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お金のイメージ
タロットカードは大きくわけると「大アルカナ」と「小アルカナ」と呼ばれるカードに分類できます。
その小アルカナでも4つのエレメント(元素)にわけることができ、その中に一般的に「コイン」(エレメントでいうと「地・土」)と呼ばれる組があります。
まあ、カモワン版マルセイユタロットを使う方は私も含め、コインではなく「玉(たま)」と日本語で呼びますが。これは端的に言えばお金を意味します。
かつてタロットを習っていた時、先生がおっしゃいました。『「玉」をシール印刷して財布に貼れば金運があがるよ』と。それで私も実践したことがあります。
結局私の友人も含めてあまり効果はなかったみたいですが・・・それはお金の意識に問題があったからだとあとでわかりました。
ほとんどの日本人はお金に対するイメージを汚いものみたいな印象になるよう教育されています。これは一概に悪いことではないでしょう。
お金だけで動くような人物になるなという、心を重視した清い思想で、これがあるために日本はバブルという時期もありましたが、狂乱破壊せずに済んでいると思います。
ただ何事も行きすぎはいけません。
お金に対するイメージが悪いばかりに、お金へのネガティブな感情が芽生え、その思いがお金以外にも波及してしまうことがあります。同じ感情に似た要素を集めてしまうようなものです。
ですからお金へのイメージをノーマル化(悪い印象をぬぐっておくこと)しないまま、うかつにお金シールみたいなことをしても、逆効果になることもあります。
なぜならば潜在的なイメージが悪いままなので、お金を強く意識すればするほど、自動的にネガティブさを引き出しまうことになるからです。
結果的にお金が入るどころか、お金が逃げていく(汚いものならばあってほしくない意識になるのが当然です)ことにもなりかねません。
そうそう、先生を弁護するとしますと、先生は「お金のイメージを変えることが最初に必要」だと強調されていました。それができていてこそのシール効果だったわけです。(苦笑)
ちなみに、まだまだ私はお金のイメージを完全ノーマル化するには至っていないと思いますが、昔よりかはいけるかもしれません。
久しぶりにシールでも貼って見ましょうかねぇ...(笑)
仕事を辞めるかどうか。
相談で多いのは、二者択一の悩みです。
仕事を例に取りましょう。
人間関係や仕事内容のつらさで辞めたいけれども、辞めると次の職場が見つかるかどうか心配。見つからなかったら経済的にどうしよう、見つかってもまた難しい職場だったら・・・
このような悩みのパターンはとても多いといえます。
タロットをすると割とはっきりとすることが多いのですが、それでも両方どちら(辞める、辞めない)かすぐに判断がつかないこともあります。
こういう場合、得てしてどちらでもよいケースだといえます。
しかしながら、問題なのは本人の中である特定の考えが強固になっている場合です。
わかりやすく上の例でいいますと、「辞めると次の仕事を探すのは困難」「次もいい職場が待っているとは言えない」という自分自身の強い思いこみがあるということです。
つまり 不安>期待 という構図が、自分の考えによって成立している時に迷うということです。
そういっても、普通の人間ならば次の職のことについて不安に思うのは当たり前でしょう。ましてや今の世界的な状況と日本の状態では不安に思わないほうが不思議です。
ところが、人はよくも悪くも一番強く信じていることが実現します。
「次もダメだろう」「無謀に転職してえらいことになるのでは・・・」という不安が、「次はよくなるだろう」「何とかなるものさ」という期待感を大幅に上回っている状態では、自分の信じている不安の事柄を実現させてしまうことは可能性として大きいと言わざるを得ません。
従って、転職することに希望と期待感、よくなる確信感をもてない間は辞めることを控えたほうが安全です。
大切なのは自分の中にある思いこみや考えを、常識や世間とは切り離して見つめ、自分を中心にした思考に変えていくことです。
自分はどうしたいのか、自分はどうなりたいのか、これをはっきりさせ、そのためには今の仕事を辞めることが必要で重要ならば、すぐに決断できるはずなのです。
単なる逃避からの行動は、罪悪感と混乱が自分の中に残っていますので、同じこと(状況)を引き寄せる結果になりがちです。同じことを再現して解消したい心の働きが残っているからです。
それでもがんばってはみたものの、どうしてもつらく、このままでは心身が壊れるということならば、それは辞めたほうがよいです。
辞めるのならば、辞めてから心身が回復すること、整った心になることをイメージし、罪悪感を持たず、次なる自分の安定に心も行動も集中していくことです。
追いつめられ、やぶれかぶれで行動した人が成功を収めたりするのは、退路がないことを知り、陰極まって陽になるがごとく、前進あるのみの意識の転換が無理からに起こったからとも考えられます。
ほかに考えることのない収束ビームのような未来志向意識が、不安やネガティブさの入り込む余地を吹き飛ばしているともいえるでしょう。
どの道、周りも自分も必ず変化していくのが世の常です。自分から変化を起こすか、周囲の変化を待つのか、それはまさに自分次第なのです。
選択については、いろいろと方法がありますので、またタロットのことを交えながら解説したいと思います。
うつの予防のために
あまりよい記憶ではありませんので、ブログに書くのもあれなんですが、同じようなことで苦しまれている方や予防的な参考の意味もこめまして、うつ病時代のことにも少しふれたいと思います。
ただ私の体験や対応が皆様全員に当てはまるわけではありませんし、医学的なことにふれることも適当ではありませんので、このあたりはご勘弁とご注意をお願いしたいと存じます。
まず私が心身の異常を感じたのは、公務員時代の何度目かの転勤後でした。
公務員と聞けば、皆様は9時17時の楽な仕事だと考えていらっしゃる方も多いかもしれませんが、決してそうではありません。部署によっては午前様がずっと続くような激務のところもあるのです。
それと、ただ単に忙しいのではなく、お役所ならではのしきたり、気遣い、閉鎖的な環境など相まって、精神的に民間とはまた違った苦しさが伴います。
もちろん民間のほうが大変で、特に今の不況での勤務状況は常軌を逸した苦境にあって、公務員の大変さなんて比べものにならんよ、と述べられる方がいらっしゃるのもわかります。
けれども今はそうした業種の厳しさの比較論より、あくまで個人の中での重さ軽さで見ていただければと思います。
さて転勤後、私がどうなったのかといえば、新しい仕事の説明を受けてもまったく耳に入らないどころか、頭の中の全体にもやがかかったようにどんよりとした感じになり、何を考えるのも、何をするのにもおっくうになっていました。
最終的にはボールペン一本さえも持つのが「しんどい」という状態になりました。もうこの頃には自分でもかなりおかしいことには気づいていました。神経内科を受診すると、うつ病であることが告げられました。
思えば、前の職場でひどく残業が続き、かなり体力的に弱っていたところ、転勤して次の職場での仕事内容も私には相当難しいように思えて、精神的プレッシャーも感じたことが発症の要因だったと考えられます。
この経験から、今日は私が言いたいのは次のことです。
体力と精神、両方が疲労していないかチェックすること。
人はうまくできているもので、精神的に少々堪えていても、体力が十分であると乗り切りやすいです。
反対に体力が弱っていても、安心した環境で回復が図れるのなら、それもまた何とかなります。
しかしながら、この両方を同時に弱らせるようなことがあると、とても危険です。個人の弱いほう(心か体)に何らかの症状が、サインとして出るおそれが高いといえます。
また、先ほど心と体、片方に力があるならば大丈夫とお話しましたが、それも程度と限界があります。
片方(心か体)でも許容量を超えてあまりに痛めつけられると、もはやもう一方でバランスを取ることが困難となり、心身の天秤は破壊されます。
ですから、日頃からの対応策は以下のようになります。
体の休息を取ること。 食事・睡眠・運動など基礎体力の温存と回復。
心のケアー。 友人とのうち解けた話、レクリエーションなどでのリフレッシュ。
そして心と体、そのものの「体力」と「許容量」(つまり打たれ強さや受け流す力)を、普段から上げていくことも求められます。
これはいわば、心身の天秤のはかりの部分(おもりやモノを入れるカゴの部分)自体を、少々のものが入っても傾かないように大きくしていくということになります。
このあたりはタロットをしている人には「正義」のカードの絵柄を見ると、よく理解できるはずです。
私のうつ体験やその後の経緯などは、話せばとても長くなりますので、いずれまた少しずつご紹介することにいたします。
恋愛 この恋どうしよう
タロットに限らずですが、相談というとやはり「恋愛」のことがよく挙がります。
とりあえずつきあってはいるけれど、どうも関係がおかしい、分かれたほうがいいのか。相手が(あるいは自分自身が)どう思っているのか不安、続けたほうがいいのか・・・
などせっかく両者の恋愛に発展してもナーバスになることは多いものです。
そういう時、中途半端で恋を終わらせるよりも、とことん行き着くところまで行ったほうがよい場合があります。
なぜかと言いますと、途中で終わらせると未練が残るからです。相手への思いでの未練ということもありますが、その「恋」自体がきちんと終了していないこと、終わっていないという感覚が残り続ける未練が問題なのです。
人間は終わらせていないものに対してはどうしても不快感、気持ち悪さが伴います。すっきりしないのです。
「あの時もっと続けていればよかった・・・かも」と「かも」が出るようでは未練があります。まだ「続けていればよかった・・・でも」と思えるほうがましです。
いつまでも完結していない恋愛にふりまわされるより、ドロドロになるかもしれなくても、行き着くところまで行ったほうがすっきり終われることも多いといえます。
ただ、DVを受けていたり、相手から心身を傷つけられている状況が続くのはいけません。これは途中でもやめたほうが正解です。(なかなかそうはできないので問題ではあるのですが・・・)
とにかく自分なりに完結することを目指してみましょう。いうまでもないことですが、完結には失恋や別離などの望む方向ではない事態も含まれます。
大事なのは「自分でやるだけやった」「この恋に精一杯努力した」と思える感覚が得られることです。
カモワン式の展開法
カモワン版マルセイユタロットは過去・現在・未来の三枚の基本カードから始まります。
ただ、この三枚だけでは終わらず、カードの人物が持つ視線の方向によって、次々とカードが展開されていきます。
それはまるでひとつのストーリー、物語が目の前で繰り広げられているかのようです。
私がこのタロットを特に気に入ったのは、この独特のシナリオのような展開法が魅力的だったからです。
タロットは一組78枚、主に大アルカナという22枚のカードでカモワン式は占いますが、それにしても22枚の組み合わせから無限と思える展開がその時その時に応じて登場します。
つまりはひとつとして同じ展開はない(厳密にはありえますが)というのに等しいのです。しかしこの点が個性的ではあるのですが、逆に言えば欠点ととられる場合もあります。
それは同じ展開が現れにくいので、リーディングのパターンがつかみづらいという学ぶ側のほうの難しさです。
占ってもらうクライアントにしてみれば、自分(とその問題の)オリジナルが出ていると思えば、よりタロットに親しみを覚えて向き合いやすくなりますが、読む側となればまた別です。
しかしながら、それもある一定の法則があります。そもそも自由な展開といっても、まったくのフリーではなく、特定の規則に基づいた自由性なので、その規則の原本に立ち返れば、自ずと解読もしやすくなります。
そういったコツは教えられないとなかなかわかりません。これはたとえばスポーツで自己流の練習ではできなかった技が、いざコーチを頼んで教えてもらうと案外簡単にできてしまった、というようなものです。
ただこのスポーツの例でも自己流とはいえ、一生懸命やってきた下地があります。ですからポイントを教えられてもすぐ理解が可能なのです。
何事もそれなりの努力なくしては、完成には近づけません。タロットカードでいえば、まさに「神の家」のレンガを積み上げるが如しです。