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「世界」は知ることにある。
子供の頃を思い出してみましょう。
あなたの知っている「世界」はどこまでの範囲でしたか?
ここでいう「世界」とは、自分が認識している世界といいますか、平たく言えば自分の活動範囲のようなものです。
おそらく「学校区」というものに、その世界の範囲がかぶっていることに気がつかれるのではないでしょうか。
たとえば私も小学生の頃は、自分の通う学校の校区(つまりはその学校に通う生徒の居住する範囲)までが日常世界で、たまにそこを越えるとまるで異世界へ突入するかのような感覚がありました。
これが中学校、高校へと進学していくに連れ、世界も広がっていきます。またそれだけではなく、自分が実際に足を運んだ地域なども自分の世界として取り入れられてくるのもわかります。
大人になった私たちでも、自分が認識している(平常に感じる)世界というものは意外に狭いものです。
とはいえ、やはり全国を股にかけて活動されている方などは、自宅と近くの仕事場を往復するばかりの人に比べて、その物理的な世界観の広がりはかなり違ったものになっているでしょう。
また実際に自分の足で地を踏んだ場所だけではなく、人間関係を通じて知る世界というものもあります。こちらは物理空間というより、精神空間とでもいったほうがよいものかもしれません。
いずれにしても、こう考えてきますと、世界というものはあなたが知ることによって得られる物理的精神的空間のことであり、それを拡大するには結局「知る」度合いによるのだということです。
面白いことに、タロットカードにも「世界」というカードがあります。
「世界」は、カモワン流でのある教義を伝えるタロット絵図の並び、通称「タロットマンダラ」の最後に位置するカードであり、いわばこのカードはすべての学びを終えた最終到達地点を示すものです。
ということは、すべてを知った、認識したということです。
またタロットマンダラでは「世界」のカードの隣には「審判」のカードがあります。「審判」は天使がラッパを吹いているかのような絵柄のカードで、ひとつには「情報」や「知らせ」を意味します。
つまり、情報を知ることでまた新しい世界になることが示されているのです。
タロットから話を戻します。
結局、自分の世界を広げるには「知る」ことにある、「経験・体験」することにあると考えられます。
だから今生きている人生で、あまり自分に制限をかけて知る機会を減らしてしまうのは、非常にもったいないことになるのです。
積極的にいろいろとチャレンジしてみて知見を広げ、自分の世界を拡大させましょう。
三枚正立の謎
カモワン流で大アルカナのタロットを展開する時、最大枚数は22枚になり、最少枚数は3枚のみとなります。
毎回毎回違った枚数と展開が繰り広げられるのです。
枚数が多いとリーディングしにくい印象があると思いますが、慣れてくればそれは逆だということがわかってきます。
数が多いということは情報量も多いということですから、分析する要素に事欠かないわけです。
特にカモワン流ではタロットの絵柄や意味の共通点などを見つけていくことが技法としてありますので、このことからも枚数が多いほうがやりやすいのです。
しかし三枚だけしか出ない、いわゆる「三枚正立」(カードが三枚とも正立状態で出ること)の展開では、絶対的に情報量が少ないため、判断するのも難しいことになります。
そしてカモワンタロットをされる方で多くの人が悩むのが、また「三枚正立」のリーディングなのです。
カモワン流の場合、正立のカードはすべてポジティブに扱います。ですから三枚とも正立ということはかなり肯定的な意味を持つと解釈するのが普通です。
しかし実際には問題が多いことは明らかであるのに「三枚正立」であったり、大吉的な意味だろうと思って実行したのに今ひとつの結果であったりするケースがあるのです。
この理由については、関西のカモワンタロットの学習グループ「関西タロット研究会」でも、かなり前から研究課題として挙げられ、実例も交えてのたくさんの意見が交わされてきたところです。
その成果については、メンバー間の約定があるのでこの場では発表できませんが、それ以外の私なりの解釈とヒントを少し述べたいと思います。
まず、タロットは占いとして万能ではないことです。特に展開(スプレッド)は人が考案したものであるので、展開方法にとらわれすぎると、時に本質のメッセージをくみ取れないことがあります。
それから「三枚正立」でも、カードの内容をよく観察することが必要です。
基本的にカモワンタロットでは正立においてすべてポジティブに読むことは先述した通りですが、それでも「13」が出る場合と、「太陽」が出るのとではかなり雰囲気も印象も違います。
またそもそもカモワンタロットの展開方法は吉凶判断的な占いには向いていないものです。
なぜならば、問題カードと解決カードという二枚の関連において解釈する方法なので、文字通り「どう問題を解決するか」の指針をカードから読むのには適していますが、「これをすればどうなるのか?」という問いには答えにくいものになるからです。
ですから、三枚正立でリーディングしにくい、あるいはどうも実状とはかけ離れていると見える時は、問いを「○○すればどうなるのか?」というものではなく、「○○する(になる)にはどうすればよいのか?」と変えてもう一度展開してみることをお勧めします。
その過程では問いをうまくすることができない(問いを変換ではない)場合は、最初の展開時おいて偽の問い(本当に聞きたいことではないもの)をしていなかったか、確認してみることです。
さらに、三枚正立の内部構造にも注意してみましょう。
視線によってつながった二枚のカードと、視線を持たない独立した一枚のカードから構成されているのか、すべて視線でつながってるいのか、あるいは視線でつながっていたとしても、どの方向を向いているのかなどによってもかなり解釈が変わってきます。
その他、三枚正立の読みにくさと謎についての回答や考察はいろいろとありますが、今回はこのあたりにしておきます。
占いで当たること。
「占い」といえば「当たること」が重要だと考えている人は多いものです。
当たる占い師でなければ見てもらっても意味がないと述べる方もいます。
確かに自分に当たらないことばかりいわれても、「はあ?」となるのは人として自然な反応だと思います。
言われていることがピッタリ符合するのであれば、その後に話されることも受け入れやすくなるというものです。
つまり「当たる」ということは、相談する方、される方の両方の信頼感をつなげる(ラポールをつける)役割もあると考えられます。
ということで、当てることはやはり大切な面はあります。
一方、当たることはそれほど大事なのかどうか、改めて考えてみるのもまた違った観点が得られます。
例えば、これから先のことが100%正確にわかる本があったとしましょう。
ここに就職を控えたある男性がいたとします。彼はその本を入手することができたので、早速それを利用することにしました。
すると本には、「A会社の採用には落ちるが、B会社に決まる」と書いてありました。
彼は、「なんだ、だったらC会社もD会社も受けずに済むな」と思い、あとは就活せずにのんびり過ごすことにしまた。
その後本に書かれていた通り、彼はB会社に就職が決まりました。
それからも彼は本を利用します。結婚についても無駄なことは一切せず、本で予知されていた相手と交際し、結婚することができました。ただ、相手は自分の理想とは違っていたのが残念でした。
本はまだまだ膨大なページがあったのですが、このあたりでいっそのこと、自分の人生すべてを知っておこうと彼はその先も読むことにしました。
今までは先を知りすぎることに怖さも感じて一部しか開いていなかったのですが、結婚を機に、どうせならと一気に読破することに決めたのです。
最初はドキドキしながら読み進んでいました。どうやら一年後には無事子供にも恵まれ、さらにもう一人の子供もできるようです。
一時会社の業績が悪くなって人生の危機を迎えるようですが、転職が成功し、別の会社でそれなりの役職を得て暮らすようです。退職後は内臓を悪くして手術もあるみたいですが、命には別状はないようです。
子供達も二人とも家庭を持つようですが、一人は離婚すると書かれてあります。どうやらその子には、だいぶん経済的には援助しないといけなくなるみたいでした。
そうして、とりあえずつつがないというか、一通りの人生を終えて80才で亡くなるみたいです。
彼は「ああ、よかった」と安堵した反面、すべてこうなるのかと思うと、急にやるせない気持ちになってきました。
何をしてもこの通りになってしまう人生。レールがもう完全に敷かれている人生。。。
それでも彼は「悲惨な人生になるよりましだ」と、気を取り直し、それからの生活を送っていくことにしました。
けれども空しさはいつもつきまといます。
時には何とかレールからはずれようと思い切った行動をしてみるのですが、その都度なぜかブレーキがかかったり、誰かに止められたりして、結局あの本に書かれたままの人生に引き戻されるのでした。
次第に彼は喜びも楽しみも感じられなくなっていきました。そして、とうとう寿命と刻印された80才がやってきて、そのまま予定通り息を引き取りました。
最後の臨終の間際、彼はこうつぶやきました。
「もう一度、予定のわからない人生を歩んでみたい・・・」
いかがですか。すべてがわかってしまうことは、このようにとてもつまらない人生になってしまうのです。
この物語の彼も、要所要所だけ本を読めばもっとワクワクした人生が歩めたかもしれません。
しかし一部を知ると、ほかのすべても知りたいと思うのが人情であり、それもある意味誘惑といえます。彼はその誘惑に負けたということであり、いわば本を活用するのではなく、本に自分が操られたことになったわけです。
つまり当たることが全部悪いわけではなく、いかに自分の人生の可能性を制限することなく(依存することなく)、それを有意義に活かしていくことができるかということにかかっていると思います。
結局当たる占いも、この世であなたに提供される様々の情報や道具のひとつに過ぎません。
大切なのは、人生の主役は道具ではなく、あなた自身だということなのです。
自分が変われば世界が変わる理由の一例
自分が変われば周囲も変わり、世界も変わるということは、精神世界では比較的よく話をされます。
これにはいろいろな理由があると考えられますが、タロットを見ていて気がついた一例を述べたいと思います。
それは「選択」ということをポイントに置くと、理解できるものです。
人は何らかの要因で自分の中が変化した時、言ってみればそれまでの価値観や概念が壊れ、新たなものに置き換わった状態であると想像できます。
それでもすべてを捨て去る(すべてが崩れ去る)ことは普通できません。
それは現実を生きていることの否定にもつながりますし、そもそも全部が無くなりますと、自分を存在させておくことができないからです。
従って自分が変わることにより古い価値観は消滅しても、それに替わる新しい価値観や考え方はまた構築されているのです。
さて、この現実の世界で何かの影響を及ぼそうと思えば、あることするための「選択」をしなくてはなりません。
する、しないの選択はもとより、すると決めた場合でも、何をするのか、どうするのか、いつするのかという山のような選択作業をこなして、人は日々生活をしているわけです。
結局、自分の現実というものは、自分の選択した結果であると言ってもよいでしょう。
ですが、その選択基準というのは、その時身につけているあなたの価値観や考え方によります。
これが正しいと思って選択してることもあれば、もはや誰もが普通に行っていることなので、オートマチックに習慣として選択していることもあるでしょう。
いずれにしても、外からの影響はあるにせよ、すべてはあなた自身の判断によって選択されています。
ところが自分が変わり、新しいものの見方を獲得すると、当然ながらそれまでとは異なる選択をするようになります。
選択の積み重ねの結果=今の現実であるならば、新しい価値基準による選択を行っていけば、それだけ今までとは違った現実が生み出されるという図式になります。
ということは、大きな意味ではあなたの「世界」が変わるわけです。
これが「自分が変われば世界も変わる」という理由のひとつだということです。(もちろん「選択」以外の着目によっても、自分の変化→現実の変化はたくさん説明することはできます)
このことは逆に考えれば、いかに普段私たちは無意識的に選択を行っているかということにもなります。
同じ選択の基準、方法を取っていては、いつまでも変化がないのは当たり前ということになるのです。
でも悲しいかな、「選択を変える」ということはなかなかできません。今まで通りにしているほうが楽で自動的であり、エネルギーがいらないからです。
だからこそ、どこかで自動装置を停止する機会を持ち、自己を見つめることが必要なのです。
それはいわば、いつも右ばかり選択する癖を自覚し、左に選択することもよいのだという価値基準を新たに作ることでもあります。
そして、タロットはその作業にとても有効なツールなのです。
タロットリーディングの3階層
カモワン流のタロットリーディングには階層が存在します。
これは同じ絵柄と展開でも、何通りもの読み方ができるということと同じです。
それは大まかにわけて次の三つに分けられると考えられます。
1.現実・実際レベル
2.精神レベル
3.霊的(超越)レベル
これを例えで示してみましょう。
ある人がパートナーとの出会いを求めているとします。
そしてタロットを展開すると、中心的なカードに、「星」のカードとその視線の先に「神の家」が出たとします。
1レベルの読みでは単純に「星」の意味から、「集まり」など出会いの機会を増やすという読みができます。
そうすると、「神の家」の絵柄にあるように一目惚れ的な出会いが待っているかもしれないと解釈できます。
2レベルではさらに心の分野まで入り込み、クライアントの心理をカードによって分析します。
「星」と「神の家」が並んでいるところから、もしクライアントが女性ならば、女性性を意識すること、男性(「神の家」が象徴します)との対抗意識を流すこと、父親(これも神の家が象徴)との確執があるのなら、それも解消することなどがリーディングできます。
もしクライアントが男性ならぱ「神の家」を自分自身として見立て、女性を恐れず、また軽視もせず、男としての自信とプライドを持つことがカギとなるとも読めます。
これが3レベルになってくると、かなり読み方が変わってきます。
「星」の女性は妊娠しています。ということは、パートナーになる人はまだお腹の中なのです。
実際には赤子というわけではないのですが、まだ恋愛や結婚の対象にはない年齢であるかもしれませんし、とにかくあなたの相手となる状態にまだなっていなく、象徴的に「種子」の段階だということです。
これには「神の家」の雷が必要であり、雷に打たれることで急激な成長や脱皮(これらは「星」の絵柄にある蛇の象徴などからもリーディングできます)が促され、あなたの相手として目の前に登場するのです。
今は出会っていても気がつきません。出会う段階ではないのです。しかし可能性としては現在進行中です。そして出会うためには三段階の道程が必要です。
これはあくまで一例ですが、1,2,3レベルの違いを示してみました。
3のリーディングを行うには、知識的にもタロットの象徴に習熟しておくことと、さらにはタロットの霊とのコンタクトやタロット瞑想などを通じて、通常の意識を超える経験が必要でしょう。私自身もコンスタントにできるわけではありません。
とはいえ展開方法によっては、1,2,3のそれぞれの読み方に適したものがあるのもカモワン流の特徴といえます。
しかし必ずしもそのレベルの読みに、展開によって達することができるという意味ではありません。
それでもある展開方法を試みることで、何もしないよりかは1から2、そして3への意識の移行がしやすくなるのは事実です。
とにかく、カモワン流でタロットリーディング行う人は、理想としては自分の中に3のレベルを意識しておくべきでしょう。
理想は最高のものを見ていないと、現実に現れるのはさらに劣化したものになるからです。
