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世界を広げるために、「世界」のカードから。

自分の世界を広げるためにはいろいろな方法があります。


タロットにもそのものすばり、「世界」という名前のカードがあり、これを見ることで「世界の広げ方」もわかります。


「世界」のカードには四方に動物(天使)たちが描かれており、中心の人物の周囲にはリーフがあります。(カモワン版マルセイユタロット)


つまり周辺や周囲が意識されるのです。


これを私たちの感覚で表すとすれば、いわば限界や境界を示すと考えられます。行動的にいえば、実際に訪れた、なじんだと思われる範囲です。


皆さんも小さい頃を思い出してみてください。


最初は自分の家のほんの小さな範囲でしか動けなかったし、安心感が出なかったと思います。そして学校に行くようになると、今度はその学区内が自分の認識範囲となって、その中ではまさに「自分の世界」となっていたことでしょう。


こうして自分の成長と行動、人との交流などによって、次第にあなたの「世界」は広がっていったはずです。


今ではもしかすると全世界に「自分の世界」が拡大されている人もいるかもしれません。もし宇宙に旅行できるような時代が来れば、地球以外の場所も自分の世界とすることが可能になることもあるでしょう。


結局、自分の世界はいかに自分が行動し、心理的にも安心感やホーム感が得られたという場所の範囲によって広がっていくということです。簡単に言えば、自分が知見できた範囲ということになります。


ですから単純に考えれば、できるだけ未知なる場所に自分の足を運び、自分の目や耳、心で感じる体験を積み重ねていくことで、自分の世界は拡大し続けるということになってくるでしょう。


じっと引きこもっていては世界は広がらないのです。


「世界」カードの4つは生き物で象徴され、実際の生の体験、足を向けた場所と範囲のように思われます。そして、真ん中の人物を囲むリーフこそが、自分の本当の意味での認識している世界、知っている世界の範囲なのかもしれません。


いずれにしても、それらはともに無限に拡大していくことがある象徴で示されています。


現実世界に生きているいまこの時に、自分の世界を広げるめためにも、皆さんもどんどんと足をいろいろな場所に運んでいくとよいでしょう。


シャドータロット

前にもお話したように、ちょっと今、ボクシングアニメに熱中している私です。(笑)


さて、ボクシングにもシャドーボクシングという、実際に相手と対戦せずとも、イメージで相手を想定して練習する方法があります。


私が教えているマルセイユタロットの場合、リーディング時には相手、つまりクライアントを中心として見ますので、リーダー(占いをする者)はカードを逆さまに見てリーディングすることになります


最初は自分向けから教えていますので、その後に相手を入れた実践練習になったとたん、とまどわれる方も多くなるということになります。


タロットカードでいえば、「吊るし」体験です。


反転して見る、今までとは逆さまの、別の観点で見るという経験が、大げさにいえばこれまでの世界観がぐるりと入れ替わるかのような錯覚を感じます。


ですから、今まで見えなかったことにも気がつくようにもなりますし、発想の転換も行われるのです。世界が違うのですから、考え方も当然異なってくるというわけです。


おっと、「吊るし」の解釈の余談に行きすぎました。本題に戻ります。


実践で逆さまにタロットを見なくてはならないということに慣れるためには、いきなり相手を交えて実際に行うよりも、まずはシャドー(影)として相手を空想の世界でイメージし、一人二役のような形で、自分一人でやってみることをお勧めします。


まさにシャドーボクシングならぬシャドータロットです。(笑)


これは単に相手がいないから相手を想像するという意味だけにとどまりません。


相手の人間、しぐさ、出てきたカードに対応する相手の問題への想像、相手と自分の反応なども含めた、総合的なイメージ想起の訓練も兼ねているのです。


タロットはいかにイメージを豊富に持つことができるかが問われます。想像力・イメージの力を鍛えることが重要なのです。


そういう意味で、シャドータロットは実践に向けた本当によい訓練になります。


相手をありありと想像することで、相手の悩み事、話し方さえ聞こえてくるようになれば、かなりいい感じでシャドーができているといえましょう。


もしタロットリーディングのアニメがあれば、主人公がシャドーをしながら、


「よーし、クライアントの姿と言葉をとらえたぞ!」


と叫ぶようなものですね。(笑)


シャドータロットのコツと、ここでは語らなかった本当の意味については、またタロット講座などでお伝えしたいと思います。


「女帝」、「13」、「運命の輪」で見る消費と生産

世の中、あれを生みだし、これもやり、それでこれを壊して、あれをやり直し・・・みたいなスクラップ&ビルド、創造と破壊の繰り返しによって、特にビジネスシーンなども回っているように見えますね。


創造と破壊は世の常、いわば自然のサイクルでもありますから、それも必然的なものといえます。


ただ、それに振り回され、無理矢理創造と破壊の輪の中に投げ込まれて、クルクルとラットレースのように回されていないか、気をつける必要もあります。


言ってみればそれは、一度消費させられて、その消費が終わってまた新しいものが外から生み出されて(提供されて)、さらにまたそれを消費させられるという「消費回転マシーンの獲物」に自分がなっているということです。


輪の一回転ごとにあなたの貴重なお金や時間が消えていきます。


タロットカード(カモワン版マルセイユタロット)で「創造」をもっとも象徴するのは「女帝」のカードです。そして、「破壊」を表すのは「13」だと言えましょう。


カモワン版のタロット絵図、タロットマンダラでは、「女帝」の前には「斎王」がおり、「13」の前には「吊るし」があります。「斎王」も「吊るし」もあまり動きを感じさせないカードです。どちらかといえば、貯めること(蓄積)、止めること(停止)というような意味合いも出てきます。


つまり、物事が動き出す(創造と破壊)前には止まった状態に見えることがあるということです。逆に言えば動きの前に静止状態、停止状態をとらねばならないということでもあります。


これに先ほどのクルクル回る消費回転マシーンのような「」を当てはめて考えてみますと(すでにお気づきでしょうが、これは「運命の輪」で表現できます)、間髪を入れず次々と動きがあるのは、自然のサイクルとしては違和感があることに気がつきます。


生み出されるもの(提供されるもの)と壊されるもの(使われるもの、消費されるもの)との間には、ある程度の蓄積や停止の「期間」がいるのです。


消費は破壊につながるとすれば、次にあなたは消費で失われた分を新たに創造するために、何かを生み出したい衝動にかられます。


この時、消費したものの中からあなた自身での「創造」がなければ、あなたの創造性のバランスを取るために、また外から供給されるもので自分の中の創造性を刺激し、それを買うなどの消費行動で代わりをすることになります。


たとえばお金を払って学んだ知識を活かして自分自身もお金を稼ぐことができたら、得たものの中からの生産(創造)につながりますので満足しますが、それができなければまたすぐに違う方法や技術を買う(学ぶ)ことをするというようなものです。


ですからいずれにしろ、ひとつの創造と破壊の間には、休息や停止、あるいは観察・蓄積の期間を置くということがポイントとなってくるのです。その間のエネルギーの蓄積や物事の整理が、外から振り回されないコントロールのできた行動と自分を呼ぶのです。


もちろんチャンスとしてすぐ動くことも大切です。しかし、操り人形のように回転マシーンの中に入り込んでいないか、そのことも注意深く自分を観ることも必要なのです。そのカギはタロットカードの「運命の輪」にあります。


タロットによって「神は在る」と知る。

皆さんの中に、「自分は取るに足らない人間だ」「大した価値もない」「特別な能力も何もない」・・・と思っている方はいませんか。


まあ、そうしたことを意識したり、考えたりすることすらしなくなっているかもしれませんが。ともかく日々普通に生きられて、何事もなく過ぎて行けばそれでよしと。


もちろん何気ない日常と日々大きな事件もなく無事に過ごしていけることは、とても「有り難く」、感謝を持つべき事柄だといえます。


しかし、自分の価値を貶め、または何も自分について考えもせず、ただ流されていくだけの人生は空しいものでしかありません。


ところでカモワン版マルセイユタロットにはグノーシスという教えが込められいます。これは簡単にいえば、「自分の中の神性を知る」「自分が神であると知る」というものです。


人は神に等しい崇高な部分を持つのです。


ただそんなことを言っても、現実的にはとても自分が神であると感じられないのが当たり前です。「自分は神だ」なんて言ったら、頭がおかしい人、何かにとりつかれた人と見られるでしょう。


また人間とは弱く悲しく、または傲慢で醜いものだと感じている人もいらっしゃるでしょう。


それでも私はタロットをやっていて、人と神性について、「はっ」と感じさせられたことがあります。


タロットカード大アルカナ22枚には心の元型、自分の分身としてのパートが描かれていますので、その中の一枚が表す事柄は自分の中にも存在していることになります。


たとえば「私には人を思いやる気持ちもないし、人を癒すなんてとんでもない」と考えていても、22枚のうちに「節制」というカードがあるのなら、自分にも「節制」のカードが示すような「人を救済する天使」のような部分があるのだと思うこともできるのです。


恋や仕事にうまく恵まれないと思っていても、それらと縁を持ち、うまくやっていくことの能力も、たとえばタロットカードの中に「手品師」や「恋人」のカードがあることで可能性としてはあるといえます。


つまり、「神」とはすべてのものが「在る」状態だと仮定するのなら、グノーシス的にはあなたにもすべてが「在る」と考えられるわけです。


その「在る」ということを認識する(知る、わかる)ことができれば、神(完全性)に近づくことができるのです。


「在る」ことを知るには、「無い」「足りない」と感じられる経験もまた貴重となります。


「無い」と思うことで、それは「在る」状態を知らないという「幻想」ではないかと気付くこともできるからです。何もしなければ「無い」ことすら感じることもできないでしょう。


「無い」と思わせる幻想は強力です。時には「悪魔」(タロットカードの「悪魔」にも関係します)によって、知らず知らず意識しなくても「幻想」でつながれていることもあります。(悪魔は悪いものというより、そういう「役割」だと考えてみましょう)


「在る」ことに気がつくのは、結構大変です。「青い鳥」の話のように、回り回って結局自分にもともと「在った」ことに気付くこともしばしばです。


「在る」ことに気付くこと」 そのためにグノーシス思想が込められたタロットカードを使って「在る」ことを実感していくのです。タロットカードにはそうした仕組みがあるのだと私は考えています。


あなたにありえないものこそが武器

最近ボクシング漫画をちょっと読んでいます。というかそのアニメを観ています。私のイメージとはかけ離れているかもですが、意外と拳法とか格闘技好きなところもあります。実際に痛い思いして闘うのはかんべんですが。(笑)


で、ボクシングではありませんが、いつもストレートばかり放っていてもいけませんので、たまにジャブのように軽くタロットネタを繰り出してみたいとも思いました。


さて、まじめタイプなのに実はケンカが強い、不良なのに勉強ができる、女性なのには男ぽくサバサバしている、男だけど心は女性(それ、単なるオネェです)、車好きなのに山登りが趣味、お坊さんなのにヤクザ稼業しているなんて話は、よくドラマでも登場する設定です。


他人から見たあなた、普段外に出している自分、これらと正反対のイメージのものを技術や特技として持っていると、突如あなたという存在が強く浮き出てきます


それは実はもうひとりの自分としての関係でもあります。むしろ社会生活で抑えられていた本当の自分を表現するためのきっかけになることもあるかもしれません。


以前タロットカードの「愚者」と「正義」について相補関係にある(どちらも自分にあって補い合っている)ことをお話しました 。正反対のものを意識すると、そこに明暗のコントラストがはっきりと出ます。だからあなたの個性が逆に強く出るようになるのです。


ということで終わります。(ジャブ記事は突然終わります。あとは皆さん自分で考えてくださいね(^^))


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