迷った時に

自信をつかむために。

タロットでの相談を受けられる方、タロット講座の受講生の方を見ていて、やはり大きくわけて二通りの考え方の人がいると感じます。


ひとつは何事にもまず、「私にはできない」という考え方から始まる人と、もうひとつは「できるかできないかはわからないけれども、とにかくやってみよう」と考える人です。


ところが、実は人はそう単純にきれいに分けることもできないのが実状です。(苦笑)


そしてこの中間のタイプといえる第三の考えでいる方が一番多いのではないかと思います。


それは、「できる方法を教えてほしい」、あるいは「私にもできると言って! お願い(ハートマーク)」というものです。


つまりは、自信がない状態といえます。


このうち、自信がないことをさらに細かく分析すると、技術的・能力的なものの不足で自信がないという場合と、精神的・心理的に自信がないということに分けることも可能です。


だいたいはふたつが重なっていることが多いものですが、技術不足を自覚しつつ、その意味で今は自信がないとおっしゃる方は大丈夫です。技術向上により、能力値を上げれば自然と自信がつくからです。


問題は根本的な自分への精神的・心理的な自信がない人であり、何をやろうとしても、何をやっても逃げ腰で依存的、できない理由を探すようになっている場合です。


例えば、タロットを習っていて、ずいぶんリーディングもできているのに、自分に対する自信がないために、いくらほかの人や講師から「あなたはもう十分できますよ」と言ってもらっても、「いえいえ、私なんかぜんぜんダメです」と謙遜してしまう人がいます。


これは謙遜ではありません。ある意味まったく反対の傲慢です。できる能力はあるのにできないと言って自分を失敗の非難やつらさから守ってしまうのですね。そして人から、「あなたはできる」と言ってもらうことを免罪符として獲得したがります。


もちろん人から勇気づけてもらう言葉により、自信がつくことも多々あります。ここで取り上げている問題の人とは、もともと他人からの言葉を待っている(意識的・無意識的にせよ)人のことを言っています。


いわば、「言ってよ、励ましてよ光線」みたいなものを、無意識のうちに周囲に放っており、人からエネルギーをもらうように自分からし向けている人です。


これがエネルギー(実際の励ましの言葉や態度でもありますし、見えない形でのまさに「エネルギー」のこともあります)をもらって、きちんとお返しできるくらい本当に自信を得て、行動的になれば(自分が変われば)いいのですが、自分の欠如しているエネルギーを人からもらい受けることで補い、そのまま普段の生活にまた戻ってしまうというパターンを繰り返している時は要注意です。


私はこのようなタイプの人を非難しているわけではありません。自分もある程度そういうところがあったので、よくわかるのです。このような人はそうなってしまった理由があります。その人だけの責任とはいえないところがあります。


ただ、そろそろ同じ事を繰り返して、自分の足りないエネルギーをほかから奪いつつ、かろうしで安定を保つ生活態度からは脱却したほうがいいでしょう。もらってばかりでは、バランスを欠き、当然与えられる人にもなりにくいからです。それには、遠回りなようですが、自分自身の良さを少しずつでも見つけて認めていくことです。


このような人には、自分の良さを発見するなんて、最初はとても難しいことです。ですから、まずは仮面をゆっくりはがしていくことから始めたらどうかと提案します。


簡単にいえば、自分に嘘をつくことをなるべく少なくしていくということです。理屈をつけて何とかごまかしたり、、人から認められたいなど気を遣ったりすることをせず、正直に自分の気持ちを言う、あるいは認めることです。


例えば自信がないのなら、あれこれ考えず、「本当に自信がないんです。これに限らず、私は何でも・・・」「こういうことになるのは、どうしてでしょうか」とありのままを言えばいのです。


あとほかに、わずかながらでも成長していること、変わっていることを気付くことですね。とにかく注意深く観察するのです。


もともとこのような人は自分のマイナスを見つけるのが得意ですから、自分に注意を向けることはしやすいはずです。いきなり良いところを見つけるのではなく、以前より何か違う点はないかという姿勢で自分をただ見つめていくだけで最初はよいでしょう。


だいたい、何かを学びにセミナーやセッションに参加していること自体、すでに活動的に自分の中で変化し始めていると考えられます。

それが暗中模索状態、セミナー放浪になってもいてもいいではありませんか。一人悶々として、ただただ自信を失っている時より、他人と接し、変化を求めて行動しようとしているだけでも立派な「変容」だと思います。


あとはいかに少しずつ自分を回復するか、自分の中の自分(神性)を認識していくかです。その歩みは当然人によって違っていて当たり前です。早い人も遅い人もいます。


自信のないことを隠れ蓑にしてはいけません。そうなると、先述したように、あなたは自分を変えるためにではなく、ただ不足したエネルギーを人から補給するために出向いていることになりかねないからです。大切なのは変えようとする意志なのです。


「運命の輪」に見るタイミング

タロットには「運命の輪」というカードがあります。


このカードにはタロットの種類が違っても、その名前の通り、だいたいは「輪」が回転している様が描かれています。


この「回転」から「時間の流れ」をイメージして、その流れに乗ったり、はずれたりする意味合いから「タイミング」という言葉も浮かんできます。(ほかの象徴の意味からの理由もあります)


ところでカモワン版マルセイユタロットの「運命の輪」では、輪の中のスポーク(内側の棒)は6本あります。


ある時、私が「運命の輪」のカード(もちろんカモワン版ですが)を眺めていますと、輪の頂上に乗っかっている動物(スフィンクスといわれています)の持つ「剣」が突然、真下に振り下ろされました。(というイメージを持ったということです)


すると、面白いことにスポークは7本になったのです。「剣」も短かったものが、ほかのスポークと同じ長さになっていました。


また、そのまま短いままのこともあり、そうすると、まるで時計の秒針のように見えました。さらにはこの剣がまっすぐに下ろされるだけではなく、ワイプ状に扇形に動くこともありました。


このようなイメージが得られたので、スフィンクスの持つ「剣」は、タイミングや調和・調整にかかっているのだなと実感できました。


「剣」が象徴として登場する大アルカナのカードは、ほかにもいくつかあります。


皆、「剣」という意味では同じ部分を共有しますが、微妙にそれぞれ形や大きさが異なっていることも重要で、つまりは「剣」にも細かい点では意味に種類があることを示唆します。


「運命の輪」にあるスフィンクスの「剣」は、小型ながらも不思議な特徴があり、まずはタイミングを計る(刻む)意味があるものと推測されます。


いい流れを逃したり、チャンスをうまくつかめなかったりする人は、タイミングが合っていないことが多いものです。


その多くは意外にも、初期ではためらいの遅れにあり、後期ではあせりによる性急さにあると想像できます。


最初は観察しすぎて腰が重くなり、流れの輪に乗ろうとした時はすでに輪が回転しすぎてとりつくシマのない状態になっており、ならばと、もう一度機会を待つのですが、気持ちの焦りから、無理してシマのない段階でも飛びつこうとして失敗するわけです。


ここでいう「シマ」こそが「運命の輪」のスポークということになります。


そして、当たりくじのように、たまに7本目のスポークとしてスフィンクスの「剣」が混じっているのですが、それは「剣」ゆえに傷つくおそれもあります。


「剣」を差し出されて果たしてそれを握ることができるかと問われれば、よほどの覚悟がない限り、普通はできないと答えるしかありません。


ただし、「剣」をつかむことをせず、タイミングを計る目印(ポイント)として活用することができれば、それはまた有用なものになります。


もしかすると、この「剣」は「剣」に見えて「剣」ではないのかもしれません。そのことに気がついた者だけが自信を持ってスフィンクスから差し出された「剣」をつかむことができ、いつしか「運命の輪」から逃れられることができるのでしょう。


いずれにしても、タイミングと「運命の輪」の考察はとても興味深いものです。


セカンドオピニオン

昨年のことですが、風邪をひいて声が出にくいところ、無理してタロットの講義をしたことがあります。


すると翌日から声がほとんど出なくなりました。二、三日すると回復するだろうと思っていたのですが、なかなか声が戻りません。ずっとかすれ声なのです。


これはちょっとおかしいぞと思い、近所の耳鼻咽喉科を受診しました。どうやら声帯をかなり痛めていたようです。


しばらくそこで治療していたのですが、それでもなかなか治らず、声を出す仕事としても大変なことになってきましたので、インターネットで調べた評判のよい耳鼻咽喉科の医師に診てもらうことにしました。


そこはなるほど、たくさんの人が列をなして順番待ちするほどの人気で、診察まで長いことかかりました。


先生は私の問診票を見るなり、「中年男性で声が長い間出にくくなっている症状で一番多い原因は何だと思いますか?」といきなり質問されてきました。


なんだか私は嫌な予感がして、おそるおそる想像した最悪の病名を言ってみました。


「もしかすると、がんでしょうか・・・」


先生は「その通り」といわんばかりに、大きくうなずかれました。


この時点で私は非常なショックを受けました。まさかとは思ったものの、その可能性が高いというのです。


そして鼻からカメラのついた管を通され、声帯を観察されました。モニターには画面も映ります。先生は画面を見ながら語ります。


「うーん、がんではないですが、やはりポリープがありますね


「ポ・・ポリープですか・・・」


私はポリープのことも予想していました。これだけの期間、声がかすれていることはポリープができている危険性も大きいと、自分でいろいろと調べて伝え聞いていたからです。


「これを見てください。自分で確認できるでしょう」


先生はモニターで撮影された私の声帯の静止画面を映し出しました。


声帯の両端になにやら白いつぶのようなものが確かに見えました。がんではなかったものの、それでもショックはあります。


治療としてはそのまま大きくしないよう保存療法をしていくか、場合によっては切除手術することも検討されました。切ってもまたできることが多いので、なるべく切らないほうがよいということではありました。


ともかく、これからのことはいろいろと考えないと・・・という気持ちで帰途につきました。


一日経過して、私は「どうせなら、声専門の医者にかかって、手術もそこでお願いしよう、そして予後も診てもらおう」と決意しました。


昨日診断を受けた医者は、名医ということらしいですが、どうも耳のほうに詳しい印象で、声専門という感じではなかったこともあったからです。


ということで、何とか大阪の声専門の医者を探し当て、診察を受けることができました。最初の医者から数えて三番目となります。


ここで私は医師にこれまでの経緯と、声帯にポリープがある旨を伝えました。


「では見てみましょう」と先生は喉の奥を棒のようなカメラで診察されます。


「声帯はだいぶんはれてますが、ポリープはないですよ


「えっ?本当ですか」


私はびっくりしました。確かに前は画面でも見えたのに・・・


どうにも腑に落ちないので、私は先生にお願いして詳しい検査をしてもらうことにしました。


ところが、その検査をしても結局、ポリープはみつからなかったのです。


なんと、先生によれば、前の医師は「声帯につばがついていたのを誤認された」のだろうということです。


評判のいいと言われる先生でもそんなこともあるのですね。


本当の原因は声帯のはれにより、声帯の帯がぴったりとじることができない状態になっているため、そこから音声がもれて声がかすれることになっていたというわけです。


ひとまずポリープがないということでかなり安堵しました。(とはいえ、声帯の故障は大きく、講義ができるようにはなりましたが、声は以前とは少し変わってしまいました)


長々と私の喉のことを書いてきたのは、タイトルにもあるように、今の時代情報社会ですから、一人の判断に納得できない時は、第2、第3者の専門家の意見も聞いておいたほうがよいということです。


それから喉(声)を使う商売の方は、特に中年以降は回復やケアに十分注意してください。


年齢に重ねるにつれ声帯がやせて細くなってくるので声がかすれがちになりやすく、さらに弾力性や柔軟性も落ちているからです。


ですから若い頃よりも回復が遅れますし、休息期間もそれだけ必要になってくるということです。酷使することは避けたいものです。


ストレスも影響大です。これはストレスにより胃液が過剰に分泌され、それが喉に上がってきて声帯を痛めるということと、霊的精神的に喉のチャクラを不調にさせるようなこともあるからです。


喉のチャクラはハートともつながることがあるので、心が傷つくと声も出にくくなるようです。


何事も過信せず、労り、養生しましょう。


「辻占」に見る自分の世界の作り出し方

辻占(つじうら)というものがあります。


現代風にいうと、交差点に立って、偶然聞こえてきた通行人の会話や見えた看板などによって占うというものです。


たとえぱ自分が何かをやるべきかやらないかで迷っている時、自分とはまったく関係のないある人たちの会話から、「それはやったほうがいいんじゃない?」と聞こえてきたら「GOのサインだ」と知るというようなものです。


これは結構面白いです。


判断の目安としては、複数回、同様のことが、まったくそれぞれ別の人やモノから徴(しるし)として現れた(表れた)かどうかがカギとなります。(回数は自分が最初に決めたものでもよいでしょう)


これをやっていますと、本来卜占(ぼくせん、偶然現れた徴によって占う方法)であるタロットのよい訓練にもなります。


詳しくは述べませんが、カモワン流ならば、連繋カードを読むということにもつながってくるものなのです。


また辻占を行っていると、人間の心理や情報処理ということの特徴にも気がつかされます。


辻占を行うということは、あるひとつの判断を下したいと思っているわけですから、頭の中には集中した一つの事柄が浮かんでいるはずです。


辻占による判断は、周囲の無関係に思える景色や人々の会話の中に、その集中したことに関係する情報を自分は無意識のうちに選んでいるということになります。


このことは三つの重要な示唆をはらんでいます。


ひとつは、人は意識をあることに集中すれば、多くの中から選抜してそれに関係した事柄を抜き出す能力があるということ、二つめは、たくさんの中から集中したことしか目に入らなくなる(頭に入らなくなる)ということです。


このふたつは結局同じことを言っています。


そして三つ目は、無意味なもの(中立なものに)に、自分と関連があると意味づけることができる(意味づけしてしまう)ということが挙げられます。


人間は確かに多くのものや人たちに囲まれる世界に生きてはいるのですが、その多くの中のものから自分が意識を向けたものだけの情報世界に住み、それに意味づけすることで、世界を現実として実感するということです。


つまりは自分の意識と価値判断(いい、悪いも含めての意味づけ)によって、自分の世界は構成されているのです。まさに世界は自分が作り出していると言ってもいいでしょう。


いかに意識の向け方(何に意識を向けるかでもあります)と、それに対してどう意味をもたせるのかが重要であるか、これによってわかると思います。


何から手をつけるへきかに悩んだ時。

やることが多すぎたり、何から手をつければよいのかわからく、混乱してしまっている人に。


タロットから得られた解決策を披露します。


1.コントロールできることとできないことに分ける。

2.コントロールできることに優先順位をつける。

3.優先順位をつけた順序から集中してこなしていく。

4.こなしたもの(やり終えたもの)の成果を実感する。


たとえば、ダイエット。


自分の体重をいきなり自分の超能力(笑)で、「減って!お願い」と念じても変わりません。


つまり体重自体は自分でコントロールすることはできないのです。


しかし、食事やサプリメント摂取、運動したりすることは自分でコントロールできます。


それで自分が最もすぐ取りかかれそうなもの、あるいは重要性や緊急性があると思うものから実行していくわけです。


そして「これから片付ける!」「まずこれから始める!」と決めたら、それに集中していくことも大切です。ほかの順位のものに目が移って、いつのまにか同時進行になると、どちらも達成できず共倒れになる恐れがあるからです。


最後に、やれたことを目に見える形や実体として感じられるようにします。


たとえばダイエットの例でいえば、運動したことを日記のように記録して確認できるようにする、サプリが減っていることを箱や瓶で確認する、などです。


仕事なら、処理が終わった書類を目で見えるように位置を決めて置いておくというようなものです。


つまりは成功体験と遂行感(やり遂げた感)をひとつひとつ実感として確認する作業をするということです。そうすると、次なるものへ向かうモチベーションや継続していく意志の力が上がるのですね。


あとはこの4つをひとつのサイクル(1が終われば、2→4のサイクルになることもあります)として繰り返してくと、いつの間にか大変だとパニッくっていたことでも、終えることができていたり、目標として達成したりすることができます。


意外に重要なのは、自分でできることとできない範囲を区分けできていないことにあります。最初のコントロールに関わってくることです。この整理だけでもかなり混乱度合いがすっきりしてきます。


一度試してみてください。


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