カードからの気づき
知らないことを知っていることがマジック。
タロットカードには、「手品師」(ほかのタロットでの一般的な名称では「奇術師」「魔術師」)というカードがあります。
マルセイユ版の図柄では、ある人物が手品(奇術)をして人々を楽しませています。
そう、まさに「手品師」が描かれているのです。
当然手品ですから、タネがあります。しかもこの手品師はイカサマを賭博をしているという説もあるくらい、タネおおありなのです。(笑)
しかし知らない人はだまされて手品に魅了され、お金をまきあげられるのです。
でも、もしかすると納得ずくの人も観客のうちにはいるかもしれません。
そういう人でもその手品のタネを知らないから楽しめるのであって、その楽しんだ料金を手品師に支払っているわけです。
インターネットなどをよく見ていますと、いたるところに情報商材の販売サイトを目にします。
それが商売として成り立つのは、普通は知らない(と一般の人が思える)情報を売っているからです。知っていたら当たり前ですが、誰も買おうとはしません。
つまり知っていればなぁ~んだと思えることが、知らない人にとっては大きな価値を持つということでもあり、仕組み(タネ)がわからなければ、その人には「魔法」(マジック)のように見えるのだということでもあります。(これは本当に「魔法」の原理でもあります)
そのことをタロットの「手品師」はよく表しています。カードには商売のヒントさえ隠されていたのですね。
あなたも一般にあまり知られていないことを研究するか学び、それをウリにするとまさに「売り」になり、カードの「手品師」のように人々の注目を集められるかもしれません。
そしてネタは意外にも足下に転がっていることを、カードの手品師の視線が物語っているようにも私には見えます。
カモワン版マルセイユタロットを学んだ方は、さらに隣が「愚者」のカードであることに注目してみると、とても面白いことに気がつくでしょう。
天国と地獄
天国状態、地獄状態と、人はよく言います。
これは実際にはどんな気分の時でしょうか。
どんな時って、あーた、天国はチョーいい気分の時だし、地獄はサイアク~・・・と感じている時に決まってるじゃありませんか。
ええ、おっしゃる通りです。じゃ、この記事はこれで終わりますね。 って、終わっちゃまずいですよね。(笑)
ではもう少し、天国・地獄と感じている気持ちを分析してみましょう。
実はある視点から考えてみると、天国も地獄も同じことなのです。
えっ、まさか!?と思うでしょう。
この両者は、心が、ある状態で固定されてしまっていることから起こるとも考えられます。
つまりいい気持ちで心が止まっている時は天国と感じ、悪い気分で固定されている場合は地獄と感じてしまうということです。
いい気分が永遠に続けば、本当の天国に入ったとも言えるでしょうし、反対に永遠のサイアク気分が続くともなれば・・・これはまさしく地獄ですよね。
私たちはたいてい、天国と地獄とを両極端にしたグラデーションの感情世界に生きています。
良い・悪い、快・不快、ふたつの感覚を行きつ戻りつ、その程度も変えながら、人生を歩んでいるのです。
ずっと同じ気持ちに固定されたままのことはありえないと言ってもいいくらいです。
ですから見方を変えれば、ある心の状態にとらわれ続けていることは、天国の可能性もありますが、地獄のおそれも大きいということになります。
瞑想などで至る忘我の境地というのは、とらわれのない心だといわれていますが、もしかするとつかの間とはいえ、「何もない」という状態で固定されているとも考えられます。この時、おそらく人は至福を感じていることでしょう。
しかしながら、悲しいことに、私たちの多くは悪い気分に固定されることが多く、その意味では現実に感情的には地獄を自ら作り出しているとも言えます。
このことから、やはり気分転換というのは思った以上に大切なのだとわかります。
世の中や自然は移り変わり、ひとつとしてずっと同じ状態が続くものはありません。
固定され続ける、変わらないということは、こう考えると自然の摂理や流れに逆らっていると言うことであり、非常に特殊なことであるとわかります。ですから、普通とは違った気持ち(天国か地獄)になるのだと推測できるのです。
人は悪い気分で固定してしまうことが多いのですから、流動的になれば、そこからかなり救われる可能性があります。
迷いも一種の固定状態だと言えます。決められないことで固定されてしまっているからです。
決めて進むと環境的にも変わってきますので、決められずに悩んでいた時からは確実に変化はあるはずです。
その後、また何かにとらわれ、固定された心になると悩みが生じて、地獄を現出させるかもしれませんが、また「変えていけば」きっと心はその状態からは楽になるでしょう。
また逆に考えますと、悩みが訪れるということは、それまでの固定された状態からの変化だとも述べることができます。
悩みが来ることで、一種の変換や決断を迫られることになるからです。こう考えますと、悩む状況も決して悪いことばかりではないのがわかるでしょう。要はその悩みをいつまでも続けていく(心の)状態が悪いわけです。
それは変わっていくことに身を任せること、あるいは自分から変えていくこと、変わることを信じることが重要だと換言できるかもしれません。
タロットカードで番号順に大アルカナを見ますと、固定されたように見えるカードの後には動きのあるカードが来ています。そもそも固定されていると見えるものは少ないですし、あっても特別な理由があります。
これまで述べたことは、カモワン版マルセイユタロットでいえば、「恋人」「13」「審判」の縦並びにエッセンスが詰まっているとも言えますし、「正義」や「運命の輪」、「吊るし」のカードの意味を考えるきっかけにもなるでしょう。
そして、タロットカードにおいて本当の天国といえる「世界」は、永遠の固定が二重になっているということと、「固定状態なのに動きがある」という通常の概念を超えたものであることが大きな秘密だと考えられるのです。
タロットカードの「悪魔」は個性を培う。
タロットの講座をしていますと、最初に多くの受講生の方に嫌われがちのカードがあります。
その代表的なものが「13」であり、「悪魔」です。
このふたつのカードにあるテーマを理解し、昇華していくことで、絶大な力を得ることができるのですが、私もまだまだです。(苦笑)
それでも嫌いなことはありません。このブログで何度も言っていますように、カモワン版マルセイユタロットにおいて、ノーマルな状態ではすべてカードはポジティブであり、もっといえばよいも悪いもなく、それぞれ単体でも統合されていますし、全体だとさらに大きな意味で完全を示すと私は考えています。
それはともかく、今日は「悪魔」について語ります。
「悪魔」にはいろいろな意味があるのですが、ここでは自分の得意なもの、良いところをのばしていく(つまりは「個性」)というような観点で話をします。
マルセイユタロットを見ますと、悪魔は二人の人物をひもで縛り、従えているように見えます。
一方、ひもでつながれた人物は、陶酔しているかのように悪魔を見上げています。
ここから、人気者とファン、カリスマと信奉者、影響を及ぼす者と及ぼされる者のような関係を示すとも考えられます。
そしてほとんどの人は、最初は後者の「つながれる者」なのです。
「自分に力がない」「自分のしたいことがわからない」「自分の特徴は何なのかはっきりとしない」・・・おそらく誰しもこのような気持ちを実感したことはあるでしょう。
「悪魔」のカードは、埋もれてしまっているあなたの才能や個性を実は開発してくれる(わからせてくれる)役割があるのです。
自分の方向性や良さがわからない、そういう時は、悪魔のような強烈な個性を放っているあこがれの人のマネをしたり、その人を研究してみることをカードは示唆しています。
はじめはファンからでもよく、あえてその人の影響を受け、つながれてみることでその人の雰囲気やオーラもわかりますし、個性の具体的な出し方など、技術的なことも「ひも」を通してあなたに入ってきます。
そうすると、あなたの中には「小さな悪魔」が生まれます。この小悪魔こそ、あなたの眠っている個性に火をつけるのです。
実は、個性といっても、その因子は全部の人に等しく存在していると考えられます。
その中で社会的な役割であったり、好みであったり、肉体的・環境的な要因からであったりして、刺激により「ある個性の因子」が特化・拡大します。それがまさにその人の「個性」として輝き出すのです。
悪魔はその個性因子を強化するものと想像できます。
いくつかのあなたのモデルとなる悪魔を見つけ、意識的につながることで複数の個性因子があなたの中で育ちはじめます。
いつしか、大悪魔に匹敵する個性として成長するかもしれませんし、それらが複合してあなたの新たな個性として誕生するかもしれません。
いずれにしても、その時あなたは、悪魔につながっている「ひも」を自らはずすことになります。それが悪魔からの卒業です。「悪魔」のカードにおける「ひも」が緩いのはそのためです。
よい悪魔は、ひもがはずされたことを喜びます。逆に悪い悪魔は、あなたにつけられているひもをキツクキツク縛ってきます。そうなると、あなたは窒息死してしまうでしょう。ただ真綿のような、ある意味気持ちのいい締め方なので(笑)、最後まで気がつかないおそれもあります。
とにかく大切なのは、個性が育ってきたと思ったら早めにひもをはずしていく自覚をすることです。いつまでも悪魔に依存していると、悪魔なしでは生きられない人生となってしまいます。
これをまさに意図をもって悪魔側からすることを、「洗脳」と言います。この場合、タロットは「悪魔」を逆向きとして登場させます。
結局本来の悪魔は、人々の個性や自己を強調させる役割があると考えられるでしょう。
もちろん行きすぎればそれば尊大さや傲慢、支配を生むもとにはなりますが、自信を持てない人や人生を楽しく生きられない人には、悪魔は恩恵的な存在と言っていいでしょう。
悪魔は人の楽しみやあこがれの源泉であり、また超えていくべき存在でもあります。だから悪魔は、自分のひもをはずしてもらうことも願っています。
ひもをはずすことが、あなたの人間として成長した証でもあるからです。
「力」の使い方
W杯の報道も増えてきましたので、サッカーのゴールシーンもよく見かけると思います。
しかし簡単に思えるシュートをはずしてしてしまうことも、サッカーではよく起こります。
そんな場合、シュートを打つ選手に力みが見られることが多いようです。
サッカーに限らず、「絶対に失敗してはならない」と力むとかえって失敗しますよね。
また反対に「絶対に成果を出してみせるぞ!」と力が入りすぎてもダメな場合が結構あります。
これには逆効果になる心理的なメカニズムもあるのですが、今回は「力加減」というポイントで見てみたいと思います。
これはタロットカードでいえば、「力」のカードが該当します。(「力」は女性が大人のライオンを従えている絵柄のカードです)
私は趣味で釣りをすることがあるのですが、ふりかえってみると、案外よそ見してたり、ちょっと気の抜けたりしたような時に、突然大物が食いついてきたことが多かったように思います。
柔道などの武道でも、こちらが力を入れるより、相手がこめてきた力を利用して技をかけるというようなものもありますよね。
やはり力一辺倒のごり押しよりも、「押してダメなら引いてみな」という言葉があるように、力の駆け引きは重要な要素だと考えられます。
力を抜いた時に、なぜ力が発揮できるのか。
これはおそらく、ずっと力がかかって緊張状態にあったものが、ふっと一瞬力が抜けた時に、圧縮されたエネルギーが、かえって爆発的な反発力をもって外に押し出されるようになるからではないかと想像できます。
ここには物理的な力だけではなく、目に見えない波動やエネルギーのようなものも瞬間的に放出されるているのかもしれません。
だから、ずっと頑張っていたことが、ふと「もう、どちらでもいいや」「天に任せよう」と、手放しの気持ちになった時、思いもかけず突然叶ってしまったというようなことがあるのではないでしょうか。
このカギは、「力」のカードにも描かれているある象徴の図柄に示されていると思っています。
それはプラスとマイナスのエネルギーが交錯することで一瞬均衡するポイントであり、ゼロポイントとでもいうべきエネルギーフィールドです。
このフィールドは、まさにぽっかりと穴があいたような空白の地点ともいえ、そこに無限大のエネルギーが流れ込んできます。
エネルギーが無限大だというのは、「何もない」ということは逆に「すべてがある」ともいえるからです。
そのため、「力」のカードは、女性でも大きなライオンを事もなげに手なずけることができているのでしょう。
カモワン流でこのカードが出現する時、単なる表層的な絵柄のイメージから「力を入れる」と読んでは本質を見誤ります。(そう読んでいい場合もありますが)
むしろ反対に、力を抜くこと、力をコントロールすることを訴えていることが多いのです。
必死でやっているのに効果があがらないという時は、ちょっと逆向きの方向に力を抜いてみるとよいかもしれません。
自分に規則やルールを作る。
よく、「特定の考えやルールに縛られずに、自由にのひのび生きていこう」という話を聞きますよね。
これはもっともな話です。
ひとつのことにこだわりすぎていると、いつの間にか自分のためではなく、その正しいと思っている強固な考えを守るため、あるいは証明するために、生きていくことになりかねないからです。
これでは本末転倒です。
主人公が自身や人間ではなく、規則やルールという事柄やモノにすり替わっていることになります。
ただ、一方では自分に自信がない人、主義主張ができず、いつも人のいいなりに動いてしまうような人には、自分の中に、ある種の「規則」や「教義」「信条」を設ける必要もあります。
「私は自由が好き」と思ってはいても、逆に言えば「何も信じているものがない」「何も主張するものがない」「没個性」ということにもなりかねません。
自分が正しいのに、正しいと言えない人、つい人の顔色をうかがって気遣いで疲れてしまう人、自分さえ犠牲になれば周囲は丸く収まると思っている人・・・このような方は自由でいることよりも、まず自分の「正義」を確立してください。
自分の中にルールを作り、それに従って行動していくことです。「何があっても、これだけは守ろう」とか、「何も言えない時でも、これだけはしておこう」とか、「自分ルール」をあなたの思う「正義」によって作るのです。
「正義」がわからないのなら、自分がよいと感じることからでも構いません。本や人の話から得た知識や賛同したことでもいいでしょう。
簡単なものからでも、あなたの中にある「信じていること」を明確にし、ルール化していくのです。
ルールができれば、それに基づいての判断と行動がしやすくなり、気がつくと主張のできるあなたに徐々に変わっていきます。
そして、それを続けていくと、いつかそのあなたのルールは古くなっていきます。ルールに疑いを持つことにもなるかもしれません。
その時こそ、新しい考え方やルールに交替するタイミングが訪れているのであり、古いものは壊されていくことになります。
こうして、次第次第に本当の意味での自由を獲得していくのだと私は考えています。
ですから、規則やルール、正義といったものに縛られること、縛ることは決して悪いことではなく、最初のステップとしてはむしろ必要なものとも言えましょう。
実は、これまで述べてきたことは、タロットカードの「正義」のカード一枚で説明がつくことなのです。