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愚者、その大いなる力

トランプで切り札として登場する「ジョーカー」という存在があります。このジョーカーに当たるのがタロットでは「愚者」と呼ばれるカードです。


もともとタロットからトランプが発生した(諸説あり、逆の説もあり)といわれており、両者の関連性はほかにも、特にタロットの小アルカナとトランプが似ていることなとが筆頭にあげられます。


それはいいのですが、トランプゲームでも反則技かと思えるほど、特殊な存在とオールマイティな力を発揮するのがジョーカーです。実はタロットでも同様なのです。


タロットとのコンタクトでとても大切なのがこの「愚者」との出会いです。


タロットにはタロットの霊(精霊)と呼ばれる何かの存在がいます。この精霊の代表とでもいうべき存在が「愚者」なのです。


愚者にはほかの大アルカナカードにはある「数」がありません。番号がないのです。これは逆に言えば何にでも(どんな数にでも)なれることを意味します。あるいはすべてを含んでいるともとれます。


こんなことからも、「愚者」がタロットカードの代表といわれる所以です。


タロットを展開する時、「愚者」が解決のカギを握っているようなら、それは非常に可能性を秘めているといえます。


なにせ、どのカードにもなれるのですから、どんな発展性があるのか想像すらつかないほどです。


そしてまた、あなた自身、愚者なのです。われわれは愚者として人生を歩み、大いなる可能性を目指して旅を続けているのです。


また一方では、本来「すべて」であった自分を思い出す旅をしているとも言えます。

愚者の道は発展的でありながら、回帰の旅でもあるのです。


カモワン版マルセイユタロットにはそのことが、大アルカナが並んだ図によって表現されています。


この図こそ「タロットマンダラ」と呼ばれる至宝の書物といえます。ユング派のタロット研究家も同様の図を個性化(心理学用語です、自己実現の道のようなこと)の過程として紹介しているほどです。


「愚者」に戻りますが、「愚者」は愚か者と書くように狂気や愚かさも含んでいます。そうしないと真理に近づけないからです。


たまにはいい意味でバカになれば、こだわっていた問題がすんなり解決するかもしれません。


意識的に空っぽにすることは、空いた分だけ多くの充溢(満ちあふれる状態)を生むことにもなるからです。


余談ですがうつ的な状態にある人、あれこれ考えすぎて悩んでしまっている人には「愚者」は最大の解決者だともいえます。カードを購入し、「愚者」を見ているだけで気分が晴れてくる場合もあります。


タロットの普遍性とエネルギー。神や仏と呼ばれしもの。

タロットは西洋のものなのに、なぜかとても仏教(密教)的なところが入っています。


それには理由があると想像できますが、今は深くは解説しません。私はお坊さんでも宗教研究家でもありませんので。(笑)


それでも、タロットには洋の東西を問わず、古来からの神々や精霊を表すようなカードが存在します。


おそらくそれは神々と呼ばれるような存在が、ある特定のエネルギーを象徴しているからなのだと思います。


それがどの民族で見ても似たような形象を取るのではないでしょうか。天使が菩薩に見えるようなものであり、どちらも似たような「感覚」が昔の人は感じとれていたのでしょう。


タロットのよいところは、それが特定の宗教に関係せず、人々の元型(誰しもが思う基本的なパターンや形)意識を刺激することができるからではないでしょうか。


簡単にいえば普遍(どこでも通じる)的ということです。


さて、先述したある種のエネルギーとコンタクトすることができれば、そのエネルギーの力を自分に入れることができます。


戦いに勝つために毘沙門天に祈るみたいなことは、そのエネルギーを自分たちに注入する儀式でもあったのでしょう。


タロットでも同じようなことが瞑想によってできる可能性もあります。本格的ではなくても、特定のカードを色濃く扱うだけで、そのエネルギーが入る気配があります。


私は目的に応じて、自分のカラーをちょっと変えたるためにタロットを利用することもあります。同じようなことは、関西タロット研究会のチームでもされている方がいらっしゃいました。

ただ注意点はバランスをとるということでしょう。闇雲にエネルギーを入れると、逆にそれにふりまわされることにもなりかねないからです。


マルセイユタロットを2日間で読むコース開始

単にお知らせですみません。


今日から四国高松市(ヒラリオンさん)において、マルセイユタロットの2日間コースを行います。


これは「マルセイユタロットを2日で読めるようにしてしまおう」という大胆な企画です。(笑)


このコースはカモワンタロットがベースにはありますが、まったくの私のオリジナルです。(カモワンタロットを教えるものではありません)


今までは結構長期的なスパンで、タロットとじっくり向き合いながら教えていくというパターンだったのですが、もっと早くシンプルにタロットがリーディングできるようになれないだろうかと考えた結果、生み出された講座です。


イメージとリーディングの理論を統合させて、いわば右脳で感じたことを左脳で理解する仕組みをよりダイレクトかつ単純化したものになっているのが特徴です。


展開法も短時間でどこでもできるように、少ない枚数のものにしています。


何事もシンプルにするということは実は結構大変で、必要なものをきちんと把握していないと、そぎ落とす過程で重要なものまで捨ててしまったり、反対に不必要なものを後生大事に守って冗漫なものになってしまったりします。


まさにタロットカードでいえば、「13」です。


では明石大橋、鳴門大橋をバスで渡って講座に向かいます。


ワンダーな関係に隠されたワンダフルなこと。

タロットでのご相談、自分自身の経験、人からのお話などで考えてみても、強烈な出会いや運命的ともいえる遭遇は実際あるものです。


しかしどうもそのほとんどは、状況による思いこみや平静ではない特殊な状態にいた時に出会ったため、強い印象を感情的にも受けてしまったということが多い気もします。


かつて、前世もわかるというある霊能者がこんなことを言っていました。


「ものすごくひかれ合う者は、実は前世的には敵同士であったことが多い」と。


そして、「昔は敵だったので、今生ではあえて好き合う関係で生まれ、相手を困らせることで復讐を遂げようとする」のだとも話していました。


これでタチが悪いのは、当人同士は本当に恋人のように思っていて、お互い自覚がないということらしいです。


まあ、霊能者の話はともかくとしまして(;^_^A、出会いでのいきなりの意気投合、それもめちゃくちゃテンションが上がるような関係は注意が必要なこともあるのではないかと感じます。


はじめにもふれましたように、当人同士の相性などというより、その時の状況の盛り上がりこそに、その要因があるように思うのです。


聞いたことがあるとは思いますが、心理学の実験で、ゆれる橋を渡って怖くてドキドキしながら知らない人に出会うと、その人に対して好意的な感情や恋心を抱いてしまうようなこともあるというくらいです。


つまり通常とは違う意識になれば、人はまさに起こっていることを「ワンダーなもの」として感じてしまう余地があるということです。


この「ワンダー」ということがくせ者なのです。(なぜか「ワンダー×ワンダー」というNHK番組のキャッチの声が聞こえてきます...ちなみに連載間隔がワンダーな(笑)、ハンター×ハンターのことではありません;)


その人自身にワンダーを感じて本当にワンダーな気持ちになればいのですが、先述したように状況やシチュエーションのワンダーが、あなたに気分としてのワンダーを与えているに過ぎないこともあるのです。


ですから、「いやー、盛り上がったよねぇ、私たち」なんて回想することがあるならば、どうせなら、その直前にあなたがどういう状況にあったかも思い出してみるとよいです。シチュエーションワンダーにだまされているかもしれないからですね。


とはいえ、これとは別に、状況とは無関係に突然訪れるワンダー感覚の恋というのもあります。これこそがタロットの「恋人」カードに描かれているキュピーッド(本来はエロ-スの神)の働きなのです。


キュピーッドはある面、気まぐれのように現れるので(他のタロットでは、この「恋人」のキューピッドが目隠しをされて描かれている場合もあるほどです)、あたかも突如としてキューピッドの矢が刺さったかのような衝撃とワンダー感を得ます。


矢に当てられた人は、もはや目の前の人と恋に落ちねばなりません。この場合の恋愛は、本当にいろいろな意味でワンダーになります。まさに運命の人という感じで結婚まで至るケースもあるでしょうし、ドラマチックな恋に陥ってやがて別れてしまうこともあるでしょう。


いずれにしてもこの両者の関係には相当濃いものが流れ、少なからずその後の人生に影響を及ぼすと考えられます。


キューピッドは表面的には縁を結びつける存在のように見えますが、実のところ、ただ恋の経験を味わせることが目的のように思えます。


キュピーッドは言ってみれば、人と人の縁を結ぶのではなく、人と恋の縁を結ぶために現れるとでも表現すべき存在でしょうか。


もしその結びつきの法則というものがあるとするのならば、それは人間界、私たちが通常暮らしている世界での掟とは異なるものだと考えられます。ですから私たちには偶然と思えるのです。(キュピーッドには必然)


ここに恋愛が一筋縄では行かない理由があります。


私がタロットの恋人カードを見て感じるのは、そういった出会いの不思議さもありますが、恋によって得られるワンダー体験と、そこから生じる意識や考え方の変容の作用です。

恋愛自体は、よい結果のこともあればまずい結果に終わることもあります。しかしそのいずれにおいても、通常では得られない感覚を恋愛は私たちにもたらせます。


その体験こそが、まさにワンダフルなものだと私は考えているのです。


まあでも、一方的に疲れる恋、自分が必要以上に傷つく恋、いびつな恋などは、できれば経験しないほうがいいでしょう。


そのためには、あなたのドキドキがシチュエーションワンダーなのか、キューピッドがもたらせた偶然のような必然なのか、そのどちらでもないものなのかなど見極めていく姿勢をもっていてもよいかと思います。


視点と軸。タロットの展開法から。

かつて、「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」というテレビと映画の作品がありました。


あの「Love Letter」の監督、岩井俊二氏の作品であり、幼い時代の奥菜恵が出演していることでも話題になったものですが、別にこの作品のことをここで語るわけではありません。(個人的にはノスタルジックで好きですが;)


今回お話するのは、まさに「下から見るか、横から見るか」ではないですが、タロットリーディングにおける「視点」のことになります。


カモワン式の展開法にはいろいろなバージョンがあることを説明しました が、「解決カード」(文字通り、問題の解決を示唆するカード)に着目した分類をすると、解決カードを下方向に置くやり方と上方向に置くものとの違いによる二種類があります。


規則的にはそれだけの違いであるとはいえ、やってみればわかりますが、見た目の雰囲気もかなり違ってきますし、実際にリーディングの内容にも差異が見られるように感じます。


ひとことで説明しますと、上向きが精神的(スピリチュアル的)視点、下向きが現実的視点だといえるでしょう。


これは人の視線と気持ちがどういった時にどういった方向を見るのかということを分析すれば、非常に理にかなったやり方だと思えます。


私自身は研究と実践により、現在は上向きに解決カードを置いていくことをメインとしています。しかし下向きに置くことも必要なケースもあります。


出ているカードは同じでも、上に上がっていく展開を見るのと、下に降りてくる展開を見るのとではずいぶん印象が違います。今まで気付かなかったことも見えてくるようになり、そこから新たな発想も生まれます。


つまり視点や視線方向を変えただけで、考え方も変わると言うことです。


カモワンタロットが視線を重視しているのにも、こういった理由がひとつにはあるのです。


このことをもっともカード単体で表しているのは、「吊るし」のカードです。このカードの人物は逆さまの視点で物事を見ているからです。

解決カードを置く方向性だけではなく、ひとつの展開方法を上下左右、いろいろな方向から見てみることもお勧めします。


そうするとあるカードが非常にクローズアップされたり、立体的に見えたりして、展開自体のメッセージが直観的に感じられることもあります。


時にはタロット自体から視線をはずしてみることさえも有効である場合があります。特にリーディングで煮詰まったり、出た展開の意味がまったく読み取れないなどの時は効果的です。


単純にリーディング練習としても、相手側と位置を交替するだけで、別の「ふたつの視点」を体感することができます。


これは実は視線だけのことではありません。


たとえば過去に戻った気分で今を見る、未来から今を想像して見るなどの時系列観点も面白いですし、多くの人の(それも性別・年齢・出身などの違いによる)意見を聞くというのも、ある意味考察視点の違いの比較ができて、多様性を促進されます。


と、このようなことはどこでも語られているので新鮮味もないかもしれませんので、もう少し付け加えたいと思います。


一気にいろいろな視点から刺激を受けるのもよいのですが、かえって混乱することもあります。


従って「テーマ」は最初に決めておいたほうがよいでしょう。視点は変えるけれども、テーマや主題は変えないという姿勢です。


例えば、先のタロット展開法の例でいえば、上や下という方向・視点の違いを見るのはいいのですが、リーディングの問い、何をそこから得ようとするのかという主題は固定させておくということです。


これをしないと、例えば「おいしいラーメンを食べたい」という目的でネット検索で口コミを見たり、友人から噂を聞いたりという視点を変えた調査をいろいろしたはいいけれど、そのうち自分のメタボさが気になって、いつのまにかメタボ予防の食事メニューを探してしまっている、というようなことにもなりかねません。(まあ、この場合はその人の健康にはいいかもですが・・・(^_^;))


主題も複数、視点も多数だと発想は出てきてもまとめきれずに、逆に消化不良を起こしてしまうおそれもあるのですね。いきなり鏡張りの動く立体ハウスの中に入って酔ってしまうようなものといえましょう。


視点の多角化は大切ですが、その前にはまず「主題」や「テーマ」といった自分の中心軸を定めることもまた重要だと言えます。


で、打ち上げ花火、結局下や横からどう見えたのでしょうか? それはこの夏、実際に打ち上げ花火を見に行かれるか、映画を見てご確認くださいませ。(笑)


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