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「力」の使い方

W杯の報道も増えてきましたので、サッカーのゴールシーンもよく見かけると思います。

しかし簡単に思えるシュートをはずしてしてしまうことも、サッカーではよく起こります。

そんな場合、シュートを打つ選手に力みが見られることが多いようです。


サッカーに限らず、「絶対に失敗してはならない」と力むとかえって失敗しますよね。


また反対に「絶対に成果を出してみせるぞ!」と力が入りすぎてもダメな場合が結構あります。


これには逆効果になる心理的なメカニズムもあるのですが、今回は「力加減」というポイントで見てみたいと思います。


これはタロットカードでいえば、「力」のカードが該当します。(「力」は女性が大人のライオンを従えている絵柄のカードです)


私は趣味で釣りをすることがあるのですが、ふりかえってみると、案外よそ見してたり、ちょっと気の抜けたりしたような時に、突然大物が食いついてきたことが多かったように思います。


柔道などの武道でも、こちらが力を入れるより、相手がこめてきた力を利用して技をかけるというようなものもありますよね。


やはり力一辺倒のごり押しよりも、「押してダメなら引いてみな」という言葉があるように、力の駆け引きは重要な要素だと考えられます。


力を抜いた時に、なぜ力が発揮できるのか。


これはおそらく、ずっと力がかかって緊張状態にあったものが、ふっと一瞬力が抜けた時に、圧縮されたエネルギーが、かえって爆発的な反発力をもって外に押し出されるようになるからではないかと想像できます。


ここには物理的な力だけではなく、目に見えない波動やエネルギーのようなものも瞬間的に放出されるているのかもしれません。


だから、ずっと頑張っていたことが、ふと「もう、どちらでもいいや」「天に任せよう」と、手放しの気持ちになった時、思いもかけず突然叶ってしまったというようなことがあるのではないでしょうか。


このカギは、「力」のカードにも描かれているある象徴の図柄に示されていると思っています。


それはプラスとマイナスのエネルギーが交錯することで一瞬均衡するポイントであり、ゼロポイントとでもいうべきエネルギーフィールドです。


このフィールドは、まさにぽっかりと穴があいたような空白の地点ともいえ、そこに無限大のエネルギーが流れ込んできます。


エネルギーが無限大だというのは、「何もない」ということは逆に「すべてがある」ともいえるからです。


そのため、「力」のカードは、女性でも大きなライオンを事もなげに手なずけることができているのでしょう。


カモワン流でこのカードが出現する時、単なる表層的な絵柄のイメージから「力を入れる」と読んでは本質を見誤ります。(そう読んでいい場合もありますが)


むしろ反対に、力を抜くこと、力をコントロールすることを訴えていることが多いのです。


必死でやっているのに効果があがらないという時は、ちょっと逆向きの方向に力を抜いてみるとよいかもしれません。



仲間がいることはタロット学習を助ける。

タイトル、別に仲間由紀恵さんがタロットを教えてくれるわけではありません。(笑) (そんな講座あったら私も行きたいですが...(^_^;))


アメブロ始めてから間もないというのに、いろいろな方のブログに遭遇しました。


本当に皆さんがんばっておられるなぁ、と感じるとともに、実際に会ったこともないのに、記事を読ませていただいていると、とても親近感や応援したい気持ちが起こってきます。


自分が読者登録している方、そして読者登録していただいている方のブログは、更新はもとより、ほかの時でも暇を見つけては読んでしまいます。


そこにはいろいろな発見や私自身パワーをもらえることが多いからですね。


そして多くの方は、その根底に自身のご苦労された経験をもとに、困っている人を何とかしてあげたい、ひいては日本をよくしたい、世界も、というような純粋な気持ちがコアにあるように感じます。


こうして見ると、人間の性善説をますます信じたい気持ちになりますね。


さて、タロットの学習においても孤独に一人コツコツやっていくよりも、学びの友がいたほうが励みにもなりますし、途中で挫折することが少なくなります。


カモワンタロットにおきましては、私の住む関西ではかなり前から「勉強会」的自主学習グループが存在していて、毎月欠かさず定例勉強会を開いています。ここ では私も単なるいち学習者です。


また私がタロットの講座を開催する場合でも、なるべく受講者同士交流ができるようしたいと考えています。これには前に書きました趣味の縁、趣縁 を広げるという意味もあります。


もちろん、ほっておいてくれ、という方もいらっしゃるでしょうから、そこはご本人の自由ではあります。


けれども、同じ時期に同じところで学ぶ「ご縁」というものはおそらく偶然ではないでしょう。その縁を大切に、今後のタロット学習における仲間・同志として交流してみるのもよいことです。


タロットは本来、自己観察、自己実現に使えるツールなのですが、リーディングをする場合、やはり相手がいたほうが違った視点を得たり、読み方の参考にもなったりして、技術的には向上が早いです。


たとえば、単純に考えても、リーダーとクライアント役にわかれて交代して実践すると、二つの別の立場と方向からタロットを見ることになります。


これがさらにたくさんの人たちが集まっている場合ですと、性別、年齢、問い、読み方、解決方法など、様々な違いが出て、本当にバラエティに富んだ物の見方を獲得することができます。


基礎のタロット講座において受講生さんの多くの実例で、「今後のタロット学習をどうすればよいか」とリーディング練習した時、かなりの確率で「太陽」のカードがキーとして出ます。


それはやは仲間作りを示唆してることが多いのです。


一人もんもんと悩んでいるより、是非仲間やグループに入ってタロットを学んでみましょう。タロットのことだけではなく、人間的なつきあいや気づきがあるかもしれませんよ。


自分に規則やルールを作る。

よく、「特定の考えやルールに縛られずに、自由にのひのび生きていこう」という話を聞きますよね。


これはもっともな話です。


ひとつのことにこだわりすぎていると、いつの間にか自分のためではなく、その正しいと思っている強固な考えを守るため、あるいは証明するために、生きていくことになりかねないからです。


これでは本末転倒です。


主人公が自身や人間ではなく、規則やルールという事柄やモノにすり替わっていることになります。


ただ、一方では自分に自信がない人、主義主張ができず、いつも人のいいなりに動いてしまうような人には、自分の中に、ある種の「規則」や「教義」「信条」を設ける必要もあります。


「私は自由が好き」と思ってはいても、逆に言えば「何も信じているものがない」「何も主張するものがない」「没個性」ということにもなりかねません。


自分が正しいのに、正しいと言えない人、つい人の顔色をうかがって気遣いで疲れてしまう人、自分さえ犠牲になれば周囲は丸く収まると思っている人・・・このような方は自由でいることよりも、まず自分の「正義」を確立してください。


自分の中にルールを作り、それに従って行動していくことです。「何があっても、これだけは守ろう」とか、「何も言えない時でも、これだけはしておこう」とか、「自分ルール」をあなたの思う「正義」によって作るのです。


「正義」がわからないのなら、自分がよいと感じることからでも構いません。本や人の話から得た知識や賛同したことでもいいでしょう。


簡単なものからでも、あなたの中にある「信じていること」を明確にし、ルール化していくのです。


ルールができれば、それに基づいての判断と行動がしやすくなり、気がつくと主張のできるあなたに徐々に変わっていきます。


そして、それを続けていくと、いつかそのあなたのルールは古くなっていきます。ルールに疑いを持つことにもなるかもしれません。


その時こそ、新しい考え方やルールに交替するタイミングが訪れているのであり、古いものは壊されていくことになります。


こうして、次第次第に本当の意味での自由を獲得していくのだと私は考えています。


ですから、規則やルール、正義といったものに縛られること、縛ることは決して悪いことではなく、最初のステップとしてはむしろ必要なものとも言えましょう。


実は、これまで述べてきたことは、タロットカードの「正義」のカード一枚で説明がつくことなのです。


タロットを展開する前に

毎日のサッカーW杯で、ついには「審判」カードの天使のラッパまで「ブブゼラ」に見えてしまう(笑)今日この頃です。(わかる人だけにわかるギャグですみません。。。)


占い依存と申しますか、タロットにおいても、何でもかんでもタロットに聴いてみるという人がいます。


確かにタロットはあなたにすばらしい智慧や着想をもたらしてくれるツールではありますが、常識での判断がつくもの、簡単に調べができるものは、まず今の普通の知識と行動で対処してください。


その上で行き詰まったり、困ったりした時にタロットの力を借りるといいのです。


これは現実とのバランスをとるという意味でも結構大切なことです。


あなたは今、この時、この社会に実際に生きています。これまで先人たちが作り上げてきた科学や知恵の蓄積が膨大にあり、ほとんど誰でもそれが利用できる便利な時代です。


たとえば、昔は遠くに離れた村に医者がいたとして、自分の村に急病人が出たとします。


今からでは医者を呼ぶに行くのにはかなりの時間がかかります。もしかすると、医者はほかの村にでかけてしまっているかもしれません。


それで、このような時に「占い」が使われたのです。「医者は今あの村にいるだろうか」とか「医者が間に合わない場合、応急手当できる治療方法はないもの」かなどを探るためです。


何も判断材料がないよりかはましなのです。


しかし、今は当然違います。遠くの医者がいるかどうかなど携帯電話一本で確認できますし、そもそも医者はたくさんおり、医学も発達していますから、まったく対応が違ってきます。ここに占いの出る幕はありません。


パソコンが動かなくなったからといって、タロット引いて壊れている原因と対処方法を見るということをするよりも、パソコンに詳しい人に聞くなり、メーカーのコールセンターに電話するなりして行動すれば、簡単に解決方法は見つかります。


それよりもタロットはその電気製品の扱いに悪かったことはなかったのか、ひいてはその扱いを悪くした自分の心は何だったのかという、通常では知り得ないことを見つめるのに使えます。


また機械やソフト的な故障の原因が判明し、いろいろと調べてみたけれども、替え時なのか、修理して使ったほうがよいのかどうしても判断がつかないというような時にも有効です。


それは常識で凝り固まってしまった判断能力に、それを超えた次元や別の観点からの発想をタロットが与えてくれるからです。


一つ上の次元からの判断をよく示しているタロットカードが、実は最初に挙げたブブゼラカード(笑)、いえいえ、「審判」のカードなのです。


相性について

恋愛相談でよく聞かれることに、「相性はあるのか」ということがあります。


占いの館に出ていた頃、いきなり「彼との相性を見てください」と言ってこられた方も一人や二人ではありません。


その方たちの中には、「相性がよいと恋愛はうまくいくはず」という考えがあるのですね。


もちろん、「命占」という分野(生年月日などを基にした、その人のもって生まれた気質などの占い。占星術や四柱推命など)ではきっちりと相性を出す方法もあります。


ただ、私が思うのに、相性はこだわりすぎてもかえってまずいということです。


また、そもそも多くの人が感じる「相性」というものは、いわゆる「共感」ということが多いのです。


それは「同じように感じる」「同じような気持ちのことが多い」という、まさに「感情」の部分もありますし、具体的に「出身が同じ」「学校が同じ」「同じ趣味を持つ」「同じ経験がある」・・・など「事柄」のこともあって、本当に挙げらればキリがないです。


そして、話のどこかで、たまたまこのような「合致」したものがあることにお互いが気づいた時、そこに「合う」と感じる気持ちが生じます。


それは実は錯覚にも似た作用です。


これを悪用ではないですが、恋愛テクニックとして、わざと応用し、相手と共通する点を言ってみたり、なにげなく同じしぐさをや呼吸をしたりすることによって、「合っている」と錯覚させる方法さえあるのです。


それに一度相手に対して好意的な感情を持つと、たいていのことは許してしまうか、自分と同一視しようという思いが働きます。


それは、相手の気持ちはともかくとして、自分が相手と近づきたいという気持ちから、自然に相手と合うように自らをし向けるからです。(「合うのだ」と思いこむこともあります)


そうすると「この人とは相性がいい」と誤解してしまうおそれもあるのです。


「だからさぁ、そうならないためにも、占いで相性を見てほしいんですよ!」という声も聞こえてきそうです。(;^_^A


はじめにも述べたように、もともとの「気質的な相性というものはある」と占い的には考えられますので、相性を調べてもらうことは悪いことではありません。


しかし大切なのは、それで相性が悪いからと言って、何もしないまま恋をあきらめる必要もないですし、反対に「絶対一生大丈夫!」と思いこむことも危険だということです。


私は「相性」は作り上げていくものだと考えています。実際につきあっていけば、人間同士、しかも男女のことですから、いろいろと違いやぶつかりも生じます。


単なる共通感覚からの共感で「相性よし」と思うのではなく、反感や問題状況があっても、そこから和解に導いていく高度の「共感」を起こしていくことのほうが創造的だと思います。


いわばそれは「相手への思いやり」という言葉に代えられるかもしれません。


タロットで簡単に相性(分野別に)を見るという、私のオリジナルな方法もあることはあります。


けれども相性よりも、一緒に乗り越えていく「愛生」を二人で作る気持ちを抱いたほうが、発展的だといえるでしょう。


たとえ片思いの人でも相性から入るのではなく、どうすれば恋愛を成就できるのかを考え、行動したほうがよいのです。


結局人は、人と関わり合うことで、化学反応を起こしながら変化していく存在だからです。


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