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タロット、南仏への旅で。
私はたまたまマルセイユタロットというものを学ぶことになったので、フランス、特に南仏の地を踏むことになりました。
もともとヨーロッパは好きだったのですが、歴史としてはあまり知識のあるほうではありませんでした。
学生の時も世界史は受験科目に選択するほど好きではありましたが、ヨーロッパ史は苦手といえば苦手でした。
何でもそうですが、たとえ最初はあまり興味はなくても、ある事柄に関心を抱き、それが好きになってきますと、それらにまつわる背景や歴史を知ろうとしたくなるのは人のサガかもしれません。
反対にいえば、何かに詳しくなろうとすれば、その対象を好きになることなのでしようね。知識(の習得)が感情に左右されるのも人間の面白いところです。
さて、タロットの勉強のために南仏を訪問することになり、やはり事前学習のようなものを自然に行うようになりました。
すると実際に行ってみると、訪問地での様々な歴史的建造物、土地(町)・自然などが、とてもリアルに、より感情をともなって見る(聞く)ことができたのです。もちろん説明してくれる先生のすばらしさもありましたが。
そういった知識的なこととは別に、不思議な感覚もありました。
皆さんにもあるかと思いますが、「ここは初めての場所ではない」「いつか来たことがある」「懐かしい・・・」といったような既視感(デジャヴ)のようなものです。
まあ、思いこみが激しくなったりすると、事実かどうかは別として、結構誰でも起こってしまうことではありますが(苦笑)、それにしても南仏の地には私にはそう感じさせるところが結構ありました。
特にカタリ派と呼ばれる中世に盛えたキリスト教の異教徒たちが多くいた土地土地には、本当に自分は何かここに関係していたのではないかと、前世・輪廻転生説を色濃く信ずるくらいの感慨がありました。
それから、これも奇妙なことでしたが、タロット(マルセイユタロットに流れる秘めたるもの)にまつわるいにしえの土地を訪問することで、それまで日本にいた時とは違うリーディングになってきました。
それは日本に戻ってからも数ヶ月続く、まさに不思議な感覚・フィーリングでした。
タロットカードでいうと、まるで「月」と「星」の間をさまよっているかのようなものです。しかしながら、そういったボンヤリとした中にいながらも、本質はクリアーに見える(わかる)というものです。
カモワン流タロットの創始者、フィリップ・カモワン氏は日本に来られた時も、「南仏のエネルギーとつながってリーディングする」と語られていましたが、そのようなものかもしれません。
この時以来、私は実際に訪れて感じるということの深い意味を学んだ気がしました。
タロットに限らず、あることがある場所に密接に関連するのなら、あなたもそこに行ってみることをお勧めします。
そこでしかわからない、目に見えないものがあるのです。
巡礼の旅は、何も巡礼地に行き着くことが重要なのではありません。その道中、旅路こそが巡礼者の心身に変容を起こすのです。
それは巡礼路の過程で起こる様々な外的な事件による内的変容もあるのですが、歩いている土地そのものにある種のエネルギーが流れており、その影響を受けるということもあるのです。
私は、南仏のタロットの旅はその「巡礼」だったと認識しています。
「あいまい」でもいいタロット学習の目的
タロットを習う目的は人によって様々です。
タロットといえば、世間的には「占い」という認識が普通ですから、まず「自分で占いができるようになればいいな」と思って学ばれる方は多いでしょう。
そのうち、自分だけではなく、他人(ひと)も占ってみたいと思うようになって、いずれお金を取って占う、リーディングするということに発展していきます。
本格的にプロのタロットリーダーやタロットを使う占い師になるためには、タロットの技術以外でもいろいろと学ぶ必要が出てきますし、もしそれをメインの仕事にしようという場合には、さらにフリーランス・自営業としてのビジネス感覚と知識、ある種の決意もいります。
そのため、一口にタロットを習う、するということでも目的や活用によっていろいろとわかれてくることになります。
大まかに区分すると、純粋に自分(個人)が楽しむ趣味のタロット、人と関わる趣味の延長から半公共(社会)的になるタロット、まさに仕事(公共・社会)としてのタロットが挙げられるでしょう。
よく、タロットを習う時に「自分はタロットを使って何がしたいのか」をきちんと決めたほうがよいという人もいますが(実際、私も場合によってはそう話すこともあります)、一概にそうとも限りません。
先ほどの区分でいえば、個人で楽しむ趣味のタロットと、人を占って少し役に立つ自分を実感する趣味の延長的なものの間を行ったり来たりするくらいの漠然としたイメージでいいこともあります。
タロットを習う方は女性が多いですから、実状は主婦やお勤めでほかの仕事をしているという方が大半です。
何もタロットリーディングを仕事にする絶対性はありません。
主婦の方ならば、ご主人の収入だけで経済的に自分の自由が効かなかったり、家計的に余裕がなかったりする場合に、人様をリーディングしてお小遣い程度に足しになるような報酬を得られるくらいでもずいぶんこれまでとは違ってくるでしょう。
ほかの仕事をしている方でも、休日や空いた時間にタロットリーディングをして幾ばくかの報酬をいただくことで、少し余裕を持つことができるかもしれません。
けれども、それ(タロット)一本で生きていくわけではありませんから、プレッシャーが過剰にかかったり、ビジネス的にあれこれ悩むことはなく、止めようと思えばいつでも止めることができて、とても気楽です。
実は経済的な観点から述べてはいますが、大切なのは心や心理の面なのです。
趣味でタロットをして、新しい世界や技術を学ぶ喜びを知り、さらにその延長線上で人をリーディングして(占って)お金をもらうことにより、経済的な部分と心理的な(私でもお役に立てているという)余裕を得るのです。
この余裕こそが心の安定、満足感につながり、自分に自信を持ったり、価値を見いだしたりすることに成長していきます。
タロットリーディングを行うことで、普段の主婦生活・仕事場での自分とは違う、活き活きとした自分や自分が中心となって(自主的・自営的に)人と関わる存在感などが感じられ、淡々とした、あるいは眠っていたような生活から脱却することも可能になります。
けれども、だからと言って、今の仕事や立場を辞めてプロになるということとはまた別であり、その、いわば中途半端な状態こそが、あなたにとってはベストということもあるのです。
物事が白黒はっきりしないあいまいな状態、それが今の自分にとっては最適ということもあるのだと理解してみてください。そのことを示しているのが、タロットカードの「月」だともいえましょう。
ここからカード的にいえば「太陽」に向かう人もいれば、「星」になる人もいますし、「審判」になる人もいます。またほかのカード(の象徴)に進む人もあって、人それぞれです。
気楽にゆるーくタロットとつきあい、趣味と半趣味の状態の間の、これまたあいまいに行き来するやり方も、場合によってはOKだということをお話いたしました。
はしごを降りてみる。
問題の解決には、次元という視点で見た場合、その(次元の)上下によって改善されることがあります。
たいていは上の次元・レベルによって問題解決に至ろうと努力するのですが、逆の下へ行くこと(下降)、つまり、次元やレベルを下げてみることで解決に向かうこともあります。
たとえば、仕事をしたり社会に出ることが怖くて引きこもっていたとしても、明日食べることもやばいよという状況に陥れば、一気に外に出ざるを得なくなり、たとえ仕事はいきなり無理でも、引きこもり自体は解決したという場合もあります。
またある組織がまとまらず、それには統一したルールがないからだと上からの視点でまとめようしたけれども、何のことはない、実はグループ内の二人の人間のいがみ合いから組織全体に派閥ができてしまって、ぎしゃくしていた・・・ということもあるでしょう。
目標にしても、いきなり高度な完璧なものを目指すより、さらに下へ落とした実現可能(現実的)なものにすれば急にやる気が出たり、自分にもできそうな気がしてきたりするものです。
ここから専門的になりますが、カモワン流のタロットリーディングでも、その次元・レベルの違いによって問題を解決していく手法が、ほかならぬカモワン流の展開法に備わっています。
まず、カモワン流には問題を表すカードとその解決を示すカードのふたつのカードが登場します。そして、展開法も大きく分けると上に上がっていくものと、下に下がっていくものがあります。
このふたつをうまく扱うことで、問題解決の視点を上下させることができます。
さらに、展開は複数のカードによって並べられていきますので、横にも広がりますし、縦にも階段状に積み重なっていきます。
問題に応じて出る展開は、その時その時で異なってくるわけですが、中には全体の展開図が本当に建物のように何段も階層を伴って出現することがあります。
あまり知られていないことですが、実はその出た展開図の階層自体にレベルや次元の違いが表されていると見ることもあります。
ノーマルなカモワン流の読み方では、過去・現在・未来にわたって時系列的に質問者の問いに関連したストーリーを読み解いていくのですが、そうした横の流れを基軸とした物語的なリーディングとは別に、縦の階層別に次元の異なりを読み解いていく手法もあるのです。
これはスポット的な展開の一部を取り出したリーディングになることもあります。またどの展開にも通じるやり方ではありません。
何を言っているのかさっぱりわからないかもしれませんが、簡単にいえば、ひとつの問いの中にある階層別の問題と解決方法と読み取るということです。
話を元に戻します。
皆さんも、何か問題があれば、自分の持つ「はしご」を使って次元を降りてみてください。上がるばかりではなく、下がることで簡単に解決することもあることを覚えておくと便利です。
その際の考え方としては、精神から現実・物質性へ、高いものから低いものへ、抽象的なものから具体的なものへ、統合されたものから分割されたものへ、集合から個別へなど想定すればよいでしょう。
結局のところ、問題はその人が「はしご」を使わず、いつもそこに留まろうとしているから解決策が見えないのであって、その場の上か下かへ移動してみれば案外と氷解してくものだといえるでしょう。
その「はしご」とは、様々なツールやメソッド、物の見方ということにはなりますが、タロットもとても有効な「はしご」になります。すでに気付いている方もいらっしゃるでしょうが、タロット(カモワン版マルセイユタロット)の中でも「はしご」を象徴するカードがあるくらいなのですから。
愚者の次に登場するもの、従うもの。
以前、ある方のブログで動画とともに、面白いことが紹介されていました。
その動画には、とある広場で一人の風変わりな人物がオリジナルなダンスを突然披露するものが映し出されており、その人物が踊っていると、やがて次から次へと次第に他の人もそのダンスをマネして行くようになり、ついにはそこに一大ムーブメントが起こったかのように広場全体が大きなダンス場と化してしまったというようなことが撮影されていたのです。
確か、そのブログでは、「最初に踊りを踊った人物も重要だが、それに追随しようとする人間が大事で、大きな流れを起こすには二番目の追従者が出るかどうかがポイントだ」と語られていたように覚えています。
これを見て、私が感じたのはまさにタロットカード(カモワン版マルセイユタロット)の「愚者」でした。
「愚者」の絵には、一人の旅姿の人物と、それを追いかけるような犬(動物)が描かれています。
そう、この人物と犬とが、先述した動画の「先行者と追従者」の関係に似ているのです。
最初に何かを起こすには、常識を超えた考えや行動が必要です。
先ほどの動画でいえば、いきなり珍妙なダンスを大勢の中で繰り出す最初の人であり、それには、「こんな場所でこんなことするのは恥ずかしい」などの常識で縛られた考えではできません。まさに「愚者」だからできることです。
しかしその「愚者」の行いを見て、自分も「愚者」になろうとマネをすることは、結構勇気がいります。おそらくその追従者は「愚者」ほどの常識はずれ、革命者ではないからです。
それでも第二番目の者が現れることにより、ほかの常識の人との架け橋、あるいはブレイクを促す人物となり、皆に「オレにもできるかも」「私もやってみようかな」という気分にさせたのです。
「愚者」はある意味天才かもしれませんが、その追従者である「犬」は天才でなくてもできることです。
ですからあなたは「愚者」が無理なら、まずは「愚者」の犬(第二番目の人、ムーブメントを起こす本当のきっかけの人)になればよいのです。
そのポジションはたとえば具体的にいえば、あるカリスマのオーガナイザーやプロデューサーであることもあれば、一番弟子やその分野での創始者を除く第一人者ということにもなるでしょう。単にいいことをされている人の第一のサポート役ということもあるかもしれません。
とびっきりの変な(常識では思いもつかない)ことは無理でも、そのフォローをしていく者には少しの勇気と行動力があればできます。このポジションを自分が一番先にやれるかどうかも重要でしょう。
最初の「愚者」は本当に愚者に見えても、追従者のあなたのやりよう、見せ方によってはその愚者をとんでもないカリスマ・聖者にすることも可能なのです。
逆にいえば、自分が愚者であるならば、犬に当たる人物も必要だということになります。
カモワン版マルセイユタロットでは、興味深いことに、その犬は動物や人間性を超えるもので象徴させられているのがすごいところです。
ということは、ある意味、この犬の立場・感性のほうが「愚者」より重要であったり、自分を「愚者」化するためには大切なことであると示唆しているのかもしれないのです。
カルチャーセンターでのタロット講座
京都新聞文化センターでのマルセイユタロット講座が昨日で終了しました。
引き続き、今回の講座の実践版を来年1月から3月まで行います。そこでサイクルがいったん完了し、また新しく4月から基礎編として新メンバーを募集してスタートする予定です。(詳細は京都新聞文化センターにお問い合せください)
ですから今年9月からの講座のタイミングが合わなかった方は、来年4月からの講座にお申込みください。
それから一度講座を受けた方でも、再受講して学び直すという方法もあります。私自身、旧タロット大学での講座を再受講して学び直した経緯があり、二回目を受講することで確認と理解がさらに深まる効果があります。
また4月から神戸でも、あるカルチャーセンターでマルセイユタロット講座を開講する予定です。これは詳細が決まりましたらブログでもお知らせしたいと思います。
私のタロット講座は、そもそも大阪のカルチャーセンターからスタートしています。ですからカルチャーセンターで教えることは私の原点でもあり、今後も続けていきたいと考えています。
カルチャーセンターにはいろいろなタイプの方が学びに来られます。
値段もお手頃ですし、何かと地域的には参加しやすい雰囲気がありますので、まずは気軽に趣味を習ってみるという感じで来られる人が多い傾向はあります。
でも中には本格的に学ぼうと考えていて、その前にはまずは様子見で入門してみたいという方もいれば、あまりその気はなかったけれども友人に誘われて、つきあいで参加しているという人もいます。
私はそういった、色々なきっかけ・思いで入られた方がいらっしゃるのを承知の上で、受講者の方がマルセイユタロットと接することのできる機会が得られたことに祝福を送りたい気持ちでいます。
一般的には現在日本では、どの地方でもマルセイユタロットではなく、他の種類のタロット講座が多いのが普通です。そんな中で偶然か、はたまたその人の何かのご縁なのか、マルセイユタロットに出会うきっかけとなったわけです。
そもそも「タロットが何のか」「どういう種類のものがあるのか」ということがわからないまま受講された方がほとんどでしょう。
そうした中で幸か不幸か(笑)、マルセイユタロット講座を選択してしまったのも、その人には意味があるのかもしれません。(まるで「恋人」カードのようです)
そして私の講座は、あまり「占い方」や「占い」を強調していません。それよりもタロットを使って、いかに自分自身を見つめていくか、人生にタロットをどう活かすかという「クオリティオブライブ(生活・人生の質)」の観点からタロットを教えています。
その副産物として相手をリーディングしていく、つまり占うことも含まれるのです。なぜならば相手は自分の鏡でもあるからです。(そしてタロットもまた自分の心の鏡でもあります)
私の伝えるタロットの道は、一見、とても遠回りなもののように思えるかもしれません。しかしながら、皆さんにはその遠回りの道すがらに、自分や他人、人生や社会、宇宙を見てほしいと思っています。私自身もその旅の途中にいます。
カルチャーセンターだけではなく、どの私のタロット講座に来られる受講生の皆さんにも敬意と、愛情をもってタロットを伝えます。
受講生の皆さんからすれば私はタロットの先輩かもしれませんが、皆さんは人生の先輩でもあり、たとえ年齢が下であっても、私の知らない経験もたくさんされていらっしゃいます。
カルチャーという響きに気軽さはあるものの、その実、皆さんの心の中にはそれぞれ深いものがあり、悩みがあり、また活き活きとした部分があり、そして神性なるものがあることを知っています。
そうした皆さんとともにタロットの時間が持てることは、私にとってこの上ない幸せなのです。
ではまた皆さん、タロット教室でお会いいたしましょう。
