タロットの使い方

調和・救済への必要な作業

タロットを使うことでも使わないことでも、セラピーやカウンセリング、セッション、占いなどで人の役に立ちたい、対人援助を仕事にしたいと思っていらっしゃる方は少なくないてじょう。


しかしその前にはまずはやっておかねばならないことがいくつかあります。


その中でも非常に重要なのが、自分を知る作業を行うということです。


つまりは自分を見つめ、自分を理解していくことです。


人の援助をするということは、人のことをよく知らねばなりませんが、その前には自分と向き合い、特に自分の中に取り残されてきた感情や思い、ネガティブな反応やパターンなどを洗い出す必要があるのです。


もちろん全部完璧に見つめ切ることはできないでしょうが、少なくともその作業を行っていく覚悟はいりますし、いくつかの偏見や色メガネとなっている内側のものは出しておくことが望まれます。


そうでないと、自信のないままにクライアントを相手するばかりか、自分の中にあるネガティブな思いがクライアントをも巻き込むことにもなりかねません。


自分を見つめ、向き合う作業は孤独でとてもつらい仕事です。一人では難しいこともありますので、心理のプロの方などとともに取り組むこともあるでしょう。しかしそれでもやはり最終的には自分自身で克服したり、統合したりしていかねばならないのです。


自分を知らねば人を知ることもできず、自分(の内面)を救わねば、人も救えないというのが究極的な真理といえましょう。


ただ先にも述べましたが、最初から完璧な人間などいませんから、ある程度のところで対人援助を行いながら、また自分の枠やブロックを解除したり、解体されていたものを統合したりしていくのが現実的かもしれません。とはいえ、時には仕事を中断し、集中的に自分の課題に取り組む時間も必要となってくるでしょう。


それはまさにタロットでいえば「吊るし」「13」「節制」のサイクルのようなものです。


また何も対人援助を志さなくても、自分と向き合うことは厳しくとも結果的には喜びの人生、有意義な人生に導かれると予想されます。


バラバラになった、あるいは隠されていたいくつかの内面の自分を直視し、つらいくともひとつずつ癒しや解決を図っていくこと、そのプロセス自体「心の錬金術」ともいえますし、本来の自分を取り戻す自己成長の旅路だといえましょう。


運が悪い、恋人に恵まれない、結婚できない、人間関係に苦しむ、仕事がうまくいかない、お金に困っている、体が弱いなどといった人生における悩み事は、元を正せば自分の中にある問題が放置されていることに原因があることが多いものです。


本当に苦しい時はすぐに助けや救済を求めていけばよいでしょう。とにかく余裕がない時ですから。


ですが、とりあえず苦しみから一息ついた時、今度は改めて自分と向き合っていくことです。根本的な解決はそこにあるかもしれないからです。


その過程で一時的にはまた苦しみや災難と思えるような事態が訪れても、それは浄化の道においての泥だし(浚渫作業)のようなものだと考えられます。泥が外に出れば、臭って醜悪にも見えるものだからです。


自分を見つめるには、タロットもその一役を担うことができます。


タロットをすると驚きと感動があります。

タロットに最初にふれて、占いでもリーディングでも、自分のためにカードを引くと(あるいは引いてもらうと)、そのカードがまさしく今の自分(の状況・心境)と関係していることを知って驚きます。


たくさんのカードの中(通常は78枚、大アルカナだけなら22枚)から偶然引いたのに、なぜそれほどまでに自分にぴったりのカードが出るのかにびっくりするのですね。


この最初の驚きはかなり衝撃的でインパクトを持ちますので、のちのちタロットを続けていくにしても、ずっと忘れない記憶になることもあります。


しかしながら、これはほんの入り口であり(でもとても重要なものです)、次第にタロットが問いや自分のことにふさわしいカードが出るのは、むしろ当たり前と感じるようになってきます。


それは単なる偶然ではないかと思う人もいるでしょう


またうがった見方をすれば、こう考えることもできます。


たとえば血液型占いの本を手にして、A型の人に何型の項目を読んでいるのかを知らせずにB型の所を読んで聞かせると、A型の人は「そうそう私はそういうとこ、あるある」とうなづいてしまいます。


実はこれは人間は誰しも総合的に全部当てはまるパターンは持っており、その一部分を指摘されると、皆、「そういうことはある」と感じる仕組みを利用したものなのです。人は単純にひとつの型にはあてはまらないのが本当だからです。


ですから、タロットカードが人の心や事柄の普遍的なパターンを象徴しているとすれば、どれを引いても自分にとって当たっていると感じることもあり得るわけです。


ところが、タロットカードを引いて行けばわかりますが、確かにどれを引いても自分には関係するとはいえ、たとえば仕事のことを質問すると「仕事」を最も象徴するカードが偶然以上のタイミングで現れたり、自分でも気付かなかったことを象徴するようなカードが出てきたりと、その登場の仕方には何かの意志がある(宿っている)のではないかと思わざるを得ないところがあるのです。


百歩譲って、すべて偶然だったとしましょう。それでも、カードに自分を投影することができ、自己を分析したり、顧みたりして、指針を得ることのできるカードというのはそうそうあるものではないと思います。霊的なことを抜きにしても、心理機能的には十分役割を果たしているといえましょう。


さて、最初の衝撃を経験したあとは、今度は(カモワン流展開の場合)自分のストーリーが過去・現在にわたってそのままカードにも展開されていることにさらなる驚きと感動を得ます。だからこそ、未来のカードも信用することができます。


そして今度は、単なるカードと自分の符合・一致を確認するだけではなく、カードからのメッセージもくみ取ることによって、自分の運命や人生が自分で変えていくことも可能であることを知ります。受動から能動に切り替わるのです。


心やあなたの持っていたネガティブな自分へのイメージは変化し、心が変われば態度や心構えも変わって、実際に行動するようになります


行動は私たちの住むこの現実世界でもっとも有効な「働きかけ」の手段といえます。なぜなら形ある世界には形ある実際の動きこそが効果があるからです。たとえれば固形物の形や場所を変えるには、ハンマーをふるうとか、手で動かすとかが必要であるということです。


こうして少しずつ自分と現実にもいい意味で変化を経験し、タロットに対して揺るぎない自信と信頼を得るようになります。


ただこれはタロットを神と信奉するのではなく、もともと自分の中に備わっていた神性なる部分、高次の自分とタロットがコンタクトするように導いてくれたと考えるべきです。


ですから、本当はタロットが変えてくれたのではなく、タロットを通じて自分自身で自分の価値を高めた(本来を取り戻した)ということなのです。


この時、また別の意味でタロットへの感動が起こります。いや、むしろそれはタロットへというより、自然や宇宙、そして自分の中にある崇高さというようなものへの畏敬の念ともいえるものでしょうか。タロットマンダラでいえば、「」のような段階と感覚です。


このように、タロットを続けていくと、段階的に別種の驚きと感動があなたに訪れることになるのです。


イヤーカード

以前にもソウルカード、パーソナルカートの記事 で、イヤーカードのことについては少しふれてはいました。


ここで改めてイヤーカードについてお話したいと思います。


イヤーカードは、自分にとってのその年(2010年、2011年などの年)の課題やテーマといったものをタロットカード大アルカナ一枚で象徴させたものです。カモワン版マルセイユタロットに限らず、どのタロットでも「」さえついていれば使える技法です。


イヤーカードをどうやって出すのかということは詳しくは講座で説明していますが、要は自分の誕生日の月日と見たい年(西暦)とを足し込んで算出します。


占いとして「年運」(年の運勢)的に見ることも可能なのですが、そうしてしまうと、たとえばある特定のカードに悪い印象を抱いていると、ある年のイヤーカードがそのカードならば、その年は不運な年だと決めてしまうことにもなりかねません。


それではせっかくの可能性の芽も最初から自分で摘んでしまうことになります。


極端な話、カモワン版では「13」と数だけで呼称されるカードも、もし「死に神」という名前で不吉に感じていると、その年はまるで死が待っているのではないかと恐れることにもなります。


ですからまずイヤーカードで年を見るということを行う前に、カード自体にいいも悪いもなくニュートラルなものだということを理解しておく必要があります。理解することが難しければ、特定のカードに対するネガティブな思いをできるだけ払拭しておくことが求められるでしょう。


さて、このイヤーカードなのですが、新年一月一日をもって新しいイヤーカードに切り替わると考えるものと、自分の誕生日から新しい(その年の)カードに変わるというふたつの考え方があります。


どちらが適当なのかは、過去に遡って自分で計算してみることです。すると、過去の出来事・イベントなどとカードがぴったりくるのはどちら(誕生日で切替か新年で切替か)であるかがわかります。


イヤーカードの計算方法は流派みたいなものによって変わることがあります。私の習ったものでは、イヤーカードは一年ごとに一つずつ数(カード)が進むのではなく、10年スパンで一度大きくバックしてまた進んて行きます。


それを立体的な図で表してみると、らせんを描いて進んでいるかのように見えます。カモワン流のタロットマンダラに当てはめれば、人により特定の階層や道筋を何度も通ることになります。


ここからイヤーカードが、いわぱカルマのような、その人固有の何か大きなテーマを表しているのではないかと考えられることもできるのです。


一年一年、その年や課題を象徴しつつ、巨視的には自分の持っている宿命・カルマのごとき大テーマをも含有している。それがイヤーカードなのかもしれません。そのように思うと、イヤーカードも実に味わい深いものとなってきます。


先に悪い例で出しました通称一般的に「死に神」と呼ばれている「13」のカードも、イヤーカードとして積極的に課題やテーマとして見れば、まさに「改革、変容、変化」の年でチャンスだとも言えるのです。


また自分や周囲の環境、あるいは精神的なことでも新しいステージに移っていくということも考えられます。「死」よりも次の「再生」をイメージするのです。それには「死」と考えるのではなく、「再生」のために「終わらせるもの、終わるものもある」と見ていくとよいでしょう。


さらに、「13」は大きな鎌をふるっていますので、ある実りを刈り取っているとも想像できます。そうすると、その年は象徴的に何かを収穫(育てたものが獲得できる)することがテーマとなるのかもしれません。


また反対に、鎌で土地を耕しているようにも見えますので、その年は将来に向けての種まき、地ならし、肥やしを与える時なのかもしれないのです。そういう意味では変化の派手さより、地味な年として見えることもあるのです。


タロット大アルカナ22枚は心の元型、世の事柄の22のパターンだとも言えます。

ですから、イヤーカードは特別に22の中のひとつ(一枚)として、その年に考える(見つめる)課題(そのカードが示す自分の中の心、世の中の仕組み・パターン)として与えられたものと考えることができます。


結局のところ、ソウルカード・パーソナルカードと同様、自分とタロットを深く関連づけ、タロットを通して世界と自分を知るための窓口・方法としてイヤーカードも機能するのです。




タロットによって「神は在る」と知る。

皆さんの中に、「自分は取るに足らない人間だ」「大した価値もない」「特別な能力も何もない」・・・と思っている方はいませんか。


まあ、そうしたことを意識したり、考えたりすることすらしなくなっているかもしれませんが。ともかく日々普通に生きられて、何事もなく過ぎて行けばそれでよしと。


もちろん何気ない日常と日々大きな事件もなく無事に過ごしていけることは、とても「有り難く」、感謝を持つべき事柄だといえます。


しかし、自分の価値を貶め、または何も自分について考えもせず、ただ流されていくだけの人生は空しいものでしかありません。


ところでカモワン版マルセイユタロットにはグノーシスという教えが込められいます。これは簡単にいえば、「自分の中の神性を知る」「自分が神であると知る」というものです。


人は神に等しい崇高な部分を持つのです。


ただそんなことを言っても、現実的にはとても自分が神であると感じられないのが当たり前です。「自分は神だ」なんて言ったら、頭がおかしい人、何かにとりつかれた人と見られるでしょう。


また人間とは弱く悲しく、または傲慢で醜いものだと感じている人もいらっしゃるでしょう。


それでも私はタロットをやっていて、人と神性について、「はっ」と感じさせられたことがあります。


タロットカード大アルカナ22枚には心の元型、自分の分身としてのパートが描かれていますので、その中の一枚が表す事柄は自分の中にも存在していることになります。


たとえば「私には人を思いやる気持ちもないし、人を癒すなんてとんでもない」と考えていても、22枚のうちに「節制」というカードがあるのなら、自分にも「節制」のカードが示すような「人を救済する天使」のような部分があるのだと思うこともできるのです。


恋や仕事にうまく恵まれないと思っていても、それらと縁を持ち、うまくやっていくことの能力も、たとえばタロットカードの中に「手品師」や「恋人」のカードがあることで可能性としてはあるといえます。


つまり、「神」とはすべてのものが「在る」状態だと仮定するのなら、グノーシス的にはあなたにもすべてが「在る」と考えられるわけです。


その「在る」ということを認識する(知る、わかる)ことができれば、神(完全性)に近づくことができるのです。


「在る」ことを知るには、「無い」「足りない」と感じられる経験もまた貴重となります。


「無い」と思うことで、それは「在る」状態を知らないという「幻想」ではないかと気付くこともできるからです。何もしなければ「無い」ことすら感じることもできないでしょう。


「無い」と思わせる幻想は強力です。時には「悪魔」(タロットカードの「悪魔」にも関係します)によって、知らず知らず意識しなくても「幻想」でつながれていることもあります。(悪魔は悪いものというより、そういう「役割」だと考えてみましょう)


「在る」ことに気がつくのは、結構大変です。「青い鳥」の話のように、回り回って結局自分にもともと「在った」ことに気付くこともしばしばです。


「在る」ことに気付くこと」 そのためにグノーシス思想が込められたタロットカードを使って「在る」ことを実感していくのです。タロットカードにはそうした仕組みがあるのだと私は考えています。


あなたのパワースポットをタロットで。

最近はパワースポットが大ブームですね。


パワースポットへの旅によって自分をリフレッシュしたり、堅くなった心や体やほぐすのは、タロットでいえば「愚者」のような感じで、よいことだと思います。


ちなみにカモワン版マルセイユタロットの「愚者に」は単に歩いているだけではなく、エネルギーにも関係しながら・・・ということが象徴的に描かれています。


それはともかくとして、パワースポット、実はいいことばかりではないのです。何事もバランスです。


特にその場所があまりの人気だったり、固定された場所だったりして、貯まったエネルギーを拡散・浄化する自然の力(あるいは人為的な力)が見込めない場合は、かえって人々が落としていった邪気のようなものを受けることがありますので注意が必要です。


いずれにしても、楽しんでいくことが大切でしょう。


「そこに行けば何もしなくても救われる」とか「とにかく運が良くなるはず」とかの、悪い意味で完全他力本願な思いでは同じような「頼りたい」想念の存在・エネルギーと共鳴してしまって、より依存心が強くなってしまったり、決断力が失われたりして余計運が悪くなってしまうおそれもあります。


運をよくしたいのなら、そこに行って私は変わるんだという強い決意のもとで行くか、反対に先述したように、肩の力を抜いて楽しんで行くようにするかということです。


さて、何も無理して遠くのパワースポットに行かずとも、近くでも自分なりのパワースポットを持てばそれなりの効果はあると考えられます。


この場合、基本的には自分がそこにいて気持ちいいと感じる場所でよいのですが、タロットを使って今の自分にとってのパワースポットを調べることもできます。


正確にいうと、パワースポットというより調整場所のような感覚でしょうか。ですから何も静かな場所とは決まっていません。あなたの今に必要な場所ということです。


それは方位とタロットを組み合わせて単純に見る場合と、カモワン流の解決カードの手法を使いながら、さらに方位と組み合わせていく方法、ほかにもある一枚のカードを使って調べる方法などいろいろあります。


けれども方法にこだわらずとも、自分なりに近くの行きたい場所をイメージしながらタロットを展開していくと、それがふさわしい所なのかわかるでしょう。私の基礎コースレベルの講義を受けた方ならば、ここまで書いてきた内容で、だいたいのやり方のイメージはわかるはずです。自分で工夫してみてください。


それからスポットに行かずとも、タロット自体がパワースポットになるといいいますか、小さな神殿のような働き(心身を調整)をさせることもできます。


自分の肉体に特定のタロットカードを当てて滞った(あるいは過剰になった)エネルギーを調整するというのもこの方法のひとつでしょう。(ちなみに私自身はこれはできません、できる方がいらっしゃいますので、そこで一度体験されるとよいでしょう)


タロットであれ、何であれ、そうやって身近な所にも注目していくと、意外に近所の日帰り温泉がパワースポットだったり、隣の公園や神社だったり、檀家になっているお寺だったり、はたまたまったくパワースポットのイメージとは違ったショッピングセンターだったりというようなことにも気がつきます。

パワースポットはこうでなければならないというものではないのです。あなたなりのパワースポットを見つけてみましょう。


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