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絵を見てタロットリーディング力を養う。
昨日は大阪で教えているタロット教室の最終日でした。
皆さん熱心な方たちで、教えている私の方も、毎度充実した時間を頂戴しておりました。
さて、タロットリーディングで大切なのはやはりタロットカード自体が絵柄でできていますから、「絵」そのものになじむことです。
この「絵」はタロットカードのことだけを指しているのではありません。一般的な「絵」も含めています。
タロットを習い始めたあなたは、「絵」を見て感じるという経験が最近ありますか?
町中には宣伝用のポスターや写真などはあふれており、「絵」といわれれば絵であるようなものも多く見かけますが、結局それらを見てもただの広告と感じるか、見過ごすだけの生活でしょう。
言ってみれば、「絵」をじっくと眺めるなどという習慣も時間も、ほとんどの人はないということです。
ですから特にタロット学習をされる方は、美術館なとで「絵」を鑑賞することをお勧めします。
絵をゆっくり見て歩き、何かを感じるようにすることで、まさに絵から感化されるという体験を味わいます。
その感覚がタロットリーディングにも役立つのです。
またそうした静かな時間、緩やかな時間を持つことが、普段の日常とは離れた時空を持つことになり、自分を見つめたり、鋭敏な感性を取り戻したりするのに貢献します。これもタロットリーディングには必要なことです。
それから、自分の人生での体験が少ないと感じている人は、いろいろなドラマ性の映画を見るとよいでしょう。
今までも映画はレンタルなどして見てこられていると思いますが、これまで自分が見なかったジャンルを見たり、レンタルショップなどに行ってタイトルや裏の解説を見て、気になったものを鑑賞したりするのもよいでしょう。
その時、あなたの心が選んでいる場合もあります。もちろん、人にお勧めの映画を聞いてみるなどの方法もありです。
映画での体験は、自分の実際の体験ではありませんから、役に立たないと思われるかもしれませんが、少なくとも自分が知らない、あるいは経験していないドラマやストーリーがそこにはあり、「ああ、こういうこともあるのか「こういうこともあるかもしれない」という価値観の多様化、視点の複数化には役立ちます。
人は自らの体験・経験でしか物事が見えない(語れない)からです。
とするのなら、映画などの疑似とはいえ、「こういうものを見た」ということ自体が自分の経験となるので、それは自分の頭の中のことではあるものの、映画を見ていない自分よりかは知見が単純にも増えている(幅が広がっている)ことになります。
シナリオライターになるための教えでも、自分の体験が少なければ人の話を聴いたり、ドラマを見たりしてでも広げろとはいわれるものです。
そうした蓄積が、必ずタロットリーディングにおいて生きてきます。量がある分だけ、イメージもつくりやすいからです。
タロットの絵柄を見て何も思い浮かばず固まってしまうことは、最初は普通にあることです。
しばらく習っていてもなかなかイメージが出てこないのも、今の人たちが自動的に与えられていること、敷かれたレールに乗ってしまうことに慣れてしまっているからです。(それが正しい選択だと思いこまされています)
「こうあるべき」と生きてきた人ほど、自由にイメージするという体験はつらいものになってきます。
しかし、「タロットを見て自由に発想してください」といっても、できないのは当たり前であり、そもそもまったくの自由な発想というものはありえません。(解脱に至るほどの状態ならば可能でしょぅが)
ほとんどの場合、自分の経験や蓄積をもとにしてイメージがわき起こるので、とらわれのない自由というのは難しいわけです。
そのために、まずは自分で絵や映画を見てイメージを豊かにする材料を入れていくこと、絵や映像を見て感じるという体験を多く繰り返すこと、そして何よりも大切なことは、自分にはイメージする力があるのだと信じること、自由に表現してもいいことを許可することなのです。
最後のあたりのポイントはとても重大なことなので、このことは記事を改めてまた書かせていただきたいと思います。
タロットから見る基礎・土台の重要性
タロットというと、占いやスピリチュアルなイメージがありますので、自然、「天」とか「上」とか、視線もエネルギーの方向的にも「上」をイメージしがちですし、人によってはそちらに傾きすぎる性質もあります。
しかし大切なのは「上」を理解するためのしっかりとした「下」への注視、土台づくりです。
天(神)からのエネルギーを受けるには、相当強固な基礎・土台が必要なのです。
そのことを如実にカードの絵柄で表しているのは、カモワン版マルセイユタロットの「神の家」です。
このカードでは、天空から強烈な神の光・エネルギーが、レンガ積みの建物に降りてきています。
そのあまりにも強い衝撃で、ほかのカードの解釈では塔(建物)が崩れ落ちるかのような災難・災厄が起こるとも言われるほどの凶札になっています。(カモワン版ではカードに吉凶はありません)
しかし、カモワン流ではしっかりとした土台と建造物があれば、その神の光を受けきることができるので、文字通り、栄えある光、「栄光」として輝かしいことが起こるのだととらえます。
つまりは裏を返せば、基礎・土台ができていないと、大きなこともできないし、時には危険なこともありますよということになるのです。
ほかにもカードの中には、足下を固める、地に足をつけること、コツコツと積み上げていくこと、現実を見ることなどが象徴的にも、実際的にも語られているカードがあります。
たとえば、「皇帝」というカード。
カモワン版ではもっとも「現実」を表すカードであり、築き上げること、基礎(下)を大切にすることは絵柄の中の象徴でも語られているところです。
またアースという言葉があるように、電気的ともいえる天のエネルギーは、地中にアースすることによってバランスが保たれる(衝撃も吸収できる)ということがあります。
これもタロットカードで示されていることです。
「天」(方向)は意識の向上や知見の拡大を表すとすれば、「地」(方向)は意識の細分化、定着化、安定、知見の具体性、普遍性を示すと考えられます。
天も地(エネルギー)もそれを取り入れる「人」(の意識、行動)によってバランスを取ることができるのです。
タロットリーディングにおいても、天と地のエネルギーをバランスよく取り入れる(調整する)ことは重要なことにもなってきます。
さて、人間の体でいえば、土台は足になります。それも直接大地と接する足裏は非常に大切な部分といえるでしょう。
タロットの理論を応用すれば、どんなところにもすべてのエッセンスが凝縮されていると見ることが可能です。大宇宙(の仕組み・調和)が人間にもあり、そのまた細胞にも宿るという概念です。
ならば、足裏にも全体を調和させる基礎があるということにもなります。
足裏から健康を見て、調整してくれる所があります。外反母趾解消の専門家でもある福岡の志賀さんのサロン、足裏バランス本舗Basicです。
院長の志賀さんは、先日、私のタロットリーディングをスカイプで受けてくださいました。
そのご縁でご紹介させていただきたいと存じます。
福岡だけではなく、全国から問い合わせのある人気の方です。女性には特にうれしい、はくだけでダイエットできるという靴下 も販売されていらっしゃいます。
興味のある方は是非コンタクトを。
お金と流れ 2
昨日は「節制」と「星」のカードについてのお話をしました。
実は今日もちょっとその二枚に関係します。
どこがどう関係するのかは、本日はあえて言いません。
カードを知っている人、持っている人はご自分でカードを見て感じてください。
今回のテーマはお金です。
以前も 「お金は動かすものという意識が大切だ」と述べましたが、この「お金を流動的にとらえる」ということが、なかなか普通の人には難しいようです。
かくいう私自身も、お金を長い間固定(したもの、するものと)して見ていました。
それは給料(固定したもの)をもらうという形でお金を得る経験がほとんどだったので、自然そうなるしかなかったといえます。
ですから世間の多くの人がお金を固定してとらえてしまうのも致し方ないことです。
お金を流動的に見るということはどういうことでしょうか?
それは自分がお金を動かすことはもとより、他人や外からも流入する(させる)というイメージができるかということになるでしょう。
自分がお金を動かすのは簡単です。つまりはお金を使えばいいわけですから。いわゆる消費活動ですね。これは誰でもやっていることです。
それでは外から流れていくるという点ではどうでしょうか。
これを普通の人は、先に述べた「給料」など固定したものからの流入と見てしまうのです。いや流れてくるというより、今の自分を中心として受け取るみたいなイメージでしょうか。
もっというと、箱から箱へただ移し替えているだけのイメージといえます。
これでは限界が最初からあるのは目に見えています。
もっと箱自体の幻想を壊して、枠を目一杯広げ、お金を流動体や羽をはやしたものとしてイメージするといかがでしょうか。
そうすると、流入経路は複数(無限に)あることが感じてこれますし、たとえば箱があったとしても、そのまた向こうの箱があり、さらにそのまた向こうにも箱があって、しかも箱は数限りなくあるという想像が働いてきます。
つまりは、人と人、モノとモノとを介してお金のエネルギーが流れているイメージです。
これを具体的にしていきますと、単に給料で固定したものの範囲で消費を切りつめていくという発想よりも、給料はひとつの流れであり、また別の流れとのコンタクトを自分でつければいい(週末起業であったり、他の方法でお金のエネルギーの道筋を作ること)のだというアイデアにつながっていきます。
結局のところ、流れを起こすということは、流出と受容(外に出すことと受け取り)を自分の中に意識するということです。
受け取って貯めるばかりでは何も流れませんし、流してばかり(使ってばかり)ではそれも干上がってしまうことにもなるでしょう。
ただ何事もコツをマスターするには、小規模のことからクリアーしていかねばなりません。
自分がコントロールできる範囲で確実に流出と流入の流れを循環せさている実感と技術がいるでしょう。
そのことは実際のお金だけに限らず、お金をエネルギーとしてとらえますと、まだ物質化していない(お金になっていない)ものの価値も流出・流入させていくということでもあります。
このことからいかにいろいろな意味で交流ということが大切になってくるかがわかると思います。
※この話は私の知人のそのまた知人の方 が、お金のことについて重要なお話をされていたことを、タロット的に私が気がついたものを皆様にご紹介したものです。その方の記事には 、お金のことについて大切な視点がたくさん書いてありますので、ご参考にされるとよいでしょう。
助けすぎと尽くしすぎになっていませんか?
タロットカードに「節制」と「星」というカードがあります。
カモワン版マルセイユタロットの場合、この二枚のカードはともに壺(水瓶)を持つなど共通したところも多いカードなのですが、今日はこの二枚のカードに関係した話をします。
まず「節制」というカードです。
このカードの大きな意味の一つに、「助ける」「救済する」というテーマがあります。その絵柄からも、いわば「救済の天使」といってもいい存在です。
そして「星」は、女神とおぼしき女性が、片膝着いて手にした壺から水を流す姿が描かれており、そこから「尽くす」という意味も現れてきます。
簡単に言えば、この両者はまさに「助け、尽くす」ということで似た事柄を共通して持っているのです。
ただその貢献の仕方(エネルギーの質、使い方)が、両者によって違いがあるということです。(その違いについては、タロット講座でわかりやすく説明しています)
さて、この「助ける、尽くす」ということは、それ自体ではとてもよいことです。人間として美しい行為だとも言えましょう。
しかしながら何事もバランスです。これが「過ぎる」とやはり問題となります。
特に、このカードたちが逆向き(逆さま、リバース)でカモワン流の展開法にて現れる時は、「尽くし過ぎている、助け過ぎている」ということが考えられます。
たとえば恋愛では、報われない、あるいは不毛とも思える関係の相手に尽くしすぎている。
ほかの人間関係においても、必要以上に相手に介入し、助けようとしている、関わろうとし過ぎているなど。(余計なお世話、自己犠牲)
お金や経済的なことでいえば、自分が生活に困るのに相手にお金を貸してしまうようなものです。もちろん助け合いの精神で、困った時に支援をすることはとても貴く、人として大切なことではあります。
しかし、相手の自立を損ねてしまうような援助は本当の意味での援助とは言えません。
依存を継続したり、助長させたりする助けは、救済どころかかえって相手を悪くさせてしまうこともあるのだということです。
お金のことにいいかげんで返すあても努力もしていない人に、親切心で何度も貸してしまうような行為は、相手にとってあなたは単なる金づるでしかないわけで、楽な金づるがある限り、相手は自分で稼ごうとはしません。
楽に手に入った、いわゆるあぶく銭は、その名の通りのあぶく(泡)と消えます。
おそらく心の中の良心のようなものが、あぶく銭を持っていることに罪悪感を抱き、早く使わせてしまうよう無意識のうちにし向けるのでしょう。
カモワン流のタロット絵図、「タロットマンダラ」において、「節制」の前に「13」、「星」の前に「神の家」というインパクトの強いカードがあるのも、「助け」や「尽くす」ということが、ある種の厳しさや強い意志が必要なことを物語っているかのようです。
大きな意味で自分を犠牲にしてでも他者に貢献することの意味がわかっている人には、助けすぎ、尽くしすぎはありません。それは巨大な何かとつながっているから、自分が枯渇することがないからです。
しかし、一般のレベルにおいては、自己の許容量、相手の依存心の増大につながっていないかなど、自分と他者を冷静に、時には厳しく査定する必要があります。
助けたくても我慢した方がよい場合もあるのです。
また自分だけが救済の唯一の方法(人)ではありません。他者や社会の援助もあります。
そうしたことを勘案することで、適切な救済と尽力になるのです。
カモワン版マルセイユタロットカードの名前
昨日は講義の帰りにフランス語の発音を少し習っていました。
マルセイユタロットを扱っている者として、一度カードの名前など、フランス人の方にきちんと発音してもらって確認しておきたかったからです。
ついでに自分も正しく発音できたらとは思っていたのですが、これはなかなか一朝一夕にはいきません。ABCや発音法則、アクサン記号の違いだけでも大変で、後半はかなりヘロヘロになってしまいました。(^_^;)
いやー、しかし実際にフランス人の方に発音してもらうと、またカードが違った雰囲気になるのが驚きでした。(余談ですが、発音の授業をしてくれた先生は、ホドロフスキー氏(「ジョドロスキー」のような発音でした)の映画が好きな方だったので、びっくりしましたが)
実はカモワン版マルセイユタロットには特別な綴りの仕方を特定のカードには施しているので、普通のフランス人の方がどのように発音するのかにも興味がありました。
でもちゃんとカードのノーマルな名前の意味での発音はされていたので、さすが暗号だなと思いました。
もしフランス人の方でも発音しにくかったり、つまったりすることがあれば、それはあからさま過ぎる暗号となり、暗号ではなくなりますから。
ところで名前というのは思っているより重要なものです。
カモワン版マルセイユタロットの場合、訳者である大沼氏が通常一般に広まっているタロットの名前とは違ったものを一部採用したために、普通のタロットカードの名前を知っている人にとっては違和感のあるものでしょう。
たとえば、大アルカナのカードで「1」の数を持つものは、通常、「魔術師」や「奇術師」と呼ばれますし、次の「2」を持つカードは「女教皇」と言われますが、カモワン版では「手品師」と「斎王」です。
ほかにも「13」が「死神」ではなく、名前を持たないカード(実際、マルセイユ版の「13」では名前の欄がありません)とし、「16」は「塔」ではなく「神の家」とフランス語直訳になっています。(その他のカードも若干の違いあり)
カードの名称も、ウェイト版の絵柄で見た場合、一般名での名前が合っているように思えますが、カモワン版のマルセイユタロットでは、やはりカモワン版日本訳でいうところの名称のほうが適当であるように個人的には感じられます。
ウェイト版の「1」のカードは確かに「魔術師」ぽいですし、カモワン版マルセイユタロットでは「手品師」と呼ぶにふさわしい人物と絵柄です。
もし絵柄のないままで「魔術師」といわれた場合と、「手品師」といわれるのとでは、皆さんどう感じられるでしょうか?
「魔術師」と聞くと、なにやら重々しい空気と不思議な力を醸し出すかのように感じられ、「手品師」と聞くと、軽くて子どもぽい印象と庶民的・現実的な雰囲気があるように思うかもしれません。
実際、カモワン版の「手品師」は、新しいということ、若いということ、現実の外の世界(社会)に出て生きること、存在することの意味が強調されているのです。
言ってみれば、魔術は現実の実践生活の中にあり(いきなり社会と隔絶して修行するわけではない)ということです。
もちろん裏側には、魔術的な要素と意味も含んでいます。手品をして現実で生活しながらも、裏では魔術修行に勤しんでいるかもしれないのです。それは一見、普通の人には「ただ手品をやっている」としか見えない絵柄に秘密が隠されているということです。
このあたりがいわばマルセイユ版の魅力でもあります。
ヨーロッパ中近世の人物や風景を単純にただ描いているだけにしか見えないようで、少し本当の見方を教えてもらうだけで、とたんにマルセイユタロットが奥深い謎めいたものに変貌するのです。
カードについた名前を考えながら、絵柄を見てみると、当たり前に思っていたことから新鮮な発見があるかもしれません。