カードからの気づき
よいこともある「忙しさ」
タロットカードに、吊るし(ほかのカードでは「吊され人」とか、「吊された男」とか呼ばれています)というカードがあります。
逆さまの位置が普通であるということと、動いていないということが特徴に挙げられるカードですが、今回は後者の関連での記事です。
人間は考えることがとても好きな動物です。
いつも頭の中で思いを巡らせています。
そのため瞑想したり、座禅を組んだりすることによって何も考えない時間を持つようにすることもあります。
このように絶えず起こる思考に対して、体の動きを止めることにより、心も同様に静かに停止状態にしていくという方法があります。
もうひとつ、あえて行動を増やして忙しくすることによって、あれこれと考えることを逆に少なくする方法もあります。
「忙しい」ということは、よく言われるように、「心を亡くす」と書いてネガティブなとらえ方をされがちですが、心を亡くすのは無くすことに通じ、いわば次々と起こる想念(悪想念もあり)を無くす(忘れる)意味もあるのです。
タロットの吊るしのカードでも、あることに囚われすぎていたり、考えすぎたりしていると、カードが逆位置で現れ、正立では楽しそうに見えていたカードの人物も、反対にとても苦しそうに見えてくるから不思議です。
つらいことや苦しいことは、忙しさで紛れることもあります。
本当の意味ではそれは苦しみの解決にはなりませんが、忙しさの中で淡々と目の前のことをこなしていくことで、固定されていたものが流れていき、いつの間にか楽になっていることがあるのも確かです。
暇と時間は心の休息や回復に大きく役立ちますが、使い方を間違えると、かえって自分を苦しめることになりますから注意しましょう。
人間のコピー機能
タロットカードにも似た絵柄や人物、形のものがあります。それはあるカード同士、コピーしているかのようにも見えます。
でもやはり、同じ構図や象徴の形をしていても、微妙に違うことにも気がつきます。似ているようで似ていない、似ていないようで似ている、まるで人間のようでもあります。
さて、実は人間にもコピー機能があることはご存じでしょうか。
人間の場合、コピーする者とされる者の関係は、総じて影響を及ぼされる者と及ぼす者とになります。
たとえば幼少期・生育期においては親、親戚、近所の人、学校の先生など身近な大人達に影響されますし、大人になってからは会社や組織の上司、あこがれの人物、技術やお稽古事の先生・師匠などになってきます。
つまり、上の立場の人や教えてもらう人をコピーしてしまうということです。
コピーはいい部分だけすればよいのですが、その人物をかなり忠実にコピーしてしまいますので、欠点までも知らず知らず写してしまっていることになかなか気がつきません。
「あの人のあの部分はいやだよなぁ」「あれはマネしたくないよねー」とその時思っていても、案外と自分もそれをコピーしていることは多いものです。
時にはコピーしている対象の善悪(長所・欠点)がまったくわからないまま、ただ無意識に自分の行動パターンとしてしまっていることもあります。
親に虐待を受けた人がまた自分の子供も虐待してしまうといったケースなどに見られます。
しかし人間は動物と違い、自分でコピーしたことを再度書き換えることも可能です。
もし自分に同じようなパターンで問題を繰り返していることがあるのなら、このコピーの悪い部分が出ていると疑ってみるとよいでしょう。
また「あんた、●●さんにそっくりだよ」と悪い意味で人に指摘されたら、自分が誰かの欠点コピーをしてしまっていることに気がつくべきです。
人から言われないと気がつきにくいのが人のコピー機能です。問題があれば、セラピストなどの専門家の力を借りることもひとつの方法でしょう。
コピーはもちろんよいこともあります。人のコピーは物理的なコピーと違い、劣化させず、さらに元々のものより鮮明に輝かせることも可能です。
それから大人になってからのコピーは、長所も欠点も同じ因子があるから惹きつけあい、影響を互いに及ぼすことがあります。
多くは欠点もコピーしてしまいますが、その後、自分で自分(コピーした部分)を火にくべて蒸留し(自己洞察や修練)、純粋なもの(長所)と不純物(欠点)に区別して、そぎ落とすことができれば、それはコピーではなくオリジナルなものとしてあなたの中で昇華していくことでしょう。
時にはタロットも、その作業のツールとして有効に活かすことができます。
火の試練と水の試練
タロットを見ていると、人の浄化や変容(自分の意識の大きな変化・成長)のためには、二種類の大きな試練があるのだというのだということに気がつきます。
それは、
火の試練
水の試練
のふたつです。
この試練を理解するには、そのまま「火」と「水」のイメージを思い浮かべていただくとよいでしょう。
火は熱く、焼けるような痛みがあります。いわば、かなり直接的なつらい体験や苦しい経験といえます。
あまりに火が強ければ、火傷を起こし、その治癒には相当の時間がかかるかもしれませんし、もしかすると、焼け切って灰が残るだけのこともあるかもしれません。
けれども燃焼は気化を伴い、蒸留過程を通じて、純粋なものと不純なものとを区別します。また、燃えることにより、形を根本から変えてしまうことも可能です。
一方、水は冷たく、さらさらとすべてを洗い流しますが、量が少ないと詰まり、多いとおぼれてしまいます。
水には一定の形がなく、様々な形態に変わっていきますので、その時その時の変化の対応力というようなものが問われているといえましょう。
それはつらいことというより、むしろ誘惑や人からの影響による堕落や固定に対する試練と呼べるものです。
あるいは「流れ」ということでは、自分の中の固定したものをどう流していくか(つまり浄化)ということでもあります。
興味深いことに、火の試練と水の試練は、火の恩恵と水の恩恵という形で交互にやってくる場合もあります。
すなわち、火の試練で傷ついた心には水の恩恵(水で流し、あふれさせるような心や実際的な治癒)で癒され、水の試練で溺れてしまったり冷たくなった心には、火の恩恵(太陽光のような温かさ、熱情、インパクトによる蒸発作用、一気に処理する素早い救済)で助けられるというようなものです。
つまり、火と水は質の異なるふたつのエネルギーであり、試練にも恩恵にも両方働くということです。
火と水は本来相容れないものですが、その相容れないものを統合していくことに、錬金術などの古代からの秘儀の神髄があるといわれており、タロットにもそのことは描かれています。
聖書や古い伝説でも、洪水や神からの雷(いかずち)のよなう火の衝撃によって、試練を与えられたということが伝えられています。
「火」と「水」に象徴される相反するエネルギーを自分にうまく活かすことによって、大きな成長の糧にすることができるものと思います。
なんと言っても、「火」と「水」を合わせると「かみ」とも呼べるものなのですから。
やる気が出ない時に、「運命の輪」と「吊るし」
しかし暑いですねぇ。(;^_^A
こう暑いと何もやる気が起きない人もいらっしゃると思います。
やる気が起きないというのは、案外と重要な示唆が含まれていることがあります。
まず単純にエネルギーが落ちている、疲れがたまっていることが考えられるでしょう。
やる気が起きない状態がずっと続くようでは、これはうつ病も疑ったほうがよいかもしれません。(私の経験による、うつ時の状態については、また別記事で書かせてもらいたいと思います)
人はモチベーションやテンションが上がったままの状態で継続することはまれです。
世のすべては、上がれば下がり、下がればまた上がることが繰り返されています。
ということは、上がった気持ちも下がることが必ずあるということです。これをタロットで見れば「運命の輪」で表すことができるでしょう。
ですから、その意味ではやる気がなくなってくることも自然なことで、また何かのきっかけで上がってくるのだともいえます。
問題はその上げ下げの流れのリズムを無視し、ムチを自らに当てるがごとく、無理からにモチベーションをあげようとすることです。
やる気が起きないということは、ある意味「やらなくてもよい」ということであり、いや、むしろ「やらないほうがよい」と内側からサインが来ていることもあるわけです。
従ってそのような時は何もしないとか、やる気にならねばならない対象とは違うことをするという意識の転換と選択が必要となってきます。
タロットでいえば、「吊るし」を取るということです。
そうは言っても、仕事などではやる気に関わらず、どうしてもしなければならない状況もあるでしょう。
それでも、何も考えずただ「気合いだ!」と力を込めるのではなく、上げ下げのリズムを思ってメリハリをつけ、スケジュール的に可能なら、仕事を少し停止してみることです。
そうすれば後で、逆に効率が上がる場合もあります。
自然のリズムが波のようになっていると想像すれば、ずっと同じテンションで力を入れ続けることは、タイミングが変われば激流に逆らって泳いでいることと同じになるのです。
人間は意外に外(自然)に同調しようとする働きがあります。
自分がそのリズムからはずれておかしい状態にある時、警告として自らのやる気を失わせることにより、タイミングをずらすことや一時的にストップしてみることをメッセージとして発しているのだとも考えられます。
やる気が起きないのなら、自分の今の行動や思いを分析し、「今のやり方がズレているのではないか」「流れに逆らっているのではないか」と疑って、一度自分を「吊るし」てみるのもよいかもしれません。
水平方向と垂直方向
いつも文章量が多くて自分でも読みにくいと思っているくらいですので(^_^;)、今回は短めに書きますね。
運動や関係性の方向には、大きく分けて水平方向と垂直方向とがあります。(物理的というより、心理的な面で見たほうがよいです)
縦軸と横軸で表された図を考えるとわかりやすいかもしれません。
閉塞した状況であったり、何か行き詰まったりした時に、水平方向と垂直方向とをシフトしあうことで、急に道が開けてくることがあります。
簡単な例を出すと、
自分に働きかけるか他人に働きかけるかの違い
同じフィルードか別のフィルードかの違い
友人か上下関係かの違い
などの視点の切り替えです。
カモワン版マルセイユタロットをお持ちの方は、タロットマンダラ(大アルカナ22枚をある思想で並べた図)を見ていただくと面白いことに気がつかれるでしょう。(たとえば「審判」と「恋人」など)
水平方向と垂直方向の違いが今一つつかめない人は、「次元」「レベル」ということをキーワードに考えてみるとよいでしょう。
そして、ここが最も大切なのですが、縦軸と横軸の図(十字)で、横から縦、縦から横へとゆったりと線をつなげていくと、様々な円が浮かび上がってくるのです。
その意味が何なのか、皆様も考えてみると面白いと思います。