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モノにも心を込める
心を込めるということはよくいわれます。
タロットリーディングやタロットの講義においても、心が入るものとそうでないものとは明らかに雰囲気が違ってきます。
私がクライアントや受講生の皆様に対して、心を込めるというのは当たり前のことです。
ここで言っているのは、たとえば受講生それぞれの心の入り具合や、モノや道具など、人以外のものも含めての心の込め方ということです。
確か、ヒューレン博士のホ・オポノポノでも、あらゆるものをクリーニング(問題を消す、清める:ただし自分の中にすべての問題の記憶があるという考え方ですが)することを提唱されていました。
それとはまた少し意味は違いますが、自分の使うもの、関係するものに対して「心を込める」ということは、目には見えませんが何か特別な力があるように感じます。
私は当然ながら講義やリーディングの前にタロットに心を込めます。挨拶するという感じのほうが正しいでしょうか。
最初はそっけなかったものたちも、心を込めることで、あなたに生物的とも思えるような反応や響きが返ってきます。
気のせい? かもしれません。
それでもよいのです。なぜならば、心を込めるということはそれだけ意識がその対象に向かうことであり、少なくとも対象におけるあなたの注意力や観察力は通常よりも増します。
ですがそのような論理的な意味以上に、心を込めることには、目に見えない通路をつなげる作用があると想像できることが重要だと思います。
そうするとどういうことが起こるでしょうか。
人間が関心を向けられると逆にこちらからも気になってしまうように、対象からの情報や感覚があなたに入りやすくなってくるのです。
タロットの場合、ある特定のカードからメッセージのような反応もあったりします。
そんなわけで、人だけではなく、ものや事柄にも心を込めてみましょう。
選択の要素と意味
タロットにはどちらか迷った時に判断させる二者択一の展開法があります。
いろいろな方法があるので、ここではご紹介しませんが(タロットを学べばできるようになります)、今回は二者択一そのものについてふれたいと思います。
人がどちらかの選択で迷う時、双方のメリット・デメリットをまず考えるでしょう。
たとえばAの仕事は安定しているけれど、人間関係がつらい。
Bの仕事は人間関係もよく、働きやすいけれども不安定で給料が安い。
両者の利点・欠点を集合させて、何とか利点を上回るほうを選びたいと考えます。
イメージしてみてください。
Aの長所の固まりのような棒グラフがあり、それにAの欠点の部分を斜線で示す。同じようにBも棒グラフで長所短所を表します。
そこで斜線の入った部分を取り除き、残った長所の棒グラフが長いほうが選択されるべきものとなります。
ところが、ここで重要なのは、あくまでのそのメリット・デメリットは現時点でのあなたの想像や仮定に過ぎないということです。
それともうひとつ、判断の基準となっている考えが、あなたの今の価値観であるということにも注意しなければなりません。
つまり、先述した棒グラフでいえば、あなたの思い次第で長所の部分も短所の部分も長さが変動してしまうということです。
そうすると、そもそも比較すること自体が無意味になってきます。
しかしながら、あなたが何に一番重きを置くかによって、選択をする意味を持つ場合もあります。
たとえば上の仕事の例でいえば、あくまであなたの選択ポイントが「給料」であるというのならば、シンプルに給料の要素だけのグラフを見るということです。
ほかの要素も単一要素としてそれぞれグラフ化してもよいのですが、ウェートは「給料」グラフに置きます。
選択の際は要素を複雑化しない(あれもこれもと混ぜて比較しない)ことが、決断の早さを生みます。
ただ不思議なもので、いろいろと比較検討し、あるいは突然ふっきれて自分でベストと思える選択ができたとしても、結局どちらにおいてもあなたに必要な学びはやってくるということです。
どちらに進んでもよいことも悪いこともあるのですが、それも自分の成長にとって必要なことなのだと思うと、選ぶのも楽になってくるでしょう。
タロット スカイプ講義の可能性
私は関西在住ですし、これまでタロットの講義もどちらかといえば、ご縁があって、たまたまに近い(笑)感じのつながりで教えてきました。
もちろん出ていた占いの店や文化教室などの関係から来られる方もいらっしゃいましたが、どうしても特定の場所を持っていませんので、せっかく講座をご希望されても、タイミングよくご提供できないケースもありました。
そのことは今もあまり変わってはいない(特定の場所がない)のですが、先日関西以外の方から何とか講義をしてもらえないかとのご依頼があったことで、ある変化が起こりました。
タロット講座はカードの絵柄も含めて実際に見てもらわないと理解しにくい部分が多く、またリーディングを教えていくのにも、ライブの雰囲気と実践の全体感(リーダー、クライアント、カードなどすべての存在)が重要だと考えておりましたので、初めての方には教室など実際の場所がないと講義はできないと思っていました。
ところが今回のことで、もしかするとそれも「私の思いこみ」ではないのかと、考え直す機会が与えられた気がしたのです。
確かに教室がなければ少し難しい面もあるのですが、自分の中で「講義はこうあらねばならない」と枠にはまっていた部分もあったように感じます。
ということで、試しにスカイプでやってみることにしたのですが、そうするとそのために自分なりの工夫や創造意欲が起こってきて、いつのまにか、「教室がなくてもやり方次第で自分の求める講義ができる」というように考えが変わってきました。
タロットリーディングや講義の時にいつも私自身が言っていることですが、タロットをすることの意味のひとつは、結局自分の中にある「思いこみ」や「枠組」といったものをどんどん壊して、新しい自分に再生していくことにあります。
どうやら私の中に堅い講義信仰のようなものがあり、いわばそれを免罪符として、できる可能性から逃げていたのかもしれません。
このようなことは、おそらくほかのことでもたくさんあるのでしょう。
皆様も「それは無理」だとか、「それはできない」「その考えは違う」などと言って、鼻っから検討もせず思考停止しているものはありませんか。
それにきちんとした合理的理由があればいいのですが、多くはある特定の強い「思いこみ」が、新しい自分に変わる芽を摘んでいるものと思えます。変わらないことは楽でもあるからです。
スカイプ講義、自宅で受けられるので楽でいいですよ。マンツーマンだったら休憩や中断も言っていただければ自由ですしね。
興味のある方はご連絡 くださいませ。
タロットカードから聞こえてくる音
あまり皆さん、やったことはないと思いますが、タロットを音で表現したり、感じたりすると意外なリーディングができたりします。
特に「13」のカードがお勧めですね。「13」は一般的には「死神」などと呼ばれ、怖がられているカードですが、私の使うタロットでは死に神という解釈はしません。
確かに手に大きな鎌を持ち、骨と皮だけのほぼスケルトン状態の絵柄を見たら、恐怖を感じてしまう人もいるでしょう。
しかし「13」は非常に強いパワーを持ち、古いものを壊して、新しいものに変えていく積極的な意味を持つカードなのです。
それはさておき、音の話に戻りますと、カードを見てまず感じた音を実際に口に出して表現してみましょう。
いやなに、簡単なことです。
上記の「13」の例でいえば、鎌を動かしている様子から「ザクッ、ザクッ」とかいう音が響いてくる気がしませんか。
ところが私にはこれが「ザクッ」ではなく、「サクッ」という風にも聞こえるんですね。
サクッと。 今、よく使われる表現です。(笑)
そう、「13」の鎌でサクッと古いもの、こだわっているものを取り除いてしまいましょう、という感じですね。
タロットから聞こえてくる音は不思議なもので、気分や状況、人によって変化します。音の表す「語感」や「響き」が大切なのですね。
ここで私がこのネタに「13」を出したのには意味があります。
すでにカモワン版マルセイユタロットを習われた方には、それを考えてみられるのも面白いでしょう。
タロットは自分を客観視できるツール。
タロットなんて占いでしょ、そんなもの何の役に立つの?
と、特に男性の方々は思われるかもしれません。
ここではタロットを「占い」というアプローチからはずし、あくまでひとつの「ツール」だという前提で話を進めます。
たとえば職場の人間関係で、何か釈然としない居心地の悪さを感じたとします。
ここでタロットを展開します。
すると自分を取り巻く関係図がタロットの絵柄として登場してきます。
じっくりこれを観察すると、自分だと思えてくるカードが必ずあります。と同時に、自分と周囲の関係図も浮かび上がってきます。
その過程で、いかに自分が違う方向を向いて熱を入れていたかがわかったりします。
まあ、平たく言えば、「空気読めてないよ、あんた」(笑) というのが自分で確認できたりするのです。
それはなかなか自分の頭だけの分析ではわからないものです。
「そうかもしれない」と内心感じていたとしても、自分のエゴが認めようとさせず、都合のいいように解釈したり、隠したりしてしまうものです。
それがタロットの絵を使うことで、ある距離感が生まれ、自分で自分の物語をスクリーンで見ているかのような客観が現れるのです。
そんなことだったら、タロットを使わなくても人形とか、キャラクターの絵があるカードでも何でもいいのでは? とも思えます。
いえいえ、タロット、特にマルセイユ版のよいところは、一見中世の西洋の絵柄ですが、そこには時代や国、性別、年齢などを越えた普遍的なパターン(元型)が描かれているため、誰しもが自分やほかの人物などと置き換えることが案外簡単なのです。
そんなこと言っても、あるカードが自分を象徴しているなんて、なぜいえるのか?と疑問に思う方もいらっしゃるでしょう。
極論すれば、「あるカードが自分である」と感じさせるだけでOKなのです。そのカードが自分であるかの証明は必要ありません。
つまり、タロットカードが実際の出来事と符合するかどうかが問題ではなく、自分をカードに託して見てみようというその機会を持つこと自体に意味があるのです。
それだけで自分の中にあった問題が外側に「カード」として投影され、客観視できることになり、そのプロセスにより、すでに問題をコントロールする第一段階をこなしていることになるからです。
自分と問題が一体化して見えない時は問題にふりまわされるだけです。これを外側に取り出すことで、問題を扱いやすくさせる働きがあります。
タロットが占いとして当たるとか当たらないとか、そういう使い方と考え方ではなく、自分と問題を客観視する機会を得ることのできるツールだととらえますと、占いを信じない方、ビジネスをされている男性諸氏の方々などにも有効なものになるではないかと私は考えています。
もちろん、さらに他人にリーディングしてもらえば(タロットを解釈してもらえば)、より客観視できることは言うまでもありません。
