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タロットの学び、扱いの硬軟

タロット、こと私の扱っているマルセイユタロットになりますと、様々な階層と解釈にふれ、気づきや覚醒、情報の拡大、蓄積、深化、整理など、真理の追求や「学び」という方向が主となってきます。

まあ、言ってみれば、マジメで少しお堅い方向でもあるわけです。

しかし、それは一面ではそう見えるかもですが、結局、自己の解放、大いなるものへの回帰、統合ベクトルでもあるので、実は楽になったり、遊びの部分がたくさん出てきたりもするのです。

内容はまじめでも、気分は楽になってくるという表現が適切でしょうか。

そして、何事もバランスが大切で、お堅いお勉強方法ばかりでは息苦しくなったり、アイデアも乏しくなったりします。

そこで、タロットを学ぶ過程でも、息抜きのようなタロットの接し方、言い換えれば「遊び」としてタロットと接する時間と機会を持つことをお勧めいたします。言わば、柔らかい勉強法みたいなものです。(笑)

例えば、タロットはもともと一般にはゲーム道具として使われてきた歴史がありますから(占いツールになるのは、実は結構新しい時代のことだと言われています)、そのまんま、タロットでゲームに興じるという手があります。

フランスなどでは、普通に、タロットと言えば私たちが思うトランプのようなもので、カードゲームとして遊ぶこともあるようです。実際、タロットのゲームが種々あることは、検索すればすぐわかります。

ちょっと複雑な(枚数の多い)トランプだと思えばいいでしょう。

タロットのゲームルールを知らなくても、トランプと(伝統的な普通の)タロットの構造とは同じですから、知っているトランプゲームをタロットに代用すれば使えます。(数カードが数札、騎士を除いた宮廷カードが絵札となり、トランプの4つのスートはそのままタロットの4組になります、ジョーカーはタロットの「愚者」として扱えます)

それから、「占い」をたくさんやってみるのも面白いところがあります。

これは真剣な占いのタロットではなく、ラフな遊びでのタロット占いをするということになります。それだけ気軽で、出た結果も重たく受け止めることがなくなります。

何かのスポーツの結果や順位を占ってみてもいいですし、皆が楽しめる話題(芸能ネタなど)や、恋の話、ワクワクする未来像など占ってもいいでしょう。結果が、そのあとすぐわかるものをやってみるのもアリです。

これは一人でするより、多くの人と一緒にやるほうが面白く、楽しいです。

それと、占いで使いやすい展開法(スプレッド)を採用するのも(占いで楽しむ)コツです。心理的な内容まで解読する展開法や、解決策まで出してしまうやり方は、シンプルな占いには向きません。

それから時々講義でも余興的にやっていますが、何のカードが出るか当てる(当たるまでやってみる)というゲームも、意外に熱中してしまいます。(笑)

そしてこれも入門コースなどでやることがありますが、グループで、一人ずつカードを引いて、その印象から何か話や人物を作り、次の人が自分の引いたカートを参考にして、前者の話題を引き継いでストーリーをつなげていくという連作をしてみると、とんでもない物語ができあがったり、見事につじつまの合う物語ができたりして、作劇も学べます。(リーディング技術向上にもつながります)

また、単純にシャッフルして出たカードをネタにして、何か強制的に話をしなくてはならないというルールでやるのも面白いかもしれません。

これは、よく会社や組織で、朝などに何かしゃべらされる課題を与えられる時、タロットを思い浮かべるだけで話が作りやすくなるという、「しゃべり」や「お話し」の訓練にもなります。

さらに、遊びとは違うのですが、タロットに親しむ方法のひとつとして、普通のタロットの扱いや解釈とは違い、護符や願望実現のイメージ(シンボル)として、カードを使うという方法もあります。

例えば、ある一枚を自分の守り神(護符)的なものとして常に携帯しておくとか、ある願いの実現において、タロットカードをシンボルとして、見えるところに掲げておくというようなことです。

カードの意味から選んでも、好きなカードということで選んでも、またシャッフルして偶然性からかえって神秘性を強めて選んでも、何でもよいかと思います。

ここで重要なのは、カードへの信頼性と、何かの力がカード(の図柄)に宿るというリアルな感覚になります。単なる絵という感じでは、効果は少ないです。

カバラーの生命の木を知っている人は、各セフィラー(セフィロト)の部分にカードを当てはめて、願望実現を目指すというやり方もあるでしょう。(パスにカードを当てはめる方が一般的かもしれませんが、これもカバラーを主とするか、タロットをメインとするかによって違ってくるもので、どちらでもよいかと思います)

タロットとマジメに向き合うばかりが、いいわけではありません。息抜きや、普段とは違った方法・スタイル・意識でもって、タロットと接することで、また新たなものが生まれ、自らの拡大と統合もなされていくのです。

要するに緊張と弛緩というプロセスを経て、より一層の成長がなされるという、宇宙の仕組みと同じなのです。


タロットによる横の拡大

タロットカードは、絵柄を象徴とするカードの集まりなので、一枚につき、ひとつの意味が決まってくるという性質のものではありません。

頭が固かったり、あせってすぐカードを読みたいと思ったりしていると、ひとつの意味を暗記するかのようにして、結果的に固定的な読み・解釈しかできなくなってしまうことがあります。

タロットを習い始めの人に時々いらっしゃるのですが、タロットの読み方の正解を強く求めるという人がいます。

ある問題ケースにおけるタロットの展開において、正しい読み方はどれかと質問されるわけです。

なぜそうなる(そうした質問になる)のかと言えば、タロットの読み方が複数あるので、どれが正しいかがわからず、それを教えてほしいとなってくるからです。その気持ちはわからないでもありません。

私たちの普通の状況やシーンにおいては、正しい回答、いわゆる正解というものは、クイズではありませんが、それは「ひとつ」であることがほとんどです。

学生時代の試験や、社会に出てからも、ひとつの正解を求められ、それを導き出すこと、正解としての結果を出すことが求められます。

従って、「答えはひとつ」の世界に慣れてしまい、それがさらに、「答え(正解)はひとつでなければならない、ひとつであるはず」と思い込むようになります。

勢い、人生の勝利の方程式、勝ち組への情報、幸せになるやり方などもひとつ、私にはこういう状態(仕事・生活・友人・パートナー)しかない・・・というようにもなってしまいます。

しかしタロットは象徴ですから、同じカード、同じ展開であっても、たくさんの読み方や解釈ができます。

言ってみればその全部が正解で、また絶対の答えでもないのです。

そこに全部があり、しかしまた一部でもあり、さらには何もないのかもしれないという奇妙なものになります。

これは通常、あまり経験したことのないような世界(観)であり、だからこそ、タロットを前にすると、固まってしまったり、かえって戸惑ってしまったりする人もいるわけです。

特に何かのモデルや指針、回答がないと不安になる人、常識や敷かれたレールの上で自動的に従っていれば、つづがなく生きられると思っている人のようなタイプの人には、タロットを学ぶことは最初は苦痛でしょう。

しかしながら、その混乱こそがタロット(を経験したり、学んだりすること)のひとつの役割でもあるのです。

言ってみれば既成概念・固定観念の打破であり、自分が安心・安全だと思っていた世界(それは逆に自分を苦しめていた要因でもあります)からの旅立ちでもあります。

最初は怖いことではありますが、思考や感情においての自由への選択の第一歩でもあるのです。

タロットには、縦の階層・次元別の読み方の相違と、横の同じレベル、同じ個人の間で違ってくる読み方の幅があります。幅と奥行き、または幅と高さの違いによる読みと言ってもいいでしょぅ。

タロットが象徴であり、読みと正解もたくさんあるという考えに変わっていくのは、個人的なレベルでの横の幅を増やすことと同意です。

ただし、タロットから導かれる正解の多様さは、レベルや次元の違いによる縦の読みの場合になってくると、実はそれぞれの階層(レベル)によって、正解はひとつとなる読み方にもなります。

ここが象徴性の難しさ(面白さとすばらしさ)にもなってくるのですが、今日の話の趣旨は、縦ではなく、横においての多様さの獲得(自我のこだわり・囚われの常識からの解放)なので、その説明は別の機会にします。

タロットが、個人レベルにおいて、読みの幅の多様性によって、多くの正解があるということは、一人一人、別の正解があるということにもなります。

つまり、自分がよいと思うことは、人には当てはまらない(その逆もあり)ということもある世界です。(これは現実の世界でもそうですが)

リーディングにおいても、セオリー・定番的な意味でのタロット解釈だけではなく、そのクライアント個人、その時その時のセッションや相談、問題別によって、特徴的な読みと回答(解答)が現れてくることもあるわけです。

極端に言えば、自分にしか通用しない読み方、その人にしか適用できない読みというのもあるのです。

占い的になってしまうと、どうしても正解や正しい方向、幸運なる道の選択の示唆、その拝受みたいになってしまうのですが、それも悪いわけではないにしろ、タロットによって、選択肢そのものを増やす仕組みを知ること、常識的・多数派的に正解(正しい生き方)だと思っていたものに対し、揺らぎや革命を起こす意味では、あまりそういったタロットの使い方はよくないかもしれません。

「答え(ひとつの正解)を出す」という姿勢だと、かえって余計に悩んだり、迷ったりしてしまうこともあります。

タロットリーダー・クライアントともに、ひとつの正解を出すという姿勢よりも、たくさんの答えをタロットをもとに、一緒に導き出すというスタイルにすると、双方、楽になることがあります。

そのうえで、縦のレベル別の正解というものを入れると、さらに整理がついてきますが、まずは、タロットによる横の幅を広げることが大事かと思います。

マルセイユタロットにおいても、大アルカナの数の順で言うと、5の「法皇」から6の「恋人」になって、人物や選択肢が増えていることがわかり、横の幅(選択肢や視野)が拡大していることがうかがえます。

その分、確かに迷いも増えるのかもしれませんが、思ってもみなかった道、生き方、世界があなたの前に広がっても来るのです。

「あなた(自分)らしく」というのは、自分を知るということの意味でもありますが、世界(人生)にはたくさんの選択があることを知って、そのどれかを選ぶ生き方によって、自分らしさ(個性)をもって、全体の中で生きやすくなることでもあるのです。

タロットはそのサポートに使うことができるのです。


恋人カードに見る選択の示唆性

選ぶという行為は、悩み・迷いとセットになっているようなものです。

逆に言えば、迷いというものは、ほぼ「選ぶ」シーンに生じると言えます。

迷い、選ぶ、ということでは、マルセイユタロットでは、「恋人」カードが象徴的かつ、示唆的です。

以前にも書いたと思いますが、この恋人カードをモチーフとして、選択の種類について言及したことがあります。

その時は、このカードに描かれている三人の人間の象徴性について注目してのものでした。

その時の解釈と少し違うかもしれませんが、もう一度、この三人をヒントにした選択方法を簡単にあげておくと、

1.二者択一 (どちらかを選ぶ方法)

2.両者選択 (どちらも選ぶ方法)

3.無選択、様子見、第三の選択 (今は何も選ばない方法、もしくは第三の新たな選択肢を創造して選ぶ方法)

以上が考えられるわけです。

迷いが深くなっている場合は、2や3という方法が案外思いつかなくなっていて、1のように、絶対どちらかを選ぶしかないと、頭が固くなっていることが多いものです。

どちらも選んでしまうことに罪悪感を持ってしまったり、今は待つ、あえて選ばないということができない人もいるわけで、それは自分の傾向やブロックを見るのにも役立ちます。

さて、今回はさらに、三人の上空に描かれているキューピッド、あるいは天使とも言える存在と選択(の象徴性)についても加味してみたいと思います。

三人は見ての通り、ただの「人間」ですので、その迷いや選択もやはり「人間レベル」であると考えられます。

視点や情報も、あくまで人間の範囲でしかないということです。

しかし人間とは言っても、他人においては自分の知らない情報や知識を持っている人もいるでしょうし、複数の人と話し合う(協議・会議する)ことで、新しい着想があったり、よい案や選択もできたりするものです。

また、間(あいだ)をとった妥協案や、平均化したような選択肢も出てくるかもしれません。

いずれにしても、一人だけでは膠着状態だったことも、ほかの人と話し合うことで打開策も出るわけで、人間レベルでも、まさに“三人寄れば文殊の知恵”と言われるように、「文殊」を「菩薩」だとすれば、西洋的には天使レベルとも言え、三人の人間と天使との画像のリンク性も興味深いものとなります。

三人だけに着目すれば、人間としての選択の話となるのですが、ここに天使が描写されていることで、私たちの(行う)選択に、人間を超えたレベルのものが存在していることが示唆されるわけです。

さきほどは、三人の集まりが天使的な知恵(智慧)を呼ぶと書きましたが、見方を変えれば、一人の人間にも三人の人格があるととらえることもでき、しかも、さらにそれらを超越した人格(人格というより、ある「性質」と言ったほうがよいかもしれません)も存在するということです。

つまり、恋人カードに描かれている人間と天使は、全員、一人の中にある人格であり、性質であり、存在であるということです。

都合、それは4人となります。(天使は三人を集合・統合するレベルにあると言い換えることもでき、上空の高みから見下ろす視野の広さがあります)

ここにはマルセイユタロットの秘伝のひとつである「3対1」の構造(それが何であるのかは、ここでは説明しません)が見て取れます。

選択において、人間のようでいて人間ではない、言ってみれば「天使」の選択が、私たちに働きかけられているとも図像から想像されます。

人間レベルの選択では、どうしても自分の欲望や願望を満足させたい自己中心的な選択(たとえ自己犠牲的なものでも、自分中心なものは自己満足に近くなります)が多くなります。

それは「人」としての宿命のようなところもあります。

しかし、人は動物的・人間的部分だけではなく、天使的・神性的部分もあると言われています。

簡単に言えば、低次と高次の存在性です。

あなたが何かに迷う時、それは人間レベルの欲望・願望での迷いがほとんどの部分を占めているでしょうが、 その中には低次と高次との葛藤による迷いもあると考えられます。

それにふれた時、自分の中の天使(性)にも気づきます。

外的なものとして天使を信じる人には、まさに天使があなたに働きかけているように感じるかもしれません。

簡単に選択ができるようなものは、迷いも当然生じず、そのような上下(低次と高次)階層への認識(次元上昇へのきっかけ)も起きにくくなります。

悩み、迷うからこそ、従来の選択では気づけなかった意識が芽生える(回復する)のです。

人間レベルでは合理的・経済的・正しい選択のように見えて、それは天使レベルではまったく違うこともありえます。

かと言って、天使レベルの選択が、現実的・人間的世界ではよい選択とは言えないこともあるわけです。

レベル的には高い選択ではあっても、人間的には合わなかったり、無理難題のように感じたり、人によっては人間レベルを十分に満足することの必要性もあったりするからです。

ですから、恋人カードは、必ず天使レベルの選択をしましょうというものではなく、人間レベルの選択に、天使性のインスピーション・息吹を感じたり、一部使ったりするという程度の示唆になると推測されます。

言わば、天使(性)も入れた、四人での会議・合議という印象です。(しかし、天使は直接会議には参加しませんが)

恋人カードの示唆は、個人・エゴ・人間的感覚にどっぷりつかっているところからの解放を、少しずつ進めるための段階と言えそうです。

選択の意味において、これ(恋人カード)と対の関係にあるのが、「審判」であり、また「神の家」にもなってきます。

このふたつのカードの図像・象徴性を見ますと、明らかにレベルや次元が変わっていることに気づくでしょう。

リーディングにおいても、これらのカードたちの出方や位置によって、どのような選択がふさわしく、また選択で悩むそのこと自体に意味があるということもわかってくるのです。


答えはあなた(自分)が知っている(のか?)

タロットリーディングや、その他、心理的・精神的・スピリチュアル的な相談の世界でも、よく言われているものに、「答えは自分が知っている」というものがあります。

相談を受ける側・アドバイスする側から言えば、「答えはあなたが知っているのですよ」という言い方になります。

では仮に、答えを自分(クライアント・相談する側)が知っているのなら、なぜ悩んだり、相談しに来たりしているのか?という素朴な疑問と言いますか、矛盾に行き当たります。(苦笑)

まあ、これに対しても、よくある回答(まるでQ&Aみたいですが・・・)で言うのなら、「答えは知っていても、それに気づくことができていない」ので、アドバイスする側は、その「答えに気づいてもらう導きをする」ということになります。

では今度は、なぜ、答えは知っていても、気づくことができていないのか?、そしてまた、相談を受ける側・アドバイスする側は、それに気づかせることができるのか?という質問も出てきます。

それには、主に、ふたつのことが考えられます。

そのひとつは、答えというものが、必ずしも、顕在意識、つまり自分が明らかに認識している(自覚し、わかっている)意識のところにあるとは限らないということ、

そして、もうひとつは、答えが複数(の可能性が)あることです。

前者は説明するまでもなく、真の答えの存在場所が、自分の表面や、今自覚している意識のところにはないので、いくら自分が探しても見つからないことになります。

ところが、そこにアプローチできる手法を持って他人が臨めば、一緒にそのありかまで探求することができ、その(答え)の発見が可能となるわけです。

この時、相談を受ける側は、いわば密林や洞窟にある宝の場所までガイドする役になりますが、ガイド自身が宝そのものを知っているわけではなく、今までのパターンなり、知識なり、技法なりで、宝のありかを探索したり、予測したりする技術に長けているということなのです。

そしてこの密林や洞窟、そこに埋もれている宝、つまり真の答えは、まさにクライアントの中にあるのですが、自分の中にあっても探索・発見する方法がわからないので困っているわけですね。

胃の中に何か詰まっているのは感じるけれども、医者に胃カメラなどで診てもらわないと確認できないみたいなものです。(笑) 

従って、誤解なきようにしたいのは、ガイド側が答えそのものを知っているわけではなく、それはあくまで推測や予想の範囲のものであり、ガイドさんが素敵なアドベンチャーのサポートはしてくれても、宝物自体まで用意してくれるわけではないということなのです。

仮に宝物が用意されていても、それはあくまでガイドが用意した仮のもので、あなた自身は、本当の意味では納得できないものです。

ここに依存の問題を指摘することができます。

次に、答えがあっても自分ではわからない理由のふたつ目、答えが複数あるということについてです。

人はすっきりしたいがために、数学的回答のように、ひとつの絶対的な答えがあると信じ、それを求めます。

どちらが正しいかとか、どれが正解かみたいな思い方で、それは現れます。

しかし、一人の人間にも、実は複数の人格(性格・パーソナリティ)があり、さらには低次・高次のような、人間的部分と霊的部分、天使性と悪魔性、動物的(エゴ的)部分と友愛・共助的部分など、様々な多層構造があると言えます。

そして、それぞれに答え、回答を用意しているのです。

マルセイユタロット的には、一人の人間の中に、22人の主要人格がいると例えることができ、さらにそれが4つの性質をメインにして、56という現実フィールドに分離されていきます。

こうした複数のあなた(クライアント)が、それぞれ自分の答えが正しいと争い、葛藤しているわけです。

言っておきますが、これはどれも正解なのです。(少なくとも間違いではない)

しかし、一応、多くの人格の代表格である日常のあなたは、ひとつの回答ですっきりし、「正しい」と思える答えにしたいのです。

実は、自分の中で、複数の人格と話し合い、協議していくことで折り合いをつけること(回答を選択すること)ができるのですが、重大な選択と思えば思うほど、そして経験則や従来の知識では対応できない混乱した事態が起きれば起きるほど、人格の分離が激しくなり、何人もの強い主張者が自分の中で言い争うことになります。

この状態では、普段の自分では、収拾をつけることが難しくなります。

よって、他人の力を借りることになるのです。

他人といえど、同じ人間、人類としての共通の人格や思考・感情パターンを持っているので(ユング的には「元型」となります)、一緒に対応していくことができるのです。そして他人だからこそ、文字通り、客観的になることができます。

結局のところ、他人目線を通じて、自分の中の複数の答えを整理し、今回、納得できる選択を、自分ができるようにするわけです。

すでに自分の中で話し合いをして、薄々出しかけていた(選択しかけていた)ことを、他人によっても確認し、後押しを得るという意味もあります。

ここまで書くと、タロットがなぜ心の整理に役立てることができるのか、そして他人リーディングで人をサポートできるのかが、わかると思います。

今までの説明では、つまるところ、答えはやはり自分(クライアント)が知っているということになります。

不思議な言い方をすれば、知っているけれど知らない、知らないけれど知っているということですね。(笑)

実は、これとは別に、他人が本当に答えを知っているということもあり得ます。

まず、当たり前ですが、他人のほうが実際に見聞したり、経験していたり、知識的・数学的答えを知っていたりしたら、自分ではなく、他人が答えを知っていることになります。

バカらしいほど当たり前ですが、こんなことすら、下手にスピリチュアルに傾倒してしまうと、わからなくなってしまうこともあるので注意です。単純に自分が知らないことはあり、それは知っている人に聞けば早いということです。(笑)

なるほど、自分の神性はすべてを知っているかもしれませんが、現実の人間のあなたは、知らないことが実際のフィールドではあるのです。

だからこそ、人は教え教えられ、助け合って生きています。

そしてまた、他人があなたの鏡になっていたり、反転した自分存在として、別の答えが用意されているということもあります。

この場合、言ってみれば、自分に答えはあるようでなく、むしろ、他人を介することで本当の答えが「創造される」という形になります。

そのようなことから見れば、自分が答えを知っているとは、完全には言い切れないものなのです。


「13」 もっとも大切なものを失う時

マルセイユタロットに、名前のない数だけの「13」というカードがあります。

そのあまりに強烈な図像の印象から、ほかのカードで、この数をもったカードは「死神」とさえ呼称されることがあります。

しかし、私たちマルセイユタロットを扱う者は、事実としてカードに名前が記載されていませんから、「名前のない13番」とか、「13」として数で呼ぶことになっています。

名前は実はかなり重要で、皆さんにもお名前があって、名前で呼ばれることは個人を特定されるようなことにもなりますし、親近感を抱いたり、逆に親しくもない人に呼ばれることは嫌悪感が出たりと、名前を呼ぶということは強い影響が出るものです。

神や悪魔(その眷属)を、正式な名前で呼ぶことによって、そのエネルギーを自身のものにすることができる、支配することができるとさえ言われています。

ということで、名前は「性格・性質」、「力」そのものでもあるわけです。

ですから、「死神」と言ってしまうことは、このカードを不吉なものに結びつけることになるのです。

それでも「13」は、名前を呼ぶことが出来ないほど、「13」そのもの(13のカードの本質)は、強力なものでもあります。

しかし、畏れ多いものではある反面、その強力なエネルギーは、私たちを大きく変えることに寄与します。ゆえに、このカードは、積極的な意味において、変容と次元の上昇に関わっているといえます。

また大きな鎌を持っていることが「13」の象徴図の特徴であり、この鎌は、つまりは農作業の刈り取ること、収穫をイメージさせます。

私たちはついつい、この鎌を武器や殺傷道具ように思ってしまいますが、本来的には収穫の道具なのです。ということは、その大地には、何かが実っているということになります。

同時に、やはり鎌は刃物でもあり、刈り取るだけではなく、削ぎ落とすということも考えられます。削ぎ落とされながらも実るものという、一見矛盾めいた象徴もあります。

ところで、私たちそれぞれの人生において、つらいことは必ず誰にもあるものです。

それが病気であったり、経済的なことであったり、家族の心配ごとであったり、人間関係や恋愛のことであったりと、まさに様々です。

そして、人生のターニンポイントに、喜びごとと苦しみごとによるものがあります。

その中で、苦しみごとの場合において、もっともつらいもののひとつが、自分にとって一番大切だと思っていたものを捨てたり、離れたり、関わることが許されなかったりしなければならない事態に陥った時と言えるかもしれません。

それはもう、もっとも大切に思っていたものものの喪失ですから、強烈な落ち込み、気が狂うほどのつらさであり、自分でも信じられない事態で、世界の終わり、人生が終わったかのような思いを持つようなことと言えるでしょう。

人によっては、このようなことが、不幸にも発生することがあります。

これがマルセイユタロット的には、「13」の象徴事件として表されます。

「13」の象徴レベルにも数ありますが、やはり「13」を実感するには、そうした、もっとも大切なものを失う体験が近いのかもしれません。

しかし、さきほど、「13」の鎌は収穫でもあるといいました。何より、先述したように、「13」は変容であり、変革であり、自分の次元を上昇させる象徴でもあります。

もっとも大切だと思っていたものを捨てる時、もっとも大切な新たなものを得ることができるのです。

これは失ったものが与えてくれる場合もあれば、まったく新たなものとして創出されてくる場合もあります。

「13」という数には、「3」という創造性を象徴する数が含まれています。

実は失うことや得ることは、形や意味としてそう感じるだけで、本質的(究極的)には何も失っておらず、何も得ていません。

しかし、個々人の物語にあっては、それは確かに失ったり、得たりしているものです。ということは、その波の経験こそが大事だとも言えます。

かと言って、失うことと得たことが、個人として意味のないものというわけではありません。経験した内容はその人にとって、とても大切で、かけがえのないものです。

肉体と感情をもった、あなたという「個人」でないと経験できない、貴重なものなのです。

失った、もう元には戻ることのできない状況に、とても悲しく、つらく思う日々はあるでしょう。それはすぐに回復できるものではありません。もっとも大切なものだったのですから、当たり前です。

ですが、少しずつ、時間とともに(失い得るという感覚は、時間と空間の感覚があるからこそ生じているものなので、時間は現実において、重要な回復ポイントになります)、あなたが失った代わりに新たに得たものや、まったく新しい自分の境地として、モノの見方や愛の次元が変容していることに気づくでしょう。

たとえ失ったこと、そうならないといけなかったことが不幸と感じたとしても、不幸によって、この世の根本的な問題に気づき、魂的に覚醒していくチャンスが与えられていくことにもなります。これは、「グノーシス」(神性への覚知)とされているものでもあります。

「13」には、マルセイユタロットの秘伝図から、どうしても「審判」のカードとの関連が出ます。

「13」は言わば、「審判」とのセットにて、その象徴性が生きるとも考えられますし、「13」の次の数を持つ、「節制」ともやはり関係します。

「審判」も「節制」も天使の絵図が描かれていることにも注目です。

このように、タロットの象徴図をもって、個々の人生に当てはめれば、つらいことも、転化・変性・昇華させていくことができるのです。


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