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お金とエネルギー

お金がエネルギーであるという考え方は、割とスピリチュアル的にはポピュラーなことです。


エネルギーということが難しければ、単純に「労力」と置き換えてみてもいいでしょう。


どれだけ労力を提供したか。それによって変換されて戻ってくるお金の量も変わるといえます。


それは肉体での労働だけを言っているのではありません。頭脳労働も当然入ります。労働というとちょっと誤解になってきますが、要は「力を入れたもの」「力をかけたもの」ということです。


ですからお金を求めるのならば、エネルギー・労力をまずは自分が出すことが必要だと考えられます。


労働以外でそれが思いつかない場合は、やはり「労働すること」が一番手っ取り早いお金の獲得手段でしょう。


さらに、「労力」だけではない、「もうひとつの観点」も重要です。


それは誰のためであれ、あなたのエネルギー・労力が、人や世間に役立つことであるかどうかということです。


ここでいう「役立つ」ということは、清い意味だけではなく、いろいろな意味で利用価値があるということも含みます。


ですから雇われて働く労働以外に労力の価値を提供でき、役に立つのなら、それはお金に換算されて戻ってくる可能性があります。


エネルギーや労力を放出することなしに、何もしていなければ、それは当然のごとく、何も還って来ないということになります。


さらに放出していても役に立つ価値(量)があまりなければ、それ相応の(少ない)ものとして戻ることにもなります。


これらのことはタロットでいえば、小アルカナにおける4つの組に当てはめることで、さらにメカニズム的な説明ができます。


ここで述べたことは特にシンプルにして書いたもので、これに小アルカナの4組理論を導入していくと、さらに面白いことがわかってくるのです。


それは次の機会に説明できればと思います。


幸せになるための視点

以前、タロットの中級コースの講座(発展コースと名付けています)のカリキュラムを作成している際に、こんなことがありました。


その時私は、「人の考える解決方法の視点とはどんなものがあるだろうか」と、それこそ「問題解決」に関する本を読んだり、いろいろと自分なりに考えていました。


そして「どんな行動をすればよいのか」など、ひとつひとつ「視点」を整理していたのですが、どうにも今ひとつ、忘れているものといいますか、大切な観点が欠けているように感じました。


タロットを展開してみると「世界」が出ています。どうもまるで私の今考えている「世界」とは違う「視点」や「考え方」が必要なようです。


タロットにより、なんとなくつかめてきた気がしましたが、ちょうど通りかかった、妻にも聞いてみることにしました。


「例えばモノを買うとき、どんなことを思う? もちろん、便利なのものとか、必要だからとかちゃんとした理由はあるだろうけれど・・・ほかに何かないかな?」


すると妻はちょっと考えてから言いました。


「運がよくなるためとか、幸せになるためとかもあるんじゃない?」


「えっ!? ああ、そうか!」


私はそんな視点があるのかと新鮮な驚きを感じるとともに、「これだな、タロットが示していて自分が忘れていたものは・・・」とはっと気がつかされたのです。


タロットと女性による柔らかな感性が結びついた瞬間でした。


「幸せになるための視点」


これは常識を超えることもあると思います。


この観点から見れば、選択はまたかなり違ったものになってくるでしょう。一段高い視点になる可能性もあります。


それは人にとって幸せの価値は違うとも言えますし、また根源的には同じとも言えるからです。


それ以来、タロットを展開する時、私はこの視点も大切にしていますし、中級講座でもお伝えしているところなのです。



タロットの非合理性

女性の方は気軽にタロットに接してもらえることが多いのですが、男性の方は占いというイメージで毛嫌いされていらっしゃるのか、なかなか入り口から困難です。


そんな中でも数少ない?貴重な男性諸氏がタロットを習いにやってきます。


教室ではもちろん少数派です。めちゃくちゃ少数派です。いじられキャラの人は間違いなく、お姉様方から愛あるツッコミを受けるでしょう。関西ですから、それも半端なものではありません。(笑) まあ、それがうれしい人もいらっしゃるかもしれませんが。(^_^;)


冗談はさておき、



男性でタロットリーディングを行う時に多いのは「硬直」です。


展開されたタロットを前にして、まさに固まってしまうのです。それまでほかのお話を気軽にされていたのに、タロットが展開されたとたん、突然冷凍室に放り込まれたマグロ状態に変化します。


「もしもし、どうされましたか?」


「いえ、読み方はさきぼとの講義で頭ではわかっているんですが・・・いざ展開を目の前にしてみると全然わからなくて・・・」


これをほうっておくとですね、たいていテキストとか、キーワードを書いたプリントなどカンニング(笑)されるわけです。(練習前に見ないように言っておいても)


何もこれは男性に限ったことではないのですよ。女性でもあります。


なぜこのようなことが起きるのでしょうか。


それは普段から論理思考が強い男性(あるいはそういった傾向の女性)は、左脳的にタロットをとらえようとして脳内回路がショートするんですね。


つまり理屈でタロットをリーディングしようとしているのです。


ここが肝心なところなのですが、タロットはもともと私たちの暮らしている世界や社会の常識からは、非合理、非論理的なものなのです。


「ナルト」ではありませんが、タロットは「右を向きつつ、左を見ろ」と言われるようなものです。(すみません、漫画ネタで) 


まあ、ナルト君は影分身という術で、自分の分身の三人目を出すことでこの問題を解決したわけですが、要はタロットはこの影分身三人目という発想を促すものだということです。


しかし、いつも現実社会で合理的思考で生きている人には、そこに常識としての理屈が通らないとわけがわからなくなるのです。


例えば「13」「手品師」というカードが並んだとします。それぞれ意味的に「変化」や「仕事」と単純にキーワード的に覚えてしまっていると、仕事を変えたほうがよいのだなと頭(理屈)で理解しようとします。


けれども問いを発した当人は、「仕事は順調で変えたいとも思っていない」と答えたとします。(自分リーディングの場合は、自分がそう思っていたとします)

もうそうなると、そこで普段の自分の理屈を超えてしまう(「変えたくないのに、変えろ」と出ているタロットとの矛盾で合理性や整合性がわからなくなってしまう)ので、硬直するしかないのです。


このような人は、とにかく力を抜いて、タロットの絵柄に意識を集中してみるとよいでしょう。タロットの声に耳を傾ける無心な状態になってみます。


タロットがどんな風な動きや感じとして伝わってくるか。


そうすると、もしかすると、上記の例(「13」と「手品師」)でいえば、「13」は困っている人のように見えてきて、何か訴えている気がしてきたとします。隣の「手品師」も誰か人物に見えてくるかもしれません。

(タロット画像を見たい人はカモワン氏のサイト でご覧ください。「手品師」は一番下の段左から二番目、「13」は中段右から二番目のカードです)


ここから「自分はいいかもしれないが、誰か職場で困っている人、やり方を変えたいとか思っている人がいるのかも」という発想が浮かびます。最初の言葉だけに頼ったものとはまったく違う内容になってきています。


そのことを、問いをした人に確認して、思い当たることがあれば、タロットはそれを示唆しているととれます。思い当たらなくても、表面的に気付いていないだけで、そのようなことが隠れている可能性もあります。


つまり、タロットは「象徴」なのでそれ自体に何重もの意味があり、それが重なってとらえられることにより、時には矛盾として感じられることもあるということです。非合理性なのはいわば錯覚に近いものです。


重なりをほどけないのは、普段の凝り固まった日常意識があるからともいえます。


そういう意味で、タロットは頭を柔らかくするのには大変いい訓練になります。(何より、私自身がそうでした) 


なお、「硬直」するのには、まだほかの理由があります。それについてはまた別の機会で語らせてもらいたいと思います。


うつや神経症と感情の起伏

うつや神経的に参ってきますと、やはり精神状態が普通と異なってきます。


私はうつと不安神経症を併発していましたので、特に不安や依存心が通常の何倍増しかのような状態になりました。


よく、うつの人は感情があまり働かないとか、考えるのもおっくうになると言いますが、それは完全にうつに移行した時のことで、まだ自分でも半信半疑の初期の頃は、逆に感情の起伏が激しくなることがあるようです。 


やたらと涙が出てくる、ちょっとしたことで感動しすぎる、わけもなく悲しくなる、異常に怒りがこみ上げてくる、人を好きになりたくて仕方がない、友達といつまでも一緒にいたい気持ちになる、人と別れる時に非常に寂しさが増す・・・


このような症状が現れてきた時は、少し気をつけたほうがよいでしょう。


もちろん、ただの感傷ということも大いにありますが、上記のことに加えて、眠りにくい、早朝に目が覚める、起きあがるのも面倒なほど出勤がかなりつらい、などのことがありますと、やはり心の健康状態を疑ったほうがよいように思います。


うつになりますと、自分の弱いところを拡大されているような気持ちとなります。


人は誰しも「自分はちょっとこういう点でダメなところがある」と思っていても、すぐ別のことを考えたり、あまりずっと気にしたりすることはありません。


ところがうつや神経症になってきますと、そのことが妙に肥大化し、自分のよいところや楽観的に見ようとする気持ちが削られ、「私はこれこれがあるからダメだ」となり、さらには「これこれでダメな私は生きる価値もない」とすら思ってしまうことにもなるのです。


また様々な場面で極端さが増し、決定や選択を急ごうとあせります。恋愛は結婚を望んだり、相手に依存します。仕事は退職や転職などかなり極端なことを思います。


これらはすべて、心の均衡を失って自分の弱さやマイナス面ばかり強調させられているからです。


自分一人ではもちろん大変ですし、正常な判断ができにくくなります。


初期症状の時は友人や家族などに相談しがちですが、彼らも一般人ですから、話を聞いたり対応しているだけでかなり疲労します。自分がバランスを欠いていますので、相手にその分、どうしても負担がかかってしまうからです。


ですから先述したような症状が出ていたり、どうもおかしいなと感じたら、早めに専門医やカウンセラーに相談すべきです。


早期の分だけ、きちんと対処すれば治るのもそれだけ早いと思います。


仕事などで休みにくいところもあるでしょう。でも仕事での代わりはいても、あなた自身の代わりはいません。あなたの人生は、あなたという主人公がちゃんといないと成り立たないのです。自分を大切にしましょう。


※ここで述べていることは、経験に基づくものではありますが、医学的なこととは無関係に書いています。一個人の体験談としてお読みください。


考えすぎる人のために

私もそうなのですが、何かを考えすぎる傾向の人がいます。


考えること自体は悪くはないですよ。そうやって思考を繰り返し、人類はまさに試行錯誤(笑)の結果、進歩して来たのだと思えますから。


思考しないと、簡単にマインドコントロールされてしまう危険性もあります。


ただ、何事もやり過ぎはまずいです。


そういう人には、本当に、ツベコベいわず体験してみることがいいんですね。


たとえば趣味に山登りを検討している人がいたとします。


考えすぎる傾向の人は、いちいち形や調べ物から入ります。


「装備はどんなものをそろえなければいけないのだろう?」「この年で大丈夫かな?」「近くに登れる山があるのだろうか?」など、いろいろと気になって、結局チャレンジする機会を失っていくことになるのです。


だから「何も考えずに、即実行に移せばいいんだよ」ということは、今までも皆さん、アドバイスとしては聞いたことがあるでしょう。


そしてこういったことで機会を失うのは、心の奥に不安や、かつての失敗のトラウマがあるからで、それを浄化・解消しないといけないということも耳にしたことがあるかもしれません。


確かに深く考察していけばそのようなことが要因としてあげられるでしょうが、ここでは言及しません。


山登りの話に戻ります。


もし、くよくよと、山登りするかどうかで悩んでいるのなら、いっそのこと違うアプローチで実際に山に登ってしまうのです。


この人の場合(あくまで仮の例ですが)、「山登りとはこういうものだ」「山登り=健康づくり」みたいな固定したイメージがおそらくあり、どうも「山登り」を「苦行」や「修行」としてとらえているのでしょうね。


ですから、足でコツコツと山に登るのではなく、いきなりヘリコプターやケーブルカー、ロープウェイなどで頂上に登ってしまうのです。


そこから見る景色のすばらしさを味わいながら、「もし、ここまで自分の足で登ってこれたらすごいだろうな」というように、達成感をイメージします。


つまり、成功や天国気分を先に便宜的に経験するようなものです。


自分の足で登るのが大変だと思うのならば、そうやって観光登山?みたいなことを繰り返してもよいわけです。


いつしか、別の意味で登山が趣味になるかもしれませんし、頂上へ行った気分をほかの形でもっと大きく味わいたいために、自らで登る本当の登山を始めることになるかもしれません。


登山を例に出しましたが、ほかのケースでも当てはめることはできます。


目標までの過程をすっとばして、目標状態を先に体験してしまうということですね。(物理的にできないものもありますが、心理的には似たようなことは可能でしょう)


なんだかちょっと麻薬ぽいやり方ですが。もちろん合法です(笑)。


一方、いつも何も考えずにつっこんで行く人も注意です。先の例えでいいますと、ヘリコプターばかり使って楽しんでいたら、ヘリコプター代がかさんで、お金がなくなった・・・みたいなものです。(笑)


これらをタロットでいえば「愚者」「隠者」で説明することができます。


何も考えない人は「愚者」、考えすぎる人は「隠者」といえます。(ともに問題の時はカードは逆向きです)

だからこのカード同士はペアで向き合うことが可能であり、それぞれがお互いをカバーしあえるのです。


とはいえ、だいたい相談に来られる人は「隠者」に偏る傾向が強く、人生は基本、「愚者」の姿勢でいたほうがラッキーでスムースに行くケースが多いと感じます。


ホント、皆さん、もっと気楽に行ってもいいんじゃないでしょうか。


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