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人間関係で悩む人にタロットリーディング。
タロットで人間関係を見る方法はタロットの種類によっても、またスプレッド(展開方法)によってもいろいろとあるでしょう。
ところでカモワン版マルセイユタロットは、カードに描かれている人物の視線が非常に鋭く、わかりやすくなっていますので、その視線の先を見ることで、カードに象徴される人間の関心を推し量ることができます。
その人の関心がわかれば、いわばその人物の心の中を読んだことにも相当するので、つまりは相手の本心(何を考えているのか)がわかります。
それが人間関係とどう「関係」(しゃれではありませんが・・・)しているのか? と疑問に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、人間関係の問題には、相手が何を考えているのか(思っているのか)わからないから苦労している部分もあるのです。
たとえばよく占いでは質問されることですが、恋愛などのシーンで、「相手の気持ちが知りたい」というものがあります。
これも相手の関心がどこにあるのかを知れば、相手が自分のことが好きなのか嫌いなのかは別としても、少なくとも相手の興味の方向(人物や事柄)はわかります。(自分に向いているのか、いないのかもある程度わかります)
またカードの図像を見るという行為によって、相談者は思ったより冷静で客観的になることができます。
夫婦の間でぎくしゃくしたものがあって、たとえば夫がいったい何に関心があるのか(私なのか、家庭そのものなのか、子供なのか、仕事なのか、はたまた他の女性なのか・・・)をカードで見たい時も、カモワン版の視線重視の展開では比較的はっきりと出ることが多いものです。
そうしてカードが眼前に展開され、自分の気になる(これは嫌な意味でも、よい意味でも「気になる」という両方の意味が含まれます)相手と自分のことがカードで象徴されていることが解説されれば、そのカードの出方によって、多かれ少なかれ、状況を鏡のように映しだして、自分の心(の思い)と対峙(比較・検討も含む)することになります。
その時、「ああ、やっぱり私の思っていたとおりだったわ」と感じることもあれば、「えっ、あの人はこんなことに関心を寄せていたの!?」と意外なことがわかることもあるでしょう。
どちらにしても大切なのは、相手の心を知るということではなく、一度状況を整理し、カードによって自分の気がついているところと自分が見えずにいる部分を統合して、自分と相手の理解を深めるということです。
そうすることで、取れる行動、心理などが明確になってくるのです。
カモワンタロットリーダーはそのサポートをするに過ぎません。カードからの指針を元に、決意するのは相談者自身です。
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カモワンタロットを使ったリーディングデー、11月11日(木)、14日(日)
大阪市内で開催。
リーディング枠が段々埋まってきております。希望時間枠がまだ少しとれる今のうちにどうぞ。
マルセイユタロットの小アルカナを読む利点
以前に マルセイユタロットの小アルカナ、特に数カードのリーディング方法についてお話しました。
ところでカモワンタロットもマルセイユタロットなので、やはり小アルカナの数カードは記号状になっており、そのために読みにくいとおっしゃる方がいます。
ただカモワン流のリーディングは、主に大アルカナ22枚だけで展開することが多いので、極端な話、小アルカナがわからなくても十分にリーディングは可能です。
いや、むしろカモワンタロットを長い間やっている方でも小アルカナはさわらない、使わないという人もいるくらいです。
カモワン流一本でタロットをされる方はそれでも全く構わないと思いますし、自己探求の道においてタロットを使うという場合でも、大アルカナの象徴のみでも相当深いところまで行き着くことができるでしょう。
しかしながら、次に述べるふたつの理由において、小アルカナもリーディングできるように訓練するとよいです。
ひとつは、占いとしてタロットをする場合に、抽象的なことから具体的なことに絞っていくことができるという利点があることです。
これはたとえば、仕事という大きなくくりの中でも、小アルカナを使うと、営業的なことか事務的なことか、あるいは堅い仕事かサービス業のような柔らかめの仕事かといった具合に分類できますし、さらに堅い仕事の中でも公務員なのか弁護士なのかというようなことまでも細かく見ていくこともできます。
そしてもうひとつは、シンボル・象徴を読む(イメージする)訓練になるということです。私自身はこちらの意味で小アルカナを修練することをお勧めします。
マルセイユ版の小アルカナ数カードが記号のように単純化されていることで、大アルカナのような絵柄のついたカードから特定のイメージを想像することはとても難しく感じます。そういうことに私たちは慣れていないのです。
しかしながら、一見何の変哲も意味もないような形から、自由にイメージをふくらませていくということを訓練していると、非常に想像力というものが鍛えられます。
「想像」は「音」が同じように、「創造」と結びつきます。人はイメージしたものを実現していくという過程を通るからです。(逆にいえばイメージされないと現実に下ろせないということでもあります)
また、記号からいろいろなものをイメージできるくらいになってくると、日常の何気ないことについても「シンボル・象徴」としてくみ取ることができてきます。
たとえば「出勤時にカラスが三羽、羽ばたいていた」というありふれた景色から、あるシンボル、自分へのメッセージというように想像することも可能になるのです。
ということは、今まで気がつかなかった自然(宇宙)からのメッセージにも気がつくということになります。いわゆるシンクロにも敏感になってくるのです。
しかしながら、記号とはいっても、小アルカナの数カードにも原理のようなものがそれぞれあります。それは四大元素と1から10までの数の示す原理です。すなわち4×10によって40枚の象徴的世界があり、それによって世の中の事象が表されるのです。
これは易の卦が64の単純な形をしていても、森羅万象を表すということと同様です。
原理を理解しつつ、イメージを膨らます修練を積むと驚くべきことがあなたの中で起こってくるでしょう。
私もまだまだ訓練の途上にいます。
自分の中の「愚者」を取り戻す。
カモワン版マルセイユタロットの大アルカナの絵図(タロットマンダラ)を見ていますと、進んでいるように見えて、実は最初の「愚者」にまた戻っているかような感覚があります。
あまり知られていませんが、タロットマンダラは実際に「世界」から「愚者」に戻っていく過程を見ることもあるのです。
回帰と進展は視点を変えた同じものなのかもしれません。
さて、そのようにして皆さんも自分の歴史をふり返ってみましょう。
特に記憶のある幼少期(小学生時代が多いかもしれません、もちろん人によってはもっと前のこともあります)のことは、自分の中の「愚者」を発見する(思い出す)にはいい時期です。
たとえば私の場合、「謎を研究する」とか言って、クラスで「なんでも研究会」というグループを作っていました。(笑) 謎といっても当時の小学生らしい「UFO」とか「心霊現象」「超能力」みたいなことです。(昔、ブームの時代があったのです)
卒業時にクラスでそれぞれ皆が自分用にと、クラスメートにお別れのメッセージを書き込んでもらうというものが流行りましたが、私のそれには「いつまでもUFOが好きな人でいてください」と、半ばからかわれ気味(苦笑)に書かれていたのを覚えています。
で、考えてみれば、今現在もそれが「タロット」に置き換わっただけで、同じことをしている自分に驚きます。しかしこれも、大人になった途中から、あることで「愚者」を思い出すことができたからだと思います。
まあ、私の場合は極端ですが、皆さんもまだ社会規範や他人の目、常識をあまり気にしていなかった時代に戻って、自分の「愚者」的な部分を探求してみるのもよいでしょう。
そこからワクワク感の再生や、自分の潜在的ブロック、また反対に生き甲斐の発見に行き着くこともあります。
「いつから私は、詩を書くことをやめてしまったのだろう」
「いつから私は、夢を語ることをしなくなったのだろう」
「いつから私は、思いっきり自分を出すのをしなくなったのだろう」
「いつから好きなことするのに、理由を考えたり、必要以上に制限するようになったのだろう」
こんなことをあなたも感じたことはあるばすです。
タイムマシンに乗って、まだ枠がそれほど強くなかった時代に戻ってみましょう。人は心の中ではいつもタイムマシンに乗ることもできますし、自由に創造性を発揮することもできるのです。
霊性への旅
人は悩み多き生き物です。
悩みを大きくわけると、精神的な悩み、物質的な悩みということになるかもしれません。
たとえば前者は人間関係や生き方、恋愛などによって心が悩まされる状況で、後者はお金や仕事、健康(身体)、家や土地などの所有に関することというものが典型的でしょう。
しかしながら、結局は物質的なことも心の悩みに通じます。ですから両者は切っても切れない関係にあるといえます。
こうして、どちらにせよ、何かの悩みで苦しむ時、その悩みの過程や中から浮かび上がってくるものがあります。
それはこれまでの自分や今の自分では満足できないものがあるという感覚です。
それが時には相手(パートナー、友人、同僚、上司、親、子供など)や、環境(身体、仕事、家庭、地域、社会など)に原因があると錯覚することもあります。
自分の問題や悩みは自分以外の、外のもののせいだと思いこむのです。そうしないとこれまでの自分、今の自分を保てないからであり、外のせいにすると楽でもあるからです。
しかし、冷静に考えてみるとそれは違っているのではないかと感じてきます。外ではなく、中(自分)に問題があるのではないかと。
そして何か今の「悩み」を超えるもの(超越できるもの)があるのではないか、今までの自分と新しい自分とが出会おうとしている何かがあるのではないかという思いが潜んでいることに気がつくでしょう。
それが精神と物質をも統合する、いわゆる「霊」「霊性」といわれるものです。
人は自分の霊性に目覚めようとする時、ある種の危機を迎えるのです。逆にいえば、これまでの知識や経験では簡単に解決できない悩みや危機が訪れている人は、霊性発現(探求)の萌芽に遭遇しているともいえるでしょう。
しかしながら、うすうすそのことに気がついていながらも、そもそも霊性やスピリチュアリティというものが何なのか知ることも、教えてもらうことも普通の機会ではほとんどありません。
また目に見える世界だけで信じ込まされている現代の私たちにとっては、単なる迷い、気の弱さ、考えすぎ、スランプというようなことで片付けられてしまうことも多いのです。
実は経済的な問題、夫婦の問題、仕事の問題などの裏には、本人の霊性への希求(求める気持ち)が隠されいることがあり、現状の精神と物質とが切り離された状態による混乱からの脱却、統合を図ろうと、人間本来の調整力が働いているのだと考えられます。
ところでカモワン版マルセイユタロットは、その霊性を開発・発展させていくための道しるべとして存在している部分もあるのです。
タロットカードを使う時、そこに描かれているのは、精神と物質、あるいは陰陽などで表される二元のエネルギーの統合です。それはそのまま霊性向上への道を示しています。
本来、人は霊的な存在だといえますが、現実に生きる中でそれが失われています。(隠されている、曇らされている) 従って人間の向上・完成を見つめる時、それ(霊性)を取り戻す、思い出すための旅がどうしても始まらざるを得ません。
その時、人は、タロットでいえば「愚者」となり、自分が現実を生きる中でも霊性があることを感じ始めます。そして霊性を全開させていくための巡礼の旅路に出る(意識する)のです。(一緒に描かれている「犬」がとても重要な意味を持ちます)
しかしカードの「愚者」が示すように、普通の人から見れば「愚か者」「変わり者」「変人」と見られることもあります。それでも「愚者」はひたすら自分の霊性を信じ、歩んで行きます。
彼のゴールは霊性を完全に取り戻し、人として完成した「神(全部神性に包まれた人間)」ということになるのです。
ただそこまで行かずとも、霊性に目覚める方は、苦難にも立ち向かいながらも分離されたものを統合していく過程で霊性が向上し、以前に悩み苦しんでいたことも、上の視点(これまで考えつかなかった視点)から見られるようになり、気がつけば心境も環境も変化していることを認識することになるでしょう。
そうなると人生の旅路は、これまでとは違った興味深いものになっていくのです。
お金と流れ バシャールより
「未来は、えらべる!」(ヴォイス出版)という本があります。
これはバシャールという宇宙存在とチャネリングのできるアメリカ人のダリル・アンカさんと、お金と生き方についての著作と講演をされている本田健さんとの間で対談された内容が掲載されています。
まあ実質的には、本田氏とバシャールという存在との質疑応答記録みたいなものです。
この本の内容はなかなか面白く、私も特に多次元的な宇宙観と選択についての部分は非常に興味深く感じたものです。(何を言っているかわからないと思いますが、関心のある人は実際に本で確認されてみてください)
それで、今回はこの本に書かれてあるお金に関することの内容が、タロットのあるカードと結びついた気がしたので、それについて話をしたいと思います。
本の第三章で「お金とと豊かさ」ということをテーマに、本田氏がバシャールに尋ねている項目があります。
そしてバシャールは、「お金は持つものではなく、動かすもの」であると言っています。
この時、私はタロットカードの「愚者」と「星」をイメージしました。
カモワン版マルセイユタロットの「愚者」は、その名の通り「愚か者」にも見えるみすぼらしい格好をした旅姿をしています。
とてもお金を持っているようには見えません。しかし、講座を受講された方などにはわかっていただけるかと思いますが、彼(愚者)はもしかするとお金をたくさん持っているかもしれないのです。(それは描かれているある「象徴」や彼の属する特質からわかるのです)
また物理的なお金ということだけではなく、彼の心も決して貧しいとはいえません。おそらく夢や希望にあふれ、お金のこと(あるなしについて)などは考えたこともないでしょう。
それは彼がいつも動いているからです。ひとつ所やモノへの執着がないのです。
人は所有感(欲ともいえます)が色濃く出るようになると、たちまちすべての動きは止まり、減るか減らないかなどの感情にやきもきすることになります。
つまり自分が動かない存在としてしまうと、そこの今いるポイントに注目せざるを得なくなり(言い方を換えればとらわれるということ)、たとえばお金だったら自分のところにある量の多寡を計るという観点になります。
そうすると、動かない(動けない)ポイントで、ただ入ってくる(または出て行く)偶然性を待つか、自分だけの力で何とかしなければならないという状況に追い込まれます。
しかし固定した考え方をせず、移動や流動を思う時、自分は流れの中での一ポイントに過ぎないとわかり、また自分自身も常に動いていくことで、たとえ一時的に悪い流れが集まるポイント(あるいはいいものが集まりにくいポイント)であっても、変えていくことができるようになります。
お金もこれに当てはめて考えると、まさにバシャールのいう「お金は持つものではなく、動かすもの」ということになるでしょう。ですから「愚者」はああ見えてもやはり豊かであると考えられます。
また「星」のカードも常に両方の壺から水を流しており、それは尽きることがありません。流せば流すほど流れはよくなり、それにともなって豊かさも流れ込み、また移っていくということになるでしょう。
結局のところ、いかに流れというものを意識し、固定した考えや場所に留まらないようにして、自らも動くと同時に豊かさの流れの通過点や供給点・転換点として存在していくかということになると思います。
電気でいえば発電所でもあり、変電所でもあるということですが、「自分は電気には無縁だ」「電気など流せるわけがない」「電気はここしかない」と思いことが一番問題であり、そうなると当然電気も来ないということになります。
タロットでちょっと解説してみましたが、タロットを知らない人やさらに詳しく知りたい人は、「未来は、えらべる!」を読んで確認されるとよいでしょう。
