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何から手をつけるへきかに悩んだ時。
やることが多すぎたり、何から手をつければよいのかわからく、混乱してしまっている人に。
タロットから得られた解決策を披露します。
1.コントロールできることとできないことに分ける。
2.コントロールできることに優先順位をつける。
3.優先順位をつけた順序から集中してこなしていく。
4.こなしたもの(やり終えたもの)の成果を実感する。
たとえば、ダイエット。
自分の体重をいきなり自分の超能力(笑)で、「減って!お願い」と念じても変わりません。
つまり体重自体は自分でコントロールすることはできないのです。
しかし、食事やサプリメント摂取、運動したりすることは自分でコントロールできます。
それで自分が最もすぐ取りかかれそうなもの、あるいは重要性や緊急性があると思うものから実行していくわけです。
そして「これから片付ける!」「まずこれから始める!」と決めたら、それに集中していくことも大切です。ほかの順位のものに目が移って、いつのまにか同時進行になると、どちらも達成できず共倒れになる恐れがあるからです。
最後に、やれたことを目に見える形や実体として感じられるようにします。
たとえばダイエットの例でいえば、運動したことを日記のように記録して確認できるようにする、サプリが減っていることを箱や瓶で確認する、などです。
仕事なら、処理が終わった書類を目で見えるように位置を決めて置いておくというようなものです。
つまりは成功体験と遂行感(やり遂げた感)をひとつひとつ実感として確認する作業をするということです。そうすると、次なるものへ向かうモチベーションや継続していく意志の力が上がるのですね。
あとはこの4つをひとつのサイクル(1が終われば、2→4のサイクルになることもあります)として繰り返してくと、いつの間にか大変だとパニッくっていたことでも、終えることができていたり、目標として達成したりすることができます。
意外に重要なのは、自分でできることとできない範囲を区分けできていないことにあります。最初のコントロールに関わってくることです。この整理だけでもかなり混乱度合いがすっきりしてきます。
一度試してみてください。
恋愛について語ること。
タロットの相談で多いのは、生き方(自分の生き甲斐、方向性)、人間関係、仕事、そしてやはり恋愛です。
私自身は容姿が特別によいわけでもなく、かなり奥手なほうでしたし(いわゆるオタク系だったといえます(^_^;)、とても昔は恋愛を語れる人物ではなかったのですが、その分、古くから恋愛についてずいぶん考えを巡らせ探究もしていました。
そのおかげか、実践に移していくようになってからは、まあ普通に恋愛もでき、さらにはどうにかこうにか人様の相談にも応じられるくらいの経験と知識もついたように思います。
とはいえ実際の場面では、信じられないような話やありえないと思える関係・体験の相談を受け、恋愛というものは本当にすごいものだと日々感じているところです。
私は先述したように恋愛のテクニックについても一時、えらく熱を入れて研究していたこともありますが、それはまあ、言ってみれば若き日の自分のためのものでした。(;^_^A
ただ結婚し、いい年である今となっては、そういうものを教えるのも話すのも、ちょっとむなしいものであると感じています。
その手(いわゆる恋愛テクニック)のことは、私のようなおっちゃん(笑)が語るまでもなく、たくさんの方々が各場面に応じた有効で優れたものをご提供されています。
それよりも私は、「恋愛をなぜしてしまうのか」「そして恋愛は人生にとってどう影響し、どう活かすべきものなのか」などといった面から分析し、恋愛体験を意味あるものにすることに焦点をあて、その意識と観点でのリーディングとセミナーを実施しているところです。
またどうせ恋愛をするのなら、あまり自分にとってよくない恋愛をするよりも、よい恋愛になるようもっていくほうが回り道しないですみますので、テクニックうんぬんというより、そういった方向性を目指しています。
ま、それも技術といえば技術かもしれませんが。(苦笑)
ただそうは言っても、恋愛は自分の思うとおりにならないものであるから、悩みごとでも人気の分野となるものです。
恋愛は理不尽なものです。でも、一言でいえば、その理不尽さを経験することそのものが大切ではないかと私は考えています。
火の試練と水の試練
タロットを見ていると、人の浄化や変容(自分の意識の大きな変化・成長)のためには、二種類の大きな試練があるのだというのだということに気がつきます。
それは、
火の試練
水の試練
のふたつです。
この試練を理解するには、そのまま「火」と「水」のイメージを思い浮かべていただくとよいでしょう。
火は熱く、焼けるような痛みがあります。いわば、かなり直接的なつらい体験や苦しい経験といえます。
あまりに火が強ければ、火傷を起こし、その治癒には相当の時間がかかるかもしれませんし、もしかすると、焼け切って灰が残るだけのこともあるかもしれません。
けれども燃焼は気化を伴い、蒸留過程を通じて、純粋なものと不純なものとを区別します。また、燃えることにより、形を根本から変えてしまうことも可能です。
一方、水は冷たく、さらさらとすべてを洗い流しますが、量が少ないと詰まり、多いとおぼれてしまいます。
水には一定の形がなく、様々な形態に変わっていきますので、その時その時の変化の対応力というようなものが問われているといえましょう。
それはつらいことというより、むしろ誘惑や人からの影響による堕落や固定に対する試練と呼べるものです。
あるいは「流れ」ということでは、自分の中の固定したものをどう流していくか(つまり浄化)ということでもあります。
興味深いことに、火の試練と水の試練は、火の恩恵と水の恩恵という形で交互にやってくる場合もあります。
すなわち、火の試練で傷ついた心には水の恩恵(水で流し、あふれさせるような心や実際的な治癒)で癒され、水の試練で溺れてしまったり冷たくなった心には、火の恩恵(太陽光のような温かさ、熱情、インパクトによる蒸発作用、一気に処理する素早い救済)で助けられるというようなものです。
つまり、火と水は質の異なるふたつのエネルギーであり、試練にも恩恵にも両方働くということです。
火と水は本来相容れないものですが、その相容れないものを統合していくことに、錬金術などの古代からの秘儀の神髄があるといわれており、タロットにもそのことは描かれています。
聖書や古い伝説でも、洪水や神からの雷(いかずち)のよなう火の衝撃によって、試練を与えられたということが伝えられています。
「火」と「水」に象徴される相反するエネルギーを自分にうまく活かすことによって、大きな成長の糧にすることができるものと思います。
なんと言っても、「火」と「水」を合わせると「かみ」とも呼べるものなのですから。
やる気が出ない時に、「運命の輪」と「吊るし」
しかし暑いですねぇ。(;^_^A
こう暑いと何もやる気が起きない人もいらっしゃると思います。
やる気が起きないというのは、案外と重要な示唆が含まれていることがあります。
まず単純にエネルギーが落ちている、疲れがたまっていることが考えられるでしょう。
やる気が起きない状態がずっと続くようでは、これはうつ病も疑ったほうがよいかもしれません。(私の経験による、うつ時の状態については、また別記事で書かせてもらいたいと思います)
人はモチベーションやテンションが上がったままの状態で継続することはまれです。
世のすべては、上がれば下がり、下がればまた上がることが繰り返されています。
ということは、上がった気持ちも下がることが必ずあるということです。これをタロットで見れば「運命の輪」で表すことができるでしょう。
ですから、その意味ではやる気がなくなってくることも自然なことで、また何かのきっかけで上がってくるのだともいえます。
問題はその上げ下げの流れのリズムを無視し、ムチを自らに当てるがごとく、無理からにモチベーションをあげようとすることです。
やる気が起きないということは、ある意味「やらなくてもよい」ということであり、いや、むしろ「やらないほうがよい」と内側からサインが来ていることもあるわけです。
従ってそのような時は何もしないとか、やる気にならねばならない対象とは違うことをするという意識の転換と選択が必要となってきます。
タロットでいえば、「吊るし」を取るということです。
そうは言っても、仕事などではやる気に関わらず、どうしてもしなければならない状況もあるでしょう。
それでも、何も考えずただ「気合いだ!」と力を込めるのではなく、上げ下げのリズムを思ってメリハリをつけ、スケジュール的に可能なら、仕事を少し停止してみることです。
そうすれば後で、逆に効率が上がる場合もあります。
自然のリズムが波のようになっていると想像すれば、ずっと同じテンションで力を入れ続けることは、タイミングが変われば激流に逆らって泳いでいることと同じになるのです。
人間は意外に外(自然)に同調しようとする働きがあります。
自分がそのリズムからはずれておかしい状態にある時、警告として自らのやる気を失わせることにより、タイミングをずらすことや一時的にストップしてみることをメッセージとして発しているのだとも考えられます。
やる気が起きないのなら、自分の今の行動や思いを分析し、「今のやり方がズレているのではないか」「流れに逆らっているのではないか」と疑って、一度自分を「吊るし」てみるのもよいかもしれません。
カードの関連から「机上の空論」を見る。
カモワン版マルセイユタロットの解釈には、カード同士に同じ象徴(シンボル)があれば、それに注目してリーディングするというものがあります。
今回はそれに関連した話です。
大アルカナと呼ばれる22枚のカードに「手品師」(ほかのカードの名称では「奇術師」「魔術師」)と「世界」というカードがあります。
この二枚には同じ象徴がたくさんあるのですが、中でも「手品師」に描かれているテーブルの上の手品の道具類と、「世界」における人物・動物類との関係には深いものがあります。
その根本的なことと詳しいことについては講座でお伝えしているところですが、ここでは講座の内容とはまた別のものを書きます。
「手品師」の手品の道具と「世界」に描かれている動物たちは、同じ意味合いをレベルや状態の違いで示したものなのです。
従ってその相違を見ることによって、カードがその時、示唆していることを導き出すことが可能です。
「手品師」の道具は「モノ」であるのに対し、「世界」の動物は「生き物」です。
「手品師」も「世界」も、描かれている人物は自分が中心であることに変わりはありません。
ただ「手品師」にはほかの人物(生き物)が出てきていません。
もしカモワン流でいうところの問題カードが「手品師」として登場し、さらに解決カードに「世界」が出るようなことになっていれば、「生物」であるかどうかというポイントはとても大事なことになってくるでしょう。
つまり、「手品師」はモノや技術で何とかなると思っているのであり、そこには血が通った生のものがないのです。まさに机上の空論状態といえましょう。(「手品師」の図柄にはテーブルもあります)
反対に「世界」は「生き物」に囲まれています。
これはモノだけではないつながりも理解しているということになります。ちなみに「世界」の中心人物は、その手に小さく道具をもっていますので、モノを軽視しているわけではありません。
また仮に「世界」のカードが問題で「手品師」が解決を示しているのならば、その逆も考えられます。
これは、せっかくの技術や道具があるのに、他人(の意見や考え)に振り回されて、それを活かしきれていないということになるでしょう。
また、考えすぎていつも動けないことになってしまう傾向の人は、「手品師」の問題と考えるとわかりやすいかもしれません。
象徴的にいえば、「あれこれ机上で考え、“一人手品”をするばかりで、観客に自分の手品を見てもらうことをしない」ということです。
こんな風にして、カード同士の象徴を比較することによって、自分の問題をわかりやすく見ることができるのがカモワン流メソッドのよいところなのです。