カードからの気づき
あなたの「世界」を作る
タロットに「世界」という名前のついたカードがあります。
マルセイユタロットの「世界」の場合、中央に人物、その周囲を取り囲むように4つの生き物が配置されています。
この4つの生き物と中央の人物には当然ながら密接な関連があり、それぞれ個別の意味と、全体性での意味とのふたつが存在し、それらがまた有機的に絡まって、様々なことを表現することができるようになっています。
それほど、「世界」のカードは多様性に満ちています。
カモワン流の展開法でこのカードが重要な位置で出る時、次のようなことがポイントとして考えられます。
視点・視野について
調整・協力・仲立ち・関連について
目標・完成点について
世界観と世界の構築について
これらはほんの一部ですが、ここに挙げた4つのポイントだけでも「世界」が読みやすくなるはずです。
そしてここでは、4番目の「世界観と世界の構築について」にだけ、少し説明したいと思います。(ほかのポイントはご自分で考察されるか、タロット講座を受けられるかしてください(^_^;))
「世界」は「世界」という名前があるように、「世界」の言葉そのもので考えていくと新たな視点が生まれます。
世界と一口に言っても、いろいろな意味があります。世界中の国々や人々というように、一般的な意味での「世界」という使われ方があります。
しかしほかにも、「誰それの世界観」「これこれにも、その世界がある」というように使われる「世界」もあります。
ここで言っている「世界観と世界の構築について」も後者の「世界」のことであり、つまりは「あなたの世界観、あなたの作りたいもの、目指したいものを明確にする」という意味なのです。
言い換えればあなた自身を中心とした世界を作ると言ってもよいでしょう。
それには、自分が何を求めているのか、どういう立ち位置にしたいのかなどはっきりとしたものをもっていないといけません。
ふらふらと流れていては、中心に立てないのです。
その点では、実は「悪魔」のカードと共通したところもあります。(両者には連繋となる象徴もあります)
自分の世界観があってこそ、それに賛同する人が集まってきますし、協力もしてくれます。
あなたが何者かわからず、何を考え、何をしようとしているのか不明な場合、誰もあなたにひきつけられません。
「世界」の中心人物になるほどの自信はないよという人は、周りの生き物の立場として応援していくスタンスを取ることも可能です。
そうしながら、自分に足りない面を補っていき、反対によいところを伸ばして成長することもできるからです。
ただ中心の人物とのつながりが強化されるには、「悪魔」のカードでひもでつながれている人たちとは異なり、個としての独立性が必要かもしれません。
それは個性として自分の役割がグループの中できちんとあるということです。
他の人たちとかぶっていない部分・得意分野があるとさらに有利となるでしょう。
「世界」は単純に外の世界へ広がっていくようにとらえられがちですが(実際、そのことを感じることは重要です)、自分の世界を確立するという面では、内なる世界への方向性、自分自身の充実度も見落とすわけにはいかないところもあるのです。
創造と破壊
「創造」と「破壊」という言葉が反対の意味でセットとして考えられていますが、この二つは実は似たようなところがあるのです。
創造は何かを生み出し、作り出すことになりますが、その前には古いものや体制を壊していく必要もあるからです。
創造ばかり続けていたら、まさにモノが散らかった混沌とした世界になってしまいます。それゆえ、創造と破壊は常にペアとして考えねばなりません。
最近は整理整頓ができない方も増えていると聞きます。
これはいろいろな原因があるとは思いますが、周りの刺激や情報が多くなることで、私たちの創造意欲が過剰に働かされているからではないかと考えられます。
つまり、いつもいつも欲求をかき立てられたり、あることを考えさせられたりするので、頭の中では想像(=創造につながる)の過剰生産状態に陥り、収拾がつかなくなっているものと考えられます。
その状況が実際に部屋の散らかり具合に反映されているというわけです。
ですから破壊作用をもっと取るべき必要があります。
具体的には流入してくるものを破壊する、すなわち遮断です。そして考えが膨らむことを破壊する、いわば何事もシンプルに考えるのもよいでしょう。
料理の注文、お誘いの参加など即断即決を心がけるようにしてみるのもよいかもしれません。
また意外ですが、一度物質的に本当に何か破壊してもよいものを壊してみるのも効果があります。
これは破壊の爽快感を味わい、その後散らかった破壊物を見ての空しさをさらに感じることで、片付けなくてはならない気持ちに自然に向かわせるためでもあります。
創造が過剰であるならば破壊行為によって、そのたまったエネルギーを流すという意味にもなります。
ただし、人に迷惑になるような、あるいは犯罪行為になる器物損壊は避けてくださいね(笑)。
タロットでも「女帝」と「13」(他のカードでは死神)のカードが、それぞれ「創造」と「破壊」に大きく関係しています。同じ「3」という数を背負っていることも興味深いことです。
カモワン版マルセイユタロットでは、どちらのカードの人物も未来に向かっており、この両者のエネルギーバランスによって、好ましい未来が築かれる(創造される)ことがわかるのです。
「節制」に見る有効活用
マルセイユタロットでは「節制」と名のついた、二つの壺をもった天使が描かれているカードがあります。
ほかにも「星」という二つの壺を持った人物のカードがありますが、今回は「節制」に関してです。
「節制」、これはちょっと厳しい感じのする言葉ですよね。
「節制しなさい」というと、何かしかられているような気分にもなります。
たしかにこのカードは節約したり、抑制したりすることを意味します。
これらのことは「二つの壺から出ている水の扱い」から出ていることなのです。
節制の人物(天使)は、両方の壺の水を片方からもう片方へ移し替えようとしています。しかし一滴もこぼさない、無駄のない動きなのです。
ですからこのカードが出れば、あり余る資金で投資するというような感じではなく、限られた資源をうまく有効活用しましょうという意味合いになります。
すでに自分の中に、あるいは知っている誰かの中に活用できるものがあるとも言えます。
人は意外に無駄なことをしているものです。
今あるものの中から使えるものを探して活かすことができれば、それは自分にとっても真の意味で救済となるでしょう。
また、ひとつのものを有効活用するということだけではなく、重要なのは、「節制」の天使が二つの壺の水を交流させている、混ぜ合わせていることです。
これは自分の中の技術や考え方を合わてみるということや、文字通り、人と人とを交流させてみるということを表す場合があります。
カードの数の順序でいえば、「節制」は「14」であり、その前に「13」というカードが存在します。
「13」は究極までエッセンスを凝縮した状態ですので、混ぜ合わせる前にはかなり物事をつきつめていく前段階があることも意味します。
むやみやたらとたくさんの薬品を混ぜてしまっては、大爆発を起こしてすべてが吹き飛んでしまうおそれもあるからです。
薬(自分の技術や人的資源)が有効に働くのも、しっかりとした研鑽と研究、見極めが必要であるともいえましょう。
このことからも「節制」が拡大よりも、集中していくエネルギーになっていることがわかるのです。
人はあなたのことを見ているか?
カモワン版マルセイユタロットは、カードの人物の視線を重視したリーディング(解釈)をします。
視線の方向は、人にとっての関心の矛先を示します。
関心と言っても、よい感情(好意・親近感)もあれば悪い感情(悪意・嫌悪感)もあります。
この、「人から見られている」「注目されている」という感覚は、時に過剰に作用することがあります。
言ってみれば、ほとんとの人は自意識過剰状態かもしれません。
「自分は人からこう見られているかもしれない」「もしかしたら、これをするとかっこ悪いのではないか」など、人目を必要以上に意識してしまっているのです。
反対に人のことを自分はどう見ているのかを考えてみるとわかるのですが、好きな人など特別な感情を抱いている人を除いて、普通は人のことはほとんど気にしていないものです。
実は人は一番関心を持っているのは自分自身のことなのです。
自分に関していい意味でふれられる(賞賛・褒られる)とうれしいですし、逆に悪い意味(非難・貶められる)で取り上げられると怒りを抱いたり、心に傷がついたりします。
これも結局は自分に関係してくるからなのですね。
タロットでも相手を表すカードの人物の視線が、自分を示すカードに向けられていないことを知って、安心したり、意外に思ったりすることが実際あります。
結局自分が気にしているほど、人はあなたのことを見ているわけではありませんから、ちょっとくらいの冒険はやってみたほうが得だといえます。
あなたが人目を気にしなければならないほどの注目を浴びる時は、いわばあなたが超有名になっているか、よほど衆目を浴びるほどおかしな状況(笑)であるかと考えられますから、普段はもっと伸び伸びとしていても全く問題ないと思います。
耐えるばかりが解決ではありません。
仕事やプライベートにおいて、つらいことや困難なことが人には起こってきます。
そうした場合、自分の学びとしてとらえ、これを克服する、逃げずに何とか改善していくということはとても尊いものです。
実際、そのほとんどは「自分が気がつかねばならないもの」「成長するためのイベント」だと私も考えています。
光も電流の流れる抵抗があって熱を出して輝くように、困難なことは自身を磨くことに貢献すると言ってもよいでしょう。
ただ、私はもうひとつ、「別の意味もあるのではないか」とタロットを扱っていて気付いたことがあります。
それは「今やっていることは、自分に合っていない」と気付かせるために起こっているということです。
まさに自分の性に合わないといいますか、あまりに適性に向いていないことをやっていると、やはり人より倍時間がかかったりしますし、大変さを感じる度合いも、ほかのことをやっている場合とではかなりの違いがあったりします。
また自分の所属している場所、行っていることが社会的・精神的・霊的に間違っているということも考えられます。
そうすると自分のエネルギー(体力的・心理的)の消耗も激しく、克服どころか、その前に自分が倒れてしまいかねません。
悩み苦しんで、「自分が悪いのだ」と自分を痛みつけ、最悪の場合、自ら命を絶ってしまう危険性もあります。
それは、あなたが悪いのではなく、あなたの選択している状況が間違っている可能性もあるのだと考えてみてください。(自分の選択という意味では自分にも責任はあります)
単純に職場や仕事を変えるということもありでしょうし、その前に、他人の目線や評価を気にして、避けることができるものを過剰に自分に課してしまっている場合がないかなど、点検すべきものもあるでしょう。
小説の「ドン・キホーテ」のように、愚直に立ち向かうばかりが解決策ではありません。自分の可能性を狭めているばかりに、逆につらい状況になってしまっていることもあるのです。(余談ながら、「ドン・キホーテ」の物語は非常に示唆に富み、私自身はかなり秘教に関係していると見ています)
ひたすら耐えるばかりではなく、もっと広い意味で智慧を使いなさいということを告げられているのかもしれません。
結局は、大きな意味で考えますと、自分に起こることはすべて学びやメッセージだと考えることができます。