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自分(人間)の世界とタロットの世界
タロットカードを習う時、どうやって学ぶのかという方法と、どのタロットを選ぶのかという問題と言いますか、テーマがあると思います。
前者(学び方)は、書物やネットなどで独学するという方法、タロットを教える機関や先生から学ぶ方法が、まずは検討されるでしょう。
後者(タロットの選択)は、結局、前者と関係してくることが多いのですが、たまたまタロットを教える教室・先生の扱うタロットがそれだったからなどの理由で、自分が決めるより、学ぶところによって決められている場合もあります。
もちろん、最初からこの種類のタロットを学びたいという、自分の意志で選択した人もいるでしょう。
まあ、しかし、多くの人は、最初にタロットを習う時、私自身もそうでしたが、タロットに対して詳しくないですので、そもそもタロットにたくさん種類があることなども知らず、つまるところ、自分と(ある種の)タロットとの出会いは、表向き、偶然のようなものではないかと思います。
とは言え、世の中に偶然はないという説もありますから、そこから考えますと、自分とタロットとの出会いも、必然、または出会うべき(選ぶべき)運命みたいなものがあるのかもしれません。特に、たくさん種類のある中で、好きになったり、熱中したりするタロット種には、特別な縁があるのだと思ってもいいのではないでしょうか。
これが、よく私が述べている「自分がタロットを選んでいるようでいて、タロットがあなたを選んでいる」という意味やニュアンスになります。
今まで、上記の言葉は、私自身も、タロットとの縁ということで、何気なく、生徒さんに使ってきましたが、今になって改めて考えてみますと、案外、もっと深い意味合いもあるものだと気づいてきました。
それは、物事の見方には、最低でもふたつの方向性があるということです。(最低でも、ですから、二つ以上もあることは当然言えます)
つまり、自分を中心に見た(自分から見た)方向性と、相手側から見た方向性です。
これらが、どちらか一方に極端に偏ると、それこそ文字通り「偏り」になり、偏向した見方・考え方になるのではないでしょうか。
自分中心がひどいと、まさに自己中になりますし、相手側中心になり過ぎると、自己がないがしろにされ、犠牲精神を生み出しがちです。
主体性を持ちつつも、客観性も入れるというバランスが重要なわけです。
そして、こうした主客二方向の見方とは別に、さらに、モノとココロのように分けることもできます。
私たちは、通常、自分が主体となって、モノを見ます。
相手が人間(や生物)の場合は、相手側の気持ちとか心を考慮することを、自然にやっています。相手を思いやるとか、慮るとか、配慮するとか、こういう言葉が出るのも、相手が人であり、感情を持つからです。
また、少なくとも、相手とコミュニケーションができる存在だと思っているから、相手のことも気にするわけです。
しかし、相手や向こうが単なる「モノ」だとすると、コミュニケーションも取れませんし、当然気持ちなんかもないですから、一方的に主体である自分の選択、思いだけになります。
常識的にはそうなのですが、果たして、相手側は、モノとは言えど、本当に無機質なただのモノでしかないのでしょうか?
霊的レベルにまで考えて行きますと、そうとも言えなくなってくる(言わば、モノにもココロがある)領域が立ち現れると言います。
これは考えようによっては、自分が心を与えているような状態と見てもいいのかもしれませんし(マルセイユタロットの「手品師」と「世界」の二枚は、ひとつにはこれを表現していると考えられます)、また、仮にモノにココロがあるということではないにしても、とにかく、モノのような物質側・相手側から、自分側に向かっていく方向性(自分がモノを見ている意志や状態とは別の、新たな意思のようなもの)が現れると想定することができます。
思えば、精神やスピリチュアルな世界では、自分とは逆方向からの視線とか、現実空間とは異質の世界(例えばエーテル・アストラル空間)のことが言われ、時に、「見られている」「生かされている」「見守られている」「私たちは大きな存在の中にいる」などと、表現されている気がします。
ちょっとわかりづらくなってきましたので、理論や考察はさておき、皆さんには、シンプルに、タロットに対してふたつの方向性を見てくださいと言っておきます。
例えば、よく、タロットを習うと、最初のほうに、「好きなカードとか嫌いなカードとか、気になるカードなど挙げて見ましょう」みたいなことがあると思います。
その時、あなたが選んだカードは、確かに、自分の気持ちや感情が、そのテーマ(好き・嫌いなど)によって選んだものではありますが、先述したように、相手側からの方向もあると考えますと、そのカードが、あなたのそのテーマの感情を選んだのです。
もし、好きなカードで「太陽」を選んだのなら、あなたは「太陽」の絵柄を見て、気持ちよいとか明るいとかで、好きな感じがして選んだのかもしれません。
このように、常識的には、「太陽」の絵柄が好きだから選んだという見方になりますが、カードの「太陽」側からすると、あなたの「好き」には「太陽」が関係している、「太陽」があなたに「好き」の感情を思い出させている(選ばせている)、「太陽」があなたに「好き」の感情を見たのであり、もっと言うと、「太陽」があなたに「好き」を生み出したということになります。
こうしたふたつの方向性で見ていくと、自分が主体の場合は、タロットに対する質問をカードに当てはめようとして考えますが、カート側が主体となってきますと、カードが、あなたにその質問を選ばせたことになります。
質問したのは私なのに、それはおかしいと思われるでしょうが、カードが主体の場合は、もはや質問する前に、タロットは出る準備をしていたと言ってもよいのです。(笑)
ここにおいて、単純に見ても、タロットリーディングにはふたつの世界、人間側中心の世界と、タロットカードの象徴の世界、サイキック的に表現すると、タロットの精霊の世界とのふたつが、最低あることになります。(つまり読み方としてもふたつある)
こうして考えると、一見シンプルなようでいて、すごく奥が深いのがタロットというものなのです。
責任・原因は、自分か他人か?
今起きていること、さらには過去や未来の問題まで、それは果たして、自分が引き起こしているのか、他者や環境によって起こされているのか、このテーマは、難しいところがあると思います。
常識的には、自分だけが問題を起こしているわけではなく、不慮の事故や災害、こらちは何もしていないのに、相手側から理不尽なことをされるなど、たぶん、皆さんの経験的にも、とても自分だけが原因とは思えないものでしょう。
しかし、精神世界とかスピリチュアルな話、または、ある心理的な分野では、実はこの世界は自分が創造しているため、すべては自分に責任がある、つまりは自分が引き起こしているという考えを述べる人もいます。
あるいは、因縁とかカルマみたいなことで、結局、どれも自分に関係しているという話(無関係に偶然起こっているわけではないという話)もあります。
おそらく、自分だけとか、他者・環境側のせいだけにするとか、そういう、どちらか一方的な原因に帰することは、バランスを欠き、葛藤を呼ぶのではないかと思います。
すべての問題が、自分だけの要因からと見ると、どうしても、見えない世界とか、常識を超えた分野を考えないとならなくなり、それは、現実の通常意識では、完全に把握することは、「悟り」にでも至っていない限り、困難だと思われます。
さらに、その態度(自分にすべて原因がある)では、過剰に自己責任を思い、やらなくてもよいこと、考えなくてもよいことまで負担して、自己犠牲を多大に払ってしまうことになるかもしれません。
これでは、生きるのが苦しくなるだけです。自分の人生は過去(世)や未来(世)の自分より、まずは「今現在の自分にある」ことをしっかり自覚したほうがよいでしょう。
反対に、自分以外のことに全部原因や責任があるとしてしまうと、それこそ、無責任な話になり、成長することができませんし、他者に迷惑がかかります。
私はマルセイユタロットを見ていまして、問題の自己の責任・原因と他者(その他の要因による)責任・原因とのテーマは、ある種のルールや世界観を考えて取り扱うと、うまく行くのではないかと思っています。
まず、1.常識や現実的な世界観と、2.心の中の世界観、さらには、3.見えない世界、スピリチュアルのような、総合的な世界観を想定し、それぞれの違いを考えます。
1の世界では、物質や見える世界が中心ですから、あまり見えない世界のことよりも、実際にわかる、計る(計算できる)、実体として把握できるようなことで、責任の範囲も決まって来ます。もしくは、決めて行きます。
つまりは、自己の責任と、他者の責任との範囲が明確にあるということです。
もちろん、状況によって、その区分けは変わってきますが、ここで言いたいのは、この世界観では、自分だけとか他者だけとかという決めつけではなく、分相応に、しかも見えない、得体の知れない原因ではなく、きちんと見える範囲とか法律・ルールに基づいたうえで存在するということです。
逆に言えば、法律とかルールで決められていないところは不明確になりがちなので、あやふやな面もあります。そういう場合は、次の2に移行することもあります。
2では、心の中の世界なので、自分がどう思うかによって決まってくる世界観です。従って、この世界では、自分(の原因)がほぼすべてになってきます。
自分の心によって、自分の感じ方、行動も変わってきますので、逆に言いますと、自分の思い(心)が変われば、自分の世界(見え方、解釈、行動)も変わってくることになります。
ただ、心の中の世界は、自分が自覚している部分と、潜在的・無意識的な無自覚部分とがありますから、無自覚なところが原因のものは、場合によっては専門的探査と、それによる自己の気づきが必要になります。
わかっちゃいるけどやめられないとか、現実の世界での見方では、どうしても原因がわからず、同じような問題を引き起こしてしまう、続いてしまっているというような時は、こうした潜在意識の中の問題が要因と考えられることもあります。
また、現実では、他者や環境が存在しますから、そうしたものが自分に働きかけたり、原因として刻まれていたりすることもあります。
しかし、その場合でも、自分がどう思うか、感じるか、解釈するかの世界が心の世界なので、結局、自分の原因が主となってくるのです。(現実の世界観を無視するのではなく、現実の世界観での原因を見ることも併用し、例えば環境を変えるなどの自分の心や思い方以外での対応策も試みることです)
最後は3になります。これはもう、見えない世界を含むことですから、常識や現実認識の世界観の考え方は通じないものとなります。
この3の世界観に立てば、一言で言えば、2の世界観とは別の意味で、自分がすべての原因となりますが、他者も自分みたいな世界になってきますから、いわば世界をひとつとして、すべて関係する(過去・現在・未来という時系列を超えての考えも含む)と見ることになります。
こうした世界観では、自分が原因とか、他人が原因とかとの区別もなくなるわけです。
もう少し、個別的な意味で考えるとすれば、すべての問題は、自己の成長のためであり、自分(意識する自分にとっては)「起きている」ことになり、意識していない自分においては「起こしている」となるでしょう。
問題を受け入れ、淡々とこなしていくというような心境で、「ありがたい」という気持ちが、どんなことであっても、大なり小なり、生じるかもしれません。
以上のようなことで、同じ問題であっても、このように世界(観)を分けて考えてみることで、自分の責任、他者の責任、自己の要因、ほかの要因というものをバランスよくとらえることができるのではないかと思います。
まあ、平たく言えば、「世界」の使い分けです。
どうにも原因がわらず悩み切った時は、最後には3で考えたほうが楽になることもありますし、仕事の面では、1のほうが納得することもあります。
2などは、自分が中心ですから、たいていのことは(解釈の意味では)自分で何とかしてしまえることになります。心の達人になれば、同じ環境に遇っても、いかに自分の世界を楽にしてしまえるかが、2によってわかります。
あと、タロットがあると、実際に、どの世界(観)を自分は、このことで適用すべきかがわかることもあります。
タロットカード、大アルカナの最終境地と言われる「世界」のカードから見れば、ほかのカードは、臨機応変に世界観を変えていくための示唆と考えることもできます。
このように、まさに「世界」の見方を変えてくれるのが、またタロットの良さと言えるでしょう。
ソウルナンバーで見る、残り二か月。
11月になりました。
早くも、今年も、あと二か月です。令和という新しい元号の時代が始まりましたが、いろいろな事件、災害の多い年で、これからの激動を予感させます。しかし、実はその分、希望もあるのではないかと見ています。
ところで、11/16(土)に、マルセイユタロットの体験会を行います。そこでも時代についてのことを、タロットに関連させてお話をさせていただこうと思っております。個別に参加者公開制にはなりますが、マルセイユタロットでリーディングも行います。マルセイユタロットにご関心のある方、タロットリーディング(占いでもOK)を経験してみたい方、席にまだ少し空きがありますので、ぜひ、この機会にお越しください。
さて、今回は、今年もあと残り二か月ということで、2019年の締めに向けて、テーマや課題、フォーカスするものなどを、大きな意味ではありますが、マルセイユタロットで見てみたいと思います。
まず、ある数を計算してもらう必要があります。
それは、いわゆる「ソウルナンバー」というもので、西暦での生年月日を並べ、一桁にばらして合計します。
その数が二桁だと、さらに一桁になるまで、ばらして足していくというやり方になります。最初に合計した数が、35であれば、さらに3+5にして、8になるので、この数はひと桁ですから、これでOKですが、最初の合計数をばらして足しても、まだ二桁の場合は、さらに足して、ひと桁の数になるようにします。
例を示しますと、1985.12.3生まれの人の場合、1+9+8+5+1+2+3=29、29を2+9にして合計11、 さらに、1+1とし、合計数は2です。これで一桁になりましたので、計算はここまでになります。
結局、1から9までのどれかの数になると思います。その数があなたのソウルナンバーと呼ばれる数になります。
では、次に、ソウルナンバー別に、こちらでタロット(大アルカナ)を引き(メインカードと、補助的なカード数枚)、それらからの示唆を、簡単ではありますが、書かせていただきますので、自分のソウルナンバーの項目をご覧いただき、残り二か月の参考にしてください。
もっと具体的に知りたい、さらに来年の傾向も・・・なんていう方は、体験会に来てください。(笑)
なお、毎月のものは、私のホームページでも載せています。(興味ある人は、毎月一日に掲載していますので、継続してご覧いただければと思います)
●ソウルナンバー「1」
メインカードは「世界」です。ゆえに完成、もしくは、さらなる拡大ということがテーマとなるでしょう。今がすでに、とても充実しているのなら、そのままを堪能する、味わい尽くしていくというのもありかもしれません。ほかのカードでは、受容をテーマとするカードが何枚か出ていますので、調子に乗り過ぎることは危険で、謙虚さ、受け入れる要素を持つことは重要てす。
●ソウルナンバー「2」
メインカードは「力」です。「力」には、自分自身が力を発揮する意味と、他者の力を取り入れたり、装置を操縦するなどして力に変えたりするような意味もあるのですが、ほかのカードから見ても、どちらかと言えば後者でしょう。独力よりも、グループ、自分を信頼してくれる人たちを、さらなる自分の力にすることであり、何より、自分に自信を持つことが大切となります。
●ソウルナンバー「3」
メインカードは「正義」です。ほかに「節制」なども出ていますので、バランスや調整ということがテーマとなります。まさに硬軟、緩急、陰陽など、相反するエネルギーや要素、性質をうまくコントロールし、片方に偏らない公平性・調和が求められます。同時に、メリハリも重要で、中途半端は止め、やるならやる、しない時はしないと、はっきりした態度を取りましょう。
●ソウルナンバー「4」
メインカードは「女帝」です。「女帝」といえば創造性、クリエイティヴィティにありますが、もちろんそれもテーマなのですが、計画をもって事を進め、終わらせるという意味も、ほかのカードと関連して考えられます。行き当たりばったりは避け、先を見据えた行動を取りましょう。一方で、友人・パートナーとの交流が深まりそうで、人間関係は新たな進展が期待できます。
●ソウルナンバー「5」
メインカードは「運命の輪」です。このカードには様々な解釈がありますが、タイミングとしてゴーなのか待ちなのかで見ることもでき、全体的には、今回はゴーと見てよく、この二か月でチャンスをものにする必要があるでしょう。しかし、迷いの中にある人、やるべきことが見えていないような人は待ちのほうがよく、誰かにアドバイスを聞くタイミングと言えそうです。
●ソウルナンバー「6」
メインカードは「悪魔」です。面白いことに、ほかのカードに「正義」も出ており、その他のカードの様子から見ても、あなたの枠(正しさ、こだわり)を超えることがテーマと考えられます。有体に言えば、枠を外す、今までの自分をルールを破る、飛び越えるみたいなことです。自分が考えるいけないこと、無理なことにチャレンジし、実はそうでもなかったと思えるとよいです。
●ソウルナンバー「7」
メインカードは「13」です。ただし、ほかのカードが、別のソウルナンバーの人たちとかぶるものも多く、いわば、今回に限り、このソウルナンバーの人は、他のソウルナンバーのメッセージがどれも参考になるということです。自分がピンと来たものを信じてもよいかもしれません。それでも、「13」が出ているので、思い切った変容・改革は必要と考えられます。
●ソウルナンバー「8」
メインカードは「愚者」です。他のカードには現実的な動きを示唆するカードがあり、このことから、心の面だけではなく、実際に場所を移動したり、変えて行ったりしていくイメージが出ます。また旅をすること、仕事の移り変わりなども考えられますし、それも深刻にならず、興味や関心のままに、少々の冒険でもOKだという気持ちで、前向きに進んで行くのがよいでしょう。
●ソウルナンバー「9」
メインカードは「手品師」です。ほかの出たカードと合わせても、どちらかというと、内面というより、物質・環境面を新しくするということが示唆されており、「手品師」の意味である「仕事」だと、転職も考えられますが、やり方、技術などを新しくするのが望ましいでしょう。全体的に情報が鍵を握り、より高度で詳細な情報、新規の情報を入手することが重要です。
「力」のカード、ライオン。
今日、ふと意識に上がってきたのは「力」のカードでした。
「力」のカードと言えば、女性とライオンという、なかなかインパクトある構図の絵です。
さて、皆さんは、女性とライオン、どちらに目が行きますか?
それによって、自分の状態・立場というものがわかるかもしれません。
「動物と人との構図」では、ほかに「愚者」も、犬と人物という関係で描かれています。
「愚者」のほうは、犬が人物に対して、何か関わり合いを積極的に持とうという意図が感じられます。ちょっかいを出しているとも言えますし、警告とも取れますし、愛嬌とも言える様子のしぐさで、犬側から人物への働きかけが明確です。
一方、「力」は、ライオンが受動的に、ただ女性の意のままにされていると言いますか、ライオンの関わりの意志と無関係のようにも見えます。しかし、「愚者」の犬の関係と比べると、両者は一体化している感じが強くなっています。
マルセイユタロットでは、「力」の女性とライオンは、ライオンが女性の中に入り込んでいるかのような一体感があるのです。
「愚者」の犬が、仮に、人物の旅に一緒について行こうとして、ある意味、愚者を案内したり、守ったりしているように見えるのですが、「力」のライオンでは、すでにすべて、女性に明け渡しているかのように、ライオンの主体性は失われているように受け取れます。
このことから、「力」(のカード)は、ある種の統合を示していると考えられます。
このライオンと女性は何を意味するのか、講義では詳しくお話していますが、ここでは、また違った見方で、特にライオンについてふれてみたいと思います。
ライオンは、タロットの大アルカナの図では、ほかにも登場しています。それは「世界」のカードに現れています。
この「世界」のライオンと、「力」のライオンは対になっており、ある並べ方をしますと、「力」のライオンが「世界」のライオンのほうに向いているのがわかります。
このライオンたちが何を表すのかは、もはや、ふたつのライオンの絵を見れば一目瞭然なのですが、口を開けている「力」のライオンと、口を閉じている「世界」のライオンとで、日本人には神社の狛犬でおなじみと言えばわかると思います。(詳しくは、あえて言いません)
ライオンは動物であり、百獣の王と呼ばれるほどのまさにパワーと威厳を持ちます。
おそらく、皆さんのイメージからしても、この「力」のライオンの絵を見れば、たてがみのある雄ライオンなので、男性的で力強い、時に狂暴なものも思い浮かべるかもしれません。
それをまるで猫のように手懐けているのが女性ですから、彼女は女性的な、何かの力を持っていることがわかります。
日本語では、「力」と書けば、英語のパワーのような感じがしますが、「力」というのは、ただの物理的な力だけではなく、「精神的な力」とか「能力」「経済力」「人間力」などと、熟語的に用いれば、様々な「ちから」に例えられますので、一言で「力」と言っても、やはり(物理的な)パワーだけではないのです。
明らかに、ライオンの力と女性の力は、ここでは別種だと見ることができますが、先にも述べたように、女性とライオンは一心同体のようにも描かれていますので、すでに、このカードににおいては、ひとつの「力」として統合されているものと推測できます。
逆に言うと、ひとつの大きな力は、ふたつの別種のエネルギー、質の違う力によってもたらされると言えます。
ひとつだけの力では、おそらく限定的な範囲でしか作用しないものと考えられます。(そのことは、数で言えば、「力」までのカードたちや、「運命の輪」の動物たちによっても示されています)
ところで、自分にとってのライオンは何になるのか、もう少し具体的に考えるてみるのも面白いです、
タロットを使いこなすには、元型とも言える象徴の基本的な意味を知る必要があります。この「力」のライオンの場合、ライオンの本質的な象徴を知るということです。
しかし、それは元型的であるので、全員に当てはまったり、原理としては言えることだったりするのですが、個人の象徴として、より具体的な次元に降下させていきますと、ライオンの意味は各人で異なってくるようになります。タロットリーディングのシステムと同じことです。
その時、本来は知っておかねばならない元型的な意味も、象徴図の印象からだけでも、想像することが可能になって、そのイメージしたもの、思いついたものが、意外に個人には相当していることがあるのです。
簡単に言えは、絵を見て浮かんだものが正解だったり、問題や課題の核心をついていたりすることがあるわけです。
ということで、たとえ、カードの意味を知らなくても、例えば、「力」では、絵を見て、ライオンの意味を個人的に想起してみるのもよいのです。
あなたには、ライオン(と女性)は何に見えますか?
まず、いきなり答えや具体的なことを出そうとしなくてよいです。
絵はどのような構図や状態になっているのか、それらを観察することです。
「力」だと、女性がライオンを操っている、押さえているようにも見えますし、ライオンは自ら、女性に身をゆだねているようにも見えます。
また、ライオンは口を開けて、そこに女性が手を入れているわけですから、ペットを飼われている人ならわかるように、これはよほどの安心とか信頼がないと、動物のほうがそのようなことはさせないと思いますし、人間も、噛まない、大丈夫だという確信がなければできないことです。
あなたが女性の場合は、「力」の女性側の立場で見ることができるでしょうが(反対に、男性だったら、ライオン側で見ることができます)、性別に限らず、自分がライオンだったら、女性だったら・・・と想像すると、その立場における何かが見えてくるかもしれません。
そして、女性とライオンの関係性、力のかけ方、かけられ方を、ポジティブに見ることもできますし、ネガティブ(問題性)として見ることも可能です。
自分が力を入れ過ぎていることもあれば、放置していたり、依存したりしていることもあるかもしれませんし、誰かから強制的にさせられていたり、逆に、この人のおかげで、乗り切れそうだと、勇気や自信をもらえているかもしれません。
ライオンは動物として、強烈な力を持ちますが、それだけにもし、手懐けることができれば、かなりの(新たな)力となって、自分のものとなります。
ライオンに同じエネルギー、同じようなパワーで立ち向かっていっても、おそらくコントロールすること、勝つことは難しいでしょう。
サーカスやショーでの猛獣使いは、鞭を用いていますが、鞭があるから猛獣が人に従っているわけではありません。従う理由がすでに形成されているから、あのようになるのです。鞭は単なる合図の道具に過ぎません。
サーカスやショーと言えば、「手品師」もそれらしい人物として関係しますし、「吊るし」もいかにもサーカスぽいですよね。
余談ですが、タロットに造詣が深くて、マルセイユタロットをフィリップ・カモワン氏と共同で復刻させた映画監督のアレハンドロ・ホドロフスキー氏は、幼少の頃、サーカスと関わることがあったため、サーカスぽい絵柄のあるタロットに、昔から心魅かれる理由のひとつにもなっていたのだと思います。
それはさておき、ライオンには、理由はここでは述べませんが、古代より、象徴的に太陽の意味もありました。
占星術的には、太陽の巡りは、黄道十二宮、星座(サイン)と関係し、女性(乙女)とライオン(獅子)も星座にはあります。
ただ、私は、ライオンと女性の関係が、通常の人間を超えた人物と、旧太陽系から新太陽系への変換を示しているようにも考えています。
すると、やはり、「太陽」のカードとも関連してくるでしょう。太陽とか惑星、宇宙を、ただの物質、今の天文学的な見方をしていては、このあたりは全くわからなくなります。というより、常識はずれで迷信みたいな感じに思えるでしょう。
ですが、太陽こそ、太陽系を作っているように、私たちの意識の中心であり、もっと言えば、意識そのものと言ってもよいのかもしれないのです。ただし、物質的な意識が中心だと、今見ているような、化学的反応の燃える星みたいなものに見えます。
古代では、太陽にはいろいろな見方があり、太陽信仰にもなっていましたが、熱くない太陽もあるとされています。もちろんエネルギーの大きさや供給する大元としての意味はありますが。
太陽がライオンで表される時、野蛮で肉食のライオンの動物の姿と、百獣の王としてすべてに君臨する威厳ある存在、何者にも屈しない(影響を受けない存在)としての部分がともに示唆され、私たちは前者の部分をよい意味で征服した時、太陽としてのライオンは、新たな姿を見せるのだと想像されます。(錬金術的な意味もライオンと太陽にありますが)
要するに、私たちの意識が変わる時、ライオンを取り込み、新たな意識の人類(人間)として、再生(次元自体が変容)するということです。
それは言い換えれば、私たちの常識としての宇宙が変わることを意味します。
丹念に「力」のカードを見ていくと、いろいろなことが隠されているのがわかりますし、それを読み解いていくと、結局、私たちの進化や成長(の方法、方向性)を示唆しているように思います。これはマルセイユタロットのどのカードにも言えることです。
ライオン(と女性)は、このような大きなものの象徴でもありますし、さきほど述べたように、自分にとって具体的なものや、何か(あるいは誰か)との関係性も示すことがあるのです。
この、ミクロからマクロ、マクロからマクロ、抽象から具体、具体から抽象の世界を、縦横無尽に旅させてくれるのが、タロットのだいご味と言えるでしょう。
さあ、あなたも自分のライオンを手懐け、あるいは、ライオンとして、この女性に象徴されるものに委ね、大きな力を発揮いたしましょう。
仲介する自分
マルセイユタロットの大アルカナを見ていると、人間、あるいは人間でない存在も含めて、複数のものが出てくるカードと、単独の人物など、独立した感じの図像のカードとに大別されるように思います。
細かく見れば、単独に見えるカードでも、実はほかの存在が隠されて描かれていることもあるので、必ずしもそうとは言えないのですが、ぱっと見には、そういう分類も可能です。
そして、複数の存在の出るカードたちの中で、その人物(存在)たちの中心となったり、仲介をしたりしているように見えるものがあります。前者は「世界」、後者は「恋人」などが典型でしょうか。
今回、その後者と言いますか、仲介や架け橋役ということをテーマにしてみたいと思います。
タロット的に言えば、仲介や架け橋となる存在は、天上的な存在と、地上的な存在があるように見えます。
もっとわかりやすく言えば、実際の人か、人ではない存在かということです。
私たちは現実の世界では、当たり前ですが、「人間」である以上、私たちがなれるのは、(実際の)人としての仲介役、架け橋役です。
皆さんも、今までの人生を振り返ってみてください。
自分が仲介役になったこともあるでしょうが、特にまだ未熟な頃、幼い頃、若い頃などは、誰かに仲介されて、あるグループや団体、組織などに導かれたと思います。
それには、仲介された先が、悪かったこともあるでしょうが、あとで振り返ると、結果的には良かったと思えるところ(こと)が多かったのではないでしょうか。
俯瞰した見方をすれば、どちら(導かれたところが良かったところ、悪かったところ)にしても、自分ひとりで閉じこもっていては見えなかった世界、わからなかった世界を、ある人が仲介してくれたおかげで、経験することができたのです。
その仲介役が、天使か悪魔かで、行き着く先は違ったかもしれませんが・・・
今、天使と悪魔の対比をしましたが、実際の仲介する人は「人間」ではあっても、その背後に、天使的な力や悪魔的な力が働いている場合があるかもしれません。
すると、一口に仲介と言っても、現実の人間だけの意志や思いだけで、仲介されているのかどうかという問題(疑問)が出てきます。
常識的には、現実・実際世界の関係性・情報性の中で仲介がなされますので、それ以外の見えない世界の仲介や力などは、普通の人は考えないものです。
しかし、タロットなどの世界に関わっていますと、現実を超えた世界を見るようになって来ますので、いろいろな影響や原因も、見える世界だけで考えないようになってきます。
「恋人」カードにも、人々が気が付かない上空で、キューピッドが矢を射かけている図があり、このような見えない世界からの働きかけ、仲介があることが示唆されています。
ということは、仲介、橋渡し役というのは、人間だけではなく、見えない世界の存在、さらには「存在」だけでもなく、いわゆる「ご縁」のような「概念」的なものも含まれるのかもしれません。
ともあれ、ここで言いたいのは、私たちの世界は、当然ながら一人だけの世界ではないので、様々なことを体験したり、新しい考えをもたらせたり、意識の拡大が起きたりするためには、どこか別のところへ(新しい経験の場所へ)行く必要があるということです。
そして、そのためには、仲介役・架け橋役のような、旧から新へ、既知から未知へ、孤独から仲間たちのところへと連れ出してくれる人が重要なのです。
人は心地よいとか、逆に、あきらめ、絶望の世界にいると、何もしたくなくなります。現状維持、固定を望むというか、どうでもよくなって、惰性に生きるようになるわけです。
言い換えれば、自分から何かをするということが少なくなるのです。従って、他人の力が必要となってきます。
あなたを今の状態から外の世界や別の世界に連れ出したり、ほかの経験をさせてくれたりする人によって、あなたに変化が訪れます。
狭い世界にいる人は、自分からどうこうしないというのは、すでに述べた通りです。
ですから、皆さん自身が、仲介役にもなれることを意識して、お節介かもしれませんが、少し、ほかの人に、その人が知らなくて自分は知っている世界を味わってもらう工夫をしてみてもよいのではないかと思います。
最近は、自己アピールをすることで、むしろ自分だけの世界に閉じ込める(囲い込む)がごとく、何かファンとか、推しの人を取り合っているかのように見えます。ニッチな世界であっても、自分がお山の大将とか、個性のてっぺんみたいな位置にいたがる、みんながそういう場所を占めたがるような様相です。
自分が一番、自分が目立つという志向は、必ずしも悪いわけではないですが、ほかに生き方として、誰かと誰かを結び付ける、あの世界とこの世界との橋渡しをする、そういうことで、自分自身の世界も広げ、人々に貢献するみたいな方法もあるかと思います。
それが向いている人もいるのです。コーディネート役と言いましょうか。
もちろん、お節介になったり、押し付けになったり、仲介のはずが迷惑になってしまったりすることもあるかもしれません。
宗教とか変な集まりとか、ネットワークビジネスとか、仲介役自身が何らかの利己的な利益・特典を受けたり、自分の強い思い(欲求)を満たすために、そういう役をしてしまうのは問題です。
そのあたりは、仲介する側だけではなく、される側も気をつけなくてはなりません。
しかし、まさにこのバラエティある世界の拡がりを、実際の人間として、純粋な気持ちで、つなげていく活動をすると、そこには天使性が働くのではないかと思います。
天使は、カードの「節制」においては救済の意味にもなります。あなたの仲介は、誰かに救済をもたらすかもしれないのです。
ところで、タロットリーディングもまた仲介の性格があります。
クライアントとタロットリーダーは、タロットを仲立ちとして、問題の解決を図り、双方の意識の変換や拡大、成長を担っていきます。
また、ある意味、天上と地上の架け橋にもなっています。(タロットがそういうツールでもあります)
心理学的には、自我と(統合的)自己の架け橋でもあり、何より、「太陽」のカードでも示される、普段の自分ともう一人の別の自分との懸け橋にもなります。それは神性なる自己と物質・心理的な自分との統合の過程とも言えます。
最初のほうに、実際は人が人を仲介する話をしましたが、あとでふれたように、見えない世界のことを入れると、その裏では、別の存在や、縁とかカルマのような「概念」が仲立ちしていることも考えられます。
そして、霊媒・ミディアムのように、心霊界と、現実の世界を仲介する人もいますし、カウンセラーなどは、心の世界と現実の世界を仲介しているとも言えます。
人だけではなく、儀式・祭祀のようなものでも、特別な演出が、実際の普通の世界と神や仏、祖霊の世界とを仲介させる役割をします。お墓参りすらも、お墓というものと祈りによって、亡くなった人と生きている人の仲介を、意識の世界で行います。
まさに、間々(あいだあいだ)の(仲立ち・仲介)世界は、そこかしこにあり、私たちは、様々に仲介し、仲介されながら生きているのです。
あなた自身も、きっと、誰かと誰かの架け橋になっているはずです。
そう考えると、人生とは、誰しも役割をもって生まれている、あるいは、誕生すると、役割が自動的につくことがわかります。
特に、年齢や経験が増しますと、仲介される側より、仲介していく側になってくると思います。今までよりも、積極的に、仲介役、架け橋役をやってみるのもよいのではないでしょうか。