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リーディングデー。タロットリーディング受け付けます。
カモワン流のタロットリーディングは静かな環境で、クライアントとタロットリーダーがゆっくりと話をしながら出たタロットを確認していく作業が必要です。
その濃密ともいえる時間が、タロットと自分とのシンクロニシティ(偶然のような意味ある一致)に気付かせ、さらなる深いタロットからのメッセージをくみ取っていくことができるのです。
このたび、ようやくそうしたリーディングのためのお部屋を2日間お借りすることができました。
こり両日を私の「タロットリーディングデー」として、リーディングを受けたい方の募集をさせていただきたいと思います。
たとえば、
●自分をタロットとともにじっくり掘り下げてみたい方
●混乱した状況の整理をつけたい方
●起こっている問題を解決に向けたい方
●自分の身に起きたことの意味を知りたい方
●仕事、恋愛・結婚、パートナー(夫婦、人間関係)など
さまざまな課題や選択を抱えていらっしゃる方
●カモワン流の本格的なリーディングを受けたい方
など是非、この機会をご利用ください。
カモワン流のタロットリーディングは、クライアント(相談者)が質問をしてクライアント自らがタロットの山からタロットを選択して引いていきます。
そして、ある展開規則のもとにタロットを並べていくと、その問いに関連する相談者自身の事柄・背景・心模様などが、まるで絵物語が広がっているかのように感じられてきます。
ここからあなたの問題意識を望ましく積極的なものへのと変換していく作業も始まります。自分で引いたタロットが自らの物語を形成し、また同時に解決の方向も示唆しているということを、ほかならぬあなた自身が確認することになるのです。
★リーディングデー★
●実施日
11月11日(終了)、11月14日(日)
●時間枠
11日 終了しました。
14日 [1]10:00-11:00予約済 [2]11:30-12:30
[3]13:30-14:30予約済 [4]15:30-16:00予約済
[5]16:30-17:00予約済 [6]17:30-18:00
●料金
基本1時間7000円 30分4000円コースあり 選択制
●お申込み
こちらのフォーム の「リーディングご希望の方」欄まで。
希望日、希望時間は先着順でお取りします。
●場所
JR・大阪市営地下鉄天王寺駅近くのマンションルーム
(お申込み者に詳細はお知らせします)
大きな存在を仮定すること。
昨日のNHKスペシャルでは、例のチリ落盤事故からの生還について、3人の方のインタービューや地下で撮影された影像をもとに救出までの話が語られていました。
その中でも興味深かったのは、最初は細い生命線ともいえる穴が貫通するまでは、皆必死の思いで生きることだけだったのが、穴が掘られてからは食料や娯楽のものなど、どんどんと地下での生活に向けた便利なものが送られてくるようになり、ついにはテレビ電話で家族とも会話できるようになってきたことで、人々の間に欲が出て、いざこさやトラブルが起こるようになったということでした。
そして、それに対処するため、一人のリーダーのもと、神への信仰の時間(祈りの時間)を毎日持つことで、自分(の欲やわがまま)を見つめて穏やかな心を保つよう心がけるようにしたということです。
やはり人間、物質ということがきっかけとなって、わかちあうという心よりも独占したいという思いが出てきてしまうということです。いわば悪の心みたいなものですね。
しかしこれは考えようによっては、物質(形、目でみえるもの、感覚で実際にわかるもの)が与えられることで、他との違いが明確になってきたということでもあります。つまり、違いがはっきりしていくことで、全体の中に埋没していたものが、個性を持つようになるという意味でもあるのです。
ただそれが行きすぎる(個も全体の中のひとつであるという意識や認識を忘れる)と、問題となってくるわけです。
その状態からもう一度バランスを取り戻すには、神への信仰のような、より大きな視点が必要になってくるのだといえましょう。
自分(たち)を超える大きな存在を感じたり、観点を持つなどのことにより、全体性を回復できるのです。
その時、自分の小ささを知り、再び大きなものへと自らをゆだねる気持ちになっていきます。
そうして改めて全体から個としての自分を見た時、今度は自分の個性が全体にどのように役に立つのか、貢献できるのかといった視点に転換していくことにもなります。
だからこそ、高次の意識や存在(それは「神」でも「宇宙」でも「ハイヤーセルフ」でも何でもいいのです)を信じたり、仮定したりするだけでも人にとっては有意義なことだといえるのです。
もっといえば、物質・形あるこの世界に生きるためには、個としての自分を発揮していく(全体に活かす)ことと同時に、物質に振り回されないように(欲の追求だけで生きてしまわないように)、大きな存在への信仰が必要なのだということかもしれません。
人の意識のレベルは上下左右の幅があるのです。
タロットの大アルカナは、いわば自分(あるいは人間として)の22類型の心模様であるというようなことはお伝えしていることろですが、階層的にもたとえば現実的なレベルと天上意識的なレベル(現実・人間レベルを超えた意識レベル)で表されることもあります。
簡単にいえば悪魔の心もあれば普通の人間の心もあり、天使や神々の心も象徴しているということです。
そして人は、それらを全部持つことも可能なのだと想像できます。(発現は別として、もともと内包している)
たとえば私は普段は取るに足らない普通の人間ですが、タロットの講義をしている時は、自分でも驚くくらい普遍的な愛情に包まれます。大げさにいえば「人類愛」みたいなものです。
皆さん、どんなきっかけや悩みからであっても、タロットを学ぼうとしていることは、自分の問題を見つめようとしているわけであり、そこまで思っていなくても、とにかくなにがしかの変化を求めて受講されているわけです。
そしてこれまでの体験上、このタロットを受講する方々の背景には少なからず大きな悩みを抱えていたり、反対に希望を持たれている方が多いことも感じています。
時には受講中に個人として問題が出たり、講師を試そうとして斜に構えた質問や態度をする方もいらっしゃいますが、それでもタロットに関心があって来られたことには変わりはないわけです。
そのようなことを考えると、本当に受講される方全員を愛おしく感じますし、皆さんの可能性にいつも期待と尊敬を抱いています。
ちなみに講座を受講されたあと、個人的なご相談(タロット学習以外での)されてくる方もいらっしゃいますが、私は喜んで受けています。講座を通して得られたご縁ですし、それがまた講師としての務めだとも考えているからです。
このようにいろいろな場面で、人は神にも反対に悪魔にもなれる能力があります。その選択は自分に任されています。ですが、現実・人間以下のレベルにならないよう、高い意識を持てる時間と空間を少しずつでも増やしていき、自己成長を図っていければと思っています。
それはやはり自分だけではなく、ほかの人々との関わりによって促進されることだと感じています。
経験してみないとわからない
「しょせんは経験してみないと、本当のところはよくわからない」とよく言われます。
私もまったくその通りだと思います。
頭の中で想像しているだけでは、仕事も恋愛も旅も食事も何もかも、ただのイメージに過ぎません。
それで「やった」気分、「なった」気持ちで語られても、実と心が伴っていないことになるのは明白です。
けれども、たとえば皆さん、眠れば夢を見られることでしょう。
夢を見ているときはたいてい「これは夢」だと意識せず(している場合は「明晰夢」として興味深いこととなりますが)、まるで本当に体験しているかのような気になっています。
目が覚めてはじめて、「ああ、あれは夢だったのか、よかった。。。」「残念! あれは夢だったのね」という具合になります。
つまり、それだけリアルに感じているということです。
バーチャリアリティも行き着くところまで行けば、どこまで現実かわからなくなってくるわけですね。
映画「マトリックス」でも、人々が本当だと思っている世界は、実は夢のようなものでした。けれども、その仮想世界で死ぬと、夢を見ている本体も死ぬことになっていました。これなど、仮想と現実が一体化しているようなものです。
このような設定は映画に限らず、漫画・アニメなどではかなりポピュラーなものといえるでしょう。
さて、最初の話に戻りますと、私たちはこの実社会で自分が自ら経験しないと本当の感覚はわからないと言いましたが、もしイメージや空想の世界でも、それが現実と区別をつかないようなリアリティをもった仕掛けや、体感覚(物理感覚)がともなえば、そこでの経験も現実とほとんど変わらなくなるということになってきます。
ということは、非常に濃密なイメージが抱けるようになれば、それは経験値を増すことに等しいということでもあります。
また引き寄せの法則や思考の現実化とは違った意味で、仮想経験のリアリティ感によって現実での再体験も容易になると考えられます(実に等しい経験は身になっている)ので、思いが現実化することも早くなったり、高くなったりするのだと推測できます。
イメージを鍛えるということはこのように特別な意味を持つのです。
そのツールとして絵柄のあるタロットは有用といえるかもしれません。
そして「経験してみないとわからない」という言葉は、二重の意味で真実味を帯びてくるのです。
うつの認識も変化し、また治療も変化する。
「うつ」ということも、かなり社会に認知されてきたように感じます。
それと同時に、従来の範疇では収まりきらない「うつ」症状というのも現れてきているようです。
しかし、それは今現れたというよりも、前々から存在してはいたものの、うつ自体あまり社会に知られていないものだったので、ようやく「うつ」の世界が本当の意味で本格的に姿を見せ始めた(社会がとらえられるようになってきた)といえるのかもしれません。
たとえば、うつといえば元気がなく、文字通り抑鬱的であり、何もする気力も起こらないと考えられがちですが、プレッシャーやストレスのかかる(たとえば職場)から離れると、急に元気になって活動的になるという、一見怠けや逃避でしか見えないものもあるようです。
そうした人には、これまでいわれてきたような「励ましてはいけない」「がんばれというのは禁物」「外に無理に連れ出してはいけない」ということが必ずしも当てはまらず、むしろ状況によってはそれが好転のきっかけになることもあると聞きました。
そういえば、私自身も何もやる気や力が入らない、いわゆる典型的なうつ症状の時がありましたが、それとは別に特定の時だけうつ症状がひどくなり、ある場面になると普通に近い元気さが戻ってきていたということもありました。
そうかと思えば自分の身が崩壊してしまうよなう恐ろしい不安症状や、いても立ってもいられない激越なイライラ感にも悩まされた時期があります。この時は活動的ともとれるほど外に出ていました。というより、じっとしてられないので、外出せざるを得なかったというのが本音ですが。
このように考えてくると、「うつ」と一口に言っても、その裏には様々なタイプが隠されているのがわかります。もっと細かい分類がいるのかもしれません。タロットでいえば小アルカナで細分化していくような感覚です。
おそらく「うつ」も物理的には脳内物質の分泌異常だと思えるのですが、脳内は複雑です。
脳自体も危険を認識して、なんとかバランスを保とうと必死で調整しているはずなのですが、その過程や回復作用の困難さで、いろいろなものが症状として現れてくるのではないかと想像できます。
いずれにしろ、うつや心の問題はまだまだわかっていないところがあるので、うかつに自己判断してしまわないことと、他の人も単純にパターン化して考えないことが大切だと思います。
逆にいえば、今の治療以外のものでも活路が見いだせる可能性が多くあると予想できます。「私のうつはもう治らない」とあきらめることはまだまだ早いのです。
先ほど「パターン化して考えない」とはいいましたが、それは安易にあてはめないということであり、医師や専門家の人にはどんどんとパターンを細かくわけていってほしいと思います。
そうすることで今度はそれを再統合していく中で、今までとは違ったパターンが現れ、そこから有効な治療に結びつくこともあるかもしれないからです。今まで見えなかったつながり(共通点・要因)が見えてくるという感じですね。(これはタロット的な考え方です)
もちろん私などの素人が考えるようなことは、すでに医師の方々は行っているのでしょうけれども。。。
今うつで苦しんでいる人は、医師の相談のもとで、違った治療などのアプローチ、たとえば薬だけではないもの、場所や家、人の環境、フィジカル、食べ物、鑑賞するもの(映画・絵画・風景)、ストーリー(本・影像など)等、様々なことから取りかかれることもあると想定してみるのも何らかの出口の発見につながるかもしれません。
私ももがきながらも、なんとか「うつ」と「不安神経症」から回復しました。皆さんにも回復が訪れることを願っています。
