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タロットカードの「隠者」に見る、年を取った時の対処法

タロットカードで「隠者」というカードがあります。


いわゆる老賢人という姿で描かれているカードで、深い智慧と見識、経験を有している人物がそこにはいます。


私はタロットを教えている時、皆さんにカードに親しみをもってもらうため、よく冗談でこのカードを「おじいちゃん」と表現することがあります。


カードが問題状態で出た時、「古い考え方にとらわれている」「ある物の見方に固執している」「隠れすぎ」など、困ったじいちゃん(笑)ぽい話を交えてたとえに出したりします。


しかし本当に、このカードは年老いた時、私たちはどう対応すべきかということを教えてくれるような気がしています。


年を取ると肉体はだんだんということを聞かなくなり、動きはどうしても機敏にはできなくなるでしょう。


隠者」の人物を見てみると、ゆったりとしたローブを着ていて、それほどの動きはやはり見られません。

(余談ですが、映画スターウォーズのジェダイの着る服みたいな感じですね。スターウォーズは結構秘教魔法的な話です)


しかしその視線は鋭く、手にはランプを持ってじっと観察しているかのようです。おそらく心の中はスピード感あふれる洞察のインスピレーションが動き回っていることでしょう。


それがあまりにも早いので、一瞬で判断も下していそうです。(カードの順番では「正義」のカードの次が「隠者」であり、「隠者」の視線の方向に「正義」があることも興味深いのです)


それはまるで検索エンジンを一発クリックして、瞬時に結果を出す(しかし組み上げられたシステムと巡回する量は多重)ようなものです。


このように、「隠者」はたとえ肉体的な動きは若い時のようにできなくても、蓄積された膨大な知識と経験によって、無闇に動かずとも適切な回答を得ることができますし、内的にはとても能動的(心は豊かで積極的)なのです。


そして「隠者」の姿は、最初にも述べたように、私たちに年を取ったら何をすべきかということを示唆してくれています。


それは探求する、学ぶということです。


学生に戻るといってもよいです。つまり、何かを学び続けるということなのです。


学びは新しい知識や技術の習得を意味するだけではなく、自分自身を常に変えていくきっかけにもなります。性別、世代を超えた広い交流もあるでしょう。


そのことが、凝り固まりがちなお年寄りの頭脳と生活に柔軟性と活性をもたらせます。


また学びは自分を謙虚にします。

教えを講うわけですから、尊大な態度だと相手は教えたくても教えたくなくなります。


それに、自分の知らないことを知るということは、「ほぉ、こんな世界があったのか」「この年になってもまだまだ知らないことはたくさんあるものだ」と自分の小ささを知り、自然と頭(こうべ)を垂れることになります。


「隠者」の人物も表立って目立つわけではなく、その名前が示すとおり、隠れて謙虚です。


もちろんこれまでの自分の蓄積を誰かに伝えるため、反対に自分が教える側になってもよいのです。


けれども、それは年を取れば誰もが行うありがちな話です。むしろ、たとえ誰かに物事を教えていたとしても、自分が教えを受ける立場にもなることで、さらに豊かさは増すと考えられます。


タロットを学びに来られる方は、80代の方もいらっしゃいましたし、60代くらいの方なら珍しくもないくらいです。


私もそうした皆様にタロットを教えながらも、皆様の豊富な人生経験から逆に学びを受けることも多々あります。


年を取ったら、是非新しい何かを学びに行かれることをお勧めします。


ポジティブシンキングに苦労する人は、実際の行動をする。

将来のことに思い悩む人は多いでしょう。


ましてや今の世況です。


現実的な問題がいろいろと思い浮かぶでしょう。老後の生活・年金、配偶者、子供のこと、家のこと・・・悩み事は尽きないというのが普通です。


このような実際的なことには、やはりまったく準備しないよりも、計画的に考えて行った方が安心だと思います。


以前、あるところで生活のお金を貸す仕事をしていたことがあります。

そこに相談に来られる人を見ていますと、病気や失業など、急なことでのやむを得ない事情の方はわかりますが、中には根本的にあまりに無計画すぎる生活をしているため、当然そうなるだろうという方も少なからず見受けられました。


起きてもいないことにマイナスに心配しすぎるのも問題ですが、不安を抱えながら何もせず、「なんとかなるだろ」というのが一番いけないと思います。


心底楽観的な人は、たぶんずっと大丈夫です。絶対に自分はいつもOKだと確信しているからです。人生は不思議なもので(実は不思議でもないのですが)、確信したことは現実になります。


心の底から楽観的な人物といえば、タロットでは「愚者」となります。 「愚者」は本当にどうなろうと何も気にせず、どんなものにも変化することができると確信しているので、どこにいても無事なのです。(「事が無い」と「無事」は書きます)


ところがなかなか人は「愚者」にはなれません。


普通は自分が絶対に大丈夫だとは思えませんし、なにがしかの心配はあるものです。


安心できないことがあれば、それだけそれを思う(集中する)ことになりますから、引き寄せの法則ではないですが、心にいつも思うことは現実化しやすいので、実際に心配ごとが起こります。


このことはスピリチュアル系の方には耳たこくらい聞いたことのある話でしょう。そして、「だからいいことを思いましょう」と言われます。


とはいえ、人はどうしても気にしたり、心配したりする生き物です。無理矢理いいことを思うようにしても、取り越し苦労気味の人は、ついついマイナスのことをまた考えてしまいます。


私は、特にお金など現実的な面については、不安があればその不安にきちんと対処すべき(準備と行動をするもの)だと考えています。これは自分の経験からでもいえます。


先にも言ったように、愚者的に「何とかなるわさ」とそのことを本当に心から信じている人は、実際にも何とかなってしまいます。


そうではない多くの人は、不安を少しでもなくすように、分析し、考え、そしてやるべきことをしなくてはなりません。


お金のことで不安ならば、増やすか今の支出を減らすかの対策と、将来的な計画もしていく必要があるでしょう。


これはふたつの意味があり、現実的にお金の(あくまでお金のことが例ですが、そのほかのことも同様です)コントロールしていくことと、そしてもうひとつは心の不安を少しでも取り除くという意味があります。


不安や心配が少なくなれば、その分、気持ちも楽になり、ポジティブやいいことを自然に考えることもできるからです。


不安の高い人ほど、「もう、ダイジョブ(笑)」というくらい実際的な対応をするということが大切です。行動していることで、忙しさと持ち直している安心感も生じて、不安の気持ちが薄れていくという効果もあります。


もちろん魔法的には「愚者」になりきれば、準備も計画も何も必要ないかもしれません。


ただ普通は難しいので、現実的に行動をして心配を沈め、そしてその収まった心で愚者化していくといいますか、自分の枠をはずして変えていく工夫をすれば、本当に愚者に近づくことができるでしょう。


お腹がすいたら食べ物が出てくるのを祈るのではなく、実際に腹ごしらえ(する努力を)して、落ち着いたのち、感謝と安らかな気持ちでいつも食べ物に満たされるよう祈るみたいなものです。


恐ろしい自分の基準になっていませんか?

こんな話を聞いたことがあります。


ある二人の男性との交際をどうするか悩んでいる女性がいました。どちらにするか決めかねているわけです。


きっとどちらもすばらしい男性なので、迷っているのだろうと思いますよね。


そして女性当人も、「一人に決めないと自分も誠実な態度ではない」と考えているようです。


こう聞くと、「もてる女性だけど、それでもきちんと一人に決めようとしているいい人だな」と感じるかもしれません。


実はこの話にはオチがあります。


その二人の男性というのが両方とも奥さんがいるのです。つまりどちらをとっても不倫状態です。


誠実どころの話ではありません。ところが、恐ろしいことに、女性本人は不倫ということよりも、自分が二股かけることの不誠実さ?を悩んでいたというのです。


そして女性は、そもそも幸せな結婚を望んでいたとも聞きます。


結婚とは一対一の誠実な交際から始まるものと思っていたのかもしれませんが、それにしても、その相手が不倫関係となるのでは本末転倒ですよね。


ここまで極端ではないにしても、人は何かに迷っている時、信じられないような自分の基準で悩んでいる場合があります。


それは悩みというものは、人のことであっても結局自分の心に悩みが生じるからです。


いい意味では自分を見つめ、考えるきっかけにもなっていくのですが、自分にこだわるあまり、自らの狭い世界の中のルールにはまって苦しむことにもなります。


特に恋愛は「恋は盲目」というように、「好き」という感情が通常感覚の目を奪い、色メガネをかけさせられた状態ともなりがちですので、大きく曲がった自己判断になるおそれも大きいのです。


このことを考えるのに、タロットカードでいえば「恋人」カードに「正義」のカードを持ち込むとわかりやすいです。この二枚を関連させて見るのです。


恋人カードでは、恋に悩む青年が二人の女性を相手に迷っている姿が描かれています。いわば自己世界での判断の迷いです。


この状況では、上に描かれている天使の矢が、どこに刺さるかわからないくらい不安定なものです。時には自分を死に至らしめる危険性さえあります。

しかし「正義」のカードの人物の、裁判官のような客観的な目を持つことで、この天使の矢がぶれずに選ぶべきものに刺さることがあるのです。(または発射されない)

このように一枚だけではわからない意味も、二枚だと意味がはっきりすることもあります。

つまりは、カードのことに限らず、自分の世界にはまっていると盲目になりやすいので、違う人や物の観点を持ち込むということを述べています。

最初の女性のたとえでも、「あんた、それ、どっちを選んでも誠実じゃないですから!」とツッコミを入れてくれる人がいればいいわけですね。


(まあ、たぶんこの女性は「なんで?どこが?」と最初は聞き返すでしょうけれど。それほど自分世界への没入は怖いものなのです)


また、過程ではなく、目的(何をしたいのか、どうなりたいと思っていたのか)を思い出すと、案外独りよがりになっていた自分の判断に修正が加えられやすくなります。


タロットリーディングでの感性の違い

タロットリーディングはやはり感性といいますか、象徴とイメージの想起によって行われているところが大きいといえます。


それは当然のことながら、私たちが日常生活している時の実際的・物理的な感覚のものではありません。いわば目に見えない世界との関係を見るというようなことにもなってきます。


この目に見えない世界とのつながりを安定的に感じられる(つながることのできる)人は、普通では思いもつかないようなリーディングができたりします。まさに「スピリチュアル・霊的な」と表現できる読み方が可能です。


ただ多くの場合、「安定的に」という点では行かない(行っていない)ということも事実です。


カバラというユダヤ・西洋密儀による生命の木をものさしで使うとすると、いわゆるイエソドレベルを行ったり来たりということになるでしょうか。


それはリーダー本人の資質や体調、日々の精神状態、人格、訓練度合いなどによって変化するからであり、一度あるレベルを経験したとしても、それを自分で意図的にコントロールできるかどうかは別の話になるからです。


ただ一度でも経験すると、感覚は残りますので、経験していない人よりかは異なってくることは多いでしょう。


レベルを上げ、安定的なリーディングをするのには、やはり通常は訓練で培っていくしかないと思います。(訓練にはいろいろな方法があり、タロットに限りません)


それでも、カモワン版マルセイユタロットのリーディングにおいては、ある規則や法則を基本に置くことによって、自分の状態から起こるリーディング感覚のズレやブレをある程度防ぐことができます。


これは例えれば仕事に行く場合、自分の体調が少々悪くても毎日決まった時刻の決まった電車に乗れば、目的地までは何とかたどり着くというようなものです。

言ってみれば「タロットが教えてくれている」というようなもので、その解読方法を基本ルールとして知っておくと、自分がブレていても、「出たタロットに意味がある」と信用し、解読ルールをあてはめることで一応の回答や方向性が出るという考え方です。


いわば、読む人(リーダー)の霊的レベルで判断するのではなく、タロット自体の霊的なつながりで判断するということでもあります。これはタロットへの全幅の信頼がないとできにくいことでもありますが。

カバラでいいますと、私たちの日常経験しているマルクトレベルの「形」でタロットも見ていくということになりますが、これはレベル的には確かに低いとはいえ、一本柱が通っていると考えられますので、概ね方向性の間違いはないといえます。

柱が通っているというのは、たとえば音楽で「ド」という音がありますが、同じ「ド」でも高音の「ド」と低音の「ド」があって、聞こえてくる音の違いあるものの、皆「ド」という音で統一できているというようなことです。

さて、そうやってリーディングしながら、今度は自分自身の感性レベルも上げていく訓練を意識的に行っていくと、つながりは次第に容易さと安定さを増してくると考えられます。

そこまで難しく考えなくても、日頃の感覚を利用しながらまずタロットをリーディングし、次第に「違った意識で自分はタロットに向かっているな、読んでいるな」というものが感じられてくるようになれば、あなたに変容が起き始めている証拠ともいえます。

タロットにはそうした意識の変容装置としての仕組みもあるのです。


「運命の輪」の回転によって出会いを高める。

自分自身は恋愛に興味がないわけでもないし、普通に生きているのに、なかなか恋やお相手に縁がない・・・というような方は少なからずいらっしゃるでしょう。


言ってみれば「出会いがない」ということになるのですが、そういうと、ホント、身も蓋もないことになりますね。


出会いがないということは、冷静に見れば、結構物理的な要素が大きいのです。


単純に、異性のいる場所に行く(過ごす)機会が少ない、もしくは(特に結婚を意識した場合)恋愛対象に適した年齢層がいないということに行き着きます。


ならば、これも単純なことですが、機会がないのなら機会を増やし、層が違うのなら、適合した層の所へ出向くというのが「機械的な」解決方法です。


では、それができないという場合、どうすればよいのでしょうか?


ひとつには、できないということは、「したくない」もしくは「このままでもよい」という変化への心理的抵抗があると見ます。


ですから、その心理的抵抗を探ってなくせば物理的なものへのアプローチはしやすくなり、出会いのチャンスは自然に増えることになります。


ただその抵抗を処理するのがあっさり行く人と、なかなかに難しい人とがあります。


さて、実はもうひとつ出会い力を高める方法があります。


それはタロットでいえば「運命の輪」に象徴されることですが、自分の流れ、回転を変えるということです。


多くの人は平日仕事し、家に帰り、休日にリフレッシュし、また働く・・・というルーチン的な日常を繰り返しています。


いったんこの流れに埋没すると、実はとても楽なのです。習慣みたいなものなのでオートマチックに生活をしていくことができるからです。


ルーチンな生活は、運命の輪の回転があなたにとっては心地よい率であり、普通の回転でもあります。


ですから普通の運命しか起こりません。


ところが、恋愛というものは非日常的なものです。今までの普通の回転ではあまり起こりにくいのです。


出会いを起こすためには、通常のあなたの運命の輪の回転率を変える必要があります。


具体的には、あなたの日常の時間感覚、速度を変えてみるのです。歩く速さ、食べる速度、仕事の処理、睡眠時間・・・などなど。


けれどもこれは、何も「速度を上げる」ということを言っているのではありません。タイミングをずらしたり、変えてみたりするということ述べています。


ひとことでいえば、時間の変化をつけるということです。


また運命の輪の回転率は伝染しますので、出会い力や恋愛力、あるいは同性同士でも交際力のあると思われる人と一緒に過ごす時間を持つことも有効です。


こうすることで外からのリズムによって、あなたの回転も同調しはじめ、気がつけばあなたの日常の回転率が変わって、出会いの運命の輪を刻み出すことになります。


そう、まさ「運命の輪」の回転は、あなたの運命の人を連れてくることになるかもしれないのです。


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