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タロットカードの「悪魔」は個性を培う。
タロットの講座をしていますと、最初に多くの受講生の方に嫌われがちのカードがあります。
その代表的なものが「13」であり、「悪魔」です。
このふたつのカードにあるテーマを理解し、昇華していくことで、絶大な力を得ることができるのですが、私もまだまだです。(苦笑)
それでも嫌いなことはありません。このブログで何度も言っていますように、カモワン版マルセイユタロットにおいて、ノーマルな状態ではすべてカードはポジティブであり、もっといえばよいも悪いもなく、それぞれ単体でも統合されていますし、全体だとさらに大きな意味で完全を示すと私は考えています。
それはともかく、今日は「悪魔」について語ります。
「悪魔」にはいろいろな意味があるのですが、ここでは自分の得意なもの、良いところをのばしていく(つまりは「個性」)というような観点で話をします。
マルセイユタロットを見ますと、悪魔は二人の人物をひもで縛り、従えているように見えます。
一方、ひもでつながれた人物は、陶酔しているかのように悪魔を見上げています。
ここから、人気者とファン、カリスマと信奉者、影響を及ぼす者と及ぼされる者のような関係を示すとも考えられます。
そしてほとんどの人は、最初は後者の「つながれる者」なのです。
「自分に力がない」「自分のしたいことがわからない」「自分の特徴は何なのかはっきりとしない」・・・おそらく誰しもこのような気持ちを実感したことはあるでしょう。
「悪魔」のカードは、埋もれてしまっているあなたの才能や個性を実は開発してくれる(わからせてくれる)役割があるのです。
自分の方向性や良さがわからない、そういう時は、悪魔のような強烈な個性を放っているあこがれの人のマネをしたり、その人を研究してみることをカードは示唆しています。
はじめはファンからでもよく、あえてその人の影響を受け、つながれてみることでその人の雰囲気やオーラもわかりますし、個性の具体的な出し方など、技術的なことも「ひも」を通してあなたに入ってきます。
そうすると、あなたの中には「小さな悪魔」が生まれます。この小悪魔こそ、あなたの眠っている個性に火をつけるのです。
実は、個性といっても、その因子は全部の人に等しく存在していると考えられます。
その中で社会的な役割であったり、好みであったり、肉体的・環境的な要因からであったりして、刺激により「ある個性の因子」が特化・拡大します。それがまさにその人の「個性」として輝き出すのです。
悪魔はその個性因子を強化するものと想像できます。
いくつかのあなたのモデルとなる悪魔を見つけ、意識的につながることで複数の個性因子があなたの中で育ちはじめます。
いつしか、大悪魔に匹敵する個性として成長するかもしれませんし、それらが複合してあなたの新たな個性として誕生するかもしれません。
いずれにしても、その時あなたは、悪魔につながっている「ひも」を自らはずすことになります。それが悪魔からの卒業です。「悪魔」のカードにおける「ひも」が緩いのはそのためです。
よい悪魔は、ひもがはずされたことを喜びます。逆に悪い悪魔は、あなたにつけられているひもをキツクキツク縛ってきます。そうなると、あなたは窒息死してしまうでしょう。ただ真綿のような、ある意味気持ちのいい締め方なので(笑)、最後まで気がつかないおそれもあります。
とにかく大切なのは、個性が育ってきたと思ったら早めにひもをはずしていく自覚をすることです。いつまでも悪魔に依存していると、悪魔なしでは生きられない人生となってしまいます。
これをまさに意図をもって悪魔側からすることを、「洗脳」と言います。この場合、タロットは「悪魔」を逆向きとして登場させます。
結局本来の悪魔は、人々の個性や自己を強調させる役割があると考えられるでしょう。
もちろん行きすぎればそれば尊大さや傲慢、支配を生むもとにはなりますが、自信を持てない人や人生を楽しく生きられない人には、悪魔は恩恵的な存在と言っていいでしょう。
悪魔は人の楽しみやあこがれの源泉であり、また超えていくべき存在でもあります。だから悪魔は、自分のひもをはずしてもらうことも願っています。
ひもをはずすことが、あなたの人間として成長した証でもあるからです。
人間関係を見るのに適したタロット
カモワン版マルセイユタロットは、人間関係を見るのに適したカードだす。
おっと、いきなり打ち間違い・・・、もとい、人間関係を見るのに適したカードです。
マルセイユタロット自体、カードに描かれているのがほとんどが「人物」であり、中世西洋風ではありますが、シンプルに、誰が見ても「ああ、この絵はこういう人だろうな」とわかる絵になっているからです。
あまりにリアルすぎたり(リアルな顔を持つタロットは怖いか、ギャグになるでしょう(^_^;))、反対に抽象的すぎたりして、わけがわからないということもないのです。
そのあたりが数世紀にもわたって生き残り、東洋の日本でも違和感なく使われている要因でもあるのでしょう。
さらにカモワン版の場合、カードの人物の視線が非常に鋭く強調されて描かれています。
視線を送る時といえば、皆さんはどんな状況をイメージしますか。
相手のことが気になる、景色に感動している、文字や顔をはっきり確認したい、話を聞いて驚いている、あこがれている・・・いろいろとあるとは思いますが、共通しているのは、対象に向けて何らかの関心があるということです。
この関心には、好意もあれば敵意もあります。時には関心があっても、見たくないものには目をそらしてしまいます。視線とはこのように人の気持ちを示しているのです。
ここまで書いてくると、人物と視線がはっきり描かれているタロットカードが、なぜ人間関係を見るのに適しているのか、おおよそのことがわかってきたかと思います。
つまりこういうことです。
カードに実際の人間関係における人物を当てはめ、その視線の向きを見ることで、自分に関心(さきほども言いましたように、必ずしも好意だけではないことが重要)があるかどうか、逆に自分が本当はどこを見ているのかなどが明確に理解できるということなのです。
ただし、少し注意点があります。視線には強弱や度合いがあり、そこから関心の濃度、問題の大小なども考慮していく必要もあるのです。それを読み取らないと単純に「あの人は私を嫌っている」などと判断してしまいます。
また、「二人は両思いなのに、カードでは視線が合わない」ということも起きてきます。このようなケースでは、潜在的に二人の別離や行き違いが生じるのをおそれていることが多く、そのような心理がカードに反映されて登場することもあるのです。
本当にじっくり見たい場合は、カモワン式のスプレッドで複数のカードで観察しながら、問題があれば解決方法もカードで判断してくことが求められます。
それでも、数枚のシンプルな方法でカードの人物の視線を見ながら、人間関係を見ていくことはできます。その時は、あまり出た結果を重く受け止めるのでなく(特にネガティブ思考になりがちの人は)、客観的にあなたと相手の関係を見つめ直して見ましょうという、やや軽目の雰囲気で眺めてみることです。
お互いの視線が合っていないからと言って落胆したり、「やっぱり性が合わないのだわ」と思ったりするのではなく、出たカード同士のような関心の向き合い方のスタンスも面白いよ、という形で受け止めるのです。
さてさて、私がなぜ、この記事の最初の一文でしょーもないギャグから始めたのかといいますと、、実は今言ったことを述べるために、あえてやったのでした。(偶然もありましたが)。。。(笑)
ちょっと笑えるくらいの気持ちで、まずは人間関係を見てみましょうということです。
この方法は講座では最初の頃すぐに教えていますので、実際に活用するのにも早くできてお勧めです。
※もちろん本当に人間関係に悩んでいる人は苦しいですし、それはそれできちんとタロットで見て、解決に向けて行く方法もあります。
太陽のエネルギー
明日は夏至に当たりますね。
夏至といえば単なる天文学的な意味での分節点ではなく、スピリチュアルな意味からも特別な時点だといわれています。
夏至に限らず、冬至、春分、秋分などの4つのポイントをはじめ、一年を通じて何回かの重要な日があるようです。
カモワン版マルセイユタロットでも、明らかに夏至などの太陽の動きと関連したカードがいくつかあります。
その中でも、もっとも夏至にふさわしいカードは、ずばり「太陽」のカードでしょう。
もう見た目そのままで、顔のついた太陽が大きく描かれています。
このカードの中の太陽と、ある関連するカードとを透かして重ね合わせると、実際の夏至の太陽が特別なポイント(山の頂上や神殿の真ん中など)から昇ってくるかのように、意図的な位置を配されて描かれているのがよくわかります。
つまり、太陽の動きの観測には非常に重要な意味が古代からあり、それはとりもなおさず、「動き」を知る必要があったことをタロットが示しているのです。
海外のストーンサークルのなどの古い遺跡でも、夏至や冬至などには決まった位置から太陽が見えるようになっているとも言われています。
そのような事実と、タロットからの個人的解釈とを照らし合わせてみると、おそらく太陽のエネルギーが今以上に重要なものがあったのではないかと推測できます。
太陽エネルギーというものは、エコ意識の高まった今でこそソーラーエネルギーとして活用されはじめていますが、古代ではわれわれがまだ科学的には認識できてない別種のエネルギーが存在していたのではないでしょうか。
それは人体や精神にも影響し、さらに土地と共鳴して多くの奇跡的とも思える現象を引き起こしたかもしれないと想像しています。儀式的には、私のインスピレーションでは、手の印(手や指の特別な組み方)に秘密があると推察しています。
その発動は、やはり夏至などの特別な時点で極大となったり、変動のターニングポイントを迎えたりしていたものと考えられ、だからこそ、太陽の観測は非常に重大なことだったのではないかと私は思っています。
もちろん昔では、天体観察が季節や天候の予測と関係し、直接の農業などの種まきや収穫に影響を及ぼしていたので、太陽を観測したと普通に考えられますし、まともな意見だとは思います。
しかし私の言っていることはトンデモかもしれませんが、そういう夢想をタロットを見ながら、夏至の日にしてみてもロマンがあるといえるのではないでしょうか。(苦笑)
余談ですが、この「太陽」のカードは、個人的に相当な、ある治癒力のエネルギーがある気がしています。またいつか、この事例も紹介ができればと思います。
悩んでいるあなたは尊い。
昨日のサッカーW杯、日本代表戦、盛り上がりましたねぇ。
「今回は期待できない」というほとんどの人の予想を覆し、初戦での勝利、そして敗れはしましたが、強豪オランダ相手に最低失点のみという善戦でした。
何か2002年以来の統一された闘志というものを感じさせました。2006年でも選手たち皆さん、頑張ってはおられたのでしょうが、何かそれぞれの気持ちにちぐはぐなものが見られたような気がしています。
それは単純に二戦終えての結果の違いだけから来る錯覚かもしれません。そういう意味では「結果」ということも、他人への説得力を持たせるということでは重要な事なのでしょう。
またオランダ戦は負けましたが、試合としては勝ったカメルーン戦よりも内容として価値があるように感じました。これは「結果」というより、「過程」が輝いた試合といえましょう。
結果も大事、過程も大事、そのバランスが重要だと私は思います。
さて、そうは言いつつも、私はタロットリーディングや講座においては、「過程」というものに重きを置いています。
自由経済の社会では、とかく結果ばかりが重要視されがちですが、心の分野、悩みの相談などでは過程・プロセスが大切だと考えています。
仕事、恋愛、人間関係・・・ライフステージの様々な場面で人は悩み、迷います。
その時、「一番よい方法(道)はどれか」「この大変さから脱する方策はないか」と考えます。
たいてい、このような時に思っている(願っている)のは「よい結果」です。
確かに先が見えない不透明な状態だからこそ悩んでいるわけですが、それは自分のあるべき姿が見えないだけであって、皆よい結果を望んでいるはずです。
しかしながら、もはや悩みの状況になってしまっていること自体を思えば、この「悩んでいる今」の意味も考えてみるとよいのです。
意味はわからなくても構いません。何か意味があるかもしれないと少しだけ現況に焦点を当ててみるのです。
よい結果を望むのは人間として当然の心理ですが、結果ばかりを見ずに、「苦悩している私」と私が私を思ってみましょう。
そうすると、「悩みそのもの」や「悩んでいる自分」に価値があるのでは、という思いがわいてくることもあります。
実はそのことの確認を、カモワン版マルセイユタロットのリーディングでは行っています。
カモワンメソッドでは、問題を象徴するカードとその解決を象徴するカードがセットで出ることにより、問題自体にも意味と価値があることに気付かされます。
なぜなら問題を表すカードも、それ単体では「よい意味」や「可能性」を本来示しており、ただそれを発揮することに今は阻害されているだけだと考えるからです。
結局悩みや問題をきっかけにして、自己成長していくという過程をカードを通して前もって経験していくということになります。
そして実際に問題が解消していけば、さらに成功体験を積むことができます。
ただ重要なのはその過程であり、問題を直視して解決に向かう心とプロセスなのです。
もちろん結果も大切です。
それでも逃げずに、今の悩んでいる自分を見て問題に立ち向かい、「克服していく」あるいは「癒していく素地があるのだ」と気づいて「実際に変化を起こしていく」、その一連の流れと自分のベクトルの転換こそに意味が非常にあるのだと私は考えています。
だから、悩んでいる人は尊いものだと思います。(悩んでいなくても尊いですが)
それだけエネルギーをかけ、少なくとも何とかしたいと心を砕いているからです。
悩み中は何の実績も結果も残せないように見えますが、一生懸命作業をし、汗をかいているのです。それを誰が意味のないものと断ずることができましょう。
悩みの最中と過程の価値を思い、自己を卑下することなく、勇気をもって立ち向かっていきましょう。
過程の大切さに気がつけば、自然と結果だけを気にする心もなくなり、逆によい結果を招くことも可能になるのではないかと私は感じています。
恋をして、あまりにも苦しい時
あなたにはこんな経験がありませんか?
恋をして、相手のことを思うと居ても立ってもいられない。
一応は両思いの関係でいるけれど、自分の思うような反応を相手は返してくれず、心の中が落ち着かない。
恋愛となれば、誰でも経験する感覚かもしれません。
今は恋愛について、いろいろなコミュニケーション技術や心理的な技法、占いに至るまで、心構えや対処方法の情報が数多くあります。
けれども、本当に心が荒れ狂う状態になった時、この暴風雨を沈める手立てはないのでは・・・という気がしています。
とにかく、落ち着けない、心配である、相手のことが気になって気が狂いそう・・・
本気で恋をしたら、テクニックなんか言ってられず、心は暴れるままでどうしようもない。そのようなこともあるのではないでしょうか。
これはもう、カモワン版マルセイユタロットでいえば、 「12」の吊るしと「13」が逆向きで並んでいるようなものです。カードを持っている人は実際に見てみるとよくわかります。
この並びになると、ちょうど「吊るし」の人物に向けて「13」の鎌が振り下ろされているかのような印象を受けます。
「12」の吊るしの人物の世界が、恋をした相手だけしか見えない閉塞したものになってしまい、自らの妄想ともいえる相手へのあせりの思い(焦燥感)が、「13」の逆向きという形でネガティブなエネルギーに投影され、自ら(「12」の吊るし)を傷つけているような状況といえます。
この場合の「13」逆は、まさに自分が作り出した「ゴースト」です。
(実際のリーディングでも、この並びが展開したことは何度か見ています)
こうなればかなり苦しく、逃れたい一心で死への羨望さえ生ずる危険性もあります。(それゆえに「恋愛」と一言で言っても強烈な面もあるのです)
この状態から脱するには、多くは他人の助けが必要です。それが「節制」の天使といえましょう。または時間の経過による心と環境の変化を待つ、これくらいでしょうか。
ただ、ものすごくつらくても、必ず出口はあります。それが望む恋の成就ではないかもしれません。しかし、人も(自分だけではなく相手も、周囲も)世も、必ず変転していきます。それがまさに自然の摂理だからです。
変転するということは、そのあなたの苦しい状況が永遠に続くわけではないということです。そういう意味では、やはりこの世は地獄ではないでしょう。変わってくことが許されている世界なのですから。
(固定した心理が続くのは、地獄と天国を示すともいえます)
少なくともまったく同じ状態がずっと続くことはありません。それを思い、「この経験にもきっとよいことがあるのだ」と信じ、待つことです。そうすれば、自分自身の激越な思いが薄れていくか、相手の何らかの変化によって、あなたの感情にも少しずつの変質があるでしょう。
「時間の変容力を待つことができない」「どうしても我慢できない」「自分でもおかしいと感じる」「神経症の症状に近いものが出てきた」というような場合は、自分ひとりで悩まず、カウンセラー、セラピストなどの専門家に相談することです。
あなたの恋愛の苦しさ、少しでもわかってあげられたらと思います。
