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「力」の回復

今日はマルセイユタロットの「力」のカードに関しての記事です。

このカードは「力」と名付けられていますが、フランス語ではフォルス、英語ではフォースと呼ばれています。

一般的には、英語的にフォースは物理的な力パワーはそれより潜在的な能力も入るようです。私自身は英語もネイティブではありませんし、詳しくもありませんので、実際、どのように使われるのか、正しく指摘することはできません。

しかし、日本語的な意味で考えますと、むしろで、この「力」のカードは単に物理的な力を表しているのではなく、内なる力のニュアンスのほうが強いと思います。

その力が何なのか、詳しくは述べることはできませんが、いずれにしても、マルセイユタロットの「力」のカードが表す何かの“力”を、私たちは普段忘れている、(自分や周囲に)あるとは思っていないことは言えると思います。

すでに、多くの人に知られているように、マルセイユタロットの大アルカナは、数を追うごとに成長や拡大、完成に向かうという考えがあります。

大アルカナは全部で22枚あり、「力」のカードはその半分の11の数を持ちます。

とすると、全体から見て中間の位置であり、何らかのターニングポイント、切り替えの位置にあると考えられます。

それについては、詳細はマルセイユタロット講座で語っていますが、その一部をシンプルに言い表しますと、『忘れていた力の回復』となるでしょう。

私たちは、顕在的であれ、潜在的であれ、ある力を、自分の生きることに日常使っています。ですが、おそらくそれは、生命維持を除くと、ごくわすがのエネルギーしか使用していないと想像されます。

そして意外にも、多くの力を他人に明け渡しています。というより、自分に力がないと思い込んでいるので、人間も含め、機械や外の環境など、かなりのことを他力に依存しているところがあります。

もちろん、便利さや機能性・合理性を追求していけば、自らの力・エネルギーを無駄に消費しないために、ほかのものによって楽に行えるに越したことはありません。

しかし、あまりにも便利になり過ぎると、自分の力を出す機会も減り、出力するコツ、技術、ルートも衰退していくと考えられます。

また、これとは違った意味になりますが、そしてむしろ、こちらのほうが重大な問題と言えますが、他人からの支配・洗脳によって、自らの力のほとんどを預けてしまっているケースがあります。

マルセイユタロットには「悪魔」というカードがありますが、本来、この(「悪魔」のカードの)段階では、エゴの完成(わがままを押し通したり、自分の思い通りにすることとは別です)に至り、力をかなり自由に発揮することができるようになります。

しかし、「悪魔」の絵柄を見ると、悪魔につながれた人がいるのがわかります。

自らの力を明け渡してしまった人は、このように他の存在的な悪魔の奴隷になり、自分の力も相手に奪われ、ますます相手のほうはエネルギー(力)を増大させます。

他者や外の何か(それは人格的な神なども入ります)に頼ったり、祈ったりするよりも(祈りがダメと言っているのではありません)、自身に力があることを思い出し、その力が発揮できること、また、外側のものに力が吸収(利用)されているのなら、それを引き戻すようなイメージで取り戻すこと、こういうことのほうが、マルセイユタロットの「力」的には重要だと思えます。

特に、自己主張ができず、他人の言いなりになる人、争いごとになるのを避け、言いたいことも言えずに八方美人的な態度を取りがちな人は要注意です。

また自身は病弱だとか、何もいいところも、魅力もないと思っている人、自己犠牲(自分さえ我慢すればよい)を考える人、このような人たちも、力を失っている(明け渡している)と言えましょう。

実は上記の人たちは、力を失わせる(と思わされる)に至る、何かの事件やトラウマがあるはずです。すでに忘れているか、思い出すと自身の存在に揺らぎが出るため、封印しているおそれもあります。

だいたいは生育史の中にあり、スピリチュアル的には過去生(自分のものとは必ずしも言えないものの、データとして入れてしまっているもの)的なものもあり得ます。

それに気づき、解除・癒し・浄化していくことで、自分の力をなくす傾向にあった人が回復するきっかけになることは多いです。

あとは、そもそも、社会・世界が、幻想を思いこませ、力を奪わせるよう、無駄に消費させるよう仕向けているところもあるでしょう。(集合意識的な問題もあります)

例えば、力の種類のひとつには、セクシャルエネルギーがありますが、これを適切に内なる創造性の力として使われないよう、物質(金銭)への欲求、感情を起伏させること、過度のルール、監視などによって、エネルギーコントロールを乱すようなことも平気で行われています。(しかしセクシャリティの問題では、両性統合の方向性へ進んでいるようにも思えるので、一概には言えませんが)

何事にもいいことと悪い面はありますが、一昔、ライトスピリチュアルの世界で流行した「引き寄せの法則」的なことも、よい面であえて言えば、自分に力があることを思い出すためのひとつの運動でもあったかと思います。(一方で、本来のスピリチュアリティとは異なる、物質的欲望をかなえるための堕落した方法が多く流布しましたが)

自分の力の回復は、通常、かなり洗脳された状態(自分にはないと思わさせられる)にあるので、生半可なことでは難しいかもしれません。11という段階の「力」のカードが示すことなので、本来なら、マルセイユタロット大アルカナの象徴する全体の半分の過程は必要なのでしょう。

「力」の次の12番は「吊るし」であり、逆さまの人物が描かれているカードなので、言ってみれば、真逆の世界観が必要とさえ言えます。それでも11番に至る前の段階、すなわち、私たちの日常レベルにおいても、少しずつ、回復していくことは可能かと思います。

それには意識の切り替えと実践が重要となるでしょう。

また、先述したように、力を他人に明け渡す(他者や環境に依存したり、自分の思いとは関係なく従ってしまったりするような)は、そうなってしまう根本的な要因をつきとめる必要もあります。(無理矢理な思い替えは、結局、自分を苦しめます)

自分が一番恐怖を感じるもの、不安を覚えるもの、自分を怖がらせるものに、実は力の存在が逆に働いています。(そこに力が逆向きに働いている、ベクトルが逆なだけで、モノゴトを創造する力は自分に確実にあること)

「力」のカードで言えば、ライオンもあなた自身の力なのです。


タロットへの質問の工夫

タロットリーディングやタロット占いには、質問、問いが基本的には必要です。

基本的にはと言ったのは、以前も書いたように、質問がなくてもリーディングは可能な場合があるからです。

むしろ私は、そちら(質問なしのリーディング)のほうが、ことマルセイユロタロットにおいては本質的(本来的)リーディングではないかと思っているくらいです。

質問というものは、心の中で問いかけるにしても、結局、人の言葉、言語形式であるのが普通です。

ところが、タロットは言葉としての言語(で把握するもの)ではありません。画像、視覚中心の象徴であり、言葉ではないコミュニケーションが必要になります。

それは感性や直観とも言えますし、もっと高度な霊的な送受信、あるいは言語化されない思考のようなものです。

人がする質問は、先述したように、言葉中心ですから、どうしても言語的な思考でタロットからの回答を得ようとします。

それでもよいのですが、この場合、決まりきった型から脱却することができず、いつも同じような読みになったり、常識的な答えになったりします。逆に言えば、理屈でわかるというようなものになり、人として理解はしやすいです。

加えて、リーディング・占いも、他人に行っている場合、その人に結果を伝えるという作業がありますから、つまりは説明がいり、当たり前ですが、理解しやすい言語コミュニションが最適なわけで(たとえ文章にするにしても言語を使用するでしょう)、最初の質問の時に戻れば、質問自体がわかりやすい言葉でしたほうが、タロットからの回答も、言語的なものとして受けやすく、それを人に説明するのにも、楽(わかりやすい)ということになります。

だから、普通は、(言葉での)質問をしてタロットリーディングを行ったほうがよいわけです。

ただ、タロットを人の言葉から超越させると、思わぬ気づきや回答が霊的指針・啓示のように入って来ることがあり、それは人の言葉を使ってコミュニケーションしたものとは異質なプロセスと結果を生みます。

このことをマルセイユタロット自体が、「審判」というカードで象徴しています。

一方、現実的・人間的な意味では、やはり質問は設定したほうがわかりやすいのは、先述した通りです。

ただ、この質問の仕方によって、タロットからの導き方、答えも異なってくることは知っておくとよいでしょう。

同じカードであっても、問いのレベルとか範囲によって、本当に答えも変わってくるのです。

逆を言えば、タロットはどのような質問のレベルにも、答えることができるということです。いや、答えるというより、質問のレベルに合わせた回答とか気づきをもたらすことができると言ったほうがよいでしょう。

ただし、その質問のレベルや、求める回答によっては、タロットの引き方(出し方)を変えたほうがよいケースもあります。言い換えれば、適切なスプレッド(並べ方・引き方)の選択です。

タロットへの質問は、具体的であるほうが答えも具体的になりやすいですし、その反対も言えます。(抽象的であれば、答えも抽象的になりやすい)

例えば占いであっても、「私の運勢はどうか?」と問うよりも、「金運はどうか?」「恋愛運はどうか?」と細分化したほうが占いやすいですし、恋愛運でも、「いつチャンスの時期が来るのか?」とか、「どんな人が、どんな場所で?」など、さらに具体的にしたほうが、恋(する相手)と巡り合う可能性は高くなるでしょう。(これも本当は巡り合うのではなく、そのような(出会う)世界を自分が作るための材料とするといったほうが適切だと私は考えていますが)

また、「なになにはどうなのか?」「どうなっていくのか?」と聞くよりも、「なになにを解決するには、どうすればよいか?」「目標を達成するには何が必要か?」と聞いた方が、能動的で、自分が何を(具体的に)すべきかもわかりやすいです。

前者のような質問ばかりしていると、ただ運任せ、受動的、自分で事態を動かすことができなくなります。つまりは成長がない、力(タロット的には創造的な力の源であるフォース)もつかない(発現しない、回復しない)ということになります。

もちろん、人ですから、いつも積極的、前向きになれるわけではなく、「どうなってしまうのか?」「あの人はどう思っているのか?」というようなことを知りたくなる時があるのも人情です。

それはそれで、その質問をしてもよいと思います。ただそれで心が落ち着けばよいですが、やぶへびになって、やらないほうがよかったということもあり得ます。

それならば、「どうなる?」とか、「どういう気持ち?」いうことを聞かずに、最初から「どうすれば自分がよい状態になれるのか」の策・方法を質問したほうが、結局はよいかもしれません。

これと似ていても、大きく異なるのが「この(今)起こって(起きて)いる意味は何だろう?」「このことは、何を私に知らせているのか?」と質問するのは、ある意味、霊的な領域に関わるものなので、一見、受動的な質問ですが、自分の視点を変えるには効果的です。

けれども、その回答を得るには、タロットへの象徴的理解がある程度進んでいて、抽象的でありながら、自分の人生とリンクする題材とストーリーの流れを把握する必要があり、これは特殊なマルセイユタロットの教義にふれていないと難しいでしょう。

言い換えれば、高度な意味で整理された大枠・モデルがある象徴体系・メソッドのあるタロットが必要というわけです。それができるのが、一部のマルセイユタロットだということです。端的に言えば、霊的目線が持てるシステムがあるかどうかです。

私の指導するマルセイユタロットリーダーには、クライアントの方の質問そのものにとらわれることなく、本質的な回答をもたらせるように訓練します。

クライアントの質問する言葉通りや、求めるそのものに回答することがよいとは限らないのです。さらには、具体的に質問をしたほうがよい場合もあれば、あえて抽象的なレベルのままでリーディングに入っていい場合もあり、それは人それぞれ、ケースバイケースです。

そして、クライアントがどんなとを質問するのかによって、その人の背景、関心、中心的にフォーカスする(している)レベルもわかり、そして出たタロットによって、主な周波数的要素(レベル)も比較的明らかになります。

ただし、周波数レベルの高低に優劣はなく、その人が必要としているから、また成長の糧のために、そのレベルにいる(そういう問題にフォーカスさせられる)ということが言えます。

地上的部分を強化したほうがいい人もいれば、霊的目線による人生の俯瞰を入れたほうが救いになる場合もあります。そういう区別ができるのも、ひとえに高度に整った象徴体系のあるマルセイユタロットだからできることなのです。

ですが、マルセイユタロット以外でも、質問によって答えが変わること、また、質問している内容を意識(注意)したり、質問のレベルや範疇を変えたりすれば、別の回答、あるいはこれまでとは違ったアイデア、道も見えてくるということは、覚えていてほしいものです。


マルセイユタロットの「戦車」と成功

今日は、マルセイユタロットの「戦車」について少し書いてみたいと思います。

「戦車」のカードは、凛々しい男性が馬車のようなもの乗る姿がメインで描かれています。

しかし「戦車」という名前なのに、武器のようなものは特に見当たりません。乗っている人物も、剣ではなく、王笏のようなものを持っています。

マルセイユタロットでは、カードの数単体の意味だけではなく、その数までに至るものが含まれていると考えます。すなわち、7の数の「戦車」は、1から6までの過程を経てきている(獲得している)と見るわけです。

そういうことからも、「戦車」においては、戦いはすでに終わった部分と、これから先の戦いを見据えている両方の領分があると考えられ、特に今後の戦いには、物理的な武器ではないものが必要(逆に言えば物理的な武器は不要)ということかもしれません。

ところで、「戦車」の意味で、よく言われるのが「勝利」とか「成功」です。戦いに勝つことが成功でもあると考えるわけですね。

世の中で一般的に言われる「成功」とは、有名になるとかはあるかもしれませんが、結局は経済的側面が強いでしょう。現状の資本主義社会が、経済的価値を至上に置いているところがあるので、当然と言えば当然です。

ですが、物質的に恵まれていても、昔からよく言われているように、心の幸せ(充実)がないと成功とはいえないのかもしれません。従って、かつては「成功」を「成幸」と書くようなことも、一部の人では流行っていたようにも思います。

何事もふたつの質があるのは、宇宙や世の中の分類原則みたいなもので、モノだけでは満たされず、一方、ココロだけで満たされようとしても、モノが不足していると、普通の人は不自由さに苛まされます。

しかし、モノの飢餓感はモノでは解決できないことも多く、ココロの平穏さ、自信、自分を認めることによって、飢餓感から逃れられるきっかけになることもあります。

「戦車」にも馬が二頭いるように、単に「勝利」とか「成功」を願ったところで、片方だけの世界の進行(発展・充実)では、戦車は傾き、倒れ、進ことができなくなります。(実際の「戦車」の絵柄は、車輪の方向性がおかしく、物理的な運動ではないことを示唆していますが)

ですから、通常言われる「成功」も、お金やモノを獲得する、満たすだけでは成功とは言えず、ココロの満足や平静さも必要ということになります。(お金があれば自然に満たされると思っていても、そうもいかないのが人間です)

サクセスsuccessという言葉には、下から登って行く、次に進むというような意味合いが語源的に考えられるようです。がむしゃらにただ進むだけが成功ではないことが、語源からもわかるわけです。

それはいきなり成功が出現するのではなく、言わば、積み重ねが重要ということで、階段を上って成功に至る(近づく)ということがイメージされます。

成功に登る(行き着く)ためには、一段一段の確信、自信のようなものが必要と言えるでしょう。しかしながら、自分に自信を持てない人は多いものです。

さきほど、モノだけではなくココロも大事という、当たり前の成功概念を述べましたが、“自信”というところでは、目に見える結果によるものもありますが、それ以上に、内面やココロの領域での自信と落ち着きが大きな要素となるでしょう。

そこで様々な心理メソッドなども必要となってくるのですが、一方で、「運」というものに注目すると、自分は不運だとか、ついていないと思っている人は、当然ながら自信も持てていません。

これは(運も)思い込みと言えば、究極的にはそうかもしれませんが、学業、人間関係、仕事、健康などの分野で大きな問題があったり、人より問題が続いたりすると思うと、やはり不運だと感じるわけです。

負のサイクルのようなもので、現象としての問題がネガティブな感情を強化し、そのネガティブさが運を変える転換を阻害している(誰しも運の波があるのに、その波の運動が緩慢になったり、固定に近いものになったりする)おそれがあるのです。

ということで、自分が思っているネガティブ的な自身の運勢を、良いものに換えたり、開運したりしていくことをやってみるのもひとつの手です。(運というものが実際にあるとかないとかというより、運がよくないという思いが変わる手段、開運したかもしれないと感じるようになる方法が重要ということです)

これはサクセス(成功)のための、土台づくりです。自分のココロがダメダメに支配されていては、戦いに出るどころではありません。まずは自信をつけるための手段を講じることです。

最初は自信の獲得というより、全ダメ状態からましな部分への発見の努力をし、ましからまあまあへ→結構行けるところもあるかも→いや、行ける→やれるよね→私って俺って、なかなか行ける人じゃね?(笑) というような感じに、少しずつ変化させていくわけです。

まさに、成功の語源をたどるようなものです。

もちろん、運だけではなく、自信が持てることがあればよいわけですから、得意な分野を伸ばすとか、新しく何か身に着けるとか、人に相談して、自分のよいところを探してもらうとか、ネガティブ・不安になってしまうココロの要素を分析して癒してもらうとか、ということからでもよいのです。

マルセイユタロットで言えば、車輪を持つカード同士で、「戦車」と「運命の輪」の連係作業みたいなところでしょうか。

自分における新たな自信サイクルを作り上げること、これが自分としての成功につながっていくと考えられます。

「運命の輪」でコンクリートを回して作り、それを道路にして、「戦車」として進んでいるようにも見えます。

人によっては、自分が進んだ後に道ができてしまう、開拓者としての役割の人もいますが、多くの人は、このようにコンクリートを作りつつ(練りつつ)、道を作って進んで行く方法が、成功への王道と言えましょう。


タロットとビジネス、占いとそれ以外

私は中級以上の講座で、希望者にはタロットリーダーを養成(する講座を提供)していますが、タロットビジネス(タロットを使った営利的業務の構築と実施)を指導しているわけではありません。

ただ、タロットにおけるビジネスの状況については、私の知る範囲で解説しています。

タロットを使ったビジネス・営業となりますと、現状、タロット占い師になるというのが、もっともメジャーなものになるかと思います。

また、タロットヒーリングとか、タロットカウンセリング、タロットコーチングなど、とにかく、タロットを使って、人様の問題の解消や軽減に当たるという方法が考えられます。

それでも、いまだ、タロットは「占い」のツール、方法という一般的な認識が強いですので、営業としてやっていくのにも、「占い」でのアピールをするほうが、市場に向けてやりやすいのは確かでしょう。

そのため、占いではないタロットの活用を最初に志していた人でも、営業としてやっていくために、占いにシフトにしたり、占い向けに対象を変えて行ったりすることが少なくありません。

言ってみれば、「タロットリーダー」と名乗るか、占いを強調して「タロット占い師」として名乗るかみたいなことになります。

タロット占い師を名乗ることになるのなら、当然、お客様は占いを期待して来られますので、現状、及び過去や未来を含めて、当たるか当たらないかの点には、こだわりを持たれたり、問われたりすることになります。

占い師として初めから占い的にタロットを読む技術を教わっている、あるいは独学ながら、占い技術の研鑽をしてきたという人ならば、占いに期待するお客様に対しても、当たり前ですが、スムースに応えることができます。

少なくとも、自分のやっていることと、お客様が求められるものとの違いに悩まされることはあまりないでしょう。つまり、ビジネス・営業としても葛藤がないわけです。

しかしながら、占いではないタロットの使い方を目指してきた人、学習してきた人(特にマルセイユタロットでは、そういう方向性になりやすい)は、占い市場が多いタロットにおいてのお客様と、自分のやろうとする理想との間に、大きな違いがありますので、齟齬や葛藤が生じます。

ですから、占い市場で稼ぐとか、営業するとかの目的をもってタロットを使いたい場合は、最初からバリバリのタロット占い指導者(ビジネス的にも結果の出ている方)のもとで学び、訓練されるとよいと思います。

ちなみに私は、占いではないタロット(マルセイユタロット)になりますから、初めに述べたように、タロットリーダーになるための講座は開講していますが、あくまで、それはビジネスではなく、結局自己研鑽のためのものという目的になります。

私の考えでは、他人向けにタロットリーディングすることも、自己の認識を深め、(統合的に)成長するための方法のひとつであり、しかも、なかなか効果的な手段でもあるのです。

その過程で、タロットリーディングに代金をいただくこともありとしていますが、それはビジネスとして稼ぐ、それ一本で生業していくというようなものではなく、あくまで補助的なものです。

金銭を介することで、タロットリーダーとクライアントとの間で現代社会においては、ある種の契約や誓約ができるので、ともに真剣になるという利点があるのと、エネルギー的にも等価交換的なことになって、リーダー側の一方的消費に終わらないということがあるためです。

従って、ビジネスとして成功するためのタロットリーディングを教えているわけではありません。

もっとも、タロットと占いという結びつきは、今の一般的な意味でのタロット市場では強いですが、それも次第に時代遅れになりつつあると見ています。ただ、占いへの需要は、人々の大幅な霊的な向上がない限り、まだまだあると思います。

そもそも、タロット占い自体、かなり古い時代からあると考えられ、特にフランスでは、あの革命前後の時代に人心が乱れ、社会への不安が増したので、それまでキリスト教的には禁止され(ずっと禁止されているものですが)、特殊な階層の人でしか、していなかった占いが一般に広まり、巷で占いをする人、見てもらう人が激増したと言われます。

そこから見ましても、数百年、いまだ占いへの需要と供給が続いていると言えます。だから、まだまだ続きそうです。

ということは、規模はどうあれ、タロット占いとしてのビジネスの可能性もしばらく続くことが予想されます。その意味では、タロット占い師としてやっていくと、決意されるのもありでしょう。

一方、先述したように、従来型の占いも時代遅れとなりつつあり、変化が加速することでしょう。すると、タロットを占いではなく使っていく方法や、新たなタロットでのビジネスということも考えられます。

タロットというもの自体、男性はともかく、女性においては、おそらく結構名前と存在だけは知られているものと思います。

そのため、タロットそのものをウリにして、それをどう使うのかというよりも、「タロットを使って、あなたを幸せにする」というフレーズ(目的)で、使う方法はリーディングでも、ヒーリングでも、コーチングでも、そして占いでも何でもよいとするやり方も可能に思います。

要は使い方ではなく、いかに来られた人を楽にできるか、勇気や希望をもってもらえるか、価値をもってもらえるかということです。

これはタロットというツールが知られれば知られるほど、そういうこと(使い方・方法技術ではなく、タロットそのものをウリにすること)が、やりやすい環境になると思われます。

それから、少し高度なテクニックになりますが、あくまで占い市場に身を投じながら(お客様の層を、占い認識での方々をメインとしながら)、やっている中身はタロットリーディングやタロットカウンセリング、という方法もあります。

結局、よいタロット占い師さんは、当たりはずれのタロット占いの技術だけを提供されているのではなく、来て良かった、救われたとお客様が思う、人への親身な相談ができるからです。

それはお客様・クライアントにとって、実は当たる当たらないが本当の目的ではないとも言えます。

何のために占いに来られているのかを想像すれば、自ずと、タロット占い師・タロットリーダーが(タロットを使って)行うことの意味がわかるはずです。

ただ、市場自体が「タロットと占い」という、ステレオタイプ的な見方で凝り固まっているため、タロットに占いを求めていくという手段(スタイル)が確立され過ぎているのが問題と言えます。

ちなみに、私のところの講座では、タロット占いでの質問と、タロットリーディングでの質問の違いを明確にしており、それを理解すると、形式的にタロット占いをしながら、タロットリーディングに至ることができるという方法を指導しています。

つまるところ、ビジネスにおいても自分次第であり、タロット占いでないと営業は無理ということではなく、工夫次第なのでしょう。

私はビジネスのプロでもなく、むしろその才能はないですから、そうしたことは指導できませんが、専門の人や才能のある人にウリ方を依頼する(考えてもらう)のもいいと思います。

しかし、私も結構経験しましたが、当然ながらビジネスプロの方は、あくまでビジネスのプロであって、タロットを本当の意味で理解しているわけではありませんので、いくらウリ方を提案されても、その方法は相いれない(自分の思うタロットの道からはずれる)ということが多かったです。

そのあたりになると、根本的に資本主義経済の問題に行き着くこともあるので、本質的には難しいことです。

それでも、タロットは本来、自由になるためのものと言えますので、使い方は人それぞれであり、自分の思うやり方、自分が(タロットを使うことで)悩まない方法がよいかと思います。

タロットをやって、成長のために多少の葛藤や苦しみはあっても、タロットを扱うこと自体がつらいということであれば、それは本末転倒なので、あなたのタロットの使い方・目的を考え直すことです。


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