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タロットが読めない理由 頭が固い人のために。
タロットを学習していても、なかなかリーディングができないことがあります。
それにはいくつかの理由が考えられます。
まず大きくわけてふたつの理由が見つけられます。(ただし、ここで述べるものは、カモワン流の読み方やそれに関連することになります)
ひとつは、技術(テクニック)的なこと、
そしてもうひとつは、知識的なことによるものです。
どちらも不足していては当然ながらうまく読むことはできません。
しかしながら、このふたつ以前に、読めないことには大きな問題と理由があるのです。
それは「イメージ(想像力)」が欠如している(から読めない)」ということです。
正確にいえば、実はイメージする力はもともと誰しも持っているのですが、イメージしていることを意識することができていないといえます。
たとえていえば、映写機は回っていて映画を映してはいるものの、自分自身はその映画館の中に入っていないといえるものかもしれません。
つまり、イメージを引き出していない、イメージしている自分のイメージがとらえられないということです。
言わば、イメージの倉庫からある事柄に関連するイメージを棚卸ししてくる(取り出してくる)という一連の回路が(ルート)が未発達、あるいは使われず蜘蛛の巣がはっているかのようになっていると考えられます。
そこで、その回路をつなげ、開発して太くしていくと、イメージはかなり取り出せるようになります。その状態が「イメージがわくようになった」と感じていることなのです。
普段今の私たちの生活の中では、なかなかイメージする・想像するということをしなくなっています。情報にあふれ、イメージや想像をしなくてもすぐにわかるようになっているからです。
待ち合わせですら、今は携帯電話がありますから、たとえ約束の時間に相手が現れなくても、携帯などで連絡すれば理由は相手が説明してくれるでしょう。これが昔は想像力を働かせて、「どうして遅れているのだろう?」といろいろと類推していたものなのです。
また映像や動画も発達し、かつては文字から自分で頭でイメージしていたものも、今では簡単に誰かが(あるいは自分で)道具を使って視覚化してしまうという時代です。
というようなことですから、便利になればなるほど私たちはイメージ力・想像力を働かせないようになってしまうわけです。だから先述した「回路」が詰まるということにもなります。
ほとんど使わなくなっていた回路を再び活性化させるには、少し時間がかかります。頭が固いと言われる人、正しさばかりを追い求めてきた人、安全策をいつも求めてしまう人、まじめすぎる人などは特にそういう傾向にあります。
でも多かれ少なかれ、皆大人になればある程度の常識で固められて、自由な発想というものはできにくくなっています。
そういった固まってしまった頭と心に柔軟性を持たせ、さらにイメージする力の(イメージを取り出す)回路を開くためにタロットはとても有効なのです。
タロットリーディングがうまくできるようになればそれはそれでよいことですが、大切なのは「目的」だけではなく、「過程」にもあるということを覚えておきましょう。そうすればリーディングできずに気落ちするだけのことにはならなくなります。
タロットが読めない理由は段階的にももっといろいろとありますが、それについてはタロット講座等でまた説明していきます。
月のカードを他のカードとの関連で読む。
昨日は満月でしたね。
あいにくこちら関西では天気が悪く、雨が降っていました。全国的にもあまり天気はよくなかったようなので、月は見えにくかったでしょうね。
タロットカードでも月のカード(名前もそのまま「月」です)があることは知られています。カモワン流での解釈としては難しいと思われる部類のカードでもあります。
これをリーディングする手がかりとしても以前にも何度か書いてきましたが、今日はまた違ったアプローチでお話してみたいと思います。
それはカモワン流のタロット絵図、タロットマンダラ縦列を意識して考える方法です。
タロットマンダラで「月」のカードが位置するのは、最上段真ん中になります。これを縦に下へ降りていくと、次に「力」のカード、そして「皇帝」へとつながっていきます。
この三枚の下降に至る過程はいろいろなものが示唆されていて、非常に興味深く、「関西カモワンタロット研究会」でも幾度もテーマに採りあげられてきた部分です。
ですが、今日は「月」をメインにして解説します。
月は太陽の光を受けて輝くように、私たちの想念が投影されます。まさに「鏡」なのです。
ですからタロットカードが「心を映し出す鏡」のような存在であるとすると、月のカードはそれを表す象徴みたいなものといえます。
また投影するだけではなく、増幅していくこともあります。光が差し込んだ「鏡」をイメージしてみると、ビームのようにピンポイントで反射していく様がわかると思います。太陽よりも月が小さい分、凝縮されたビームとなるのです。
言ってみれば、想念の拡大と、反対に収れん(集約)が行われるということです。
鏡なのですから、良い想念ならばそのまま良いものが返り、悪いものなら悪いものがやはりそのまま反響します。そして重要なのはそれらが、「拡大、集約」されてくることもあるということです。
そのことを示すのが、次の「力」であり、そして最終的な結果を示す「皇帝」なのです。
拡大して収れんしていくことは、イメージが次第に色濃くなってリアルになるということです。そうすると、イメージの密度が重くなり、物質化に近づいてくるというメカニズムもあります。
「力」は精神や心理のコントロール、皇帝は「地上」に降りる結果だと言ってもよいでしょう。ともに「拡大」を意味する象徴があるのもタロットのすごいところです。
余談ながら、神秘家のシュタイナーは、月は地球から分離したと述べており、タロットマンダラ月の縦列を見ると、それらを想像することもできます。(皇帝はもっとも「地上」や「物質」、「現実」を意味します)
結局、「月」は今ある思いがそのまま反映されるということがカギとなります。であるならば、今の想念をどう見つめるかが重要であり、これを変えていったり、コントロールしていったりすることで、現実に起こる(反映される)ことも変化するということになります。
「月」のカードに二匹の犬のような動物が描かれているのは、自分の心にあるふたつのものを映し出し、それらをどのように扱って、どう方向付けていくのかが問われているといえます。
もっと象徴の意味やカードの内容、カードを使った自分の心の見つめ方などを詳しく知りたい方は、是非マルセイユタロットを学ばれてみてください。
あなたの隠れている奥底の問題や、いい意味での潜在的な能力も「月」に投影するかのように、発見することもできるかもしれません。
気分転換の気持ちで、タロットで自分転換しましょう。
私の住んでいる兵庫県は、その昔、「摂津」「播磨」「丹波」「但馬」「淡路」と五つの国にわかれていました。
今でこそひとつの県になっていますが、地域的にはだいたいその五つの性格が存在するといえるでしょう。たぶんほかの地方からすれば、一都市・神戸のほうが有名で、県としての「兵庫」は色が薄いイメージかもしれません。しかし逆にいえば、それだけ多彩な顔を持つ県だともいえます。
ところで、次回開催のタロット体験会の場所は須磨というところです。須磨といえば、「源氏物語」や史実の源平合戦などでも登場する由緒ある土地柄で、関西では須磨と聞くと「海」というイメージが出ます。実際、神戸・大阪の通勤圏内とは思えない、都会と都会の間のリゾート的なスポットといえます。
先述の古い国名では、摂津、播磨、淡路の三つに関連する(接したり、見えたりする)場所です。
近くには名刹で、人によっては強力なパワースポットになる「須磨寺」 や、最近ある有名ブログで紹介されてから、にわかにパワースポットと脚光を浴びている「五色塚古墳」 (あえて写真のきれいな神戸市のキッズページをリンクしました)も、少し西に行ったところにあります。
ということで、ちょっとした観光を楽しみながら(外からの働きかけ)、ついでにタロットリーディングを受けて自分の課題を見つめ、よい方向性を獲得(内からの働きかけ)して帰るというプランはいかがでしょうか。
自分が「愚者」になったように、ふらっと出かけて秘密結社に出会うみたいなイメージです。(笑)
タロット体験会 は12月12日(日)、須磨の女性オーナーマンションにて行なわれます。海の見えるちょっとしたリゾート気分を味わいながら、カモワンタロットの神秘にもふれてみてください。気分転換のつもりが、自分転換になるかもしれません。
カルチャーセンターを含めて私の講座を受けていらっしゃる方々の参加もご自由です。本格的なカモワン流のタロットリーディングがどんなものか、体験してみられるのも勉強になると思います。
ちなみにもてなしてくれる女性オーナーは、伊勢がお好きな方なので、伊勢に関心のある人にも縁が広がるかもしれません。
★タロット体験会★
参加者のお一人ずつに、カモワンタロットにて公開リーディングを行い、皆さんで検討しあい、楽しみつつも問題や課題を見つめて解消に向けていくという会です。お問い合せ・お申込みはこちらまで。(ご質問でも何でもお気軽にお問い合せください)
●12月12日(日) 13:30~15:30
●定員 4名(今回は女性限定です) 残り3名
●参加費 2000円
●場所 神戸市須磨区内のマンション 申込者にお知らせします。
●お申込みはこちら から。(お名前と「体験会参加希望」とお書きください)
紅葉を見て、タロットの内的錬金術を思う。
ちょっと有馬・六甲(神戸の裏に当たります)を回って紅葉を見に行ってきました。
もうすでに時期的には遅くなっているのですが、それでもとてもきれいな紅葉を見ることができました。今月、あるいは来月初旬くらいまでは何とか大丈夫ではないでしょうか。
お勧めは有馬・六甲ロープウェーから見る景色です。特に有馬側から出発、もしくは到着する間際の景色は非常に美しいです。それは有馬の鼓が滝公園の上空に当たるので、もちろん鼓が滝公園に地上から行ってみるのもきれいです。(写真がなくてすみません。。。)
ところで、今年の紅葉は京都をはじめ、結構よい感じに色づいているようですね。理由は夏の猛暑があったので、結果的に寒暖の差が激しくなったため、そうなると色づきはよくなるからのようです。
つまり、温度の差、上下の落差、環境の激変が「色」「美しさ」を際だたせたということです。
これはタロットでいえば、「13」から「節制」に至る錬金術的変容だともいえます。(またはその前の「隠者」から「運命の輪」に至る過程でもあります)
自らを輝かせるためには、それなりの「温度差」に該当するインパクトが必要だということです。
それは溶鉱炉のように、すべてを溶かす熱い火のような環境のことかもしれません。そこに熱い・痛い(つらい)感覚が伴うものといえましょう。(炉やフラスコのような象徴はタロットカードには多く描かれています)
現在つらい環境・状況に置かれている人も、大きな温度差にさらされていると考えてもよいでしょう。
でもそれは木々の葉がやがて今の時期のように美しく輝くように、自分も周りからみるといつかは紅葉のように美しく、貴くも見えるようになるのです。
あなたのつらく苦しい体験も、自らを大きく変容させるためのひとつの過程だと考えられます。ですから、必ず出口や救済もありますし、ピンチだと思えることも、そのことから逆にチャンスになる得る可能性もあるのです。
また、楽に生きたい(安易な意味で)、何も変わりたくない、今のままがいいなどと強く思っていると、あなたを変えるために外側・内側からインパクト(衝撃)がやってくることになります。
どうやら人間というものは、この世界に生きる限りにおいて、いつも錬金術をさせられている(向上のための変化・変容を促されていく)ようだといえるからです。
決めたい時の判定装置であり、すばらしい道具
それはタロットです。
て言うと思ったよ、と笑われそうですが(^_^;)・・・本当にそうなのです。
人は何かに迷った時、まず目で見えるもの、聞こえるもの、さわってわかるもの、形あるものの中から情報を得ようとします。
文章や人の言葉、実際にある建物、数字、お金、人間関係・・・仕入れる情報は様々ですが、一応それは他人でも見たり、聞いたり、また人に説明できたりするものでもあります。
しかしながら、迷いも究極になってきますと、そういったいわば物理的で客観的な情報だけでは判断がつかなくなってきます。
こちらを取ればあちらが立たず、あちらがいいようで、でもこちらにも良さがある。並べるとまさに同列、損得的にも本当に同じなので(あるいはどちらもわからないので)決められません。
こうなると、次は精神的なものに判断基準を移行させていくようになります。
たとえば記憶に基づく経験をリサーチするかもしれません。また選択しようとしていることを体験した他人の「記憶」ということもあります。
それでもやはりわからない。そうするとこの次は、人間(通常感覚)を超えたものに頼るようになります。
神様、仏様、天使、精霊、ハイヤーセルフなど目に見えない次元の異なる存在(エネルギーや別次元の情報と考えてもよい)へのコンタクトがここに始まります。あるいは、自分が「神」や「普通の人を超えている」と信じている「人間」のこともあります。
ただし、そのような存在(人間も含む)は悪魔、妖魔、鬼などネガティブ的なものと表裏一体ともいえます。天使のように見えて悪魔ということもありうるのです。
それはともかくとして、結局迷いを終わらせるために、最終的には普通を超えたものへの「神託」のような形を取ることになるわけです。
これは通常での会話ではなく、目に見えないコミュニケーションだともいえます。ですからたとえ向こうから正しいものが伝えられていたとしても、こちらがそれを受け取る会話術を知らないと、意思疎通がきちんとできないことになります。(間違ったものを受け取るおそれがある)
言ってみれば外国の方と身振り手振りで会話して通じることもありますが、誤解を招くこともあるようなものです。そこにお互いが理解できる共通言語が必要なのです。
他存在との共通言語の種類は古今東西いろいろとあるといわれていますが、タロットもそのひとつなのです。タロットには、そうした特別な言語構造ともいえる絵と象徴で作られているからです。
しかしながら、受け取る側の人間にはその人のレベルと主観が入ります。それはたとえればあちらの言語に対して片言かペラペラかで、受け取る情報量と正確さも異なってくるということを意味します。
ですからタロットをしていても、自分では読みにくいことも生じます。それでは判定装置として意味ないではないかといわれそうですが、一人で固定した中でやっているだけではそうともいえます。
しかしこれも同じ言葉を学ぶ同志がいれば、判定装置の客観性も増してくるのです。
「私の問題をやってみたのだけど、こうタロットが出たの、どう思う?」と同学の人に聞いてみることで、一人だけのものより、正解に近づくこともできるでしょう。
もちろん単独で言語を極めていって精度を上げることも可能ですが、「言語」だけに会話を多くすることと、他の人との検証もやはり効果的なのです。
こうして一人で迷ったら自分でまずタロットをしてみて、普通の感覚ではとらえられない情報を「別存在」とのコミュニケーション(タロットが媒体)で受け取ります。
それでも自分の言語能力が未熟だったり、会話できるノーマルな状態ではない(極端に思い入れが強い時などの)場合は、同じ言葉を学ぶ人に手伝ってもらってコミュニケーションの精度を上げるということをします。
こうすると、少なくとも、今までの範囲内で迷うということは少なくなってくるでしょう。タロットを学ぶと、このようなことが可能となってくるのです。
※カモワン版マルセイユタロットをご存じの方は、今回のことは、「恋人」「審判」 「審判」の前の「太陽」などのカードをイメージすることをお勧めします。