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ポジティブシンキングに苦労する人は、実際の行動をする。

将来のことに思い悩む人は多いでしょう。


ましてや今の世況です。


現実的な問題がいろいろと思い浮かぶでしょう。老後の生活・年金、配偶者、子供のこと、家のこと・・・悩み事は尽きないというのが普通です。


このような実際的なことには、やはりまったく準備しないよりも、計画的に考えて行った方が安心だと思います。


以前、あるところで生活のお金を貸す仕事をしていたことがあります。

そこに相談に来られる人を見ていますと、病気や失業など、急なことでのやむを得ない事情の方はわかりますが、中には根本的にあまりに無計画すぎる生活をしているため、当然そうなるだろうという方も少なからず見受けられました。


起きてもいないことにマイナスに心配しすぎるのも問題ですが、不安を抱えながら何もせず、「なんとかなるだろ」というのが一番いけないと思います。


心底楽観的な人は、たぶんずっと大丈夫です。絶対に自分はいつもOKだと確信しているからです。人生は不思議なもので(実は不思議でもないのですが)、確信したことは現実になります。


心の底から楽観的な人物といえば、タロットでは「愚者」となります。 「愚者」は本当にどうなろうと何も気にせず、どんなものにも変化することができると確信しているので、どこにいても無事なのです。(「事が無い」と「無事」は書きます)


ところがなかなか人は「愚者」にはなれません。


普通は自分が絶対に大丈夫だとは思えませんし、なにがしかの心配はあるものです。


安心できないことがあれば、それだけそれを思う(集中する)ことになりますから、引き寄せの法則ではないですが、心にいつも思うことは現実化しやすいので、実際に心配ごとが起こります。


このことはスピリチュアル系の方には耳たこくらい聞いたことのある話でしょう。そして、「だからいいことを思いましょう」と言われます。


とはいえ、人はどうしても気にしたり、心配したりする生き物です。無理矢理いいことを思うようにしても、取り越し苦労気味の人は、ついついマイナスのことをまた考えてしまいます。


私は、特にお金など現実的な面については、不安があればその不安にきちんと対処すべき(準備と行動をするもの)だと考えています。これは自分の経験からでもいえます。


先にも言ったように、愚者的に「何とかなるわさ」とそのことを本当に心から信じている人は、実際にも何とかなってしまいます。


そうではない多くの人は、不安を少しでもなくすように、分析し、考え、そしてやるべきことをしなくてはなりません。


お金のことで不安ならば、増やすか今の支出を減らすかの対策と、将来的な計画もしていく必要があるでしょう。


これはふたつの意味があり、現実的にお金の(あくまでお金のことが例ですが、そのほかのことも同様です)コントロールしていくことと、そしてもうひとつは心の不安を少しでも取り除くという意味があります。


不安や心配が少なくなれば、その分、気持ちも楽になり、ポジティブやいいことを自然に考えることもできるからです。


不安の高い人ほど、「もう、ダイジョブ(笑)」というくらい実際的な対応をするということが大切です。行動していることで、忙しさと持ち直している安心感も生じて、不安の気持ちが薄れていくという効果もあります。


もちろん魔法的には「愚者」になりきれば、準備も計画も何も必要ないかもしれません。


ただ普通は難しいので、現実的に行動をして心配を沈め、そしてその収まった心で愚者化していくといいますか、自分の枠をはずして変えていく工夫をすれば、本当に愚者に近づくことができるでしょう。


お腹がすいたら食べ物が出てくるのを祈るのではなく、実際に腹ごしらえ(する努力を)して、落ち着いたのち、感謝と安らかな気持ちでいつも食べ物に満たされるよう祈るみたいなものです。


恐ろしい自分の基準になっていませんか?

こんな話を聞いたことがあります。


ある二人の男性との交際をどうするか悩んでいる女性がいました。どちらにするか決めかねているわけです。


きっとどちらもすばらしい男性なので、迷っているのだろうと思いますよね。


そして女性当人も、「一人に決めないと自分も誠実な態度ではない」と考えているようです。


こう聞くと、「もてる女性だけど、それでもきちんと一人に決めようとしているいい人だな」と感じるかもしれません。


実はこの話にはオチがあります。


その二人の男性というのが両方とも奥さんがいるのです。つまりどちらをとっても不倫状態です。


誠実どころの話ではありません。ところが、恐ろしいことに、女性本人は不倫ということよりも、自分が二股かけることの不誠実さ?を悩んでいたというのです。


そして女性は、そもそも幸せな結婚を望んでいたとも聞きます。


結婚とは一対一の誠実な交際から始まるものと思っていたのかもしれませんが、それにしても、その相手が不倫関係となるのでは本末転倒ですよね。


ここまで極端ではないにしても、人は何かに迷っている時、信じられないような自分の基準で悩んでいる場合があります。


それは悩みというものは、人のことであっても結局自分の心に悩みが生じるからです。


いい意味では自分を見つめ、考えるきっかけにもなっていくのですが、自分にこだわるあまり、自らの狭い世界の中のルールにはまって苦しむことにもなります。


特に恋愛は「恋は盲目」というように、「好き」という感情が通常感覚の目を奪い、色メガネをかけさせられた状態ともなりがちですので、大きく曲がった自己判断になるおそれも大きいのです。


このことを考えるのに、タロットカードでいえば「恋人」カードに「正義」のカードを持ち込むとわかりやすいです。この二枚を関連させて見るのです。


恋人カードでは、恋に悩む青年が二人の女性を相手に迷っている姿が描かれています。いわば自己世界での判断の迷いです。


この状況では、上に描かれている天使の矢が、どこに刺さるかわからないくらい不安定なものです。時には自分を死に至らしめる危険性さえあります。

しかし「正義」のカードの人物の、裁判官のような客観的な目を持つことで、この天使の矢がぶれずに選ぶべきものに刺さることがあるのです。(または発射されない)

このように一枚だけではわからない意味も、二枚だと意味がはっきりすることもあります。

つまりは、カードのことに限らず、自分の世界にはまっていると盲目になりやすいので、違う人や物の観点を持ち込むということを述べています。

最初の女性のたとえでも、「あんた、それ、どっちを選んでも誠実じゃないですから!」とツッコミを入れてくれる人がいればいいわけですね。


(まあ、たぶんこの女性は「なんで?どこが?」と最初は聞き返すでしょうけれど。それほど自分世界への没入は怖いものなのです)


また、過程ではなく、目的(何をしたいのか、どうなりたいと思っていたのか)を思い出すと、案外独りよがりになっていた自分の判断に修正が加えられやすくなります。


タロットリーディングでの感性の違い

タロットリーディングはやはり感性といいますか、象徴とイメージの想起によって行われているところが大きいといえます。


それは当然のことながら、私たちが日常生活している時の実際的・物理的な感覚のものではありません。いわば目に見えない世界との関係を見るというようなことにもなってきます。


この目に見えない世界とのつながりを安定的に感じられる(つながることのできる)人は、普通では思いもつかないようなリーディングができたりします。まさに「スピリチュアル・霊的な」と表現できる読み方が可能です。


ただ多くの場合、「安定的に」という点では行かない(行っていない)ということも事実です。


カバラというユダヤ・西洋密儀による生命の木をものさしで使うとすると、いわゆるイエソドレベルを行ったり来たりということになるでしょうか。


それはリーダー本人の資質や体調、日々の精神状態、人格、訓練度合いなどによって変化するからであり、一度あるレベルを経験したとしても、それを自分で意図的にコントロールできるかどうかは別の話になるからです。


ただ一度でも経験すると、感覚は残りますので、経験していない人よりかは異なってくることは多いでしょう。


レベルを上げ、安定的なリーディングをするのには、やはり通常は訓練で培っていくしかないと思います。(訓練にはいろいろな方法があり、タロットに限りません)


それでも、カモワン版マルセイユタロットのリーディングにおいては、ある規則や法則を基本に置くことによって、自分の状態から起こるリーディング感覚のズレやブレをある程度防ぐことができます。


これは例えれば仕事に行く場合、自分の体調が少々悪くても毎日決まった時刻の決まった電車に乗れば、目的地までは何とかたどり着くというようなものです。

言ってみれば「タロットが教えてくれている」というようなもので、その解読方法を基本ルールとして知っておくと、自分がブレていても、「出たタロットに意味がある」と信用し、解読ルールをあてはめることで一応の回答や方向性が出るという考え方です。


いわば、読む人(リーダー)の霊的レベルで判断するのではなく、タロット自体の霊的なつながりで判断するということでもあります。これはタロットへの全幅の信頼がないとできにくいことでもありますが。

カバラでいいますと、私たちの日常経験しているマルクトレベルの「形」でタロットも見ていくということになりますが、これはレベル的には確かに低いとはいえ、一本柱が通っていると考えられますので、概ね方向性の間違いはないといえます。

柱が通っているというのは、たとえば音楽で「ド」という音がありますが、同じ「ド」でも高音の「ド」と低音の「ド」があって、聞こえてくる音の違いあるものの、皆「ド」という音で統一できているというようなことです。

さて、そうやってリーディングしながら、今度は自分自身の感性レベルも上げていく訓練を意識的に行っていくと、つながりは次第に容易さと安定さを増してくると考えられます。

そこまで難しく考えなくても、日頃の感覚を利用しながらまずタロットをリーディングし、次第に「違った意識で自分はタロットに向かっているな、読んでいるな」というものが感じられてくるようになれば、あなたに変容が起き始めている証拠ともいえます。

タロットにはそうした意識の変容装置としての仕組みもあるのです。


「運命の輪」の回転によって出会いを高める。

自分自身は恋愛に興味がないわけでもないし、普通に生きているのに、なかなか恋やお相手に縁がない・・・というような方は少なからずいらっしゃるでしょう。


言ってみれば「出会いがない」ということになるのですが、そういうと、ホント、身も蓋もないことになりますね。


出会いがないということは、冷静に見れば、結構物理的な要素が大きいのです。


単純に、異性のいる場所に行く(過ごす)機会が少ない、もしくは(特に結婚を意識した場合)恋愛対象に適した年齢層がいないということに行き着きます。


ならば、これも単純なことですが、機会がないのなら機会を増やし、層が違うのなら、適合した層の所へ出向くというのが「機械的な」解決方法です。


では、それができないという場合、どうすればよいのでしょうか?


ひとつには、できないということは、「したくない」もしくは「このままでもよい」という変化への心理的抵抗があると見ます。


ですから、その心理的抵抗を探ってなくせば物理的なものへのアプローチはしやすくなり、出会いのチャンスは自然に増えることになります。


ただその抵抗を処理するのがあっさり行く人と、なかなかに難しい人とがあります。


さて、実はもうひとつ出会い力を高める方法があります。


それはタロットでいえば「運命の輪」に象徴されることですが、自分の流れ、回転を変えるということです。


多くの人は平日仕事し、家に帰り、休日にリフレッシュし、また働く・・・というルーチン的な日常を繰り返しています。


いったんこの流れに埋没すると、実はとても楽なのです。習慣みたいなものなのでオートマチックに生活をしていくことができるからです。


ルーチンな生活は、運命の輪の回転があなたにとっては心地よい率であり、普通の回転でもあります。


ですから普通の運命しか起こりません。


ところが、恋愛というものは非日常的なものです。今までの普通の回転ではあまり起こりにくいのです。


出会いを起こすためには、通常のあなたの運命の輪の回転率を変える必要があります。


具体的には、あなたの日常の時間感覚、速度を変えてみるのです。歩く速さ、食べる速度、仕事の処理、睡眠時間・・・などなど。


けれどもこれは、何も「速度を上げる」ということを言っているのではありません。タイミングをずらしたり、変えてみたりするということ述べています。


ひとことでいえば、時間の変化をつけるということです。


また運命の輪の回転率は伝染しますので、出会い力や恋愛力、あるいは同性同士でも交際力のあると思われる人と一緒に過ごす時間を持つことも有効です。


こうすることで外からのリズムによって、あなたの回転も同調しはじめ、気がつけばあなたの日常の回転率が変わって、出会いの運命の輪を刻み出すことになります。


そう、まさ「運命の輪」の回転は、あなたの運命の人を連れてくることになるかもしれないのです。


タロットから見る、逃げるが価値(勝ち)。

「36計逃ぐるに如かず」という中国のことわざがあります。簡単にいえば「逃げるが勝ち」てことです。


これは意外と皆が忘れている重要な戦法だと思います。


戦法といっても、別に本当に戦うのではなく、人生における対処法ということで考えた場合です。


ところで話は変わりますが、カモワン版マルセイユタロット(以下、カモワンタロットと略称します)ではカードの人物の視線や動きの方向性を重視します。


ですからリーディング時には、視線を持つカードとその視線方向にある二枚のカードとの関係にも注目する必要があります。


たとえば「愚者」というカード。


向かって右方向に視線を持ち(正立時)、その方向への移動を示唆しているように見えますので、「愚者」は、その右側に来たカードの人物や事柄に向かって動いて行っていると読みます。


カモワンタロットを習う初期には、この「愚者」のことを「とこかへ向かう」存在だと認識します。それはそう最初に教えられるからであり、正しいことでもあります。


しかし、「愚者」は愚か者と書くように、そうそういつも明確な意図をもって目的地に向かっているとは限らないのです。


「愚者」のカードの正立時において、その愚者の移動していく方向は、視線を向けている右方向(カードを見ている人から向かって)になると先ほど述べました。


しかし、この場合、必ずしも愚者の右方向に存在しているものにひきつけられているということを意味するのではありません。


反対の左方向のカード(の人物、内容のこと)から「逃げている」「逃れている」ととらえることもあるのです。


「愚者」の逃げ足は速いです。(笑) またそのエネルギーには膨大なものがあります。


「愚者」は楽天的で、何物にもとらわれない、気にしないという人物であるので、逃げることもまったく厭わないのです。


逃げたらかっこ悪いとか、プライドが許さないとか、逃げないで立ち向かうことに意味があるのだとか、そんな小難しいことは考えないから「愚者」なのです。


「とにかくヤバイと思ったら逃げる」「命あっての物種」「君子危うきに近寄らず」「無理してドツボにはまるよりまし」「無駄なエネルギーを消費するより、スタコラサッサと逃げて別の所でエネルギーを使うほうが効率的だろ」・・・こんな声が愚者から聞こえてきそうです。


ロールプレイングゲームでも、自分やパーティー(仲間)ではとうてい相手に実力的に勝てないと思った時、いったんは退却するという選択肢が必ずあります。


もちろん逃げてばかりだと、ゲームですら、自分(の力)を成長させることはストップしてしまいますから、なんでもかんでも逃避を続けてしまうことは問題です。


でも無理して全滅したり、また一からやり直したりするよりも得策なこともあります。


特に男性は変なプライドを重視して玉砕してしまう傾向がありますから注意してください。


あえて無茶して自滅することを、逆に「一生懸命、死にかけになってやっているオレ、かっこいい」と勘違いしているドMな方が日本では多いので、それが効果的かどうか、意味があるのかどうか、もう一度冷静な目で見てみる必要性もあるでしょう。


今回は述べたことはふたつの意味があります。


ひとつは、カモワンタロットの視線カードの読み方の別例を提示したこと。


そしてもうひとつは、「愚者」のカードを例にして、人生には一時的には逃げてもよい場合もあるのだという発想を持つことをお話しました。


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