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大掃除の意義をタロットで考える

クリスマスも過ぎると、いよいよ年明けに向けての準備で何かと慌ただしくなってきますね。


そして多くの人にとって、特に主婦の方にはちょっと悩ましいのが大掃除だと思います。


実は私は半分主夫的なところもあり(笑)、普段も料理や掃除・洗濯など、全部ではありませんがやっています。


まあ、料理は好きでやっているところもありますが(苦笑)、掃除は修行ぽいですね。


それでも年末に大掃除するという慣習がいまだ日本人の中に普通に根付いていることは、ある意味すばらしいことだと思います。


なぜなら、これは「家の浄化」だといえるからです。そして実は家の掃除をしながら、自分やそこに住む家族の浄化にもなっているのです。


単にこれは物理的にきれいにするという意味に留まらず、目に見えない溜まった心のほこりのようなものも取り除く働きがあります。


私たちは日頃発する様々な感情や思い、外から持ち込んできた思念・オーラのようなものを、知らず知らず家の中にためこんています


それを放っておくと、住む人間に悪い影響を与えてしまうこともあります。


「ちりも積もれば山となる」で、最初はほんの小さなゴミや歪みであっても、放置しておくとそれこそ無視できないエネルギーを放つようになるのです。


それを掃除により、まさにほこりを払うがごとく「祓う」のです。「祓い清め給え」と祝詞で唱えるがごとくの物理的行為といえましょう。


掃除はこのように物質と精神に働きかける浄化なのですから、ここに「思い」「心」を込めるとさらに掃除の効果が高まります。


言ってみれば、目に見えないほこりを思いや意志で浄化するというような印象です。


不思議なことに、掃除の行為(道具も含めて)をイメージすると、カモワン版マルセイユタロットでは、「正義」から「節制」のいわゆるタロットマンダラでの「天使界」に相当することに気がつきます。


掃除をもっとも象徴するのは「13」といえますが、「運命の輪」でも掃除機をイメージできますし、「隠者」も汚れをつぶさに見極め、もっている杖で積もったほこりを叩いているように見えます。


なぜ天使界のタロットたちが掃除と関係するように見えるのかは、この階層の意味とともに考えると、とても興味深い示唆が得られるでしょう。


大掃除は大変ですが、その効果は単に「部屋がきれいになる」だけではないことを考え、一年に一度の大浄化をイベント的に行うことを民族的習慣にしている私たち日本人の幸せを思うと、大掃除も少しは前向きで楽しくなってくると思います。


イヤーカードリーディングをあなたに特別提供します。

タロットにはいろいろな使い方、技法、占い方がありますが、そのひとつに「イヤーカードを見る」という方法があります。


イヤーカードについては以前の記事でもお伝えしました が、簡単に言えば「自分にとってのその年の課題やテーマ」といったものを表します。


時には運命やカルマを示すと考えられることもありますが、その年のテーマというようにとったほうがわかりやすいでしょう。


今はちょうど今年と来年の狭間、切替の時期にあります。


このような時に自分のイヤーカードがわかれば、今年を振り返って改めて成果を確認したり、整理したりすることができるうえに、さらに来年に向けての目標取組方などもタロットの絵柄の作用とともに、心の中にしっかりと刻みこれます。


いわば年明けのための心の準備が整うというような感じであり、自分がぶれていないかを確認する意味もあります。


ということで、このイヤーカードをもとにした特別リーディングを限定数で提供することにいたしました。


これは今年と来年のあなたのイヤーカードを記して、そのカードに基づくあなたの課題や、行っていくとよい内容などをシンプルに書かせていただくものです。


価格は新年に向けて皆様に輝いていただきたい思いから、特別サービスの意味を込めて1,000円とします。


クリスマス前のプレゼント企画 では今年リーディングを受けていただり、講座を受講していただいた方が対象だったのですが、今回は私のリーディングが初めての方や、どんな方でも対象といたします。(前回のプレゼント企画に応募された方は除きます。はじめてリーディングを受けられる方を優先します)


では皆様のご応募をお待ちしております。



イヤーカードリーディング


●あなたのイヤーカードをもとにしたシンプルなタロットリーディング

●価格1,000円

●限定 5名 

●対象はどなたでも

 (プレゼント企画に応募された方は除く。リーディング初回の方優先)

●お申込み

 「イヤーカードリーディング希望」とお書きの上、ブログのメッセージか、

こちらより 「リーディングご希望の方はこちら」の項目)お申込みください。

●注意事項

生年月日は必ずご記入ください。(イヤーカードを算出するためです)

何か来年に向けての問いやご質問があればお書き添えいただくと具体性が出ます。


タロットを描く

タロットリーディングにおいて、なかなかイメージがわかないので困ってしまうという方について、何度かこのブログでもその要因や対策についてお話してきたところです。


以前も 、まずタロットは画像であることから、「絵」そのものになじむことが大切で、その効用についても記したところです。


さて、絵になじむためには、実際に絵を眺めたり、映像を見てわき起こる感動からイメージを蓄積させていく(インプットしていく)という方法もあるのですが、反対に自分から絵を描いてイメージ力を高めるというやり方もあります。いわばアウトプットな方法ですね。


実はタロットを使ってそれを行うことができます。


といいますか、そもそもタロットリーディングの上達のためにイメージ力を起こすのですから、目的であるタロット自体が過程にもなるという面白いことになってきます。


それは一通りタロットの象徴の意味など学んだあとに、自分でタロットカードの絵を描いていくことです。


最初は忠実な模写(書き写し)でもいいですから、大アルカナ一枚一枚を見て、自分で絵を描きます。「愚者」のカードならばそのままフリーハンドな「愚者」を自分で描くわけです。


それから今度は、記憶に基づいたカードの絵柄をもとに、ある程度自分の思うそのカードの印象で新たに描いてみます


記憶に頼ることが難しい場合は、一枚、モデルとなるカードを目の前に起きつつ、最初にやったコピー的なやり方ではなく、ある程度自由に描いてみます。


たとえば、「愚者」の犬を変えてみるとか、風景や舞台を付け加えるとかですね。


ただ22枚全部は大変なので、自分の気に入ったカードや、シャッフルして一枚引きしたカードをその時のテーマにして描いてみるのもよいでしょう。


こうして実際にやってみると、自分にとって極端にイメージの出ないカード(記憶の薄いカード)などがよくわかります。


また一枚のカードの中でも、とてもあやふやな部分と、目をつぶってもはっきりと想像できる、あるいは見なくてもある程度描くことのできる箇所などがあることに理解が行きます。


それには意味があることもありますが、このことを考察するよりも、今は「タロットを描く」という作業によって、タロットの絵柄のイメージと、そこから派生する新たイメージを自分で確認していくことに意義があると見ましょう。


そもそも「絵」を描くということ自体、自分の中にあるイメージが起こらないと(あるいはキャッチしないと)できないことです。


だから、必然的にこの作業はイメージ力を強化するのです。タロットが題材ですから、タロットの絵になじんでくるのも当然となります。


ちなみに、タロットには絵のないまったく白紙のものもあります。


えっ? そんなの使えるの?と思われかもしれませんが、上記のように自分でタロットに絵を入れるためのものとして製作されています。


これはオリジナルなタロットを作るというよりも、やはり自己認識の過程・ツールとして使うと効果的だと思います。もちろん自分でタロットを作りたい人には下書き、プロトタイプ用として便利なものといえるでしょう。


物は試しに、タロットの絵を一枚でもいいので自分で書き写してみることをお勧めします。


一時間の天使

クリスマスイブの21時過ぎ、とある街角に「タロット占い」の看板が出ていました。

見ると男性の占い師が座っています。

「あの、占ってほしいんですが・・・」

と、お客が来ました。少し酔っているようで、しかも元気がない感じです。

「いいですよ、どうぞ、何を見ましょうか」

占い師に促され、お客の男性は語り出しました。

「この前、勇気を出して好きな人に告白したんですが、ふれられたんです・・・」

「今日みいたな日に町に出るなんて気持ちが暗くなるだけで嫌だったんですけど、かといって仕事の後すぐ家に戻るのも空しくて、ちょっお酒を飲んでふらふらとさまよっていたら、占いの文字が目に入って・・・」

「こんな私にまたいい人が現れるんでしょうか? もうお先真っ暗です。そもそも私の人生なんて今まで何もいいことなんてなかったですよ」

「占いなど信じてませんけど、これから先どうなるのか占ってくださいよ」

「わかりました」

男の話をじっくり聞いていた占い師は、そう言うと、タロットカードを男の目の前に置いて、

「このカードの束を、シャッフルと言って、裏向きによく混ぜ合わせてください。そして適当なところでストップしてください」と指示しました。

男は言われるままに、カードをくり、手を止めました。

「では、一枚ずつカードを4枚引いてください」 

こうして、テーブルの上には男が引いたタロットカードが4枚登場しました。

なぜか占い師は、ちょっと驚いたようなそぶりを見せましたが、すぐに普通に戻り、カードの説明をはじめました。

「えーと、向かって左から審判、愚者、節制、世界というカードが出てます、また全部逆さまですね」

「どんな意味なんですか?」

「一言でいうと、今の気持ちだとやっぱりうまくいかないことが続きますが、何かを変えると、あなたは“天使”に出会って、新しい世界に導かれるということです」

「何かを変える? わからないなぁ・・・それに天使なんていないでしょ、スピリチュアルっていうの? あんなの信じませんからね、僕は」

「そうですね、天使と言っても象徴なので、いろいろな意味があります」

「たとえばあなたは今でまったくいいことがなかったとおっしゃってましたが、見方を変えれば、あなたがいいことを見ようとしなった、または悲劇を選んでいたのかもです」

「そんなバカな、僕はホント悪いことばっかりだったんですよ、現に好きだった女の子にクリスマス前にふられたし・・・」

「最初と二番目に出た審判と愚者のカード、よく見てください、愚者はあなたなんですよ、その愚者は逆さになった審判のカードを見ている」

「ええ、そうですね、愚者が僕って、確かに僕は愚か者ですよ、どうせ・・・」

「いえいえ、そう意味ではありません。ちょっと変わり者に見えるというカードなので、愚者という名前はついていますが、本当ははすごい可能性を持つカードなんですよ。で話を続けますが、ほら、審判のカードに大きな天使がラッパのようなもので何かを告げているように見えるでしょ」

「あ、ほんとだ」

「このラッパが何かの“お知らせ”や“信じているもの”ととらえられるんです。つまりあなたは、過去に何か悪かったこと、自分にとって都合のよくないことを体験して、それが何度か繰り返されたことで、その記憶が強くなり、また悪いことが起こる自分ということを信じてしまったのです」

「簡単にいえば、バッドニュースのみの世界をあなたは見ているのです」

「まさか!」

「だから天使の“いいお知らせ、情報、助け”もあなた自身が拒否しているか、見ようとしていないんですよ。その証拠に愚者の隣のカードは節制ですけれど、これも天使でしょ、愚者であるあなたは節制の天使と背中あわせで関係ないような形になってしまっている・・・」

「いやだから、僕は天使なんて信じてませんし」

「そう、それですよ、“天使”はあくまで象徴です、現実的にあなたにとって手を差し伸べてくれたり、少しは助けてもらったり、ラッキーなこと、プレゼント的なこと、ほっとするようなこと、とにかく何かあったはずなんですよ」

「そもそもこうして生きられるのも、何かの恩恵があったればこそだと思いませんか? なかなかそう感じることは難しいかもしれませんけども」

「ふーん、まあ、そう言われればマシっていうくらいのことはあったのかもしれませんね」

「この前ふられたばかりで、かなりショックだというのはわかります。けれどももしかすると、それは本当に出会うあなたのパートナーがどんな人なのかに気がつくための出来事だったのかもしれません」

「そういうこと言われても・・・次出会う可能性なんてわからないですし・・・もうダメかもですよ」

「いいでしょう、ではこんな話があります。会社経営にも失敗、その時つきあっていた恋人にふられ、人生に絶望して死のうと思った人がいたのですが、今日のあなたのように、今までやったことも信じたこともない占いをたまたま受けたそうです」

「それで、その時にその人の引いたカードの意味が、やっぱり“今のあなたの思いのままだと悪いけれども、それを変えたり、やりようによってあなたの人生はとてもいいことになって行く”と言われたらしいんですね」

「僕とおんなじだ」

「で、占い師の解説を聞いている内にその人は、“まあ、死ぬ前に何かを信じて過ごしてみるのもいいか”思ったそうなんですね。占い師はその人に出たカードを渡して“希望をもってください”」と見送ったそうです」

「で、どうなったと思います?」

「さあ・・・?」

「なんと、それからその人に融資してくれる人が現れて、会社も新しく立ち上げ、新しい恋人もできて結婚して幸せに暮らしているそうですよ」

「へぇー占いも当たるんだ」

「いえ、大切なのはその人が占いをして、その後もカードを見るようにして考えを変えたからなんですね、どん底だったからこそ、変われたのかもしれませんが」

「僕にはよくわからないけれど・・・まあ、せめてその人のまねごとでもしてみようかな、このカードたち、僕にくれれますか?」

「ええ、いいですよ、その前に全部、逆だったものを正しい方向に変えますね」

占い師はそういうと、4枚のカードを逆さまから回転させ、すべて正面の正立にしました。

「あ、不思議だ、愚者と節制の天使が向かい合っている、最後のカード、何でしたっけ? 世界でしたか、これも真ん中の人物がたくさんの生き物に囲まれて楽しそうだ」

「そうでしょう、審判のカードもこうすると、何かとってもよい“お知らせ”が来ているように見えるでしょ?」

「そうですね」

いいことが起こると信じる、いいことがある世界だと信じる、そこにあなたは生きていると信じることですよ

「それが“天使”を信じるということですか?」

「そうかもしれません。このカードの形のまま、時々並べてみてくださいね」

占い師は男に4枚をのカードを手渡しました。

「料金はいくらです?」

「いえ、ボランティアなんで、いりませんよ」

「そうですか、本当にいいんですね。ありがとうございます、ちょっと気持ちがよくなってきました」

「よかったですね、きっといいことが起こってきますよ、希望を持ってください」

「ありがとうございます、じゃ」

男が立ち上がって帰ろうとしたその時、占い師が男に呼びかけました。

「お客さん、メリークリスマス!」

男は振り返り、ぎこちなく、

「あ、はい、メリークリスマス」と答えました。

お客の男が去った時、占い師の時計は22時を指していました。

「そろそろ来るかな」

「こんばんは、占ってくれる?」

今度は女性が現れました。占い師は時計を見ます。

22時4分。

「お客さん、すみません、もう店じまいなんですよ」

「それは残念」

「いえいえ、続きはマイホームでして差し上げますよ、奥様」

「それは光栄ね、だんな様に占いしてもらえるなんて」

二人はそう言って笑い合いました。

「でも、毎年一時間だけの占い師になる気分はどう?」

「そうだね、天使と一緒に仕事している気分かな、終わっても天使がやってくるし」

「そう、じゃ帰りましょうか」

「よし」

占い師はテーブルと看板を片付け、二人は一緒に歩き出しました。

「あなた、またそれ見てるの?」

「ああ、これはとても意味ある絵だからね」

「それタロットカードよね、確か占い師にもらったのよね」

「そう」

うなずいた彼の視線の先には、審判、愚者、節制、世界のタロットカードの4枚が輝いていたのでした。

終わり


ある人との強い関係は何か?

自分が出会った人には意味があるとよくいわれますね。


これは本当だと感じます。


特に時間も空間も、あるいは心理的に長くともにした濃い人は、何らかのまさに「(えにし)」と呼ばれるものがあるのだと信じたくなりますよね。


深い縁があるのかどうかはまた別としましても、やはりそのような人は自分にとってのある種のメッセンジャーであるのは確かではないかと思います。


恋愛などにおいても、「あんな人とつきあってしまった自分が情けない」とか、「どうしてあのような人と過ごしてしまったんだろう」と思うようなことは、あとになって結構あるものです。


しかし、後でどのような思いになろうとも、少なくとも、一緒に過ごしたという事実はあります。


これを「一緒に過ごさねばななかった」というように解釈してみると、違った視点が現れてきます。


あの人のせいでボロボロになったとか、あいつのおかげてこのザマだと悔やんだり、恨むこともあるかもしれません。


しかし「一緒に過ごさねばならなかった」という視点になると、何か自分が気がつかねばならないことや、それまでの自分からなにがしかの意味で修正を必要とされるタイミングに、特定の人と色濃く交流があるように思えてくるのです。


一口に「修正」と言っても、能動的・積極的・増大的な意味と、受動的・消極的・整理的意味があるといえましょう。


今まで知らなかった喜びや価値観を見いだすためにその人と出会ったということもありますし、反対に何かをそぎ落とし、現実的な方向に戻るためにある人と出会うということもあるでしょう


それがその時点の現象(見えていること、現れていること)としては、表面的にその人からの受ける苦痛であったり、快楽であったり、混乱であったりするのでわからないのです。


ところで劇ではシナリオが最初から出演者にはわかっているので、役者さんも自分が何をしているのか、相手が何者なのか、劇の上ではどのシーンにあり、どういった場面の意味を持つのかは理解しています。(これを理解せずに演じている人もまれにはいますので、演技が軽いものになりがちですが・・・)


しかし、人の実際の「人生劇場」では、シナリオも渡されていませんし(渡されているのかもしれませんが、忘れている)、舞台に降りてチェックしたり、ビデオで見返したりすることもできません。


そのため、自分と相手がこのシーンにおいて(出会って交流している時)、本当の意味でどの役回りをなのかということがわからず、ただその場その場でアドリブ的に演じるしかないわけです。


けれども面白いことに、人間(他人)はたくさん存在します。つまり、舞台の観客や、劇を支える様々な人たちがいるということです。


ですから、両者の関係が自分たちでわからなければ、ほかの人の視点を使えばよいということになります。


それが現実的には相談などにつながります。


ここにタロットリーディングを活用することもできます。


もちろん両者の深い縁や神の計画ともいえる二人の出会いと関係の真実はわからないかもしれませんが、少なくとも他者目線によって、自分で見えていない関係の意味に気付くこともあるでしょう。


またタロット自体がその第三者の目になることも考えられます。


そうして、他者目線によって混沌としていた二人の関係に光が差し、自分の感情の整理ができたり、癒しにつながったり、希望につながったりします。はたまた大きな意志や視点にも気がつくことになるかもしれません。(これはカモワン版の「恋人」カードがヒントとなります)


いずれにしても、最悪の関係に思えた人とでも、何らかの意味があったのだと見ていくと、そこにタロットカードでは救済の天使である「節制」をあなたは見ることになります。すなわち、救われるのです。



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