動すら起こってきます。
ところが、あえて逆さま(リバース)にしてカードを並べてみると(これはカモワン版マルセイユタロットにおいては極めて危険なのでやらないほうが無難です)、とんでもないマイナスエネルギーが渦巻く世界が現出されるのです。
さらに、一度シャッフルして、カードの正立や逆向きをまぜこぜにしたまま並べてみると、ここにも混沌した世界が広がります。(これもエネルギー酔いするおそれがあるのでお勧めしません)
そこにはポジティブな人もいれば、ネガティブな人もいます。人を喜ばせようとする人、人をけ落とそうする人、迷っている人、不安そうな人、意志の強固な人、人を癒している人・・・実に多様です。
今の私たちの世界は、この最後に出た、正立も逆向きも一緒くたの世界が実際に近いのではないかと思います。
でも、カードにたとえてよく考えてみますと、本来はすべて正立である(いい状態の)能力をそれぞれが持っているのです。本当はすへでよい人たちだといえます。
それが何らかの理由でバランスを崩し、今の世界、状況に応じて悪くなっているだけだとも見えます。
また、この世はカードでいえば、自分も含めて逆向きの人たちばかりのように感じていても、探せばどこかに、例えば「節制」のカートの正立のような救済をしてくれる人物にも出会えるかもしれないのです。
現実にも、悪い人ばかりではありませんし、人から助けられる、協力してもらうことは多々あります。
カード一枚の単体で物事を見てしまうと周囲の世界や人物を示すカードが見えてこないように、私たちも孤独に何でも一人で解決しようとすると苦しくなって、行き詰まりを感じます。
私たちがカオス的とも思えるこの世界に生きているのも、一人では不可能なこと、できないと思えることも、人と人がつながり、協力することによって無理を道理として乗り越えていくことができるということを学ぶためなのかもしれません。
自分の今の能力では難しいと感じたり、一人ではもうダメだと思ったりしても、ほかの人の助力や関係・紹介によって問題は簡単にもなり、解決に向かうことも多いはずだと感じます。
また専門や得意分野という言葉があるように、任せるべき人に任せたり、教えを受けたりするのも、この世界を生きる上での知恵のひとつといえましょう。
そして、たとえ問題と思える人との出会いがあったとしても、自分の反面教師としたり、場合によっては問題を持っている人物をあなたが手助けしたりすることで、自他ともに本来のよい状態に還っていく可能性もあります。
このようにタロットカードを見ながら、「世界はすべて関係しあうものだ」と考えれば、この生きにくい世の中もなかなか捨てたものではないなと感じて、人生をもっと楽しみながら生きることもできるようになるかもしれません。
タロットによるタイプ分け。分類することの利点。
昨日の記事 の続きです。
人には分類したがる傾向があり、そして分類は外からするのではなく、自分の内側に存在している要素によって物事をわけているということをお話しました。
また自分を型にはめることによって、自分を限定しまうおそれがあることも指摘しました。
今回は反対に、自分をあえて型にはめる、分類することによってよいこともあるというお話をしたいと思います。
いきなりですが、その長所を列挙します。
●ある特定のタイプに分類することで、自分を客観視する入り口に立てる
●人とのコミュニケーションに役立つ
●他人を理解するのに役立つ
●自分の特徴を知ったり、バランスを量ることができる
つまり自分や他人を見つめたり、人との関係を構築して行ったりするのに便利な方法・ツールだということなのです。
自分に対しては、「自分はこういうタイプか」とわかることで自分自身を改めて理解するきっかけになりますし、そのことで自分のよい面がわかり、それを伸ばしていこうとすることもできます。
逆に、「自分はこのタイプでないのはなぜだろう?」 と自分にはない面や、あっても強く出ていない部分を考察することで、バランスを保つことも可能となります。
他人に対しては、「ああ、この人はこのタイプか」と知ることで、どうその人に対応していけばよいのかがわかりますし、単純にタイプ論は血液型占いではありませんが、話のネタとしてコミュニケーションを円滑にしていく効果もあります。
タロットもほとんどは人物の絵柄でできていますから、かなりタイプ分けに活用することができます。
大アルカナ22枚を自分の心の分身として分析する方法もありますし、数秘術的に、生年月日から割り出されたカード(ソウルカード・パーソナルカードと呼ばれるカード)で判断していく方法もあります。
後者は22枚のうちの一枚と、1から9の数を持つカード9枚のうちのどれかのタイプに分けられます。
(このソウルカード、パーソナルカードはまたいずれ別記事で詳しく書いてみたいと思います)
タロットを習うと、皆さんこのふたつの種類によるタイプ分けに結構興味を抱かれますし、なかなかに当たっているところもあります。タロットカードは絵なので、イメージとしても理解しやすいのですね。
そして大切なことは、タロットなり、ほかの方法なりで自分や人のタイプを知っても、その枠組に収まりきることをせず、型を超える型をさらに考えていくことです。
最初は心の整理やコミュニケーションの術(すべ)として活用しつつも、ある程度の段階に来たら、あえてそれを疑い、逆説も採用しながら、新しい型を創造していくことです。
タロットでいえば、ソウルカード・パーソナルカードで分類することを覚えたあと、それ以外のカードの意味にも思いを馳せ、さらに自分の思っていたカートの類型の枠を壊し、新しい発想をまた得るというようなイメージといえましょう。
前回でもお話したように、結局、どのタイプも自分の中に内包されているのです。
タイプ個々から全体性への調和を見る時、そこに人間完成の道が示されているといえるでしょう。