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あなた自身を知る「ソウルカード」
以前、ソウルカード・パーソナルカードという自分に縁の深い二枚のカードについてのお話をしました。
このうち、ソウルカードのことを今回はふれてみたいと思います。
ソウルカードは「ソウル」と呼ぶように、いわば自分の魂・内面・コア(核)の部分を象徴するといわれるカードです。
これは「内面」であるので、自分でもわからないことが結構あります。
だからカードを見て初めて、「自分にこんな面があるのか」と気がつくこともあります。
それこそが、こういったソウルカードやパーソナルカードのような特定のカードを、わざわざ調べる意味でもあります。(自分を知る方法のひとつ)
しかし今は気がついていない自分の部分ではあっても、実は単に忘れていまっているだけなのかもしれないのです。
特にソウルカードは先にも述べましたように、内面・魂の部分を表しますから、大人になって身につけた鎧や外に見せる自分の殻によって、覆い隠されしまっていることがよくあります。
ですから、思い出すには、自分の過去を振り返ってみることが効果的です。
特に社会でのしがらみがあまりなかった幼少期、小学生時代、あるいは活き活きと活動していた時代などがいいでしょう。
自分は何に純粋に興味があり、行動していましたか?
親や友達、環境の影響も大きかったでしょうが、それとは別の「本来のあなた自身」「独り言を心の中で話すあなた」「親や友達に相談する前に、わくわくしたことを思いついていた自分自身」が存在したはずです。
それがあなたの「ソウル」である可能性が高いです。
ちなみに私のソウルカードは「女帝」です。創造性をキーワードに持つ「女帝」は、企画やアイデアをもって理想の世界を思い描き、他の人のために役立てようとします。
思えば小学生の頃から企画好きで、「なんでも研究会」(笑)というのを作って、学級新聞など書いたこともありました。
中学生の頃は旅行計画を立てるのが好きで(実際には行きませんが(^^;))、高校生からは物語を作るのを趣味としていました。今はタロットを使って、皆さんによりよい人生を送っていただけるお手伝いをしております。
私の例を書きましたが、ほかに、たとえば「手品師」がソウルカードの人は、本来まめで器用な部分を持っていたことを思い出すのではないでしょうか。
また道具を使って自分や人を楽しませようとする部分や、好奇心旺盛で新しいことを取り入れていく感性があったかもしれません。
輪廻転生説を採る人は、ソウルカードがあなたの前世での何かを示していることも、人によっては考慮できるしょう。
中にはすでにソウルを思い出して、あるいは思い出させずとも、そのままソウルの部分を発現させて生きている方もいらっしゃるでしょう。
ソウルカード一枚とっても、実に深い意味があるように私には感じられます。
あなたにもできるよ! いや、できないですよ。
よく「私にもできたのだから、あなたにもできるはず!」と、強く励ます方がいらっしゃいます。
別にこれは悪いことではありません。それによって、実際に勇気をもらえることもあります。
しかし、ここで考えてほしいことがあります。
「私にもできた」というその人は、前の自分とは「今は」違っているわけであり、いわば問題を克服して、思考方法(考え方)自体も大きく変化しています。
しかしながら、言われている相手の人は、あなたとは思考形態が異なっており、それゆえ、行動様式も「変われるはず」と言っている人とはずいぶん違っています。
それはある意味、国籍や時代が異なっている人を相手しているようなものです。
ここにコミュニケーションのギャップが生じているのです。
まかり間違えば、アドバイスのつもりが、「そりゃ、あんただからできるんだよ!」と強い反感を買ってしまうおそれもあります。
相手と自分、すでに立場や考え方が変わっている(特に自分の方がポジティブに上昇した)場合、伝えるべき人は、自分が登ってしまったはしごを降りて、もう一度相手と一緒に立つ必要があります。
そうしないと、変化を遂げたあなたには常識だと思っていること、考え方、行動パターンも、相手にとってはかなり遠くて、大きな、ありえないくらいの量やエネルギーを感じてしまうのです。
元気づけるはずだったのが、「もう無理」「そんなこと言っても、私とあなたは○○が違う」と、逆に相手の落ち込みを激しくさせます。
ここに励ましの危険性があるのです。
ではどうすればよいのでしょうか。
先ほど、伝える側の人は相手の次元まで、はしごを降りるということを述べました。これがヒントです。
はしごを登ったままの上のフィールドから物を言うのではなく、登る「はしご」があること自体を伝えるのです。
そしてあなたが登ったはしごがどのようなものであったのかを、相手の状況と心、以前の自分を思い出しながら説明します。
つまりは、変化の方法とそのステップ(段階)を教えてあげるのです。
それも空中庭園に登るような長大なはしご全体を話すのではなく、まさに相手のいる地上から一段目、あるいは二段ほど上がる(足をかける)やり方や経験談を強調して伝えることです。
ファーストステップ、はじめの一歩です。
もちろん、地上と一段目のはしごの幅を広くして伝えてはいけません。手や足がかからないようなはしごは、はしごとは言えません。
「あなたにもできる」という意味においては、相手が本当に「今」できることを話すことが重要であり、目標や完成地点、すべてを伝えることは、相手にとって重荷になる場合があるのです。
あなたには今いる場所に到達した過程やドラマはものすごく大切で、自分が乗り越えてきた財産でしょうが、全員が全員、あなたと同じ道とやり方が通じるわけでもないのです。
やはりあなただからできたことと、できなかったこと、この人だからできること、できないことを区別することも時には必要です。
いわば、終わりから見ているあなたと、始まりから見ている相手との違いと言えましょう。
その上で、「やはり私にもできたもので、この人にもできる」と思えることを一緒になって探し、伝えていけば、本当に二人の立場はいつか同じ場所にいることになるでしょう。
今日述べたことは、すべてカモワン版マルセイユタロットのタロットマンダラ第5列(「法皇」「吊るし」「太陽」)が物語っていることなのです。
やる気が起きない人、あせりが出る人へ。
人生には拡大期と縮小期(収れん期)があります。こういってしまうと、「縮小なんていやだよ-」と思う方もいらっしゃるでしょう。
しかし自然を見てもわかるように、春が来て草木は芽吹き、盛夏を迎え日を浴び、秋になって成熟して実りを迎え、やがて落ち葉となって種になり、厳しくとも地下でのエネルギーを蓄える冬の訪れというサイクルがあります。
何事も山になって谷になり、また山になっていく流れはあるものです。
最初に、「人生」と言いましたが、これをもっと小さなスパンで見てみると、たとえば一年のうちでもそうした流れやサイクルがあり、もっと短くしていきますと、ひと月にも、1日にもあるということになります。
また単に一般的な区切りである年や月でなくても、人それぞれの固有の流れ・サイクルもあります。
これらをタロットで象徴しているのは「運命の輪」かもしれません。
いずれにしも、ただ前に向かって走り続けるばかりでは、逆に非効率なこともあるのです。
カモワン版マルセイユタロットでいえば、「節制」と「運命の輪」が逆状態のようなものです。
ですからタロット(カモワン版マルセイユタロット)においても、カードの人物は同じ方向ばかりではなく、逆方向のものもあるのです。
それは未来ばかり(前のみ)を見るのではなく、後ろ(過去・蓄積)も振り返る重要さを示しています。
「自然の流れが何事もにもある」と先述したように、自分の「運命の輪」と自然の大きな「運命の輪」とのギャップが出てくると、停滞しようとする動き(心のこともあり)が出ます。
つまり急激な自分の回転スピードにブレーキをかけるのです。
そのため、やることはたくさんあるのに何かやる気がおきない、ちょっとネガティブな気持ちになってきたというようなことが生じますし、実際に何かがトラブって、進みを止めさせる場合もあります。(ただ、ほかの理由でそうなることもあります)
このような時は、素直に回転力を弱めることに同意し、一度立ち止まり、新しいことを始めるよりも、今までのことを整理したり、処分したりしていくほうがよいでしょう。
最低限のやるべきこと、できることだけをやるのもよいです。
また思い切って仕事やわずらわしいことから逃れ、休息期間・充電期間を設けてみるのもありです。ただボーとする時間も、こういう時は悪くはありません。
そして、このような時こそ、発信や行動をしていくより、読書をしたり、受動的に学べるものを試したり、新たなもののための基礎を作る準備に当てるとよいのです。
暗くなったり、ネガティブになったり、愚痴をこぼしたり、そういうことは人としてあっても自然です。
それに必要以上に費やさないことです。いろいろなものを「手放す」ことが大事です。
自然の流れ・サイクルではまた上がっていくのですから、これを下がったままにしておこうとするのは、また自然の理に反することになるからです。
神様(実は自分の中に通じていると思えます)は有り難いもので、ずっとやる気なく、怠惰でいたとしても、必ずどこかで浮上のきっかけやサイン、チャンスを与えてくれます。
とはいえ、ただ流されるのではなく、意識的に生きることで、そのチャンスに気付くコツがわかってきて、機会も増えます。
意外にもチャンスは再三訪れているのですが、自分の意識がそれに目隠しをしている状態なのです。まさに自分の中に神も悪魔も同居しているといえましょう。
ともかくも、意識的に生きながら、無理せず、バックすることやネガティブさも認め、自分の「運命の輪」を大きな流れと調和させてスムースに行きましょう。
地元を愛すること
先日もお知らせしましたが、私が担当するカルチャーセンターでのタロット講座があります。
今日、よみうり文化センター神戸 での「マルセイユタロット入門」の講座が告知されました。4月から始まります。(1日体験講座は3/17)
マルセイユタロットを学ぶ入り口として、神戸近郊の方は是非ご検討いただければと思います。
私は現在、大阪が比較的メインの活動場所となっておりますが、地元はむしろ神戸の方です(出身は隣りの明石です)。今後は神戸や明石、姫路方面などにも活動も広げていきたいと思っています。
さて、地元という話が出ましたが、皆さん、自分の地元や地域、出身、あるいは現在住んでいる所、所属している場所・会社・組織などを愛していますか?
愛するとは行かないまでも、そこにいることにある程度の感謝がないと、たとえばそこから変わりたい、脱出したいと思っていても、簡単には抜け出せないことがあります。
カルマや因縁という言葉になると大げさになりますが、自分がそこにいる(いた)ことには何らかの大きな意志、理由が働いていると考えられます。
ですから、何か嫌なことがそこにあったとしても、それを受け容れる、あるいは体験して何か重要なことに気付くようなことが次の場所に移ったり、自分のステージを上げたりするためにも必要な場合があるのです。
いわば、自分の因縁・カルマを昇華・浄化するようなことが求められるわけで、ただ拒否したり、逃げ回ったりするようなことは考え物と言えましょう。
本当に出るべき時には、「卒業」というような、あるいは「ひとつが終わった達成感・区切り」のような気持ちが起こるものです。(もちろんこれに当てはまらず、純粋に問題状況や危うきところからの脱出、自分の成長によりふさわしいところに導かれるなどのことはあります)
少なくとも、その場所であなたは生活させてもらっていますから、やはりそれに応じた感謝と還元は必要なのではないでしょうか。
たとえば、何かモノを買うにしても、特別な場所でしか買えないものはともかく、どこでも売っているようなものならば地元で買うなどしたり、ただ目に付いた地域のゴミを拾って捨てたりすることだけでもいいと思うのです。
タロットでも、まずは足下、身近なことから進んでいく過程が描かれています。
いきなり世界平和を唱えるのもよいのですが、近くの自分の住む地域から愛することから始めないと、なかなか大きな気持ちにはなりにくいものです。
大きな規模ばかりで愛を考えると、時には小さなもの、中規模なものを覆い隠してしまう危険性もあります。
これは逃避の危うさを秘めています。個々の問題には目をつぶり、大きなことだけ言っていれば気持ちがよくなるという麻薬めいたものです。
「大きな愛の前では、目の前にいる人が困っているのも大した問題ではない」となり、いつの間にか、それは愛ではなく自分勝手な正義、イデオロギーにまでなってしまうことがあります。
もちろん、目の前の問題を解決するためには、大きな視点が求められることもあります。
しかし、愛に次元やフィールドの違いはあれど、大も小もないと思います。
ということで、「地元にも目を向けて愛してみましょう」という提案です。
タロットと写真の関係
私は公務員なんかしておりましたので、イベントで講演していただく方のプロフィール写真などを扱うことはありましたが、まさか自分のプロフィール写真を撮影するようなことになるとは当時は考えてもみませんでした。
ところが、公務員を辞めてタロットをするようになった時、プロフィール写真を撮影することになったのですね。
でもやってみると、最初は緊張するものですが、案外楽しいものなのです。
できあがったものを見ても、なんだかこれまでの自分とは違ったように見えて面白いものです。
写真ということで、思いつくのは、やはりタロットです。
このブログでも再三、大アルカナと自分の関係についてお話してきましたが、要は22枚のカードは自分の分身、自分のひとつの心だということです。
ですから、自分の中には多様な自分がいるのです。
それがたとえば、先述したプロフィール写真を撮るような時には、普段の自分とは別の、それでもやはり自分である「自分」が登場してくるのです。
プロのいるスタジオ撮影ともなると、メイクも入り、表情やポーズの指導もあって、自分の気がつかなかったよさを引き出してくれます。
特に自分の笑顔を確認することは大切ですね。「自分が笑ったらこうなんだ」「ああ、こういう表情ができるんだ」「こんな表情でいつもいたいな」と思わされます。
女性の方に特にお勧めなのは、そうしたスタジオなどで衣装も変えて、素敵な自分を演出してみる(もらう)ことです。
普段、タロットでいえば、「斎王」(別のタロットでは「女教皇」)のような物静かな印象のあなたが、スタジオでは「女帝」のような華やかで堂々とした雰囲気に変身するかもしれませんし、いつもスポーティーでボーイッシュなイメージの方が、おしとやかで優雅な雰囲気の女性に変化するかもしれません。
でもそれは創り上げられた自分ではなく、やはりもともとある可能性としての自分なのです。それを環境や人、道具が引き出してくれたに過ぎません。
何か自分に自信がない・・・いつもぱっとしないと自分では思っている・・・違う自分も観てみたい・・・というような方、思い切ってプロによるスタジオ写真撮影してみてはいかがですか?
きっとあなた自身も気がつかなかった自分の魅力を発見することでしょう。
ちなみに先日のブログヘッダー変更にあたり、私が写真撮影したところは大阪心斎橋にあるスタジオリブさんです。
メイクの方やカメラマンの方、スタッフの優しいお気遣いにより、よい写真撮影ができたと思っています。是非皆様もご利用してみてください。