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龍馬伝でのタロットシーン
先日お会いしたはるひなたさん のご自身のブログ 、またそのはるひなたさんとご一緒に活動されているアフィーノさんのブログ からもお知らせされていましたが、6月27日のNHK大河ドラマ「龍馬伝」に、マルセイユタロットが登場しましたね。
テロップでも、きちんとタロットの監修ははるひなたさんと出ていらっしゃいました。
いやー、それにしても大河ドラマにタロットが、しかも私も愛好するマルセイユタロットが出たことは、すごくインパクトがありました。
あのシーンでタロットが使われたのには、脚本家やスタッフの方などに、タロットがお好きな人がおられたということでしょうか。
それはともかく、個人的にはマルセイユタロットが一般的なメディアに登場したということで、とてもうれしく感じます。
さて、ドラマのシーンでのタロットの展開法は、スリーカード(三枚を並べる方法)でした。
これは、左から「過去、現在、未来」を示したり、ほかに「原因、取るべき行動、結果や願望」を表したりすることもある、今では非常にポピュラーなスプレッド(展開法)です。
一番最初に出たのは「月」のカード、そして次に「皇帝」、最後は「世界」のカードです。
このようにカードの名前を書いただけで、あのシーンのタロットの意味がわからなかった人でも、大まかなことが想像できるのではないでしょうか。
ただそれでも、初めの「月」のカードはちょっと難しいかもしれません。「月」のカードの映像シーン自体が短くて見にくかったこともあります。(一緒に見ていた妻は「太陽」のカードと勘違いしていたくらいですから)
「月」のカードは、二匹の犬が月に向かってほえあっている絵柄のカードで、葛藤やふたつのものの対立や拮抗などを示します。
また絵柄の下の方にはプールのような入り江があり、そこにはカニのような甲殻類も描かれています。
ですから細かく「月」のカードを見ていくと、月に向かう二匹の犬と浮かび上がってきたカニの構図という形になります。
見ようによっては、月(理想や幻想イメージ)に向かい対立する両者と、その間に漁夫の利を狙う者という関係ともイメージできます。
次の「皇帝」のカードは、そのまま文字通り、皇帝と当てはめるとよいでしょう。この頃のフランスの歴史をひもとき、フランス本国ではどういう体制になっていたかを知れば「皇帝」の意味はわかります。
最後は「世界」のカード。これもまさにカードの名前の通りです。この時のフランスが何を狙っているのかを考えれば意味は一目瞭然でしょう。
それからおそらく、監修のはるひなたさんは、この三枚に「数」の意味も入れたと想像しています。
それは三枚のタロットの数の合計数に秘密があります。
全部ばらすと面白くないので、これからは皆様のご想像にお任せしたいと思います。
少なくとも、私の発展コースを受講した方はわかるはずですが。(苦笑)
タロットは右脳と左脳を統合する。
昨日はタロット瞑想というものをご紹介しながら、タロットは理屈で考えよりイメージの世界へ入って、ダイレクトに象徴から心に落とせば理解は早いというようなことをお話しました。
今回もその延長線上の話で、感情と理屈の関係についてタロットを交えながら書いてみたいと思います。
人はストレスや問題発生によって不安やイライラなど抱えますと、それに何とか対処しようという思いが働きます。
この時、感情(不快な気持ち)が先行していますので、機能的には右脳が活性化している状態ともいえます。
気持ちがよくないのに活性化? と妙に思われるかもしれません。
つまりこれは、どんな気持ち(感情)であれ、何かを強く感じてしまうと右脳を働かせていますよ、使うことになりますよといっているのです。
思いが強いと、右脳に過度に負担がかかると考えればわかりやすいでしょう。
このままでは本当に「気持ち悪い」ので、今度は左脳を使って、何とかそのことに理屈をつけようとがんばり始めます。
もし、今起こっていることに対して論理的な理由を見つけることができれば、もやもやした気持ち(感情)は収まります。
ここでいう論理的な理由というのは、厳密な意味での「論理的」ということではなくて、まさに「理屈」というのに近いです。
だから極端に言えば、「屁理屈」でもいいのです。自分の過去の経験、あるいは身につけた知識や予想から、「このことはこういうことなんだな」「これはこうやって対応すればいいんだな」と、脳に「ナットク」させればOKなのです。
ところが、あまりに強烈な出来事であったり、まったく未知のことに出会ってしまったりすると、左脳で理屈づけることができず、右脳の不快感、働き度合いに拍車がかかって人は混乱を迎えてしまいます。
実はタロットリーディングにおいても同じようなことが起きているのです。
タロットを見て感じたことが論理や言葉で説明できない、だからパニックまで行かなくても、不快なので「読めない」と自分からあきらてしまう。そうやって自分の平静を保とうとするのですね。
言い換えれば、「読めない」「わからない」と理屈づけることで、自分の安心を得たということでもあります。(まじめな人ほど「放棄の理屈」をつけないで、パニックになったままになります、これが以前話したリーディングにおける「硬直」です)
けれどもタロットを続けていくと、タロット的な合理性をつかんでいくことができますので、こうしたことは少なくなってきます。(右脳と左脳の統合が働きやすくなるからです)
このことをふまえて、外に目を向ければ、右脳の活性化で左脳で抑えられない事態が出現しても、タロットによる訓練をしていると、何もしていない時よりもコントロールが可能となりやすいと考えらます。
ここにタロットを扱う意義が出ます。
人は日常的にもどんどん自分で屁理屈、小理屈を含めて(笑)、何らかの理由をつけて自分を納得させながら生きています。
しかしこの中には表面的な理屈づけを繰り返しすことで、問題を一時的に収めて(隠して)いるだけのこともあります。
このことを考えていくとセラピーや浄化などと関係してくるのですが、その話はまた次の機会に譲りたいと思います。
イメージ世界への参入 ある会合から
昨日はタロット講義のあと、本当に久しぶりとなる、あるお方とお会いしておりました。
そのお方とは、シンボリックセラピスト、講師として有名なはるひなたさん です。
はるひなたさんとは、実に5年ぶりの再会となります。
カモワンタロットの上級コース(フランス)でお会いして以来なのですね。その時も感じましたが、はるひなたさんは、お笑いの関西人のノリができるくらい、とても気さくで楽しい人なんですよ。
一方では質の高いセラピーと講義には定評があり、その独自に編み出されたシンボルの解読による心の解放技術は、お話を聞いているだけでもすばらしいものだと感じました。多くのファンがいらっしゃるのもよくわかります。
そして、はるひなたさんもマルセイユタロットが非常にお好きなんですね。私もその点では同じですので、時間を忘れてタロット談義に興じました。(笑) ひなたさんが実際タロットを出して、私があるメソッドを披露してみる、ひなたさんがそれをすぐに理解して解読される。それに私も反応して解釈してみる・・・このようなことを繰り返していました。
技術的な話から離れると、普通の人生よもやま話にも移るのですが、タロティスト同士になりますと、そんな時にも「それは戦車ですよねぇ」とか「まさしくそれ、節制!」など、会話はタロットでのたとえばかりとなってきます。(笑)
周りから聞いていると、おそらく何のことかさっぱりかもしれませんが、タロットを習えば、このようにまるで暗号めいた会話も可能となります。
このことは遊びのように思われるでしょうが、結構重要なことです。
様々なことをつまりはタロットで象徴してしまえるので、相手もタロットを知っている場合は、いちいち説明する手間が省けるどころか、一瞬で心の痛みや喜びさえ理解できることもあるのです。
また自分の心の中ではタロットによるデータディスクをいつも持ち運んでいる状態ともいえますので、メモ帳や本を持たずともよくなることさえあります。
それはさておき、タロットを理解するには、やはりタロットの世界へ直接入っていくことが近道となります。はるひなたさんも現在、タロットパスワークといって、タロットをもとにした瞑想によるイメージワークによって、直観とインスピレーションを喚起し、タロットに応じた象徴群をつかむことを指導されています
それが個人的な課題やテーマと結びついていたり、もっと大きな人類の集合的な意識と連繋していたりします。それによって自分の問題も、蓄積された人間の英知と呼応することにより、解消・浄化していくことも可能になってきます。これを関係としてつなげるものが、タロットにおける象徴ということになります。
ただ象徴は頭や理屈で理解するものではないので、なかなかタロットを単なる暗記や一般的な論理で学ぼうとしても、心に落とし込むことができないケースも多いのです。
「勉強したのになかなかリーディングがうまくいかない」「タロットが読めない」というのは、こうしたことが要因のひとつにも挙げられます。
それがタロットのイメージの世界に直接参入すると(タロット瞑想をすると)、言葉ではうまく言い表せないにしても、感覚としてダイレクトにつかむことができるのです。
たとえば「これは熱いんですよ」「これは冷たいんですよ」といくら言葉で説明されるより、実際に熱湯にさわってもらって「熱い!」と感じたり、氷を当てられて「冷たい!」と感じるたりするのとでは、一瞬の理解度が異なるのと同様です。
とはいえ、それなりにきちんとした場所の設定があるほうが効果も期待できますし、少しイメージに入りすぎるのをセーブする客観的見守りも必要なことがあるので、何も知識なく一人でやるのは個人的にはあまりお勧めしにくいところではあります。
そういった点では、タロットと精神の世界において造詣の深いはるひなたさんが行われる講座で、タロットバスワークを経験してみられるのはよい方法かもしれません。
タロットを知識的に知らなくても、うまくイメージの世界に入ることができると、タロット一枚一枚が描く元型(根源的に示されている型、そのタロットカードが真に語っている核)を心で把握することができます。
するとタロットの展開法(スプレッド)とは関係なく、出たタロットの意味を理解してしまうこともあるでしょう。(はるひなたさんのもとでタロット活動されていらっしゃるアフィーノさんは 、タロットパスワークだけでタロットをある程度リーディングできるようになられたそうです)
そうなると、究極的にはタロットの並べ方には特に意味をおかなくてもよいことになります。
私も来月から四国で始める短期集中コース(二日間の講座)では、瞑想とまで行きませんが、タロットのイメージの世界を大切にしたタロットリーディング講座を意識しています。
前々より、タロット講義においても感覚でつかむ重要性を実感していたからです。(「言語で説明、理解する」という面では感覚以外の論理も補う必要性はあります)
はるひなたさんも私も、このすばらしい「マルセイユタロット」を通じて、人間の解放、癒し、発展、創造、使命をテーマに、皆さんに活き活きとした人生を送ってもらうことを願っています。
そして、マルセイユタロット自体もすごいのですが、大切なのは、やはり自分自身、人間自身の可能性を信じることだと思います。そういう意味では、タロットはあくまで自己実現の優れたツールだといえます。本体は何なのか、誰なのかというのを見失ってはいけないでしょう。
天国と地獄
天国状態、地獄状態と、人はよく言います。
これは実際にはどんな気分の時でしょうか。
どんな時って、あーた、天国はチョーいい気分の時だし、地獄はサイアク~・・・と感じている時に決まってるじゃありませんか。
ええ、おっしゃる通りです。じゃ、この記事はこれで終わりますね。 って、終わっちゃまずいですよね。(笑)
ではもう少し、天国・地獄と感じている気持ちを分析してみましょう。
実はある視点から考えてみると、天国も地獄も同じことなのです。
えっ、まさか!?と思うでしょう。
この両者は、心が、ある状態で固定されてしまっていることから起こるとも考えられます。
つまりいい気持ちで心が止まっている時は天国と感じ、悪い気分で固定されている場合は地獄と感じてしまうということです。
いい気分が永遠に続けば、本当の天国に入ったとも言えるでしょうし、反対に永遠のサイアク気分が続くともなれば・・・これはまさしく地獄ですよね。
私たちはたいてい、天国と地獄とを両極端にしたグラデーションの感情世界に生きています。
良い・悪い、快・不快、ふたつの感覚を行きつ戻りつ、その程度も変えながら、人生を歩んでいるのです。
ずっと同じ気持ちに固定されたままのことはありえないと言ってもいいくらいです。
ですから見方を変えれば、ある心の状態にとらわれ続けていることは、天国の可能性もありますが、地獄のおそれも大きいということになります。
瞑想などで至る忘我の境地というのは、とらわれのない心だといわれていますが、もしかするとつかの間とはいえ、「何もない」という状態で固定されているとも考えられます。この時、おそらく人は至福を感じていることでしょう。
しかしながら、悲しいことに、私たちの多くは悪い気分に固定されることが多く、その意味では現実に感情的には地獄を自ら作り出しているとも言えます。
このことから、やはり気分転換というのは思った以上に大切なのだとわかります。
世の中や自然は移り変わり、ひとつとしてずっと同じ状態が続くものはありません。
固定され続ける、変わらないということは、こう考えると自然の摂理や流れに逆らっていると言うことであり、非常に特殊なことであるとわかります。ですから、普通とは違った気持ち(天国か地獄)になるのだと推測できるのです。
人は悪い気分で固定してしまうことが多いのですから、流動的になれば、そこからかなり救われる可能性があります。
迷いも一種の固定状態だと言えます。決められないことで固定されてしまっているからです。
決めて進むと環境的にも変わってきますので、決められずに悩んでいた時からは確実に変化はあるはずです。
その後、また何かにとらわれ、固定された心になると悩みが生じて、地獄を現出させるかもしれませんが、また「変えていけば」きっと心はその状態からは楽になるでしょう。
また逆に考えますと、悩みが訪れるということは、それまでの固定された状態からの変化だとも述べることができます。
悩みが来ることで、一種の変換や決断を迫られることになるからです。こう考えますと、悩む状況も決して悪いことばかりではないのがわかるでしょう。要はその悩みをいつまでも続けていく(心の)状態が悪いわけです。
それは変わっていくことに身を任せること、あるいは自分から変えていくこと、変わることを信じることが重要だと換言できるかもしれません。
タロットカードで番号順に大アルカナを見ますと、固定されたように見えるカードの後には動きのあるカードが来ています。そもそも固定されていると見えるものは少ないですし、あっても特別な理由があります。
これまで述べたことは、カモワン版マルセイユタロットでいえば、「恋人」「13」「審判」の縦並びにエッセンスが詰まっているとも言えますし、「正義」や「運命の輪」、「吊るし」のカードの意味を考えるきっかけにもなるでしょう。
そして、タロットカードにおいて本当の天国といえる「世界」は、永遠の固定が二重になっているということと、「固定状態なのに動きがある」という通常の概念を超えたものであることが大きな秘密だと考えられるのです。
タロット寓話 いろいろな国を旅する若者の話
こんな話があります。
ある所に風のよく吹く、雨の降らない乾いた小さな国がありました。風が強いため、風の力を利用して風車を作ることはできていたのですが、水不足に苦労していました。
隣の国も同じような感想地域なので同様に悩まされていたのですが、独裁者による強大な力を持って、よその国を従えることにより、水や食料、人までも自国に運ぶ込むことで隆盛を誇っていました。
ある時、小国の若者は「このままでは国は水不足か隣国に支配される」と危機感を抱き、一人解決を求めて放浪の旅に出ました。
苦しい旅の末、若者はある国にたどり着きました。
そこでは若者の国とは正反対に、豪雨でいつも悩まされていました。洪水が起こり、家々も流され、毎年多くの方が水害の被害を受けていました。
「雨が止めばいいのですが・・・」人々は口々に言いました。
若者はかわいそうに思いましたが、どうすることもできず、また旅に出ました。
今度たどり着いたのは、うっそうとした森に囲まれた陰気な国でした。
この国の人々は茂りすぎた大木をうらみ、毎日外に出ては木を切っていました。切った木がたまって、それがまた山のようになっていました。
「この木が生えてこなければいいのに・・・」この国の人もまた悩んでいました。
若者は確かに木もありすぎると困るなとは感じましたが、やはりここでも何も策が浮かばず、この国からも離れました。
そして、最後にたどり着いたのは、それはそれは小さな国でした。若者の国よりもはるかに小さいのですが、人は多いようでした。
それでもこの国の人は何とか飢えずにいられるようです。
聞くと、どうやら必死の研究の末に、通常より何倍もの収穫のできる作物を開発できたため、かろうじて生き延びられているようでした。
「広い土地があればいいのに・・・」この国の人も苦しんでいました。
若者は考えこみ、これまで旅してきた国々と自分の国を回想したのです。
すると、突然、あるひらめきが起こりました。
森の国の木々で風車と堤防を作り、雨の国の水流を利用し、狭い土地の国の作物技術を使えば、すごいことになるのでは・・・!と。
若者はその後、訪問した国々と自分の国の協定に尽力し、やがてそれらの国々のそれぞれよいところを持ち寄ったすばらしい共同体ができました。
自分たちがないものねだりをし、よいところを活かし合うという発想が今までできていなかったことを反省したのです。
一方独裁者の国は豊かに見えましたが、独裁者の恐怖政治で人々は精神的に疲弊し、独裁者は革命によって倒されました。その後は内乱が起こり、大変な争いがいまだ続いているということです。
皆さんはこの話に何を思いますか。この話におけるそれぞれの「国」というのを皆さん「個人」に置き換えてみるとわかりやすいかもしれません。
昨日、タロットが教えてくれた寓話でした。