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タロットリーディングでも知識や情報は必要か。

という記事タイトルのような疑問をお持ちの方もいらしゃるかもしれません。


今回はそれについての私の考え方を書いてみましょう。

まず知識や情報といっても、タロットリーディングを想定した場合、大きくわけてふたつのものがあるといえます。


ひとつは、タロットそのものへの知識や情報。…1


これは図柄の象徴の意味、隠秘学、神話等も含めてのいわばオカルト(オカルトは変な意味ではありません、本来は隠された智慧という意味です)的な知識のことです。


そしてもうひとつはいわゆる社会的な知識や情報です。…2


これは平たく言えば、雑学も含めての「物知り」と形容されるような様々な情報と思っていただければよいでしょう。


実はこのふたつがあまりなくても、ほとんどの人は大まかなタロットリーディング(方向性がわかるというよなうもの)は可能です。


それはこれまでのタロット講座でも、まったく初心者の方が、タロットがいわんとしていることを心でとらえることができていたことからもわかります。


元来、タロットには誰でもタロットが表す内容を感じることができるような仕組みが備わっているからです。


しかしながら、タロットリーディングを安定させ、そのレベルを向上させていくためにも、1のことは知って学ぶ必要があります。


なぜならば、自分が何をリーディングしているのか、なぜそのように感じるのかがわからないままタロットを扱うことになるからです。


また、あることの価値を知るのにはその知識が必要です。


たとえば書道や絵画でも、誰が見ても美しい、整っていると感じる作品もあれば、鑑賞するための知識がなければ何を書いているのさっぱりわからない作品もあります。


しかし、知識があればその価値を計ることができますし、最初には気がつかなかった「美」というものがそこに立ち現れてくるのです。


そのほかにもカモワン流の場合では、そのリーディングの特徴から、知識があればあるほど深いリーディングにつながっていくことになります。


さらにいうなれば、直観やインスピレーションは、いきなりやってくる場合もありますが、多くは段階を経て、自分の中に蓄積ができてから、まるでその蓄積があふれるかのようになった時、突然降りてくることがあるのです。その蓄積こそが知識(と経験)なのです。


ただし知識偏重に陥ると、かえって型にはまり、自由な想像力が奪われることもあります。これは知識を翼として使うのではなく、知識そのものが到達点・目的・価値あることだと勘違いしている(意識していなくても、自分の癖になっている)場合に起こることです。男性にはありがちです。


さて、では2の知識や情報はどうなのでしょうか。


これもあったほうがいいと私は考えます。それもプロのタロットリーダーを目指す方には特にそう思います。


タロットリーディングは精神や心の分野に関わることが多く、気持ちの整理、気づきといったことで問題を解決していくことが多いのですが、具体的な解決策を相談者が欲する場合もあります。


コーチング的にタロットを使う時、相談者ご自身からもちろん気づきや方策を引き出すことが肝要ですが、タロットリーダー自身もいろいろな知識・情報を知っておくと、そのことが容易になります。


たとえば、仕事の問題で相談を受けていて、「今失業中で困っている、自分の道を探したい」と思っている相談者がいたとして、タロットカードでは「何か支援を受けながら自己の道を探求すればよいだろう」とリーディングできたとします。


ここで、タロットリーダーがもし公的な支援策をある程度知識として知っていれば、「たとえばハローワークでは経済的な面の援助と、自分の適性を知るテストなどやっていますよ」など伝えることができ、相談者にとって大きなヒントや安心感につながることになるでしょう。


とはいえ、知識や情報を入れるにしても、そうそうまんべんなくどの分野でも満たすことは難しいものです。


この時、逆に考えれば、自分の多く持っている情報や知識が自分の得意分野の相談になるということです。ここには経験から学んだ(身につけた)知識というものも入ってきます。


もともとある知識をさらに仕入れていく(学んでいく)ことによって、まさにその分野の専門家として特化していくことになるでしょう。最初からまったく知らない分野の知識を増やしていくより早いといえます。


ですが、やはりある程度の広い知識・情報は常にアンテナを張って入手していくようにしなければ、いつも漠然としたタロットリーディング、あるいは固定したリーディングになってしまうおそれがありますので、2の部分も強化していくことは無駄ではないと私は思います。






嫌な人間や状況に出会って考えてみること。

職場でもプライベートでも、おそらくほとんどの人は「ちょっとむかつく」という人(あるいは出来事)に出会った経験があるでしょう。


「ちょっとどころか、いつもその人に悩まされていますよ!」という声も聞こえてきそうですが・・・


それでそのいらだちから意識の転換を図るために、よくこういうことも聞かされたと思います。


いわく「嫌だと思う人は、実はあなたにとって成長の糧となる人」だと。


ですから、今更そのことを私がお話しても、「またかよ」と感じてしまうかもしれませんね。


けれども、私は全員が全員、出会った人で嫌だと感じる人間は、自分のためになる人(自分が原因であること)だとは考えていません。


明らかに自分には非はなく、相手に問題があることもあると思います。これを前世からの因縁などと言って、深く考えていたらキリがありませんし、場合によっては自分を責めることばかりにもなりかねないからです。


けれども、例えばヒューレン博士式の「ホ・オポノポノ」では、嫌だと感じたり、見たりする原因は自分の中の記憶(先祖から続く記憶も含めての膨大なもの)にあるので、その記憶を消去すればよいという考え方もあります。


それを適用すると、目の前の嫌な出来事も自分個人の人格的な責任ではなく、自分の中に関係する「記憶」に要因があるのだということで、その再生と消去に別の意味での自己責任があるということになりますから、自分自身を責めることにはつながらなくなります。


またカルマや縁起的(縁によって発生)な考え方においても、その嫌なことというのは、たとえ過去の自分に原因があったとしても、ほかの多くの人や出来事(過去も含む)との関連によって、まるで絡まった糸のように起こってきたことなので、原因をすべて自分に帰すことはやり過ぎの面もあるのではないかと推測できます。


さて、それはそれとしまして、いろいろと考え方はあるものの、やはり自分にとって嫌な人間というのは刺激になっていることは確かです。


この刺激が悪い意味での刺激である(と、とらえてしまう)から嫌なのであって、よい刺激のこともあるのだと思えば、幾分思い(心)の負担は軽くなります。


ところでタロットカードには「太陽」というカードがあります。このカードには仲の良さそうな二人の人物が太陽の下で、手を取り合って喜んでいる姿が描かれています。(カモワン版マルセイユタロットの場合)


バランスがとれている時は二人の関係も励まし合って、お互いを高め合うよい状態だといえますが、仲が良すぎてしまうとこれまた問題になります。


いわゆる内輪的発想、かばい合い、マンネリのような事態を生み出すのです。


人には常に居心地のよい状態を保とうとする働きがあります。


従って人間関係でも、「もうわかりあった」という仲の良い、馬の合う仲間達の間で固まろうとしがちなのです。


それはそれで楽しい時間が過ごせていいのですが、行きすぎると先述したような内輪ボケみたいなことになってしまい、考え方も固定したもので止まることが多くなります。


そのためかどうか、神様は本当によくしたもので、嫌な人間や状況をあなたに出会わそうとするのですね。


異質なものは確実に刺激になります。それは異質すぎて受け入れられず、不快な気分をあなたにもたらせます。


しかし、そのことが受容できた時、あなたはの旧来の枠は壊れ、新たな価値観の世界に参入します。


今までの自分を壊すには、異質な存在によって無理矢理にでも意識せざるを得ない状況が最大に効果的なのでしょう。


嫌な人間や出来事を無視したり、避けたりするのも自由です。全部受け入れる必要性もないのは、先述した通りです(現時点の私の考えですが)。


けれども、自分を拡大し、成長するための神の恩寵ととらえれば、また違った観点からそれらを見ることもできます。


タロットカードの「太陽」、そして「太陽」と象徴的に関連のある「神の家」はこういうことも示していると私は感じています。


タロットカード「13」に見る実際との関連の例

私のタロット講座でも常々言っていることなのですが、タロットリーディングを上達させるには、タロットカードが表す象徴と実際の事柄を当てはめて考えてみるということです。


実はこれは単にリーディング技術の向上だけではなく、さらに別の効果もあるのです。


それはタロットから現実世界への働きかけと変化を及ぼすことができるようになるというものです。


それはカードと物事のつながりを、ある種の目に見えない感覚のパイプでつなげていくようなものです。


そのパイプが太くてエネルギーの交流がスムースになればなるほど、現実に変化を起こすことも容易になってきます。ただし結びつきを深めていくのには多少の時間はかかります。


さて、そのような精神的メカニズムをふまえた上で、比較的タロットと現実がリンクしているということがわかりやすい例がありますので、ご紹介します。それ後、皆さん自身も考えてみてください。


それはタロットカードでいう「13」に関することです。


「13」のカードは大きな鎌をもった骨と皮の人物が描かれている、ちょっと人によっては気味悪く感じるカードです。


しかしながら、本当は強い改革力にあふれるすばらしいカードです。(カモワン流ではどのカードも等しくよいものと考えます)


その改革力は中の絵柄でいえば、まさに「大鎌」に象徴されています。鎌は刈り取るもの、そぎ落とすものです。


このことから、「13」はしばしば古いものを処分するということに関係することがあります。


実際にこのカードが出た場合、精神的にも物理的にも「何かを変える必要がある」と解釈できることがあり、そのためにはまず古いものを処分することが求められるのです。


多くは精神的なことでのリーディングにはなるのですが、しかしながら本当に家にある「古いもの」を捨てる(処分する)ことを示唆している場合もあるのです。


新しいものが入るためには、そのスペース分を空けておく必要があります。


これから訪れる幸運も、新しい人や新しい物も、もうあなたには必要ない、いやあるとかえってわずらわしくなるもの(あるいは気付いていても執着しているために捨てられないもの)を思い切って処分することで、流入してくるのです。


そして「13」の示唆を思いつつ、物理的な側面からも処分や掃除・整理を行うことで、スッキリした自分に変わっていくのがリアルに感じられていくことでしょう。


このような体験をして初めて「13」と「改革に伴う処分や整理」という事柄が結びついていくのです。


さらに今後、どうしても取り去れない悪癖や悪縁を絶ち切るような時に、「13」の力を思い出すと、何もしないときよりも前進しやすくなります。


こうして事柄→タロット タロット→事柄(実際)という図式を繰り返すことにより、人は自分も拡大していくことがてきます。ただし、世界を操ること(願望実現)が目的ではなく、それらはあくまでタロットと自分を探求していく過程でのひとつの現象に過ぎません。


本当は人間完成の道をゴールしていくことが目的なのです。


自分の価値判断で相談はしない。

少し前のことになりますが、何気にある文章を読んでいますと、ニートや働けない人のことを批判している内容に出くわしました。どうやら文章を書いた人が人様の相談の仕事をしている人らしいので、少し気になりました。


いわく、「仕事がないなら自分で作れ」「家から出たくないのなら、家でできる仕事をしろ」というようなものだったと記憶しています。


これはまあ、その通りといえばその通りなのですが、困っている当事者にとってはつらい発言になると思います。


「仕事がないなら自分で作れ」ということもわかるのですが、そもそも仕事の経験自体が少ないのに、仕事を作る方法なんてわからないでしょうし、何よりも「自分で仕事を作る」というモチベーションや気力が起こらないことに問題があるわけです。


誰しも「今のままではまずいな・・・」とは自分で思っていることなのですが、改善できない心や状況に問題があるので、ますますジレンマに陥り、苦しみつつもなすがままにしているわけなのですね。


何事も段階がありますし、自分の尺度や考え方で計っていたら、相談される立場にはなれません。まずは相手の弱っている面を考えないといけないでしょう。


「やれ!」といわれてもできないことを理解し、そのできない心はなぜなのか、そして少しずつできるようにする方向に導けないだろうかともっていくことが大切だと思います。


例えば健全な人でも、病気やおなかが減っている時に「そこの重い荷物、全部運んでおいて!」ときつく言われたら誰でもへこみます。


「この荷物を運んでもらいたいのだけれど、運べますか?大丈夫ですか?」とまずは相手を気遣って確認してあげることです。


そして、「ああ、お腹が減っていらっしゃるのですか。では食事してからでいいですよ、そうしないと運べませんよね」と運べない原因や理由を明らかにし、それを考慮します。


次に、「一気に処理する荷物の量が多いのならば、小分けにしたら運べる気持ちになるかもしれない」と、相手の問題状況の中でもできることを考えてみるということです。

それは、本人のとれる行動(方法)も一緒に検討するという意味でもあります。


そうしてやっと困っている人は重い腰をあげられるようになるのだと思います。


もちろんいきなり葉っぱかけたほうがいい人だっています。それはケースバイケースです。


ですが冒頭に紹介したようなニートの人に対しての言葉は、極端にいえばマリーアントワネットが飢えた民衆のことを聞いて、「パンがなければお菓子を食べればいいのに・・・」と言ったようなものです。(もっともこの言葉はでっちあげという説もありますが。。。)


まあでも、私の見た文章も、「動けるのに動けない本当に怠惰な人」に対して言っていたのかもしれず、まったく的はずれだったら申し訳ないことではあります。


ともかく、どんな状態にしろ、自分の価値観で判断するのは危険で、相手の立場を思うことが相談の基本だということが言いたかったわけです。


タロットが登場する作品いろいろ。

タロットはアイデアや物語を創造するのにはとてもよい道具です。


そのため、タロットを使って実際に小説や映画のヒントにしている人もいらっしゃると聞きます。


また反対に、タロット自体が創作に登場するものもあります。


タロットに興味を覚えている人、またタロット学習の途上でタロットのネタを探している人には、実際にそのような作品にふれてみるのも面白いでしょう。


とはいえ、映画ではタロットが出るものはあまり見かけないですね。(あるとは思うのですが、私自身の見た映画ではあまり登場していた記憶がありません)


それでも数年前でしたか、「タロット」という名前がズバリタイトルに出ていた映画がありました。

タロットカード殺人事件 [DVD]/スカーレット・ヨハンソン,ヒュー・ジャックマン,イアン・マクシェーン

ウッディ・アレン監督の「タロットカード殺人事件」です。私は見ていないのでわからないのですが、タロットは出るには出ても、あまり内容的には関連がなかったみたいですね。


一方テレビドラマ、そして漫画では結構題材として扱われているように感じます。


例えば、私も面識のあるステラ薫子さんのステラタロットを使ったドラマ「魔王」とか、記憶に新しいところです。


また韓流ブームの原点ともいえる「冬ソナ」こと「冬のソナタ」でも、チェ・ジウ演ずる主人公ユジンの友人がタロット占いができるという設定でしたし、ヨン様演じるミニョン氏とユジンの出会いの前触れとして、タロットカードの「運命の輪」が登場していましたね。韓国では占いやタロットが人気なのかもしれません。

漫画では「ジョジョの奇妙な冒険」でタロットが出たり、タロットをモチーフにしたスタンドという存在(特殊能力による妖精・分身みたいなもの)が設定されていました。
ジョジョの奇妙な冒険 1 (ジャンプ・コミックス)/荒木 飛呂彦

それから私は知らなかったのですが、「タロットウォーズ」という高校生タロット占い師が活躍する話もあるみたいですね。作者は実際にタロット占い師さんらしいですから、興味深いところです。

タロットウォーズ 1 (ホーム社漫画文庫) (HMB H 3-1)/氷室 奈美

ほかにも漫画にはいろいろとタロットを扱ったものは結構あるみたいです。皆さんも探してみてください。


あ、それから大事なことを忘れていました。


映画でタロットといえば、カルト映画の巨匠にしてカモワン版マルセイユタロットの製作者の一人、アレハンドロ・ホドロフスキー氏の作品があります。


直接タロットが出ていたか記憶が定かではないのですが(「エル・トポ」に出ていたような気もします・・・)、とにかくタロット研究はおろか、哲学・心理学・神秘学など、あらゆるものを研究してきたホドロフスキー氏ならではの奥深い内容と象徴がちりばめられており、一見の価値があります。


「エル・トポ」「ホーリー・マウンテン」「サンタ・サングレ」の三部作がDVDでもレンタルして鑑賞しやすいと思います。ただ内容は強烈ですので、気をつけてください。生理的にダメな人は全部見るのは難しいでしょうね。


エル・トポ [DVD]/アレハンドロ・ホドロフスキー,ブロンティス・ホドロフスキー,マーラ・ロレンツォ

ホーリー・マウンテン [DVD]/アレハンドロ・ホドロフスキー,ホラシオ・サリナス,ラモナ・サンダース

サンタ・サングレ 聖なる血 [DVD]/アクセル・ホドロフスキー,ガイ・ストックウェル,ブランカ・グエッラ

私は氏のタロットの使い方や観点はとても好きで、カモワン氏とはまた違った面白さがあると感じています。少しでもホドロフスキー氏の知識やタロットリーディングの活用法に近づきたいとさえ思っています。

それはもとかく、やはりタロットは絵ですので、作品としては漫画などには使いやすいのでしょうね。私も実は漫画か小説のネタとして、タロットをモチーフとした作品を考えているところです。もとは漫画原作者になりたかったところもあるくらいですから。(笑)



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