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愚者の次に登場するもの、従うもの。
以前、ある方のブログで動画とともに、面白いことが紹介されていました。
その動画には、とある広場で一人の風変わりな人物がオリジナルなダンスを突然披露するものが映し出されており、その人物が踊っていると、やがて次から次へと次第に他の人もそのダンスをマネして行くようになり、ついにはそこに一大ムーブメントが起こったかのように広場全体が大きなダンス場と化してしまったというようなことが撮影されていたのです。
確か、そのブログでは、「最初に踊りを踊った人物も重要だが、それに追随しようとする人間が大事で、大きな流れを起こすには二番目の追従者が出るかどうかがポイントだ」と語られていたように覚えています。
これを見て、私が感じたのはまさにタロットカード(カモワン版マルセイユタロット)の「愚者」でした。
「愚者」の絵には、一人の旅姿の人物と、それを追いかけるような犬(動物)が描かれています。
そう、この人物と犬とが、先述した動画の「先行者と追従者」の関係に似ているのです。
最初に何かを起こすには、常識を超えた考えや行動が必要です。
先ほどの動画でいえば、いきなり珍妙なダンスを大勢の中で繰り出す最初の人であり、それには、「こんな場所でこんなことするのは恥ずかしい」などの常識で縛られた考えではできません。まさに「愚者」だからできることです。
しかしその「愚者」の行いを見て、自分も「愚者」になろうとマネをすることは、結構勇気がいります。おそらくその追従者は「愚者」ほどの常識はずれ、革命者ではないからです。
それでも第二番目の者が現れることにより、ほかの常識の人との架け橋、あるいはブレイクを促す人物となり、皆に「オレにもできるかも」「私もやってみようかな」という気分にさせたのです。
「愚者」はある意味天才かもしれませんが、その追従者である「犬」は天才でなくてもできることです。
ですからあなたは「愚者」が無理なら、まずは「愚者」の犬(第二番目の人、ムーブメントを起こす本当のきっかけの人)になればよいのです。
そのポジションはたとえば具体的にいえば、あるカリスマのオーガナイザーやプロデューサーであることもあれば、一番弟子やその分野での創始者を除く第一人者ということにもなるでしょう。単にいいことをされている人の第一のサポート役ということもあるかもしれません。
とびっきりの変な(常識では思いもつかない)ことは無理でも、そのフォローをしていく者には少しの勇気と行動力があればできます。このポジションを自分が一番先にやれるかどうかも重要でしょう。
最初の「愚者」は本当に愚者に見えても、追従者のあなたのやりよう、見せ方によってはその愚者をとんでもないカリスマ・聖者にすることも可能なのです。
逆にいえば、自分が愚者であるならば、犬に当たる人物も必要だということになります。
カモワン版マルセイユタロットでは、興味深いことに、その犬は動物や人間性を超えるもので象徴させられているのがすごいところです。
ということは、ある意味、この犬の立場・感性のほうが「愚者」より重要であったり、自分を「愚者」化するためには大切なことであると示唆しているのかもしれないのです。
カルチャーセンターでのタロット講座
京都新聞文化センターでのマルセイユタロット講座が昨日で終了しました。
引き続き、今回の講座の実践版を来年1月から3月まで行います。そこでサイクルがいったん完了し、また新しく4月から基礎編として新メンバーを募集してスタートする予定です。(詳細は京都新聞文化センターにお問い合せください)
ですから今年9月からの講座のタイミングが合わなかった方は、来年4月からの講座にお申込みください。
それから一度講座を受けた方でも、再受講して学び直すという方法もあります。私自身、旧タロット大学での講座を再受講して学び直した経緯があり、二回目を受講することで確認と理解がさらに深まる効果があります。
また4月から神戸でも、あるカルチャーセンターでマルセイユタロット講座を開講する予定です。これは詳細が決まりましたらブログでもお知らせしたいと思います。
私のタロット講座は、そもそも大阪のカルチャーセンターからスタートしています。ですからカルチャーセンターで教えることは私の原点でもあり、今後も続けていきたいと考えています。
カルチャーセンターにはいろいろなタイプの方が学びに来られます。
値段もお手頃ですし、何かと地域的には参加しやすい雰囲気がありますので、まずは気軽に趣味を習ってみるという感じで来られる人が多い傾向はあります。
でも中には本格的に学ぼうと考えていて、その前にはまずは様子見で入門してみたいという方もいれば、あまりその気はなかったけれども友人に誘われて、つきあいで参加しているという人もいます。
私はそういった、色々なきっかけ・思いで入られた方がいらっしゃるのを承知の上で、受講者の方がマルセイユタロットと接することのできる機会が得られたことに祝福を送りたい気持ちでいます。
一般的には現在日本では、どの地方でもマルセイユタロットではなく、他の種類のタロット講座が多いのが普通です。そんな中で偶然か、はたまたその人の何かのご縁なのか、マルセイユタロットに出会うきっかけとなったわけです。
そもそも「タロットが何のか」「どういう種類のものがあるのか」ということがわからないまま受講された方がほとんどでしょう。
そうした中で幸か不幸か(笑)、マルセイユタロット講座を選択してしまったのも、その人には意味があるのかもしれません。(まるで「恋人」カードのようです)
そして私の講座は、あまり「占い方」や「占い」を強調していません。それよりもタロットを使って、いかに自分自身を見つめていくか、人生にタロットをどう活かすかという「クオリティオブライブ(生活・人生の質)」の観点からタロットを教えています。
その副産物として相手をリーディングしていく、つまり占うことも含まれるのです。なぜならば相手は自分の鏡でもあるからです。(そしてタロットもまた自分の心の鏡でもあります)
私の伝えるタロットの道は、一見、とても遠回りなもののように思えるかもしれません。しかしながら、皆さんにはその遠回りの道すがらに、自分や他人、人生や社会、宇宙を見てほしいと思っています。私自身もその旅の途中にいます。
カルチャーセンターだけではなく、どの私のタロット講座に来られる受講生の皆さんにも敬意と、愛情をもってタロットを伝えます。
受講生の皆さんからすれば私はタロットの先輩かもしれませんが、皆さんは人生の先輩でもあり、たとえ年齢が下であっても、私の知らない経験もたくさんされていらっしゃいます。
カルチャーという響きに気軽さはあるものの、その実、皆さんの心の中にはそれぞれ深いものがあり、悩みがあり、また活き活きとした部分があり、そして神性なるものがあることを知っています。
そうした皆さんとともにタロットの時間が持てることは、私にとってこの上ない幸せなのです。
ではまた皆さん、タロット教室でお会いいたしましょう。
タロットカードから見る生活のバランスの取り方
昨日は 、「自分を見失い、自分が世界から消えているような感覚があれば、創造的なことをすればよい」というお話をしました。
その記事のヒントになったのはタロットカードの「女帝」ですが、記事を書いている内に、もうひとつのカード(の精霊)もやってきていました。
それは「隠者」です。(ほかにもいくつかの来訪がありましたが、それは後に登場します)
そして「隠者」(のカード)は「女帝」(のカード)と向き合いました。
なるほど、そういうことか。私はうなずきます。
創造的になるためには、隔離された「自分の世界」が必要なことがあります。あまりに周囲に埋没したり、ペースに巻き込まれたりしているため、一度周りから自分を切り離して、自らのリズムを取り戻す必要があるからです。
現代人は自分の部屋、ネットカフェなど個室的になれるところは多いのですが、その場所や時間を結構無駄にしていることも多い気がします。
また本当に慌ただしい毎日を送っていると、表面的には確かに一人でいたり、一人の時間を持っていたりするように見えるのですが、その実、仕事のことや人間関係などで心が占められ、心理的には騒々しく、たくさんのものに囲まれている感覚になっていることもあるでしょう。
ですから「隠者」なのです。隠者は世間から隔絶された場所で一人孤独に修行している存在です。騒がしい世の中から離れているために、かえって自分を照らす光を見ることが可能になるのです。
私たちも修行とはいわないまでも、周囲のペースとは完全に異なる場所や時間を「意識的」に持つことをお勧めします。そのことで失われた自分を取り戻すことができます。
これとは異なるのですが、タロットカードの「悪魔」と関係する「孤立化」も、ある人には有効です。
これは、自分の楽しみ・趣味などの時間(場所)を持ち、失われている自分らしさ(の余裕)を取り戻すための孤立化を意味します。
現実にはとても忙しくて無理かもしれませんが、その時間を作る、あるいは場所を作ることの工夫自体が「創造」につながります。
よく見直してみれば、きっとやらなくてもいいこと、手を抜いてもOKなことがあるはずです。
完璧を求めることは自分をますます追いつめ、たまったまストレスは後に爆発してバランスを強引に取ろうとするようになるので危険です。
完璧のプレッシャー・恐怖から逃れるためには、自分の中のルール・規則を変えることです。完璧さの基準が変われば、行動も変容します。
意外に思うかもしれませんが、「悪魔」はあなたの中のある面のバランスをうまく取るために存在するカードだと言ってもよいでしょう。
カモワン版マルセイユタロットのタロット絵図「タロットマンダラ」において、「正義」の上に「悪魔」がいることは、このことも関係していると私は考えています。(もちろん、ほかにも様々な理由があります)
そして、面白いことに、そのマンダラでは「正義」を見ているのは「隠者」なのです。さらに「正義」の下には仕事を主に意味する「手品師」がいます。
「悪魔」と「手品師」の間にバランスを象徴する「正義」、その隣に隠れて一人になっている「隠者」、これらの構図はまさに人間の生活において、自分をいかにうまくバランスよく保っていくかということを教えてくれています。
「創造」があなたの危機を救う。
日々仕事や家庭での雑事に追われて過ごしていると、まるで世界から自分が消えているかのように感じることがあります。
いわば自分を見失うといったことになるでしょうか。
それにはいくつかの解決方法は考えられますが、今朝、私がタロットから得たメッセージはタロットカードの「女帝」でした。
「女帝」は詳しくは説明しませんが、「創造性」と結びつくカードです。(理由や詳細が知りたい方はタロット講座を受けてみてください)
創造、つまり生み(産み)出すことです。
自分を見失うと、自分が何か(何者か)に消費させられているかのように感じます。雇われる立場で酷使されたり、自分が過剰に奉仕させられていると思うと、その感覚は強くなるでしょう。
ですから反対に自分から生み出すことをすればよいのです。
「生み出す」「作る(造る)」「創造する」ということを象徴的に解釈すれば、具体的な方法はいくらでも思いつきます。
文章で創作(歌、詩なども含む)、土から陶芸、色から絵画、映像から映画、生地から服や持ち物、食材から料理、種・苗から植物に、自然のものから使える道具を作る、自分の心から人の心に新しい希望をともす、単純に余暇を時間的に生み出すなど、「作る」「生み出す」ことは無数にあります。
もちろん究極的には人をつくる(子作り)という男女共同作業もあります。
生み出すことで、大げさに言えば自分を中心にして世界との関わりが成立してくるのです。
それは自分への無意識の自信・信頼、自分存在の肯定のようなものにつながります。また生み出したものへの愛情も芽生え、消費し過ぎた奉仕力の回復にもつながります。
精神的に苦しい状況にあった人、うつから回復してきた人などにも「創造」は役立つことがあります。
自分をその対象になぞらえることにより、まさに再生・復活のシンボルとして自分が新しく創造されることを体験するからです。
この場合は生物(植物含む)、生きたものを対象とする創造的行為(植物・動物を育てるなど)が実感として、より強く出るでしょう。
埋没した生活に光をともすために、何か創造的なことをはじめてみませんか。
他人は自分の一部説
自分の問題に取り組み、向上を目指して解決していくことは何も自分だけのためではありません。
ずっとタロットをやってきて、最近は特にそのことを強く感じます。
たとえばタロットリーディングにおいても、クライアントの問題は一見タロットリーダーとは何の関係もないように思えますが、お話を聞いてみると、意外にも自分の問題や考えていることと同じだったり、問題自身の次元やレベルは異なっていても、象徴的には同様であることも多々あります。
これは基本的には皆が奥底で海のようにつながっているからだとも推測され、集合的な意識を思い浮かべることでも理屈がつくことなのかもしれません。
また私は、自分の問題が人のそれと共通することには、深層で皆がつながっていることとは違って感じられることもあります。
人の魂は一人に一つと想像されがちですが、もしかすると複数あるのかもしれません。
輪廻転生説でも、巷ではひとつの魂が違う過去生を、一人の人間として生きてきたというように考えられている場合が多いように思います。
しかし、たくさんの魂が一人の人間に集合的に入るのだと想定すると、他人の過去生も自分の過去生として体験されてきたということになります。
そもそも人口も時代とともに増加していますし、単純に一人の人間の魂がそのまま繰り返し転生するのだとは考えにくいところがあります。
いわば分霊(ほかの生物も含めて)であったり、普通の時間概念を超えて、過去・現在・未来にわたって同時に存在することもありうるかもしれないのです。
そのように考えてきますと、この「自分」という意識の中には複数の魂が宿っていて、もしかすると、今のこの現世においても、自分として生きつつも他人として一部を生きていることもあるのではないかと想像できるのです。
この考えを究極的に拡大していきますと、結局、自分は他人でもあり、人間全員一部は自分だということになります。
ということは、自分の問題に取り組めば他人も救われ、人類全体に寄与していくことにつながります。そして逆もまた真なりで、人の問題を解消することに努めれば、自分にもそのまま貢献していくことになるわけです。
おそらく、タロットリーディングにおいて自分に何らかの形で関係してくるような問題を持つクライアントに遭遇するのも、自分の魂が引き寄せているのでしょう。
まさに人は自分の鏡でもあり、自分の一部でもあるのです。そして協力者やアドバイザーのこともあるでしょう。
人と出会い、和合していくのは、自分の分かれた分身との統合を少しずつ果たしているといってもいいかもしれません。
もちろん人同士交流が起こると、トラブルや行き違い、争いごとも発生します。それでも、どこかで化学反応し、目に見えない微細な部分で両者(自分と自分)の統合が図られているのではないでしょうか。
相手に自分を観て呼びかけるようなコミュニケーションを図ると、これまでとは違った関係が築けていけるような気が私にはしています。