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「節制」に見る有効活用
マルセイユタロットでは「節制」と名のついた、二つの壺をもった天使が描かれているカードがあります。
ほかにも「星」という二つの壺を持った人物のカードがありますが、今回は「節制」に関してです。
「節制」、これはちょっと厳しい感じのする言葉ですよね。
「節制しなさい」というと、何かしかられているような気分にもなります。
たしかにこのカードは節約したり、抑制したりすることを意味します。
これらのことは「二つの壺から出ている水の扱い」から出ていることなのです。
節制の人物(天使)は、両方の壺の水を片方からもう片方へ移し替えようとしています。しかし一滴もこぼさない、無駄のない動きなのです。
ですからこのカードが出れば、あり余る資金で投資するというような感じではなく、限られた資源をうまく有効活用しましょうという意味合いになります。
すでに自分の中に、あるいは知っている誰かの中に活用できるものがあるとも言えます。
人は意外に無駄なことをしているものです。
今あるものの中から使えるものを探して活かすことができれば、それは自分にとっても真の意味で救済となるでしょう。
また、ひとつのものを有効活用するということだけではなく、重要なのは、「節制」の天使が二つの壺の水を交流させている、混ぜ合わせていることです。
これは自分の中の技術や考え方を合わてみるということや、文字通り、人と人とを交流させてみるということを表す場合があります。
カードの数の順序でいえば、「節制」は「14」であり、その前に「13」というカードが存在します。
「13」は究極までエッセンスを凝縮した状態ですので、混ぜ合わせる前にはかなり物事をつきつめていく前段階があることも意味します。
むやみやたらとたくさんの薬品を混ぜてしまっては、大爆発を起こしてすべてが吹き飛んでしまうおそれもあるからです。
薬(自分の技術や人的資源)が有効に働くのも、しっかりとした研鑽と研究、見極めが必要であるともいえましょう。
このことからも「節制」が拡大よりも、集中していくエネルギーになっていることがわかるのです。
人はあなたのことを見ているか?
カモワン版マルセイユタロットは、カードの人物の視線を重視したリーディング(解釈)をします。
視線の方向は、人にとっての関心の矛先を示します。
関心と言っても、よい感情(好意・親近感)もあれば悪い感情(悪意・嫌悪感)もあります。
この、「人から見られている」「注目されている」という感覚は、時に過剰に作用することがあります。
言ってみれば、ほとんとの人は自意識過剰状態かもしれません。
「自分は人からこう見られているかもしれない」「もしかしたら、これをするとかっこ悪いのではないか」など、人目を必要以上に意識してしまっているのです。
反対に人のことを自分はどう見ているのかを考えてみるとわかるのですが、好きな人など特別な感情を抱いている人を除いて、普通は人のことはほとんど気にしていないものです。
実は人は一番関心を持っているのは自分自身のことなのです。
自分に関していい意味でふれられる(賞賛・褒られる)とうれしいですし、逆に悪い意味(非難・貶められる)で取り上げられると怒りを抱いたり、心に傷がついたりします。
これも結局は自分に関係してくるからなのですね。
タロットでも相手を表すカードの人物の視線が、自分を示すカードに向けられていないことを知って、安心したり、意外に思ったりすることが実際あります。
結局自分が気にしているほど、人はあなたのことを見ているわけではありませんから、ちょっとくらいの冒険はやってみたほうが得だといえます。
あなたが人目を気にしなければならないほどの注目を浴びる時は、いわばあなたが超有名になっているか、よほど衆目を浴びるほどおかしな状況(笑)であるかと考えられますから、普段はもっと伸び伸びとしていても全く問題ないと思います。
コミュニケーションの量と人間関係
人間関係の上でもコミュニケーションは重要ですが、その量によって人間関係のトラブルの要因を見ることができます。
人間関係の問題は、コミュニケーションのバランスの問題によって起こってきていることが多いものです。
すなわち、コミュニケーションの過多か過少かによるということです。
わかりやすく言えば、伝えるべきものを伝えていないか、うざいほど伝えすぎているかの違いということになるでしょうか。
日本人は以心伝心的に相互を理解しあう(察しあう)ことで、言葉少なのコミュニケーションを取ってきた経緯がありますが、情報量が大量であることに慣れた今のこの時代、言葉足らずでは誤解を生む大きな原因となってしまいます。
また逆に人間の間の直接的なつきあいが希薄になってきている現在、相手のことに構わず、ただ一方的に一人が話してしまうこともあります。
もちろん量の問題だけではなく、質としてのポイントや、さらに時間的なタイミングの要素もからんできているのがコミュニケーションを取ることの難しさでもあります。
しかしながら、話し足らずか話しすぎの観点からでも、結構人間関係の問題を解決したり、見直したりすることは可能です。
このコミュニケーションの問題は、相手がいることなので、なかなか自分だけでは判断がつかないことが多いものです。
ですから、そのためにタロットを展開してみて相手と自分のコミュニケーションのバランスを察してみるという方法もとれます。
タロットにはコミュニケーションを示唆するカードや象徴が描かれているためです。
その根拠として、人は無意識の大きな海のようなもので奥底ではつながっているという精神世界での論理があるからです。
そしてタロットは、その無意識層のつながりを、ある図柄として象徴しており、それを読み解くことで目に見えない事柄も見える形で理解することが可能だという考えに立っています。
相手とのコミュニケーションを思いタロットを展開する時、すでになにがしかの無意識におけるコミュニケーション(の調整)は始まっているともいえます。
自分だけではなかなかわからないコミュニケーションバランスをタロットは見ることができますので、実際的にもタロットは有用だということがわかります。
うつにならないためにも、睡眠不足には気をつけましょう。
自分がうつ病になった時の原因はいろいろと考えられるのですが、中でも睡眠不足というものは大きな要因を占めていたように感じます。
うつ病前の一時期、私は仕事で非常に忙しく、普段十分に睡眠時間がとれない状況にありました。
また、たまの休みも、精神的な疲労や不安の解消に夜遅くまで遊んだり、活動したりしていたこともあって、必然的にかなりの睡眠不足に陥っていました。
睡眠は人間にとってなくてはならない生理的現象であり、疲れを取り、まさに体をリフレッシュさせてくれるものです。
よく「少々の徹夜でも大丈夫」と言ってかなり毎日無理をしている人がいますが、これは後になって確実に身体や心にダメージとなって響いてきますから注意が必要です。
無理をした分はどこかで補う(代償を支払う)ようになっています。
もちろん短時間睡眠法などで、短い時間でも効率的に体を休ませることもできないわけではないでしょうが、それでもやはり睡眠の質は問われると思います。
そう、一口に睡眠不足とは言っても、単に時間の不足が問題となるのではなく、その質の不足(悪さ)も重要なのです。
神秘学者シュタイナーによれば、人間は眠っている間に霊界(アストラル界・星の世界)に行き、そこで現実世界を生きるためのエネルギーを充填させて再び戻ってくるのだといいます。
このことから、霊的にも睡眠は非常に大切だということがわかります。
シュタイナーのいうアストラル界というのは、星や感情の世界のことです。
ですから、人は睡眠中にアストラル界に行くことにより、昼間に体験する様々な感情(ダメージであることもあり)を、整理・調整をしているのではないかと考えられます。
タロットカードでも「星」というカードがありますが、このカードの意味にも「調和」や「浄化」というものがあります。
このように見てきますと、睡眠の効果は体力的な回復だけではなく、精神の調整にも大きく働いているのではないかと想像できます。
睡眠の不足は癒しの宇宙や海に入ることをそれだけ少なくしていることであり、その分心身の回復も遅れるか、ダメージを残したまま活動することになると思われます。
また睡眠の質が悪い場合は、この癒しの世界に入りづらくなっているか、安定して治療を受けていない状態になっているようにもイメージできます。
ちょうど病院の受付から呼ばれているのに、別のことをしていて気付かなかったり、治療ベットにいるのに落ち着かず、ふらふらと病院内をさまよっていたりするのと同じ状況といえましょうか。
いずれにしましても、霊的なことを抜きにしても、睡眠はとても大事ですから、うつ病予防のためにもしっかりと眠るようにしておきましょう。
「オレ、体力あるから大丈夫」「今は睡眠を削ってでもやるんだ」「若いからOK」と思っていても、精神的なプレッシャーが重なれば、ふいに睡眠不足の影響は現れますから、本当に気をつけてください。
耐えるばかりが解決ではありません。
仕事やプライベートにおいて、つらいことや困難なことが人には起こってきます。
そうした場合、自分の学びとしてとらえ、これを克服する、逃げずに何とか改善していくということはとても尊いものです。
実際、そのほとんどは「自分が気がつかねばならないもの」「成長するためのイベント」だと私も考えています。
光も電流の流れる抵抗があって熱を出して輝くように、困難なことは自身を磨くことに貢献すると言ってもよいでしょう。
ただ、私はもうひとつ、「別の意味もあるのではないか」とタロットを扱っていて気付いたことがあります。
それは「今やっていることは、自分に合っていない」と気付かせるために起こっているということです。
まさに自分の性に合わないといいますか、あまりに適性に向いていないことをやっていると、やはり人より倍時間がかかったりしますし、大変さを感じる度合いも、ほかのことをやっている場合とではかなりの違いがあったりします。
また自分の所属している場所、行っていることが社会的・精神的・霊的に間違っているということも考えられます。
そうすると自分のエネルギー(体力的・心理的)の消耗も激しく、克服どころか、その前に自分が倒れてしまいかねません。
悩み苦しんで、「自分が悪いのだ」と自分を痛みつけ、最悪の場合、自ら命を絶ってしまう危険性もあります。
それは、あなたが悪いのではなく、あなたの選択している状況が間違っている可能性もあるのだと考えてみてください。(自分の選択という意味では自分にも責任はあります)
単純に職場や仕事を変えるということもありでしょうし、その前に、他人の目線や評価を気にして、避けることができるものを過剰に自分に課してしまっている場合がないかなど、点検すべきものもあるでしょう。
小説の「ドン・キホーテ」のように、愚直に立ち向かうばかりが解決策ではありません。自分の可能性を狭めているばかりに、逆につらい状況になってしまっていることもあるのです。(余談ながら、「ドン・キホーテ」の物語は非常に示唆に富み、私自身はかなり秘教に関係していると見ています)
ひたすら耐えるばかりではなく、もっと広い意味で智慧を使いなさいということを告げられているのかもしれません。
結局は、大きな意味で考えますと、自分に起こることはすべて学びやメッセージだと考えることができます。
