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相性について

恋愛相談でよく聞かれることに、「相性はあるのか」ということがあります。


占いの館に出ていた頃、いきなり「彼との相性を見てください」と言ってこられた方も一人や二人ではありません。


その方たちの中には、「相性がよいと恋愛はうまくいくはず」という考えがあるのですね。


もちろん、「命占」という分野(生年月日などを基にした、その人のもって生まれた気質などの占い。占星術や四柱推命など)ではきっちりと相性を出す方法もあります。


ただ、私が思うのに、相性はこだわりすぎてもかえってまずいということです。


また、そもそも多くの人が感じる「相性」というものは、いわゆる「共感」ということが多いのです。


それは「同じように感じる」「同じような気持ちのことが多い」という、まさに「感情」の部分もありますし、具体的に「出身が同じ」「学校が同じ」「同じ趣味を持つ」「同じ経験がある」・・・など「事柄」のこともあって、本当に挙げらればキリがないです。


そして、話のどこかで、たまたまこのような「合致」したものがあることにお互いが気づいた時、そこに「合う」と感じる気持ちが生じます。


それは実は錯覚にも似た作用です。


これを悪用ではないですが、恋愛テクニックとして、わざと応用し、相手と共通する点を言ってみたり、なにげなく同じしぐさをや呼吸をしたりすることによって、「合っている」と錯覚させる方法さえあるのです。


それに一度相手に対して好意的な感情を持つと、たいていのことは許してしまうか、自分と同一視しようという思いが働きます。


それは、相手の気持ちはともかくとして、自分が相手と近づきたいという気持ちから、自然に相手と合うように自らをし向けるからです。(「合うのだ」と思いこむこともあります)


そうすると「この人とは相性がいい」と誤解してしまうおそれもあるのです。


「だからさぁ、そうならないためにも、占いで相性を見てほしいんですよ!」という声も聞こえてきそうです。(;^_^A


はじめにも述べたように、もともとの「気質的な相性というものはある」と占い的には考えられますので、相性を調べてもらうことは悪いことではありません。


しかし大切なのは、それで相性が悪いからと言って、何もしないまま恋をあきらめる必要もないですし、反対に「絶対一生大丈夫!」と思いこむことも危険だということです。


私は「相性」は作り上げていくものだと考えています。実際につきあっていけば、人間同士、しかも男女のことですから、いろいろと違いやぶつかりも生じます。


単なる共通感覚からの共感で「相性よし」と思うのではなく、反感や問題状況があっても、そこから和解に導いていく高度の「共感」を起こしていくことのほうが創造的だと思います。


いわばそれは「相手への思いやり」という言葉に代えられるかもしれません。


タロットで簡単に相性(分野別に)を見るという、私のオリジナルな方法もあることはあります。


けれども相性よりも、一緒に乗り越えていく「愛生」を二人で作る気持ちを抱いたほうが、発展的だといえるでしょう。


たとえ片思いの人でも相性から入るのではなく、どうすれば恋愛を成就できるのかを考え、行動したほうがよいのです。


結局人は、人と関わり合うことで、化学反応を起こしながら変化していく存在だからです。


言葉をあふれ出させるタロット

昨日は久しぶりにあるタロット仲間と会いました。


彼は今、大阪の、とある占いの館に出ています。


なかなかイケメンでかっこいい人です。


そして彼はカモワンタロットの使い手です。きちんとタロット大学時代の上級コースも出ておられますし、西洋占星術にも詳しい人です。


そんな彼がいうのには、最近お店で「自分のウリを打ち出すようにと」言われているとのことでした。


彼はとても誠実でまじめな人なので、営業的に露骨にも行けず、自分をどう出せばよいのか悩んでいたようです。


本当はコーチングやブランディングのプロに個人コンサルを受ければいいのだと思いますが、まあ、そこまでは今は考えていなかったようなので、試しに二人でタロットを使って、彼のいいところを出して行こうではないかということになりました。


すると、やはり自分で自分のよいところを出すというのは、謙虚な彼にとっては苦しかったらしく、ただ考えて出すだけの最初の段階では数個しか出てきませんでした。


私から見ればかなりいいところはたくさんあるとは思うのですが、自分ではわかりづらいようです。(こういう意味でも、やはり自分を客観視してもらうコンサルは有用だと思います)


ここでいよいよ、我々の伝家の宝刀、タロットを使うことにしました。


「じゃ、タロットを思い浮かべて考えてみましょうか」


私は促しました。


「えーと・・・まず「節制」が浮かびましたよ、それと「隠者」かなぁ、これは何だろう、あ、「審判」だ、「皇帝」も出てきたぞ」・・・」


「いいですね。じゃ、今度は、それぞれの出てきたカードの意味を考えてみましょう。それが○○さん(彼のことです)と、どう関係しているのか、つなげてみるとさらにいいんじゃないでしょうか」


すると彼は、今までの苦しみがうそのように、いろいろと言葉を挙げてきました。


「核心をつく、安心である、癒しがある、恋愛相談得意、高次の存在へのアプローチ、つながりをつける、心理の資格、確実性、若い世代への対応・・・」


出るわ、出るわ。。。彼自身も驚きましたが、私もびっくりしました。

これがタロットのすごさなのです。


絵柄と象徴の働きにより、まず右脳が刺激され、次にそれを左脳によって言葉へと変換させていく作用とでもいえるでしょうか。空白だった脳に、いきなり活性を呼び覚ますのです。


もちろん、これはタロットに対して真摯に取り組んできている彼だから、少しの呼び水だけで、一挙に言葉を想起させることができたのですが、彼ほどでなくても、このようなことはタロットを習って、ある簡単な訓練をすれば、誰でもできるようになります。


そうして彼は、他の占い師の方が掲げる「霊感」的なものでのアピールとは異なる、彼本来の持つ癒しや誠実さ、心理的アプローチと、スピリチュアル性の融合による独自の占い路線の方向性を見いだすことになりました。


(実はこの過程で、「出た言葉を整理する」ということもタロットでは非常に有効であることを、改めて二人で証明することができました)


営業的には、もしかしたら間違っているかもしれません。


しかし重要なことは、何も思い浮かばない状況から、タロット絵柄のイメージによって、ついには具体的な言葉が生み出され、謙虚すぎる彼がやる気にさえなったということです。


ちなみに、彼は本当にカウンセリングのプロとして心理オフィスで長年働き、さらに専門学校でも講師をしていた心理正当派の経歴を持つ占い師です。


心を扱うということでは安心して任せることができますし、たとえば恋愛問題でも表面的なことではなく、うまく行かないことを起こしている心の本質部分を把握し、それを解消していくことで、現実によい恋愛に変えていくことを得意としています。


彼に興味を持った方は、こっそり私にメッセージください。(^_^;) 出ている場所の情報をお伝えいたしますよ。


「愚者」と「吊るし」に見る「変化」

昨日のサッカーW杯、日本、ついに自国開催以外での初勝利。おめでとうございます。


三日前の私のタロット展開予想では(三戦全体の見立てではありましたが)、厳しいと見ていたのですが、初戦においてはうれしい意味ではずしました。(笑)


やはり当てモノとしては難しい部分があるのと、時事ネタなどはこのタロットと展開方法では、人々の集合的な意識とリンクしやすいというのがあり、「厳しい」と読める展開だったのだと検証しています。


それにしても、この勝利で皆さんの日本代表への意識も大きく変わったと思います。サッカーファンとしてはあのままでは無関心が続く危機感もありましたので、お祭りとはいえ、報道が大きくとりあげられているのを見るとうれしく感じますね。(ま、マスコミはいつもこのような手のひら返しを繰り返しているようなものですが。。。)


さて、私がサッカーファンになったのも遠因を探れば、小学生の頃、地域のサッカーチームに入っていたことがあげられます。


当時は少年たちのスポーツといえば野球がほとんどで、サッカーをしている当の私でさえ、家では野球を見、学校の休み時間や放課後では野球の遊びをしていたほどです。


当然、少年たちは野球は世界中で最も人気があり、サッカーは人気のないスポーツだろうと思っていました。(というより、まず「世界」という概念で少年たちはスポーツを考えることがほとんどなかったというのが正直なところです)


しかしのちほど、サッカーが世界的に一番メジャーなスポーツといえる存在であることを知るわけなのですが、それは結構衝撃でした。



私たちは成長するにつれ、情報範囲と自分の見る視野が自然と拡大していきます。それだけではなく、現在は社会も世界規模で急速に情報化していき、外からの拡大もあります。


一般的に自分の価値観を変えるには、このように内からのものと外側からのものとがあります。


それは「精神」と「環境」というふたつの要素に置き換えてもよいかもしれません。


自分の意識や考え方が変わる(変える)ことにより、外側の世界観も変化していきます。


人のせいだと思っていたのが、実は自分にも原因があると気づくことで、その人への気持ち(だけではなく、周囲への物の見方までも)が変わるのがよい例といえます。


自分が内的に変わらなくても、環境が激変していけば、それに適応しないと、人間、不快感や欠落感が生じますので、多くは強制的にでも変わらざるを得なくなります。


これを逆説的にとらえれば、変わりたければ二種類のことをすればよいということになります。


ひとつは物の見方を変える心の変換。

そしてもうひとつは、物理的刺激ともいえる環境を変えての強制変換。


タロット(カモワン版マルセイユタロット)でいえば、前者が「吊るし」であり、後者が「愚者」となります。

(「13」はどちらにも入る可能性があります)


「吊るし」は逆さまの吊るし状態で自分の心の中を見つめ、いわば逆転の発想のような、これまでとは違った物の見方をすることで、変換を図っています。


「愚者」にはラフな人物が描かれ、その人物は留まることを知らず、常に環境を自ら変えて移動しています。「旅行」が心に変化を及ぼすのも、環境が変わることで、これまでの世界観や常識を変容させるからです。そのため、「愚者」のカードには典型的な旅姿の人物が配されているのです。


サッカーを知るだけでも世界に多くの国があり、いろいろな人や考え方があることに気がつかされます。(知っていますか? 「イングランド」は「イギリス代表」ではないんですよ。なぜそうなのか、調べてみるといいですよ)


そしてタロットを見ながら、自分の変化を楽しんでみるのもまた面白いでしょう。なぜなら、「愚者」も「吊るし」も変わり者で、変化を自ら楽しんでいるからです。


変わらなくてもいいことがある。

私は「タロットであなたを変える」なんてニックネームをつけていますが、別に無理に自分を変えようとしなくてもいいんですよ。なんか矛盾みたいな話ですが。。。(^_^;)


今は本当に自己改革を訴える本やセミナーなど花盛りです。


それでついつい、「自分を変えなければいけない」「自分が変わらなければならない」とあせり、強迫観念のようになって、自分を追い立てます。


そうなると、まずいことに、今の自分を否定する方向になってしまうのです。


「変わらなければならない自分」というように強く思いこんでしまうと、「今の自分が悪いから、よくなるために変わらなければならない」と、いつの間にかマイナスからの出発での思いに変換されてしまいます。


もちろん現状の問題点を明確に意識し、はっきり前向きな意味で改革を思っての「変わらなければならない」はいいでしょう。変化しないことは、問題のある現状が続く恐れが高いからです。


しかしながら、今の自分の良さを無視して(あるいは否定して)まで、自分を変える必要はないのです。


変える前には、現在の自分でもいいところがあることを認めることです。


否定したままの次の段階への移行は、重い荷物を背負ったまま困難な旅路に出向くようなものです。やがて荷物の重さに耐えかね、改善どころか、その場で立ち往生してしまうことにもなりかねません。


現状の自分を肯定するがことがてぎずにしてしまう改革は、危険ですらあります。なぜならば、改革は破壊を伴うからであり、破壊する前には壊してもいい自分を受け入れ、理解していることが必要だからです。


いわば、立ち退きのためには地主や建物の所有者に、了解を得ておくようなものです。そうしないと、強烈な逆反応(抵抗、退行、虚無感)や不安・憎悪となってエネルギーが残ります。(勝手に壊しやがって・・・と苦情が出ます)


「今まで大変だったね、ご苦労さん」「お疲れさん、お役ご免だよ、新しい自分に交替するよ」「いいよね? もう」「今の自分もOK。だからよい点も残しつつ、もっといい新しい自分に変身していこうよ」


このようなやりとりが自分の中で納得して行われていると、変わることへの抵抗も障害も少なく、スムースに次へ移行ができるのです。


これをタロットで表しているのが、「13」であり、「愚者」なのですが、今はタロットのことを知らなくても構いません。


あなたの感情に、「変われ!変われ!って、うるさいよ」とか、「解放とか、枠をはずせとか、もうしんどいよ」などと感じているうちは、無理をしないことが大切です。


次の段階への準備ができていない時は、抵抗や不安といった形で、逆にあなた自身を守っていることもあるからです。


そのままのあなたでもいいこと、今の自分でもよいことがあること、これをじっくり味わって、楽な気持ちでいるほうが重要なこともあると覚えておけば、自分を変えるタイミングもうまくつかむことができるでしょう。


趣味の縁 趣縁

ミクシイでもかつて書いたのですが、無縁社会ということが近頃話題になっています。


NHKの報道番組がきっかけのようですが(実は私も見ました)、確かに今の人たちには「恐怖」です。まるでタロットでいえば「13」をイメージさせます。


無縁社会についてのことは、またミクシイで書いたことをいずれここでも校正して掲載したいと思いますが、とにかく、もはや今までの血縁(家族・親族)、地縁(近所・地域)、社縁(会社・職場)に頼る社会ではなくなってきていると感じます。


もっともこういうことは今に始まったことではないのてすが、やはり「社縁」が急速に無意味化していることが問題でしょう。一言で言えば終身雇用の安定さが失われたことが無縁社会の恐怖を加速化させているように思います。


このような状況では無力な意見だと思いますが、私は新しい縁づくりを少しでもこれからは推し進めたほうがよいのではと考えています。


その中のひとつに「趣味による縁」、「趣縁(しゅえん)」( 私の造語です)を広げることがあります。


「趣味の縁などあっても仕方ないよ」と思う方もいらっしゃるかもしれません。


しかし先頃同じNHKでも放映されていましたが、老人ホームの中で生け花の趣味(先生の資格)を持つ方を中心にして集まりができ、グループで一緒に旅行に行くなどの発展的なつながりができていました。


最後にその先生がお亡くなりになった時、老人ホームでの葬儀が行われ、仲間の方たちが濃密なお別れをされていました。いつか自分も遠くない未来に亡くなることを意識した上でのことです。


誰も看取られずに孤独に死んでいくよりも、たとえ趣味の縁で発生した仲間であろうが、仲のよい人たちに囲まれて亡くなったほうがよいのではないでしょうか。


生きている間でも助け合い、楽しむ仲間づくりのきっかけともなるでしょう。


このカモワン版マルセイユタロットをすれば人生を考えざるを得ません。(そういう仕組みがあるのです)


タロットは年齢性別を超えて愛好できる素地があります。タロットによる趣縁づくりも、もしかして少しは無縁社会のカウンター(対抗)になるのかもしれないと、私は今、思っているのです。


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